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新章プロローグ  墓前で決意を新たに



 時は遡り、第一子であるスカーレットが誕生した翌日。



 政務の合間に暇ができた俺は、一人で宮廷内にある墓地へと来ていた。まぁ、一人と言っても護衛はいるんだけど。それでも色々と察してか、離れたところに控えてくれている。

 俺は小さな墓の前で手を合わせる。ちなみに、聖一教にもこの国にも墓前で合掌する風習は無い。完全に、前世の癖が抜けていないのだ。それ以外の癖はほとんど抜けたのにな。


 どれくらい経っただろうか。暫くして、ふと背後に人の気配がした。……いない時間を狙ってきたんだけどなぁ。

 この場で、皇帝に近づいても護衛が制止しない人間は一人しかいない。ティモナだ。

「……陛下。事あるごとに父の墓前に来るのはおやめください」

 その言葉に、俺は振り返らずに肩を竦める。俺の側仕人であるティモナの仕事は多岐にわたる。端的に言えば護衛兼秘書だ。だが四六時中一緒にいるという訳でも無い。

 そんな別行動のタイミングで、俺はごく稀にこうして一人でナン男爵の墓前に来ていた。もっとも、最近は中々時間が取れずに来れていなかったのだが。

「子供が生まれたんだ。報告くらい、別にいいだろう」

 今までティモナからは何も言われなかったんだけどな。というか、俺が来ていること把握してたんだな……いや、それは当然か。皇帝の表の護衛は近衛で、裏の護衛は密偵。だがその双方からの報告を受けるのはティモナだ。耳には入っていたのだろう。

 知っていて、今までは皇帝の一人の時間だからと遠慮していたのか。


「護衛が困っております。陛下は近づかれるのを嫌がりますが……あの一件以来、そういう訳にもいかなくなりましたので」

 ……あぁ、そうか。ドズラン侯による宮廷襲撃事件があってからは、ここに来るのも初めてか。

「だからもっと広いところにって言ったんだ、俺は。共同墓地で良いと言ったのはティモナだろう」

「特別扱いは嫌だと、父の希望でしたので」

 傀儡の頃は、来ることすらできなかった。即位の儀で、宰相と式部卿をこの手で粛清して……ようやく俺は、好きな時に墓参りできるようになった。これは俺がこの手で勝ち取った権利の一つだ。

 ちなみに、俺が親政を開始してから、ナン男爵の亡き妻……つまりティモナの母にあたる方の墓所もここに移された。その際に、もう少し俺が足を運びやすい場所に移さないかと提案したのに、それを断ったのはティモナである。



「父はまだしも、母は困惑しているでしょう」

 ……痛いところを突く。分かってるよ……ここはナン家の墓だ。俺の親が入っている墓じゃない。そう何度も邪魔しては、男爵夫婦も迷惑だろう。

「……男爵くらいにしか相談できないんだ。これくらいは許してほしいな」

 皇帝である以上、純粋な相談をできる相手はいないからな。どうしても、主君と臣下という立場が、対等な話し合いを邪魔するのだ。


「それで? 何か報告か」

「いえ」

 ティモナのその答えで、俺は全てを察した。本当、怖いくらいにどこまでも俺のことを理解しているよ、この男は。

 俺が心の中では話し相手を欲していて……それを見抜いたティモナは、普段は近寄らないようにしている時間に、わざわざやってきたのだ。



 俺は墓石を眺めたまま、独り言を言うように悩みを打ち明ける。

「スカーレットが生まれて、初めてこの手に抱いて」

 ホッとした。温かかった。重たかった。嬉しかった。

「幸せだった。本当に幸せな時間だったんだ」

 子供の誕生を喜ぶ一人の父親だった。そのはずだった。

「なのに……なんでだろうな。そんな幸せなはずの時間に一瞬、脳裏に浮かびかけたのは……その場にはあまりにも似つかわしくない記憶で」

 ティモナは、ただ俺の言葉を黙って聞いていた。


「カーマイン丘、即位の儀、シュラン丘陵……その後もずっと戦ってきて。そこで流れた血と、悲鳴と、血の匂いと。俺の為に死んでいった者たちと、この手で殺した者たち」

 彼らの死に顔が、血の記憶が、脳裏をよぎったのだ。

「どうかしている……俺は。我が子の誕生を喜ぶべき時なのに」

 ロザリアと、ナディーヌと、ヴェラ=シルヴィ……三人がいてくれて本当に良かった。彼女たちが笑っていたから、その場ではそれ以上考えずに済んだ。

 考えることをやめて、ただその場の幸せな光景を傍観できていた。

「朝になっても脳裏から離れなくてな……ふと、このままスカーレットの側にいたら、何かしら悪影響を及ぼすんじゃないかって……それで逃げてきたんだ」

 娘の誕生という吉事に、死者のことを思い出すとか、縁起が悪い気がして。

 ……娘が生まれた途端に、俺も縁起を気にしだすんだな。



 それからしばらく、ティモナはずっと無言だった。

「……いや、ずっと無言でいられるのも困るんだが」

 振り返ると、ティモナはいつも通りだった。変わらない、無表情のティモナは、そこでようやく口を開いた。

「いえ、その説明だと要領を得ないなと」

 俺は思わず笑った。

「だろうな」

 俺自身が、この頭の中のこと、よく分かっていないんだ。ただ漠然と、良くないことのような気がして……それを整理するためにここに来たのだから。

 だがティモナは、続けてこういった。

「ですが、陛下がなぜそうなっているのかは、おおよそ見当がつきます」

「……マジで?」

 ティモナはそっと俺の隣に立ち、両親の眠る墓石を見つめる。珍しい……いつも一歩引いたところにいるのに。


「陛下は、常に御自身と『皇帝』を分けて考えようとしておられます」

 まぁ、それはそうだな。俺はどれほど記憶を無くそうが、元は前世の地球で生きていた一般人で。ただ少しだけ歴史とか、そういうのが好きなだけの凡人だ。

 皇帝として生まれたから皇帝として振舞っているだけの人間だ。

「ですので、娘が生まれた父親としての感情と、皇女が生まれた皇帝としての感情。その二つが同時に生まれたのではないでしょうか」

「つまり、どっちかの俺は、娘の誕生を喜べていないと?」

「いえ……陛下は『父は子の誕生を喜ぶべき』という理想の父親像に囚われ、純粋な喜び以外の感情も抱いたご自身に不安を感じておられるのでは」

 ……不安か、なるほど。そう言われれば、そんな気がする。

 でも仕方がないだろう。前世の父親の記憶はほとんどなく、ただ温かみと感謝だけが残っている。だから、前世の父親が良い父親だったってことは何となく分かる。

 だがこの世界での父親は、生まれた時には死んでいた。具体的にどう振舞えば、どうすればいい父親に成れるのか、具体的なことは全く見えてこない。


 ……あぁ、そうか。それで俺は今、ナン男爵の墓前に来たのか。

 俺が記憶する限りで、父親らしさを見せてくれた唯一の人だったから。もちろんそれは俺に対してではなく、ティモナに対してだが……それでも、無意識に手本を求めていたんだな。

「皇帝と皇女の親子関係の手本を、一般貴族の家庭に求められるのは正直困りますが」

 それもそうだ。事前に、他の王族に話を聞きに行くべきだったな。ハロルド王子……は特殊だった。ならベルベー王か……舅だしな。

「そう言えば、宮中伯も言ってたな……皇族の宿命だって」

 だったら皇族らしい親子関係というものを教えてほしいものだ。答えが分からないから不安になるんだ。


「……スカーレットを抱いた時、あんなことを思い出すのも、皇族としてはあり得る事なんだろうか」

 死者を思い出して、それで俺自身が不安になったんだと思っていだが、ティモナの言う通りならば不安感とこれは別物のはずだ。なぜあの瞬間、流した血を思い出しそうになったんだろうか。

「分かりません。ですが、個人的な見立てでは……『皇帝』としての陛下は、皇女の誕生を純粋に喜んでおられたように思えます。むしろその感情は、『皇帝ではない陛下』が抱いた、『皇帝の娘』に対する憐憫の感情ではないかと推測いたしますが」

 俺は思わず目を見開く。憐憫……憐れみの感情。そうか、それで。



 ロザリアは、男子が生まれたら俺が無茶しそうだと言っていた。それはたぶん正しい。実際、俺は娘の誕生に喜ぶと同時に肩の荷が少し下りたような感覚を抱いていた。それは自分が死んだら血統が途絶えるという不安から解放されたから……これがたぶん、皇帝としての俺の感情だ。

 そして、ただのカーマインとしての……いや、正確には名前を忘れた、『前世の俺』がスカーレットを憐れんだのだ。自由もなく、人々の視線に常に晒され、時には他人の命や国の命運すら背負わされる。妬みや憎悪、あるいは期待や崇拝……数多の人間から複雑な感情を向けられ、そしていずれ皇族の定めとして政略結婚の駒にされてしまうであろう娘を。

 自分の娘として生まれてしまったばかりに、多くの責任を背負わせてしまう彼女に、申し訳なさを感じたのか。


 腑に落ちた。そういうことだったのか。俺は、俺が思っている以上に、娘の未来を案じていたのだ。

「皇族としてお生まれになられた以上、皇女殿下には多くの責任が伴うでしょう。それはどうしようもありません。ですが、皇女殿下……あるいはいずれお生まれになられる皇子殿下にかかる苦労を、減らせる方法がたった一つだけございます」

「あぁ……分かったよ。自分のやるべきことが」

 後世において、名君と評されたい……それが今までの、俺の願望だった。だが、これからは違う。

「……側仕人としては本来、陛下の心労を案じ、これ以上抱えないよう促すべきなのですが」

「いいや? むしろやる気が出てきたよ」

 俺が、俺の代で、帝国が抱える問題を可能な限り解決する。少しでも愛娘(スカーレット)を……次代を楽にするために、やれることはなんでもやる。

 子供たちが人を殺さずに済むように、子供たちが戦争に出ずに済むように、子供たちが恨まれずに済むように。

「俺が、全てを引き受ける……か」

 なんてシンプルで、そして最高にやる気が出てくる目標だろうか。


 こうして俺は、ナン男爵の墓前で決意を新たにした。



「……ちなみに、側仕人としての立場を崩さなかった場合の意見は?」

 ふと、俺は隣に立っていたティモナに訊ねる。すると彼は一歩、わざとらしく下がるとこう言った。

「側仕人の意見など参考程度に留めるべきかと思いますが……本来、至尊の座の悩みなど陛下にしか分かりません。皇帝として生まれた時点で、何もしなくても羨まれ、疎まれ、恨まれます。人は愚かなことに、神や運命すら憎むものです……それが己の無知と無謀の結果だとしても」

 ティモナはそう言って、頬に残した傷を撫でた。

「ですので……どう振舞おうが誰かからは妬まれる御立場ですから、いっそ好きなだけ悩み、好きなように振舞われればよろしいかと。それが間違いかどうかなど、誰にも分からないのですから」

 ……これは今回の話についてというよりも、今後俺が悩んだ場合の話をしている気がする。まるで勝手にしろと突き放すかのようにも聞こえるが、それに続いたのは覚悟の言葉だった。


「そして下された陛下の決断に従う……たとえどのような決断であっても。それが側仕人です」

――思うがままに生きなさい。悩んで、迷っていいのです。

――前へ。前へ進むのです、陛下。貴方の後ろに道はできる。

 俺はナン男爵の言葉を思い出した。親子で同じようなことを。

 ……でもまぁ、それなら思いっきりやってしまおうか。


「……その割には、余の命令に反抗的なことがあるようだが」

「最終的には従ってますので」

 ……ならいいか、とはならないけどな普通は。



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