11 本気の嘆願
年が明け、帝国とベニマ王国の間で成立した講和は無事、履行された。こうして南方三国のうち、残す交戦国はアプラーダ王国のみとなった。そのアプラーダ王国もチャムノ伯率いる帝国軍に北半分はほとんど占領されている。ベニマ王国も戦争から離脱した以上、ここからアプラーダ王国に勝ち目はない。
ちなみに、ハロルド王子は履行前に帰っていった。しかも俺に挨拶もなく。正直マナーとしてどうかと思うが、今回は実際助けられたので黙っておくことにする。
時を同じくして、トミス=アシナクィとの講和交渉は決裂した。こちらは時間稼ぎに乗っていただけなので、大して話は進んでいない。こちらとしては、結ぶ気も無いしな。
ただ、停戦だけは結んでおいた。可能性が低いとはいえ、雪の中攻撃を仕掛けてくる可能性は無くはないからな。しかし……トミス=アシナクィは継承派の聖職者が国家を支配しているせいで、外交官として来た者もお粗末だった。お陰でこちらが仕掛けた罠に気づいていない。これまではまもとな外交なんてしてこなかったから、それでも良かったのだろうが……この失敗に反省することなく滅んでもらおうと思う。
やはり外交官の質は重要だな。しかし帝国の方も経験豊富な外交官は不在だ。これもどうにかしないとな。
あと、この年始のタイミングで、以前呼び出していた黄金羊商会がやっと来た。トミス=アシナクィから、彼らが飢えるレベルで食糧を買い付けていた疑惑での召喚である。
ただ、今回来たのはイレール・フェシュネールではなく、最初に彼女が宮廷に来た時に一緒にいた女だった。マルティーヌと名乗った彼女は、こちら側の詰問に対し、買い付けは事実だがそこまでの量は買っていないと答えた。
要するに、安く買える分は買ったけど、値段が上がってからは買ってないとのことだ。曰く、「安くないものを意味もなく買うほどうちの会長は愚かではない」とのこと。そのイレール・フェシュネールへの信頼は何なんだと思いつつ、一理あるなとも思った。
その後、別に悪意があった訳ではないと形だけの謝罪をし、それはそれとしてこんな忙しい時に呼び出すなとの逆ギレを残していった。
イレール・フェシュネールとは違う意味でインパクトのある人間だった。
そして今日、俺はワルン公と、久しぶりに面会していた。ベニマ王国との戦争が片付き、ようやく帝都に招集できるようになったのだ。
「陛下。こちら、諸侯からの嘆願書になります」
色々と迷惑かけたし、これからも苦労かけるし、言葉を尽くして公爵を労おう……と思っていたんだが、ワルン公からの第一声は予想外のものだった。
「お受け取りください」
「あ、はい」
有無を言わさぬ圧を感じ、俺は素直に受け取った。
それにしても、嘆願書って初めて受け取った。要するに、皇帝に対しての要求がここには書かれている訳だ。
俺は恐る恐る、中身を見る。そこに書かれていたのは……。
「『御懐妊された皇妃さまが無事に御出産なさるまで、戦場へは一切出ないことを約束していただく』……なんだコレ」
予想と全然違う内容で拍子抜けする。無いとは思ってたけど退位要求とかじゃなくて良かった。
「まぁ、絶対に出ないという約束はできないが、極力善処しよう」
どうせ魔力回復してないし、元から戦場に出るつもりは無かったから丁度いい。
「いいえ。絶対に出ないでいただきたい」
そう言って、ワルン公が食い気味に被せてくる。ヤバイ、目がマジだこの人。
もしかしてワルン公、怒ってないか? ……いや、心当たりはあるけどさ。ドズラン侯の件とか。
「これはロザリア様も望んでおられます」
「え、ロザリアが?」
それは珍しいな。ロザリアが望むなら極力聞いてあげたいが、絶対は……。
そう思いながら、署名欄をみると、そこにはびっしりと人の名前が。
「いや、多いな!」
ワルン公、ニュンバル侯、ロザリア、宮中伯、ファビオ……うわ、チャムノ伯の代理でヴェラ=シルヴィまでサインしてる。しかもバルタザールやティモナまで。ティモナに至っては、いつの間に。
「前線にいる者以外、ほぼ全員じゃないか……」
こんな嘆願書突き付けられたの、歴史上で俺が初めてじゃなかろうか。
「いや、別にここまでしなくても」
俺を戦場に出さないために、諸侯から署名が集まるってどういう状況だ。
だが困惑する俺に、ワルン公が深々とため息を吐く。
「なんだその、これ見よがしのため息は」
「陛下、ご自身の身の上を分かっておいでですか?」
身の上……? 生まれた時から皇帝だけど。
「陛下がお腹の中にいる時、戦場に出た父君は亡くなられたのですよ! あまりに当時と状況が似通っています!!」
戦場仕込みの怒声に、反射的に体が後ろに下がる。
「そういう縁起とか気にする人間だったのか」
「気にしない人間ですら、この署名をするほど、誰もが脳裏によぎるのです!」
……その件の実行犯と思われる宮中伯もしれっとサインしてるし。まぁ、下手にバレたら元皇太子と仲の良かったワルン公は宮中伯を討とうとするかもしれないから、署名はするか。
うん、なんかもうサインしてしまおう。実際問題、今の魔力量じゃ色々と不安だし。でも別に、宮中も安全な訳じゃないんだけどなぁ。
「はぁ、分かったよ」
俺は嘆願書にサインして要求を受け入れる。なんだかなぁ……。
「それで、トミス=アシナクィ方面の総指揮なんだが」
「はっ、謹んでお受けいたします」
なんかワルン公、過保護な親戚のおっさんって感じになってきたな。
……いや、親戚だしおっさんだったわ。
なんか変な雰囲気になったが、気を取り直して戦争計画の話だ。俺は地図を広げ、ワルン公に訊ねる。
「それで、ワルン公よ。この戦争でトミス=アシナクィとテアーナベ連合、この双方の領地を完全に平定することは可能だろうか」
トミス=アシナクィを滅ぼすつもりって言ってるだけで、実際に滅ぼせるかは話が別だからな。現場の人間が無理と言ったら方針を転換することも考慮に入れている。
俺の質問に対し、歴戦の将であるワルン公は簡潔に答えた。
「可能です。ただし、長引けば厳しくなります」
「ほう……根拠は?」
「我々があまりに優位だからです」
それからワルン公は、優位だと言える点を挙げていく。
「まず、同盟国。ベルベー王国、エーリ王国、そして帝国の三国により包囲する形になっております。敵は三正面作戦を強要されることになり、戦略的にこちらが常に優位を取れるでしょう」
まぁ、これに関しては最初からそれ狙いで同盟を組んでたし。
「そして敵はテアーナベ連合を吸収合併するという愚策を犯しました。これまでは両国が互いに背を預けることで、敵の数を一国減らせていましたが……」
「合併したことで、結果的に敵を増やしているな」
「はい。もちろん、この合併には利点もあります。純粋な動員可能な兵力は増え、戦略を一本化しやすくなり、また造反の可能性も無くなりました。恐らくですが、以前からテアーナベ連合内には帝国に降るべきという意見も出ていたのでは?」
あぁ、そうかも……その可能性は十分にある。意見が割れたテアーナベ連合に対し、裏切られるくらいならとトミス=アシナクィが先制的に圧をかけた。結果、テアーナベ連合は屈したのかもしれない。
「しかし、敵はこの合併した利点をあまり活かせておりません。兵力は温存したかったのか小出しにし、さらに宗派の問題で潜在的に内部で対立。何より、未だに『トミス=アシナクィ兵』と『テアーナベ兵』を分けてしまっている。これでは合併した意味がない」
「つまり、内部に問題を抱えている上に、両地域間での戦略、戦術の連携が上手くいかない可能性が高い……か」
そういう連携の不和を突ければ優位に立てそうだな。
「そして長引けば厳しくなると言った理由も正しくそこにあります。この連携不足は時間と経験が解決してしまいます」
確かに、宗派問題も改宗が進んでしまうと無くなる。相手に下手に時間を与えるより、速攻で片付けた方が勝てる可能性が高いか。
「となると、やはり下手に戦術的勝利を目指すより、圧倒的兵力で完封した方がいいな」
今までは局地戦闘で大勝して、敵が立て直す前にその優位を持って講和していた。これは敵を滅ぼせない代わりに、こちらの損害も抑えられる勝ち方だ。
だが今回は滅ぼすための戦争をする。よって、局地的な勝利は無視して数の暴力で蹂躙するべきだ。
「兵力は投入できるだけ投入するとして……ワルン公、勝つためには何が必要だ?」
「ベルベー王国からの積極的な攻勢……は、問題ない。そうなると……初動か」
ワルン公は口に手を当てそう一人で呟くと、今度は説明するように地図を指さす。
「テアーナベ連合とは対立が続いており、帝国との境界には防御が固められていると思われます。しかしこれを素早く突破することができれば……これまでの関係的にトミス=アシナクィとテアーナベ連合の間の防御は手薄になっている可能性が高く……」
そう言って、トミス=アシナクィの首都まで指を進める。
「……トミス=アシナクィに関してはベルベー王国との国境の方が防御は堅そうだな」
「えぇ。ですので、基本方針はベルベー王国が敵を引きつけ、我々が敵南側の戦線を突破し北上。勢いが止まらなければ、一年とかからずに滅ぼせるでしょう」
というか、途中で勢いが止まって越冬とかする方が泥沼化しそうだな。
「もっとも、トミス=アシナクィ領は滅ぼした後、統治に苦労しそうですが」
「あぁ、それは大丈夫。帝国は統治しないから」
となると、これを基本方針にして、俺はワルン公がこの方針通りに進めるようにサポートすればいいな。
「まず、問題の初動だが……こちらが結んでいる停戦は一方的に破っていい」
「それは……これ以上なく効果的な奇襲になりますが、よろしいのですか」
「問題ない。実のところ、既に罠は仕込んである。破っても言い訳が容易な停戦だ」
これだけでも初動で優位取れそうだけど、もう一個くらいあると嬉しいか?
「……それと、今すぐにテアーナベ領の貴族に使者を送ろう」
「帰参をお認めに?」
まぁ、最終的には降伏した貴族の帰参を認めることもあるだろう。だが、今回の目的はそこではない。
「帰参の際の必須条件に『継承派に一度も改宗していない事』を挙げる。これは悪手にもなりかねない手だが、来年のうちに勝ち切るのであれば、敵中により強い不和を生む一手になろう」
この話が耳に入れば、トミス=アシナクィ側は継承派に強制改宗させようとテアーナベ貴族に圧をかけるだろう、改宗させてしまえば、帰参の芽が潰れてテアーナベ貴族は戦うしかなくなる。
だが、トミス=アシナクィはテアーナベ貴族に西方派信仰を認める条件で合併している。これを一年と経たずに反故にされれば、当然反発するだろう。
「どうだ、行けそうか」
「問題ありません。必ずや、トミス=アシナクィとテアーナベ連合を滅ぼしてみせましょう」
あとは投入できる限りの兵力を投入し、ワルン公に指揮してもらって、それを邪魔しなければ勝てるだろう。
任せるだけでいいから楽だね、皇帝は。




