二人目、そして皇帝出陣
帝都で政務をこなし、前線から来る報告に耳を傾け……そうしてる内に、気がつけば春も終わり夏に入った頃。皇帝カーマインに二人目の子供が生まれた。
この数か月、俺はヴェラ=シルヴィと同じ部屋には入れないので、近くの部屋に執務室を移し、彼女に何かあれば即座に対応できるように身構えていた。だが結局、ヴェラ=シルヴィはあれから魔法を暴発させることはなかった。彼女はあの時動揺していたが、むしろその一回の暴発で制御のコツというか、危険な状態を自分で理解して抑えられるようになったようだ。
ある意味専門家ともいえるサロモン・ド・バルベトルテ(トミス=アシナクィ滅亡後、実はずっと帝都にいた)に聞いたところ、そういう事は良くあるらしい。むしろ魔法の才御が大きい子供ほど、一度暴発させたり、させかけた時に制御のコツを掴むものなんだと。俺は暴発したことないから分からない感覚だ。
閑話休題、俺にとって二人目の子供も女の子だった。
「よかった。ロザリア様、良いこと言った、のに男の子、だったら台無し、なところだった」
そう言ったヴェラ=シルヴィの横で、ロザリアが何とも言えない表情をしていた。スカーレットの時に、男の子が生まれたら無茶しそうだ……と言い当てられたアレか。
二人目が男の子でもロザリアが怒ったり受け入れなかったりはしなかっただろうが、ああ言った手前、気まずさは感じたかもな。
「それは陛下が、無茶をしなければいいだけではないの?」
ナディーヌの正論に、今度は俺が何とも言えない表情になっている気がする。十分に弁えてるつもりなんですけどねぇ。
名前についてだが、一人目は俺が決めた方がロザリアが喜ぶだろうなと思ったので俺が決めたが、別に皇帝が名付けるなんて決まりは無い。そこで二人目はヴェラ=シルヴィに一度、男女それぞれの名前候補を聞いてみることにした。
すると女の子の名前で、真顔で『ロザリア=ナディーヌ』と付けようとしていたので却下した。そんな名前付けたら、絶対に宮中が混乱する。
念のため理由を聞いたところ、「ジャン皇太子のときも正妻と側室仲良かったのに、皇太子が亡くなったら急変してしまったから、今度は同じことが起きないように」とのこと。いや、重いよ理由が。あとそれ、俺が死ぬ前提では……?
という訳で、ヴェラ=シルヴィには名前を付けるセンスがないことが発覚したので、他三人で話し合って決めた。どうもシャプリエ家では女の子には複合名をつけるのが伝統らしく、それに則り複合名で名付けることに。
こうして第二子の名前はルージュ=オークルになった。オークルはチャムノ公の妻の名前からとっている。本来、女の子の場合は両方の祖母から名前を貰うらしいが、アレの名前を付けたくはなかったからね。
ナディーヌに抱きかかえられたスカーレットが不思議そうに妹の顔を覗き込む。例の宮中規則のせいで、スカーレットはヴェラ=シルヴィの膨らんできたお腹を触ったりしたことないからな。本当にいきなり妹ができた感覚なのかもしれない。
それでも妹なのは分かるのか、じっと観察している。
「ああ~う?」
心安らぐ光景だ。そして今回は、スカーレットの時とは違って思い出さなかった。今の俺には、同じ思いをさせないっていう明確な目的があるからな。
「分かってる。無茶はしないよ……ちゃんと帰ってくる」
ここで俺が死んだら、娘たちが俺みたいに辛い思いをすることになる。それだけは避けないと。
「ん。でも耳飾り、持って行って」
ヴェラ=シルヴィが言っているのは『シャプリエの耳飾り』だ。最近、オーパーツではなくその元となった神器、あるいは奇跡の類だと判明した耳飾りは、どれだけ遠距離でもリアルタイムで会話できる優れ物だ。
……これ信用されてないのでは。
***
第二子が生まれた皇帝カーマインは、ついに軍を興し帝都を出立した。率いるのは四万……もちろん、その軍中にはヘルムート二世とその長男のニコライ・エアハルトもいる。
そしてこの四万は、南方軍に合流することになった。元から南方軍に合流するつもりではあったが、フィクマ大公国軍によってチャムノ公が一度敗れたことを受け、南方軍の士気向上とこのフィクマ大公国軍を打ち破るためにも、兵力の増強が必要と判断したのだ。
こうして四万の軍勢は帝都を離れ、ゴディニョン王国へと入った。このゴディニョン王国は元から帝国とはそれなりに交流もあり関係も悪くなかった。今回の軍勢の通過も認めてもらっているし、この戦争自体、帝国側で参戦してもらっている。
帝国としても、あまり迷惑にならないように配慮はしている。可能な限り兵糧は帝国から送っているし、足りない場合はゴディニョン王国から購入することになっている。だが今のところは、陸路と黄金羊商会の輸送による海路の二ルートが機能しており、問題なく補給を受けられている。実はイレール・フェシュネールが帝都に挨拶に来た時に、その辺の打ち合わせもしていたのだ。
それからしばらくして、皇帝軍は南方軍と合流した。ちなみに、傭兵主体の『ヘルムート二世軍』は遅すぎて合流が遅れている。
南方軍と合流した俺は、すぐさま現地の指揮官を集めて作戦会議を行った。
「ここまでご苦労。これからは余が直接全軍の指揮を執る」
これに反論する者はいない。ちなみに、この場には各国からの援軍の指揮官もいる。だから喋る内容も、あくまで表向きだ。
「我々の目的はヘルムート二世の復位だ。場合によっては、武力ではなく交渉によってこれが成立する可能性もある。よって、皇国の各派閥との交渉を常に行いながらの進軍となる」
表向きは、ヘルムート二世の復位が最優先。その為に障害になるなら戦うが、ならないならわざわざ戦う必要はない……というポーズをとるのだ。
そうしないと、皇国の危機として皇国貴族は一致団結して抵抗してくるかもしれない。それではこちらが楽できないからな。
「しかしながら、卿らが交戦したフィクマ大公国軍およびテイワ皇国の一部部隊は、明確にヘルムート二世の帰還を阻止せんと立ちはだかっている。よって、我々の当面の目標はこれを破ることにある」
「はっ!」
こうして当面の目標を共有し、次に他の方面軍の状況についての報告を宮中伯から受ける。
「陛下、協力者らより、北方軍および回廊軍の状況も届いております」
この協力者とは現地の『アインの語り部』のことだ。あまり大々的にするわけにもいかないからぼかしている。ちなみに、オーパーツを既に破壊していることを知った彼らは、手のひらを返して協力的になった。
この報告によると、北方軍はヒスマッフェ王国軍と合流し、皇国北部に侵入。現状、大規模な交戦は無いとのことだ。先鋒となったマルドルサ侯の軍勢などはかなり南下を開始しているが、皇国側は守りに徹する構えのようだ。
これは皇国に従属していたウィンル大侯国が反旗を翻し、帝国軍に呼応したため、皇国北部を死守しようとすれば東西から挟撃されると判断。北部辺境を皇国が放棄したためらしい。
これにより、皇国は直接外海と接する土地を失ったことになる。ただし、皇国海軍の撃滅には失敗した。
テイワ皇国は海軍の温存を選択し、『中海』に撤退させるようとした。そのためには、ヒスマッフェ王国のトメニア海峡を突破する必要があった。そこで、両海軍の間で史上最大級の大規模な海戦が勃発したようだ。結果としては、テイワ皇国の勝利といっていいだろう。海峡を封鎖しようとするヒスマッフェ海軍に対し、テイワ皇国は火船を用いた強行突破を行ったようだ。
艦船の損害としては、ヒスマッフェ王国よりテイワ皇国の方が甚大であった。だが、皇国側のそもそもの目的が、一隻でも多くトメニア海峡を突破し、中海に逃げ込むことであった。ヒスマッフェ王国としては、敵海軍に被害は与えられたが、海峡の封鎖には失敗し逃げ込まれてしまったという事らしい。
中海か……これは流石に手出しが難しいな。というのも、ヒスマッフェ王国にしろ黄金羊商会にしろ、主力は外洋航行可能な大型船であり、中海のような浅瀬部分も多い地形で戦うのは座礁の恐れもあって無謀だからだ。そしてこの中海の水中の地形については、皇国側に地の利というか、アドバンテージがある。彼らは知り尽くしているからだ。
次に回廊軍。これは予想に反し、順調に進んだようだ。回廊内は完全に確保済みだったが、現在はさらに回廊の皇国側出口に位置する大要塞も陥落させたとのことだ。やはり大口径の大砲の集中運用は効果的だったらしい。
しかし問題はここからだろう。回廊周辺の皇国領は、歴史的に反帝国色が最も強い地域である。ここから先は強固な抵抗に合うと予想される。消耗は抑えるように伝えているが……どこまで徹底できるかな。
そしてそれ以外の周辺諸国。まず、さっきも言ったようにウィンル大侯国は帝国側、そしてウィンル大侯国と因縁のあるメザーネ王国は、それ以上の因縁があった皇国との間に妥協が成立し、皇国側で参戦。かつて皇国の都合でメザーネ伯国(皇国の衛星国)として独立させられた旧メザーネ領は完全消滅し、皇国に併合される形になる。その代わり、皇国は以前の戦争で獲得していた広大な旧リンブタット領の東半分をメザーネ王国に譲渡。これを受け入れられないリンブタット王国は帝国陣営で参戦。
さらにメザーネ王国と同盟関係にあったイリイー王国は皇国陣営、リンブタットと同盟していたファツラウ王国は帝国陣営で参戦。
そして一貫してフィクマ大公国と敵対してきたプルブンシュバーク王国は、当初はフィクマ大公国が帝国陣営で参戦する素振りを見せていた為皇国陣営で参戦予定だったが、フィクマが突如旗色を変えたため、急遽帝国陣営で参戦。ただ急な変更が祟り、帝国陣営としての連携は全く取れていない。帝国の南方軍への援軍に、三千の兵を送るのがやっとらしい。
そしてここ、南方軍は北に皇国、東に敵対したフィクマ大公国という二つの敵と対峙する形になっている。
「問題はどちらから先に叩くべきかだ」
皇国南部に展開している敵の軍勢を無視してフィクマ大公国を先に叩くか、あるいはフィクマ大公国を無視して皇国へ侵攻するか。
この場合、どちらを選んでも背後をとられる可能性がある。そもそも、この遠征軍は補給路が他国を経由している上に、その全てを帝国本国からの補給だけで賄う訳にいかず、大部分をゴディニョン王国などに依存している。このただでさえ脆弱な補給路が脅かされるようなことはあってはならない。
「ここは、軍を分けるべきでは」
そう発言したのは、ロコート王国からの援軍を率いるビリナ伯だった。ちなみに、この南方軍への援軍に最も多くの兵を供出した国は、ダウロット王国を攻撃しているはずのロコート王国であった。あるいは逆か……ダウロット王国を帝国の名の下に攻めているから、ちゃんと帝国の戦争にも援軍を出しているのかもしれない。
「同じく、分けるべきかと」
チャムノ公も同意する。まぁ、当然そうなるよね。そもそも、軍勢の数からしてこちらが有利だ。無理をする必要はない。
「しかし分けるにしても、主攻をどちらに定めるかは決めなくては」
対フィクマに警戒の兵を残し皇国を主に攻めるか、皇国方面に警戒の兵を残し先にフィクマ大公国を攻めるか。
「陛下は、どちらを主と定めるべきとお考えですか」
チャムノ公が俺にそう伺いを立てる。珍しいな……あーいや、そういうことか。
この場には諸国からの援軍の指揮官もいる。皇帝カーマインとして、ある程度リーダーシップを発揮しているところを見せるべきってことか。
「フィクマ大公国を主とすれば攻城戦が多くなる。しかし同盟諸国からの援軍には大砲は少なく、帝国軍も野戦用の小口径の砲ばかりだ。ここは会戦を企図し、北上するべきだろう」
……あくまでこれは軍事上の理由だけど。政治的にも、北上したい……というか、フィクマ大公国はこのまま敵として残したい。
現状、フィクマ大公国の領土欲しさにプルブンシュバーク王国は帝国側についている。これで先にフィクマ大公国を叩いて、万が一にでも勝って降伏させてしまえば、プルブンシュバーク王国が美味しいところだけ掻っ攫って、戦争から離脱するかもしれない。
「では、フィクマへの抑えはどの程度残されますか」
今この場にいるのは南方軍約六万八千、同盟諸国からの援軍四万五千、皇帝軍三万。遅れてやって来る一万はどうせ戦力にならないので置いといて……可能な限り北に連れて行きたいから……。
「同盟諸国から一万五千ほど残していただこう。加えて、チャムノ公……卿のところから精兵八千を残してもらいたい」
計二万三千をフィクマ大公国への抑えに残す。まぁ残し過ぎな気もするが、これくらいいた方がゴディニョン王国も安心するだろう。帝国軍の背後を担うゴディニョン王国を不安がらせるのは、帝国軍にとっても避けたいからな。
これで仮にフィクマ大公国の軍が本土から迎撃に来たら、この二万強の軍は遅滞戦闘を展開し、北進する十三万が即座に反転する戦略だ。
「そして残った帝国軍六万についてだが……一度再編する。チャムノ公は残ったチャムノ公軍と、ヴァローナ、アドカル、ヌンメヒトの各軍……総勢二万を率いよ」
「ははっ」
この通達に、同盟諸国の指揮官などは驚きの表情を浮かべる。一方で、チャムノ公は当然のことだと受け入れる。
これは彼らには、チャムノ公への軽い罰に見えるだろう。初戦で敗れ、二千の兵を失った罰に。まぁ、目的は全く違うんだけどね。
「残る四万の指揮についてだが、メヨムラル伯ヴァレール、オダメヨム伯ボリス、ヴォッディ子爵ゴーティエ……卿らが各々一万の指揮を執れ。ヴァニーユ男爵……卿は五千の指揮を。残る五千は、正当なる皇太子ニコライ・エアハルト卿に率いてもらう」
ちなみにヴァニーユ男爵サリム・ル・ヴァニーユは元ディンカ伯だ。つまりこの辺は、地方貴族ながらこれまで功績を挙げれなかった貴族と、過去に皇帝に逆らったりして爵位が降格させられていた貴族だ。この采配は、功を立てる機会を与えたってことになるかな。
「では陛下、フィクマへの抑えの軍……こちらの指揮官はどなたになさいますか」
自分の指揮する兵を減らされたのに、不満げな様子を一切見せないチャムノ公……そういうところ、俺は高く評価しているよ。
「チャムノ公、確か南方軍にはジョエル・ド・ブルゴー=デュクドレーが参加していたな」
「はい、確かに」
この部隊には、本隊から離れた状態でも状況を正しく判断し、軍を指揮する能力が求められる。しかしこの点、かつて『双璧に並ぶ』と称された彼の指揮能力なら問題ないだろう。
「では彼に指揮を任せよう」
彼の指揮官としての能力は俺も買っている。しかし彼の場合、政治的に見ればあまり使いたくない。どっかの馬鹿が引き抜きを仕掛けたせいでな。だが今はそこに拘る場面じゃない。彼に任せよう。
ちなみに、後で合流したその馬鹿は、この連合軍の方針を聞いて上機嫌そうにこう言った。
「善き善き。朕が皇都に帰還すれば、従属国であるフィクマも追従するであろう」
そんな訳はない。この御輿、軽すぎてどこか飛んで行かないか心配だ。