15 新たな命、新たな戦い
ロザリアの出産が近づく中、俺は自分の仕事を全うするために、書類の山と格闘していた。
……いや、嘘だ。宮廷が慌ただしく動いているのを感じて、ずっと上の空だ。全く仕事に集中できない。
普段はこういう時に注意するティモナですら、ここ数日は何も言わない。というか、ミスが起きると困るような書類は抜かれ、どうでもいいのばかり並べられている気がする。
そしてペンを握っては置いてを何度か繰り返していると、部屋の扉がノックされる。
俺は全身の血の気が引く感覚の中、入ってきた医官らしき老人を凝視する。
「陛下の御子が無事に生まれました。母子ともに健康です」
一気に全身の力が抜ける。
あぁ、本当に良かった。
「聖継の産布での判定結果、陛下の御子と証明されました。それから、西方派による判別の結果ですが、残念ながら女の子です」
……は? 今コイツ、人の子供を残念って言ったか。
「陛下を着替えさせたらすぐに行きます……先にお戻りください」
「ははっ」
というか判定結果がどうとかって、人を疑ってるみたいじゃないか?
俺は医官が出て行った扉を睨め付ける。マズいな、ちゃんと顔見てなかった。
「ティモナ、あの失礼な医官をクビにしよう」
「はぁ……陛下、アレは一般的な反応です。女子より男子が望まれるのも、魔道具での判定も、皇族の宿命です。我慢してください。……だいたい魔道具の方は陛下も受けているはずですが」
そう言った後、ティモナは再びため息を吐いた。
「……ですが、失礼な態度なのは同意します。次からは医官ではなく、別の者に報告させることにしましょう」
それから着替えを終えた俺は、ロザリアの元へ駆けつける。
……あれ、着替える必要あったか? ……あぁ、俺を落ち着かせるために無理やり時間を空けたのか。
ティモナの気づかいが分かり、少し冷静になった俺は、改めて心を落ち着かせて部屋に入る。
部屋に入るとはじめに医官らが気がつき、頭を下げていた。それから、ナディーヌとヴェラ=シルヴィがこちらに気づき、最後に疲れ切った表情で横たわるロザリアと目が合う。
「陛下!」
笑顔を浮かべるロザリアに、なんだか泣きそうになった。久しぶりに顔をみれた気がする。
「身体は」
……いや、出産直後なんだから良い訳ないだろう。碌な言葉が出てこないな。
「平気ですわ……それよりほら」
そこから先は、夢を見ているようだった。言われるがままに生まれたばかりの我が子を抱きかかえる。
あまりに小さくて、あまりに温かくて、あまりに軽くて、どうしようもなく重かった。命の重みが、ずっしりと両腕にかかる。
すると娘はすぐに泣き出して、ロザリアが抱きかかえるとピタリと泣き止んだ。
三人は噴き出すように笑っていた。表情が固まってるせいだとか、身体が強張ってるせいだとか、そんな傷ついた表情しなくてもとか、そんなことを言いながら笑っていた。
本当に、夢を見ているようで、ずっと温かい。そんな時間だった。
「良かったわ……女の子で」
しばらくして、娘を眺めながらロザリアはそう呟いた。
「……そうだったのか」
てっきりロザリアは、相続的に皇子の方が……もちろん俺は気にしないのだが……そういう貴族らしい考えも持っていると思っていた。
「えぇ。だって陛下、男の子だったら『これで最悪、自分が死んでも帝国は続く』って考えて、無茶しそうですもの」
「そんなことは……」
ない……とは言い切れない自分がいた。そして俺は、ロザリアに妊娠を伝えられた時のことを思い出す。あの時、肩の荷が下りた感覚がしたのは、これか。
……そうか、俺は心のどこかで楽になろうとしてたのか。自分が死んだら終わりって状況から、解放されたかったのか。
「まだ、ダメですわ。たくさんこの子たちと触れ合って、自然と『自分と同じ苦労してほしくない』って思えるようになったら……きっと陛下も無茶をしなくなりますわ」
ロザリアの言葉は、強く刺さった。そうだ……前皇太子と同じようなことにならないように、ちゃんとしなければダメだ。
本当に、この人には敵わないなぁと思った
「相変わらず、俺以上に俺のことを分かっているな」
「陛下のことばかり見てますから。むしろ陛下のこと以外はあまり詳しくありませんわ」
凄い人を妃にしたな……俺は。
……ん? ちょっと待てよ。
「この子たち(?」
視線を向けると、そこにはもじもじと照れる少女(年上)が。
「できた」
「……なるほど」
そうか。まぁ、そうだよな。うん……ちょっと動揺している。そうか、もう二人目か。
「ところで陛下、この子の名前は決まったの?」
俺はナディーヌに促されハッとする。
「あぁ、うん。それだけはちゃんと決めてきた」
ちゃんと男の子の時と女の子の時、両方考えてたんだ。というか、ここ最近それくらいしかできてない。
女の子だったときの名前は……。
「スカーレット」
それがこの可愛い、我が子の名前だ。
***
季節は過ぎ去り、冬になった。
この秋は色々とあった。トミス=アシナクィが事実上壊滅したり、アキカール人国家が成立して国内の反乱がついに終結したり、ロコート王国やアプラーダ王国の領地から復帰した貴族と謁見したり、元皇王一行のために直轄部隊の創設してあげたり。
あとは皇国にいたシャルル・ド・アキカールを誘拐してきたり、ヴァレンリールが間違えて宮中の一画を吹き飛ばしたり、ヴェラ=シルヴィが間違えて宮中の一画を吹き飛ばしたり……。本当に、色々と、大変だった。
……なんでこの短い期間で二回も爆発事故が起きるのだろうか。ちなみに、生後間もない我が子はこの爆発音を聞いて大喜びだった。
この子は将来大物になるね、間違いない。
そんな事件ばかりの秋が過ぎ、社交界シーズンの冬となった。今日は珍しい、皇帝主催のパーティーである。まぁ、主催といっても手配したのは全部ニュンバル侯だけどね。
名目上は、皇帝の第一子誕生を諸侯に報告する会になっている。
当然ながら、生後五か月の愛娘はこの場には来ていない。というか、むしろある程度成長するまで後宮から出さないのが普通らしい。全ての諸侯が信用できるわけではないし、暗殺防止の観点からもそうするべきだと思う。
俺の場合は生まれながらにして皇帝だったせいで、早々に挨拶する必要があったってだけだ。あんな諸侯に一斉に頭下げられる光景、教育上よろしくないしな。
さて俺は今回、ナディーヌをパートナーとして参加している。ちなみにナディーヌも既に十五歳になっている。そんな彼女を連れ、俺は主立った諸侯の元へ自分から向かい言葉をかける。会話自体はほんの一言二言だが、皇帝から声をかけてもらうというのは、最上級の栄誉らしい。
そんなの気にする人たちかなぁ、とも思うが様式美なら仕方ない。それに、いつも世話になっている諸侯を捜して声をかけに行くっていうのは、案外苦にならないものだ。
そして俺は、ようやく捜していた最後の一人を見つけて声をかける。
「狭い会場なのに随分と捜したぞ、ペテル・パール」
アトゥールル族の長、ペテル・パール。彼は自身が異民族である遠慮からか、会場の隅でひっそりと佇んでいた。彼にこんな肩身の狭そうな思いをさせるなら、無理やりでもイルミーノを引っ張ってくるべきだったかもしれない。
……会場が狭い理由? いつも社交で使ってる建物の端っこの方、うっかり壊しちゃったんだよ……ヴェラ=シルヴィが。
「それは、すまない」
「なに、いいさ。いつも世話になってるんだから」
本当に、彼らには世話になりっぱなしだ。戦力としても頼りになるし、何よりも彼らの凄いところは他人に迷惑をかけないところだ。
異民族が嫌われてしまう理由は、価値観の相違からルールを逸脱してしまうからだ。だがアトゥールル族は鋼のような規律で部族を引き締め、帝国の秩序を徹底して守らせている。お陰で、帝都市民からの評判もいい。
「……一つ疑問なのだが、いいか」
「なんだ、改まって」
俺が促すと、ペテル・パールが眉をひそめながら会場の中の誰かを見つめていた。
「最近、代替わりでもあったか?」
「代替わり?」
振り返るが、会場には貴族がたくさんいる。しかも立食形式だから、各々思い思いに交流をしていて、誰を指しているのか分からない。
改めて訊ねようとすると、時計を手にしたティモナに声をかけられる。
「陛下、お時間です」
……ちょっとペテル・パール捜すのに時間かけすぎたな。
「すまない、ペテル・パール。行かなくては……その間、余の代わりにナディーヌの相手をお願いできるだろうか。余は一人で行かねばならなくてな……彼女を一人にするのが不安なのだ」
俺のアイコンタクトに、ナディーヌは小さく頷いた。
「……あぁ」
そう小さく呟いたペテル・パールをナディーヌに任せ、俺は皇帝としての挨拶に向かった。
※※※
「妃として大抵の者は頭に入れておりますので。どのあたりにいらっしゃる方でしょうか」
皇帝カーマインの若い妻にそう言われたペテル・パールは、長い沈黙の末にこう答えた。
「……いや、たぶん勘違いだ」
それは決してナディーヌの言葉を信用していなかったわけではない。むしろ、若いのに皇帝カーマインの妻として立派なこと、さらに実父がワルン公であり、彼の実直さを受け継いでいることも理解していた。
「……すまない」
「いえ……」
ペテル・パールは、部族の存続に命を懸けている。そして帝国という集団において、自分たちの部族が異分子であることを自覚している。そういった存在は、少しの失礼や乱暴で、たちまち集団での立場を失う。
そうやって流浪してきたのがアトゥールル族である。だから彼は、族長としてこういった場では、絶対に失礼なことをしないようにと気を張っていた。
もし勘違いで失礼なことを言えば、部族に迷惑がかかる。ならいっそ、口を噤むべきだと彼は考えたのだ。
『偽皇を擁立し、皇国は正道から外れた』
遠くでは、皇帝カーマインが諸侯の前に立ち、挨拶を始めていた。ペテル・パールは事前に聞いていたが、この場で皇国との対決を宣言するらしい。
「……本当にすまない」
この謝罪は話題を提供できない事への謝罪だったのだが、ナディーヌはそれには気づかなかった。
「いえ、お気になさらないでください。勘違いは誰にでもあることですから」
『時は来た! 雪解けと共に、帝国はこれを討つ』
そうだ、勘違いだとペテル・パールは自分を納得させるように言い聞かせる。これだけの数の人がいて、まさか自分だけが異変に気付いているなんてことはあり得ないのだから。
『神に捧げる栄光のために! 民が望む勝利のために!』
ワインの注がれたグラスを掲げる皇帝。それを見て、ペテル・パールは自分が持つグラスに目を向ける。
そうだ、きっと酒のせいなのだろう。この程度で酔いが回るとは、年を取ったなとペテル・パールは自分に言い聞かせる。
……大貴族の一人が、以前会った時とは明らかに別人だなんてことは、あり得ないのだから。
諸侯の前で、乾杯の音頭として皇帝が叫んだ。
『帝国に栄光あれ!』
皇帝の掛け声と共に、貴族たちが歓声を上げグラスを掲げる。ペテル・パールもまた、言いようのない不安を呑み込むためにグラスを掲げ、酒をあおった。
ついに東方大陸二大国家の戦争が始まる。両者ともに、その内に敵を秘めたまま。