9 花園にて
ようやく、宮廷内も落ち着いてきた。宮廷襲撃事件の後に撤去されていた備品が新調され、壁や床についていた血の汚れや臭いなども綺麗に落とされたのだ。少しくらい残るかと思ったが、そんなことは全くなく……宮中で働く人たちの凄さを再確認した。
宮殿の廊下にある柱や床に、大理石などの石材が使われてる理由って、こういうのを落としやすいからなのかもしれない。
一方で、びっくりするほど落ち着かない……というか、忙しそうなのは近衛長のバルタザールだ。彼は今、新たに入ってくる近衛の訓練に勤しんでいる。
ドズラン侯の襲撃や、それ以前の戦いで少しずつ消耗していた近衛だが、これを機に数を回復させるにとどまらず、増員しようって話になったのだ。
だが近衛という職種上、変な人間……というか、皇帝への忠誠に疑問が付くような人間は徹底して除外している。この辺りは密偵も全面協力の下らしいが、こうして忠誠心の高い者を残した結果、実力が二の次になりつつある。
だから近衛長であるバルタザールが訓練をしている訳だ。あとバルタザールは、どうも今回の宮廷襲撃事件に責任を感じているらしく、既存の近衛にも厳しい訓練を行っているようだ。
まぁ、バルタザールが以前に仕えていた貴族家は思いっきり武闘派らしいからな。その訓練ならかなり鍛えられると思う。というか、ドラゴンを殺せる実力があって、これだけ本格的な訓練をできる奴が、高位貴族の子弟じゃないって理由で飼い殺しにされてた以前の近衛、終わってるだろ。
そんな状況だから、最近は皇帝の護衛につく近衛は日替わりだ。以前はバルタザールが多めについていたんだけどね。
閑話休題、少し仕事に余裕が出た俺は、妃たちと庭園でお茶をすることになった。
庭で……というのはお察しの通り、魔力を回復させるためである。最近は、庭に出て花を愛でるのがマイブーム……と見られるように振舞っている。正直、花の違いとか全く分からんから、ボロを出さないように気を付けている。
しかしもうすぐ冬……そうなったらこれだけ庭に出るのは不自然だろうな。その間は暫く、魔力の回復は休みになりそうだ。
既に十一月の末であり、気温もかなり下がってきているから、本来は無理なんだろうが……ヴェラ=シルヴィがいるからな。この空間は、彼女の魔法で風が遮断され、気温も暖められている。それでも、ロザリアは身体を冷やさないように上着を羽織っているけど。
あとヴェラ=シルヴィの魔法は、風を遮断するついでに音も軽減しているから、離れたところで護衛についている近衛には会話の内容は聞こえないだろう。こういう戦闘向けじゃない魔法の扱いは本当に上手い。
「フォークくらいちゃんと持ちなさいよ!」
皇帝とその妃たちの間に一人、妃以外の人間も一人交じっている。
「……うるさいなー。陛下しかいないんだからいーじゃん」
ゴティロワ族長の孫娘、イルミーノである。茶菓子を頬張る姿は、行儀にうるさい貴族が見たら卒倒ものだろう。
「だからちゃんとしなさいって言ってるの!」
……うん、この会話が漏れてなくて本当に助かる。
実は最近、ファビオにイルミーノの扱いについて「流石に可哀想」だと注意されたのだ。あまりに放置が過ぎていると……いや、最初は社交界に出そうと思ってたんだがな? 貴族のパーティーに一回出ただけで本人が「飽きた」とかいうからさぁ。
しかもティモナに面倒見てあげてって言ったら、ティモナはイルミーノ相手に一日中訓練をつけたらしい。それも実戦形式のかなりキツめのヤツ。
それ以来、イルミーノはティモナから逃げ出すようになった。そして必然的に、ティモナが付いて回ってくる俺とも会わなくなった。
……ちなみに訓練はティモナの完封である。狩猟民族のゴティロワ族を完封するって、流石にちょっと強すぎないだろうか……なんか最近、ティモナが宮中伯に近づいてる気がして複雑だ。
それはさておき、これ以上放置するのも不味いという事で、最近はロザリアがイルミーノに積極的に声をかけてくれて……今ではこうして馴染んでいる。ロザリアにはいつも本当に助けられている……でも「このまま側室に」とか言われそうで、ちょっとだけ怖い。
「……本当にテーブルマナーが酷いな」
俺はナディーヌに怒られているイルミーノをみて、素直な感想を口にする。これはあまり社交界に出さない方が良いかもなぁ……前回は立食形式だったから目立たなかったが、ものによっては却って貴族からの評価が悪化するかもしれない。
「……あれ、最初に会った時はちゃんとしてたよな?」
俺はふと、その時のことを思い出す。ゴティロワ族の宴に招かれた時、給仕役だったイルミーノには全く違和感なかった。
「お爺様の拳骨は痛い。だから必死に頑張った」
「なら今もやりなさいよ」
なるほど、やればできるけどやらない系か。
そんなナディーヌとイルミーノの会話を、ロザリアは微笑みながら眺めている。そのロザリアの隣に座るヴェラ=シルヴィは、クッキーをヒヨコの形にして遊んで……今羽ばたいてなかったか? すごいなそれ、どうやったんだ。
「ヴェラ様?」
そんなヴェラ=シルヴィの神業に、ロザリアが笑顔を向ける。これは俺でもわかる……ヴェラ=シルヴィは叱られている。
「ひぅ」
そしてそれは、ヴェラ=シルヴィも分かるらしい。姿勢を正して、クッキーを戻す。
なんで一回り年上のヴェラ=シルヴィがロザリアに叱られるんだろうか……外見的にはヴェラ=シルヴィの方が年下に見えるけど。
まぁ、正妻の言うことを側室がちゃんと聞くというのは、秩序が保たれていてよろしいのではないでしょうか。
「……ロザリア、コレは?」
俺は、イルミーノは注意しないでいいのかと尋ねる。
「もちろん、陛下が側室としてお迎えになるおつもりなら注意いたしますわ。ですが、陛下は戦士として見ておいでのようなので。でしたら、あまり口うるさく言っても……と思ったのですわ」
あぁ、なるほど。確かに、俺はイルミーノを側室にしようとは思っていない。そこまで酌み取って対応を変えている訳か。
「……じゃあこれは?」
俺は目の前で繰り広げられる不毛な争いを指摘する。ナディーヌの注意は、尽くイルミーノにスルーされている。一応、ゴティロワ族の姫のはずなんだけどなぁ。
「ナディーヌちゃん、はズレてるもの、とか気になる人、だよ?」
「あぁ、確かに」
無駄と分かっててもつい言いたくなる性格だったな、ナディーヌは。俺が傀儡の時も突っかかってきてたし。まぁ、その性分を抑えていないって意味では、ナディーヌもイルミーノに打ち解けているのかもしれない。
ちなみに、イルミーノはロザリアのことは「偉い人」、ヴェラ=シルヴィのことは「怖い人」とそれぞれ見ているから二人の言う事はちゃんと聞くらしい。ヴェラ=シルヴィが「怖い」判定なのは、人柄云々ではなく、純粋な戦闘能力だと思われる。
性格が致命的に向いていないだけで、本来の戦闘能力でいうとヴェラ=シルヴィはかなりの魔法の実力者だ。それがイルミーノには本能的に分かるのだろう。流石はあの族長の孫娘と言ったところか……そういう嗅覚は伊達じゃない。
そんなことを考えながら眺めていると突然、場の空気が変わったのを感じる。
「その……陛下」
「ん?」
少し改まった様子でロザリアが俺を呼ぶと、他三人は示し合わせたかのように静かになった。
それからロザリアは俺の目を真っすぐに見ると、少し頬を赤らめながらこう言った。
「たぶんですけど……子供ができましたわ」
実を言えば、そうかもしれないとは思っていた。だからか、自分でも意外なくらい驚きはなかった。
……あぁ、一人だけ暖かい格好なのはやっぱり、とか。今度はぬか喜びじゃないのか、とか。俺は十代で父親になるんだな、とか。そんな色々な考えが俺の頭を巡って。
だが何より、ロザリアの言葉を聞いて湧き上がった感情は、安堵だった。
「えっと、ありがとう?」
「ふふっ、隠さなくても大丈夫ですわ。私もほっとしましたから」
ロザリアが愉快そうに笑う。あぁ良かった……俺だけじゃなかったか。
「あぁ、うん。本当に」
この半年、宮廷にいる時は凄いプレッシャーだった。もちろん、ほとんどの人間は何も言わない……のに、食事はやたら精の付くものだし、一人で寝ようとすると「え?」みたいな顔されるし……本当に、無言の圧が凄かったのだ。
でもそうか……ロザリアもやはり感じていたのか。
「良かった……いや、むしろこれからなんだけど」
本当にしんどかった。いや、国の未来が懸かっているから心配されるのも分かるんだけどさ。それでも心配されるとこっちまで不安になるものだ。
そしてそのプレッシャーは、俺以上にロザリアの方が感じていたのかもしれない。後継者の懸念を、皇帝には言えなくても、妃には言うような貴族も中にはいただろう。
「良かった」
子供ができずにロザリアが責められる……なんてことにならなくて、ホッとしている。
「本当に良かった」
俺も少しだけ、肩の荷が下りたような気がした。
「えっと、これからもよろしく?」
「ふふっ、変ですわ、陛下」
うーん、何を言えばいいか分からない。でもむずがゆい。
いや、素直に喜べばいいのか。
「嬉しいです」
「はい、私もですわ」
……なんだろう、この感じ。現実感がないような……あぁそうか、浮かれているのか。
「浮かれてます」
「なんでも口にすればいい訳じゃないわよ」
呆れた表情のナディーヌに突っ込まれてしまった。
……あれ、というか。
「もしかして……知ってたのか」
「いえ、まだ言ってはいなかったのですが」
ロザリアがそう言うので、思わずナディーヌの方を見る。
「体調悪そうなとこ、何度か見てたわ」
「それを、軽くして、た」
そう言ってヴェラ=シルヴィはドヤ顔でこちらを見る。そうか、ロザリアの隣に座っていたのは、いつでも助けられるようにか。
「あ、体調……大丈夫なのか」
「はい! 今日はすごく良いですわ」
そうか……というか、よく考えたら俺、そういう知識全然ないや。どのくらいで安定するとか、どのくらいで生まれてくるとか……こういう大事な知識はまるで無いんだよな、俺の前世の記憶。
「勘」
イルミーノは、親指で自分を指しながらそう言った。……あぁ、自分も気づいていたと言いたいのか。でもすまん、今は素で忘れてた。
***
お茶会は早めに切り上げた。本人は平気と言うだろうが、ロザリアを外に居させるのは悪いことをしている気になるからだ。
でもそうか……俺は親になるのか。まだ十五なんだけどなぁ。
「宮中伯」
俺は執務室に戻り、第一声で思わず近くにいた男に声をかけた。
「はい、陛下」
「子供ができたらしい」
言わずにはいられなかった。明らかに浮かれている。
「はい、存じております」
「……え?」
俺は平然と答える宮中伯をまじまじと見る。
「既にご報告は受けております。ですが、ロザリア様が直接陛下に伝えたいとのことでしたので、黙っておりました」
……教えられたの、俺が最初じゃないのか。
あれ、これ結構ショックだ。
「そうなのか」
「密偵には警護の観点から、確信する前でもそれらしき予兆があればすぐにご報告いただくことになっております」
つまり結構早い段階から知っていたのか。
「……そういうものなのか?」
「そういうものです」
……これも帝国の謎の慣習じゃないだろうか。いや、意図は分かるけどさぁ。
宮中伯は、俺の考えを読んだかのように、さらに続けた。
「恐らく、今後も陛下が期待しているような、平民の「家族」のように過ごせることは少ないかと。これも皇族の宿命です……諦めてください」
くそう、皇帝でなければ……。いや、その場合はそもそも出会ってねぇか。
「……じゃあティモナも知ってたのか」
「いえ、私は基本的に陛下の御側におりますので。ですが、先日ロザリア様と顔を合わせた際……珍しく機嫌が良さそうでしたので、ある程度は予測しておりましたが」
機嫌が良さそう……あれ、いつも機嫌良さそうに見えるのはおかしいか? もしかして俺、そういう機微分かってない?
「……いえ、陛下とお会いになられる際はいつも機嫌がよろしいかと。それ以外の時です」
じゃあ確かに分からないな。しかしそうか……これからはみんなに知らせていくのだろうか。
「この話、諸侯にいつ言えばいい」
「……重臣にのみ伝えればよろしいかと」
少し呆れた目をしつつ、宮中伯はさらに続けた。
「それもごく一部に、帝都に来た際に伝えるくらいでよろしいかと」
それでいいのか……いや、これも警護の云々か。それに、宮廷は噂好きだ。この手の話は勝手に広まるだろう。
「ではニュンバル侯には伝えておこう」
あとは……ファビオにも伝えておくか。でもエタエク伯はもう出発してしまったからなぁ。
「……陛下、ロザリア様から手紙については」
俺がぼーっとしていると、宮中伯が現実に引き戻す声をかけてくる。
「それも聞いていたのか」
そう、実はお茶会の最後に、ロザリアから手紙を書くようにと頼まれたのだ。相手はあの元摂政……曰く、生まれてくる子供の為にも、少しは関係を改善しておくべきだと。
改善できる関係か? と思わんでもないが、まぁ生きているなら将来、祖母について聞かれることもあるだろう。その時にパパはできる限りのことはしたんだよと胸を張るためにも、手紙ぐらいなら書いても良いだろう。
「分かった。今から書く……アレには子供の件、知らせていいのか」
「悪用できる状態ではありませんから、よろしいかと」
……という訳で、机に向き直り手紙を書き始めた訳だが。思った以上にすらすらと書ける。まぁ、連絡事項並べただけの、ほぼ箇条書きみたいなものになったが。手紙というより報告書だな、これは。
「それにしても、父親か」
前世の俺には、たぶん子供はいなかった。そもそも結婚した記憶すらないんだから当たり前か。あるとすれば、姉夫婦のところの姪っ子を抱っこさせてもらったくらいだろうか。
問題は、両親が小さい俺に何をしてくれていたか、みたいな記憶もさっぱりないってことだ。前世の自分がどんな子供だったかはもちろん、どうしてもらったかすら覚えていない。
記憶の中の両親は、俺が生まれた頃から立派な親だったんじゃないかと思える。あまりにハードルが高いというか、自信が無い。
そして俺は、せっかく転生したというのに、今生の両親とのまともな思い出もない。
生まれる前に父親は死んでたし、母親は人の親としてアレだし。
「俺はちゃんと親になれるんだろうか」
正直、実感もまだわかない。実際に子供が生まれたら、いつのまにか父親として振舞えるようになるんだろうか。
「しかしまぁ、ロザリアに言われて手紙を書いてみたが、悪くないな」
社交辞令と報告と、当たり障りのないことしか書いてない報告書みたいな手紙だ。でも書いているうちに、クソババアのことを色々と思い出してきた。されて嫌だったこととかな。
あぁいうこと、俺は絶対にしないようにしようって思えたわ。もちろん、わざわざ手紙には書かないけど。だがダメ親の典型例として、反面教師にするには持ってこいの人だよな。うん……あぁはなるまい。




