6 便利な男
色々と衝撃的だった宮中伯との話し合いから数日後。マルドルサ侯軍とアーンダル侯軍が帝都から出立した。彼らは帝国北西部に行き、防衛を行うことになる。
戦況は今のところそれほど激しくはない。基本的には、テアーナベ連合……いや、元テアーナベ連合か……の兵が前面に押し出され、肉壁よろしく突っ込まされている。
つまり、敵の士気はかなり低いというころだ。お陰で帝国軍の損害はかなり抑えられている。
だんだんと冬が近づいてきたし、これからトミス=アシナクィの侵攻は下火になっていくだろう。そして冬になれば社交界の季節。この間に、『アインの語り部』を通して接触した東方大陸の反皇国諸国家の外交官と交流する。
もっとも、皇国に動きを読み取られないよう、あくまで慎重に動く必要があるから、今年は顔合わせや交流がメインになりそうだけどな。最終的には、帝国が皇国に侵攻した際に、ある程度協調して動きたいんだが……その辺は来年以降になるかもしれない。
そんな冬が近づく頃、俺は宮廷の庭で、ある人物の訪問を受けていた。
「まだアプラーダ王国は降伏していないはずだが?」
ちなみに、俺が庭に出ているのは空気中の魔力を体内に取り込むためである。
宮殿内は基本的に暗殺防止のため、『封魔結界』が展開されている。この結界は魔力が「固定化」されるので、操作できず、上手く体内に取り込めないのだ。だからドズラン侯相手にほぼ吐きつくした体内魔力を回復させるため、最近は仕事の合間にこうして庭に出ている。
まぁ、仕事の合間に庭で茶を飲んでいる……ように見えているはずだ。実際は魔力を吸収して圧縮……をひたすら繰り返しているんだけど。
出されたティーカップに口を付けた後、俺の軽口に真面目に答えたのは、訪問者……俺と同じく転生者であるレイジー・クロームである。
「私の魔法は知っているだろう。それを使って色々と仕事があったのだ。お嬢様はまだ前線におられる」
仕事ねぇ。どうせドズラン侯の襲撃事件を聞いて、皇帝の無事を確認するために帝都に来たのだろう。
「サボりか?」
まぁ、俺が無事なのは見れば分かるだろけど。しかし……ドズラン侯らを灰にしたあの部屋の焼け具合とか、この男に知られると何があったのか予想を立てられそうだ。なるべくあの部屋には近づけないことにしよう。
そういう意味では、こうして庭で会うのは結果オーライか。
「サボり? お妃様を前線から送り届けたのは私なのだが」
……ああ! ヴェラ=シルヴィが帰ってくるの、やけに早いなとは思ったが……そういうことだったのか。
「なるほど、道理で早いと思った」
レイジー・クロームは異空間へと繋がる魔法が使える。詳しくは知らないが、ワープホールのように使って瞬間移動することができるようだ。ただし、出口の方は事前に用意がいるらしい。いつでもどこでもってわけじゃない。
「そうか、気をつかって話さずにいてくれたのだな」
レイジー・クロームとしては、ヴェラ=シルヴィ経由で俺に話がいってると思ったのか。
「うちの妃は性格も良いのだよ……それで? それなら尚更、今までどこで何してたんだ」
「領地で最低限の防衛が可能なように、色々と準備を整えてきたのだ」
あぁ、そうか。ヌンメヒト女伯領はアーンダル侯領の南にある。トミス=アシナクィ・テアーナベの連合軍がもしアーンダル侯領を突破した場合、次はヌンメヒト女伯領に侵攻されることになる。
つまり、アーンダル侯を全く信用していないから、そこが突破されても良いように準備してきたってことだろう。
「言っておくが、今回はアーンダル侯を助けられないぞ」
「分かってる。ヌンメヒト女伯は今アプラーダ王国攻略軍にいるのだから、領地の防衛優先で良い」
それに、アーンダル侯は代替わりしてから大きなミスを二回犯している。次やったら流石に何らかの方法で領地を没収するか、別の領地に転封とする。
この辺の沙汰は、理由なく下せば暴政と言われる類だ。ただ、これだけ目に見えるミスを繰り返していると、流石に処罰の理由としては十分だ。貴族たちも何も言ってこないと思われる。
「それで? この後はすぐ戻るのか」
この男の魔法なら簡単に戻れるだろう。ついでに、現地にいくつか伝言でも……と思ったのだが、返ってきたのは意外な返答だった。
「いいや。このような事件があった直後だ。護衛は多い方が良いだろう……それに向こうも戦いはほとんど終わった。私はこちらに残るとしよう」
「……お前が?」
この男がお嬢様と呼ぶ主、ヌンメヒト女伯。この男はそのお嬢様至上主義と言っていい人間だ。ちなみに、俺の目に狂いがなければ二人は想いあっているが、なぜかあと一歩のところで踏み出せていない。
いや、確かに身分差の問題はあるだろうが、そんなのどうとでもなるのにな、今の帝国なら。そもそも、皇帝の鶴の一言で、爵位くらいどうとでもなる……伯爵領くらいならポンと渡せるぞ。信用できる人手が常に不足してるからな!
まぁ、その場合は仕事も付いてくるし別領地の独立した貴族だ。夫婦にはなれても、離れ離れになるかもしれないが。
……うん、俺は出しゃばらない方がいいだろうな、皇帝だし。
閑話休題、お嬢様大好き人間のレイジー・クロームが、戻らずに別行動ですか。
これはあまりに不自然。そこには何かしらの事情があるだろう。となると真っ先に思いつくのは、魔法の制約か。
「さてはお前、置ける『出口候補』の数に限りがあるな? そして遠隔からは設置した『出口候補』を破棄したり、設置したりできないんじゃないか?」
そもそも、一度設置した出口は取り消せない可能性もあるのか?
いや、流石にそこまで不便ではないだろう。あるいは、決まった数以上の出口候補を置こうとすると、古いものから順に破棄されていく?
……こっちは十分にあり得そうだな。
「もしや領地に戻った際に、アプラーダ王国領に置いた『出口候補』が使えなくなった? あるいは最初から数を計算して戻れないと分かっていた可能性もあるのか。どちらにせよ、瞬間移動なんて強力すぎる魔法、流石に制限があって当然か」
ミスか事前に分かっていたのかは分からないが、この男はアプラーダ王国までワープで帰れなさそうなのは間違いない。この弱点は……っと、つい魔法への考えに夢中になっていると、レイジー・クロームからいつの間にか冷ややかな視線を向けられていた。
「すまん。そんな不機嫌そうな顔をするな」
「本気でお前の身を案じたお嬢様は、私にお前の元へ妃さまをお連れするように命じたのだ。そして私はお前の大事な妃さまを無事に送り届けた。それに対する仕打ちが、人の魔法を解き明かすことなのか?」
確かに、他人の切り札の弱点を探るような真似は良くなかったな。
「悪かった。魔法のこととなると、ついな」
しかし実際のところ、この男の魔法は弱点があっても敵に回られると厄介だ。今回のドズラン侯の襲撃も、この男が敵側に居たら俺は死んでいただろう。あまりに奇襲に向きすぎた魔法だ。
尚も鋭い視線に、俺は降参だと両手を上げる。
「わかった。じゃあそっちも、俺の魔法で聞きたいことがあったら聞いてくれ。勿論、答えられない物は答えられないが……答えられる範囲でなら答えよう」
昔と違い、俺は人前でも魔法を使うようになった。多少は答えても問題ないだろう。
「ならば……以前、空気中の魔力を体内に取り込んでいると言っていたな? あれはどうやっているんだ」
俺は思わず、話しながらもやっていた魔力の回復を止める。まさか、体内の魔力量が減ってること、気づかれてるのか。
……いや、大丈夫なはず。それこそ、以前エタエク伯にされたように、直接体内に干渉するような魔法を使われない限り、体内の魔力量は分からないはずだ。
それでも、警戒はする必要がある。
「なんだ、【炎の光線】に限らず、それも真似したいのか?」
「あぁ、それを習得できればまた一つ、お嬢様を守る力が増えそうだからな」
……さて、どうするか。体内の魔力量がどのくらい残っているか……などの情報は死活問題だから話せなかった。しかし方法なら話す分には問題ないか。体内魔力が以前どのくらいあって、今はどれくらいしか残っていないか……この情報さえバレなければ。
しかし、どう……って言われてもなぁ。
「身体に触れてる空気中の魔力を、身体の『目を粗く』して素通りさせれば取り込めるだろ」
「……全く伝わらないが」
あー……確かに言語化するの難しいな。割と感覚で使えてしまってるからなぁ。
「実際どうかは知らないぞ? これはあくまで個人的なイメージの話なんだが……まず空気中の魔力は目に見えない微粒子状のもので、本来は肌とか素通りするもの。これを魔素って俺は呼んでいるんだが……しかし俺たちには体内魔力があって、これが身体の内側に薄い膜のようなものを張って魔素の体内への侵入を防いでいる」
「……そうなのか?」
「いや、実際そうなのかは知らん。イメージの話な? でもそう仮定すると『体内魔力』なんてものが存在する理由として納得できるだろ」
まぁ、実際は違う可能性が高い。だが結局……魔法なんてイメージして、できたら成功、できなかったら失敗……そういうものだからなぁ。
他の人間にも同じイメージを共有するってのは本当に難しい。魔法の体系化が進まない理由はこういうところにあるんだろう。
「話を戻すとだな、この『体内魔力のバリア』があると仮定して……そのバリアの『目を粗く』して、魔素が通れるようなイメージをするんだよ。するとこう、ヌルっと入ってくる」
俺がそう言っても、レイジー・クロームはいまいちピンと来ていない様子だ。
「えぇっと、ほら。皮膚呼吸みたいな?」
そうはいったものの、皮膚呼吸を実感したことはない。けどイメージはそういう系の方が分かりやすいかな。
「……つまり、体内魔力と体外魔力の境界線を意識し、その上で体外魔力を体内魔力側に浸透させるのか?」
あぁ、うん。大体そんな感じかも。
「……お前、俺より言語化するの上手くね?」
いや、むしろ俺が下手なだけか……? もしかして俺、他人に魔法教える才能ない?
「しかし……それでも体内に保存できる魔力量など……いや、確か以前、魔力を圧縮と言っていたな? それはどうやっているんだ」
あぁ、やっぱりその話になるか。
コイツ、本当に俺が弱体化してるって気づいてないんだよな? 気づいてるからこんな質問してるってわけじゃないんだよな?
「どうって、そのままだけど。圧縮して、終わり」
もっと酷い言い方をすれば「ギュッ」とやれば終わりだ。時間がかかるのは魔力を体内に取り込む方で、圧縮するのは一瞬だからな。
「……魔力を圧縮すれば密度が高まり、不安定になるだろう」
「限界まで圧縮すれば、そうなるね。だからそうなる直前で止めるのがコツだね」
ちなみに、この加減は流石に伝えるのも無理だ。あと不安定になるのも、魔力操作が上手ければ結構なんとかなりそうだけどね。
ふと、もう結構答えていることに気がついた。正直、この辺で質問は終わりにしてほしい。
「魔力は本来、圧縮されてない状態が正常だろう。一度圧縮したところで、それを解き放てば、魔力は再び圧縮されてない状態に戻るのでは?」
そう言って、レイジー・クロームは手を握り、開くジェスチャーをする。
「あぁ、言いたいことは何となく分かった。それの答えは簡単だ……常に一定の加圧をし続ければいい」
「……気を抜いたらその加圧は解かれないのか? 寝ているときは?」
おい、お前の方がよっぽど質問攻めじゃないか。
「無意識でもずっと加圧している。それが普通になるように訓練したからな」
これは呼吸と一緒だろう。それが自然な状態……むしろ圧縮を解除する方が意識しないとできない。あと、魔力を体外に放出する時もちゃんと意識しないといけない……量の調整が必須だからな。
で、俺が真面目に答えていると、いつの間にかレイジー・クロームの目は変態を見るような目になっていた……失礼な。
「時間だけはあったからな。宰相や式部卿の傀儡として玉座に座らされてる時も、体内の魔力だけは自由にいじれた。それ以外の自由は無かったけどな」
それ以外のことは何もできなかった。話を真面目に聞いても怪しまれるような監視下だった。体内魔力の操作は訓練というより暇つぶしのようなものだった。
圧縮だけじゃなく、体内魔力を鍋をかき混ぜるようにぐるぐると動かしてみたり、血液のように体中を走らせてみたり、色々とやっていた……が、これは前世で言うペン回しみたいなものだ。あとは授業中にうっかり寝てしまわないようにツボを押す……とか。
そういう類の手遊びみたいなものだ。
そんなことばかりやってたというか、そんなことしかやってなかったというか。まぁ、お陰で魔力の操作は上手くなった気がする。
「……その圧縮を、全て一気に解いたらどうなる」
突然、レイジー・クロームが怖いことを言い出した。
「それはやったことないが……風船の空気が抜けていくように体外に出ていくか、あるいは風船が割れるように破裂するかのどちらかじゃないか」
でもこれについても、イメージでコントロールできそうな気がする。後者はやりたくないからやらないけど。
「……破裂する場合、身体は……」
「爆発四散するだろうね。エネルギーを暴発させるようなものなんだから」
まぁ、そんなダイナミック自殺、絶対にやらないけど。
「……恐ろしくはないのか? 常に体の中に爆薬を仕込んでいるようなものだろう」
いやぁ、むしろ体内魔力スッカスカの方が心許なくて恐ろしいね。ちょうど今とか。
「今まで暴発したことは無いしなぁ。それに、死の危険なんて、他にいくらでもあったし」
正直、暗殺は自分ではどうにもできない要素が大きいが、こっちは自分でどうにかできるものだ。その分安心できるというか、気が楽だろう。
「そうか……あまり参考にならないな」
「おい、これだけ説明させて、感想がそれか?」
ちゃんと真面目に答えたのにさぁ。
すると今度はレイジー・クロームから情報が提供される。
「まぁそう言うな。お前が食いつきそうな話も持ってきた……黄金羊商会の傭兵の中に、獣人族がいたぞ」
……これもまた、随分とタイムリーな話だなぁ、おい。
「で、どうだった。手先は器用じゃないと聞いたが手はどうなってた。俊敏さは。目や耳は。武器は何を使ってた。銃は使えるのか」
東方大陸に獣人族はほとんどいない。それでも、知っておいた方が良い情報なのは間違いない。俺が知っている獣人は「吉兆」だけだが、彼女はハーフだ。南方大陸の獣人との違いも可能であれば把握しておきたい。
「手は爪が発達していた。手先が器用じゃないと言われるのは、恐らくそのせいだ。俊敏さや視力と聴覚などは、明らかに我々より優れていた。武器はほとんど我々と変わらないし、戦場では基本、銃を撃っていた……もっとも、耳栓は必須らしいが」
そうか……獣人と言えば、勝手に爪で戦うとか、近接戦メインのイメージだったが、別に俺たちとそう変わらないのか。
「それも、どっかの商人が獣人用の銃を完成させてからの話らしいがな。獣人向けの売れ筋商品の一つらしい」
……黄金羊商会か。やっぱヤバいな、アイツら。
「どのくらいいた?」
「ごくわずかだ。それも、傭兵として雇われたというより、会長の護衛として雇われていたようだしな」
なるほど。これはどっちだろうな……あえて連れてきてないのか、連れてこれないのか。
しかしまぁ、どうしたものか。獣人国家とも国交を結びたいが、黄金羊商会を通さないと流石に反発されるだろう。しかしこれ以上連中への依存度は上げたくないし。
「あぁ、そういえば彼、刀を差していたな」
「カタナ!」
あまりの懐かしさに、思わず片言みたいになってしまった。
「その人だけ特殊だったのか?」
「いや。他にはサーベルや斧は一般的らしい。槍や弓、銃も使う。だが、いわゆる普通の剣だけは使えないらしい……部族のしきたりと言ってたな」
刀のような片刃は良くて、両刃はダメってことなのか。それはまた特殊というか、変わった風習だなぁ。
「彼ら曰く『剣は忌むべきモノ』らしい。理由は本人も知らないようだった」
「忌むべきもの、ねぇ」
それ、武器は争いのもとだから良くない……ってシンプルな教えが、曲解されてそうなったとかじゃないだろうか。帝国にも似たような意味わからん伝統とか多いしな。
「あ、そうだ。何系の獣だった」
「猫と犬の中間に見えたがおそらく違う。前世の動物の枠では分類できないんじゃないか」
なるほど、そういうもんか。いずれハーフじゃない獣人も直接見たいが……まぁ別に急ぎではない。南方大陸、遠いしな。
「そんなもんか……異世界だねぇ」
だがそこで、俺たちの雑談のような情報交換会は中断される。
「陛下、ご歓談のところ失礼いたします」
やってきたのは宮中伯だった。
「宮中伯……緊急の知らせか?」
「いえ。今日中に対応いただければ問題ないかと」
なるほど、緊急ではないと。だが本当に後回しにしていい話なら、そもそもこうしてここに来ないだろう。急いだほうがいい案件なのは間違いない。
俺が「どうする?」と目で尋ねると、レイジー・クロームは肩をすくめて言った。
「いや、それほど長居するつもりもない。私はもう失礼する……何かあれば呼んでくれ」
そしてその場を去っていくレイジー・クロームの姿が見えなくなった頃、俺は宮中伯に報告を促す。
「で、知らせとは?」
「北方大陸より使者が参りました。先日の件で、謝罪がしたいと」
「……思ったより早かったな」
しかも謝罪か。これは思ったより有意義な話し合いになるかもしれない。




