3 破壊すれども統治せず
俺の宣言を聞き、ティモナを除いた三人が驚きの表情を浮かべる。まぁ、宮中伯の場合は一瞬だけだったけど。
「失礼ながら……陛下。これまでのように勝利の後、有利な条件で早々に講和を結ぶというのも、決して間違ったことではございません」
「いや、子爵。別にさっきの話で考えを改めたとかではないのだ。最初からトミス=アシナクィは滅ぼすと決めていた」
まぁ、ちょっと勝ったら早々に講和を結ぶ皇帝が、いきなり滅ぼすまでやると言えば驚くのも無理はない。一か百かみたいな話だしな。でもトミス=アシナクィの場合、他の国とは違って残しておくメリットとか無いし。
あと中途半端に対応すると後々痛い目見そうなんだよな……宗教国家って。
「国土は広ければいいというものではない。国家の統治能力には限界がある。官僚、制度、技術、そして物理的な距離……その全てに限界はある」
官僚は教育の質の向上によって、制度はより多くの議論と試行によって、技術は科学の発展によって……これは距離もか。とにかく、時代が下ればこの限界は緩和されるだろう。だが、少なくとも俺が生きている間には無理だろう。
「その限界を超え、より広い領土を支配し続けようとすれば、必ず歪が生じ問題を引き起こす……そして余が思うに、帝国の統治能力は既に限界に達している」
正確には、アプラーダ王国とロコート王国に割譲していた旧帝国領を奪還し、ちょうど限界になるくらいだと思う。正直、テアーナベ地方すら怪しい。
「だが軍事と外交の面で見れば、敵対的な隣国を複数抱えるのは危険だ。実際、帝国は包囲網を組まれかけた……同じ轍を踏むのは避けるべきだ」
不完全なものだったから、上手く各個撃破できた。これが完璧に足並みを揃えられていたら厳しかっただろう。まぁ、その場合はこっちから先制攻撃してたけど。
「支配するほどの余裕が帝国には無い。しかし敵対的な隣国が多いとその全てに対し備える必要が出てくる」
それこそ、リソースの浪費だ。外交的手段で緊張を緩和できるならば取り組むべきだ。
「故に余は今まで、早期に講和を結んできた。つまりだな……どうせ滅ぼさないなら恨まれないように、そして可能なら友好的な関係に転じさせられるように。その為の早期講和だ。だからベニマ王国とも講和を結ぶ」
狙いは最低でも好意的中立だ。まぁ、これもこの時代だから話がまとまるけどね。もっと時代が下れば、国民感情を無視できなくなり、もっと話は難しくなるだろう。
「しかしその場合ですと、トミス=アシナクィは陛下のおっしゃる『限界』の外にあるのでは? それを支配するのは、いささか現実的ではないかと」
いやいやニュンバル侯、君は勘違いしているよ。
「むしろこの場合、帝国が支配する必要がないから気兼ねなく滅ぼせるのだよ」
「まさか……」
せっかくトミス=アシナクィの向こう側には、帝国のお友だちがいるのだ。彼らにも領土を分け与えようではないか。
「トミス=アシナクィは徹底的に滅ぼす。その上で、その領土はベルベー王国とエーリ王国に全て分け与える」
来たる皇国侵攻に向け、不確定要素になりかねない危険な存在を消せる。しかも今なら、このプレゼントはそれ以上の意味を持つ。
「来たる皇国侵攻に向け、帝国は獲得した領土を独り占めせずに気前よく分配する……そう思わせる良い前例になるだろう」
帝国は手に入れた果実を気前よく分配する国だとアピールできる。大丈夫、天届山脈より向こう側の国には、その果実がどれくらい傷んでいるかなんて分からないから。
「なんと悪辣な……」
「つまり、トミス=アシナクィの領土は一切帝国領にはしないと?」
ニュンバル侯の前に……フールドラン子爵? 随分と酷い言いぐさじゃないか。
「しない。というか、絶対やだね」
「……陛下?」
おっと、思わず素が出てしまった。まぁ、継承派なんて過激な異端の集団だ。そんなの見えてる地雷にもほどがある……いや、この場合地雷原かな。
「頼まれたって帝国は受け取らない。断固拒否だ」
当然、ベルベー王国もエーリ王国も、統治には苦労するだろう。反乱が頻発するのは間違いない。勿論、その際に派兵を求められたなら、帝国は同盟国として喜んで兵を送ろう。
だが頭を悩ませるのは帝国ではない。だから後のことなんて考えずに、気兼ねなく滅ぼせる。
すると引き気味なニュンバル侯が、もっともな疑問を呈す。
「しかし……それを両国は受け入れますか」
「無理やりにでも受け取らせる。それができるだけの力の差が帝国にはある」
帝国が与えるのはあくまで領土だ。テロリストを送るわけではない。両国は遠慮することはできても拒否はできない。表向きは善意100パーセントなのだから。
ただ、もしかするとその領土に住んでいる人間がテロを起こすかもしれないが、それは帝国の与り知らぬことである。まぁ、正確にはテロと言うよりも反乱だけど。それでも頻発するのは間違いない。
「……よろしいので?」
そう確認をとるのはティモナだった。いや、言いたいことは分かるよ。ベルベー王国はロザリアの実家だし、極めて友好的な同盟国だ。ベルベー王とも親しくしたいと思っている。
そんな相手に、こんな毒饅頭でも差し出すようなことして恨まれないかって話だろう。
「残念ながら余は帝国の皇帝なのでな。常に帝国が最優先だ」
それに、これでロザリアに配慮して判断を変えるのは、彼女の覚悟を蔑ろにする行為だろう。彼女はもう、帝国に骨を埋めるつもりなのだから。
「まぁベルベー王なら何とかするだろう。何とかしてもらわなくては困る」
同盟とは互いに利があるから成立するのだ。一方的な関係は支配や従属である。まぁつまり、帝国としては同盟国として頼りにしてるから役に立ってくれってことだ。
「それに……そもそもトミス=アシナクィはベルベー王国にとっての宿敵だ。彼らを抑えられないから、帝国に助けを求めるハメになったのだからな」
彼らにとっては、不俱戴天の敵を消せるのだ。十分にお釣りが来るだろう。巻き込まれたエーリ王国? それは知らん。
あとこの言い方は酷いかもしれないが、そもそも果実が傷んだ原因はベルベー王国にあると言っても過言ではない。彼らが自力で滅ぼせないから、帝国が代わりに滅ぼしてあげるというだけの話である。
……果実が傷む切っ掛けとなった傷は帝国が付けてないかって? それをやったのはロタール帝国です。うちはブングダルト帝国なんで、クレームは受け付けてません。
***
トミス=アシナクィを滅ぼした後の話をしてしまったが、まずは滅ぼさなければ話が始まらない。これを失敗すれば、捕らぬ狸の皮算用ってやつだ。
そこで俺は、帝都付近の諸侯を集めると同時に、彼らと会議を開くこともなく、即座に命令を下すことにした。勿論、本音を言えば諸侯の意見も聞きたかったが……今は速度を優先するべきだと判断したのだ。
まぁ、俺が本当に意見を聞きたいのはワルン公やチャムノ伯だからね。彼らが近くにいない以上、時間かけて悩んでも俺の判断は変わらないだろう。だったらより早く動いた方が良い。
そんな訳で俺は帝都周辺にいた諸侯を謁見の間に集め、命令を下していく。とはいっても、ほとんどの貴族が前線か自領にいるから、呼び出せたのはあくまで数人だ。
「アーンダル侯、マルドルサ侯は即座に全軍を率い対トミス=アシナクィ方面へ。アーンダル侯は自領防衛、マルドルサ侯は反乱軍と侵攻軍の合流を阻止」
「はっ」
これが最前線の戦況を整える第一陣。速度を優先し、送れる部隊をまずは送る。
「第二陣はラミテッド侯及びエタエク伯軍。エタエク伯軍については即座に帝都へ呼び戻せ。そして合流次第、ラミテッド侯はエタエク伯軍と共に反乱軍を掃討。この第二陣の指揮はラミテッド侯に任せる」
「承知いたしました」
恭しく命令を拝領するラミテッド侯ファビオとフールドラン子爵。この第二陣の役割は反乱の完全平定、そして反撃に向けた準備である。
「そして……第三陣にはワルン公軍及び皇帝直轄軍を予定している。ベニマ王国との講和が成立次第、すぐにトミス=アシナクィ方面の前線に向かい指揮を執ってもらう予定だ」
完全にワルン公を酷使することになるが、こればっかりは仕方がない。後で色々とフォローもいるよな……。
とはいえ、問題はむしろ皇帝直轄軍の方。誰を指揮官にするのか……これが本当に大問題だ。今の俺は、体内魔力のリソースを吐きつくしているようなものである。別に最前線に赴くことはできるが、戦場で戦闘に参加できるかは怪しい。空気中に魔力があるなら普通に魔法は使えるが、戦闘により魔力枯渇が起きると、俺も普通の魔法使いと同じく魔法が使えなくなってしまう。
まぁそれがこの世界の常識で、体内魔力を自在に出し入れできる人間は俺以外に見たことないけど。今まではそうやって「いつでも(魔力枯渇に陥っても)魔法使えるから自分の身は自分で守れるだろう」って楽観視できてたんだけど……体内魔力スッカスカではなぁ。
今の俺はこれまでみたいに最前線に堂々と立つのは厳しい。そしてそんな、余計な制限は部隊を率いる上で邪魔にしかならない。だから可能な限り、俺以外の人間に皇帝直轄軍の指揮を任せたい。
しかし、これまで指揮を任せられたジョエル・ド・ブルゴー=デュクドレーは、亡命中の元皇王一行に半分引き抜かれているようなものだ。仮に本人にその気がなくとも、活躍したら元皇王一行が余計な口出しをしてくる可能性もある。
何より、彼もまた皇国から亡命してきたという過去がある……つまり俺が許しても、貴族の中には許せない人間もいるだろうってことだ。
……やはり人材登用が急務だよなぁ。どう考えても人手が足りない。でも国内から抜擢すると貴族絡みでややこしくなったりするからなぁ。余計なしがらみのない優秀な人材、その辺に都合よく転がってないかな。
まぁ、その辺は追々考えるとして、今は対トミス=アシナクィだ。
「ただし、時期が時期だ。第三陣の参戦は来春になると思う」
そう、まだ余裕があるとはいえ、今の季節は秋。そして帝国北部では冬の間は降雪により軍事行動が制限される。だからこの数か月間、トミス=アシナクィの侵攻を防ぐことができれば、自然と休戦状態になる。
……そう考えると、トミス=アシナクィは本当に、皇帝は早期に講和に向けて動くと思い込んでいそうだな。冬に入れば、キリが良いから講和……って、確かに他の国相手だったら言ってたかもしれない。
ちなみに、冬の間軍事行動が制限されるのは北部だけだ。帝国南部やそれより南の国々では、雪が降ってもそれほど積もらない。よって、冬も軍事行動を続けることはできる。
しかし帝国においては冬が社交界シーズンとなっている都合か、歴史上、帝国から仕掛けた戦争については、冬の間は小康状態になることが多いらしい。だが今回は帝国が宣戦布告を受けた側、かつ今の帝国が……というか皇帝である俺が、あまり社交界に参加しない人間なせいか、「もうすぐ冬だから休戦しないか」という話は貴族からも出てこない。
「またしばらくの間、帝都の守備にはアトゥールル族及びニュンバル侯軍についてもらう」
ニュンバル侯軍の方は、本人を事務仕事で酷使しているから、せめて兵の消耗は抑えられるようにという配慮である。まぁ彼の場合、戦場で功を挙げなくとも、宮廷で普通に仕事しているだけで十分な功績になるからな。
ニュンバル侯の、人が潰れないギリギリで酷使する人材配置と仕事分配の能力は、神憑っていると言っていいレベルだ。それでも一向に仕事は減らないんだから不思議である。
アトゥールル族の方は俺なりの配慮でトミス=アシナクィとは戦わせないことにした。
彼らは異民族なだけでなく、異教徒だ。トミス=アシナクィは異教徒より異端に厳しいとはいえ、それは異教徒に対して優しいという意味でない。異教徒が捕虜になれば改宗を強要されるだろうし、それを断れば殺されるだろう。
アトゥールル族との関係は今のところ良好だが、余計な亀裂を生みかねないことは避けるべきだ。という訳で、彼らには帝都周辺で予備兵力として待機してもらう。
……本当は兵数的にゴティロワ族に帝都の防衛をしてもらいたいんだけどね。彼らはまだちょっと、帝国人には受け入れられてないからなぁ。
「それと、敵の目的は食糧、そして農村部だと思われる」
食糧が不足気味のトミス=アシナクィ軍による略奪。これを撃退するのは簡単だ……農村の住民を退避させ、収穫したての穀物や田畑を焼き払えばいい。これをすれば確かに、トミス=アシナクィは諦めて撤退するだろう。
まぁ、すぐに講和するつもりならそれを選んだろうけど、今回は違う。この戦争でトミス=アシナクィは滅ぼす……なら、暫くは餌に食いつかせておいた方が都合がいい。
「収穫済みの穀物や田畑は焼かなくていい。欲しいならくれてやれ……だが今回の相手は危険な連中だ。農村の住民は可能な限り疎開させろ」
俺が第一報を聞いた時、恐ろしいと思ったのは「飢えた兵は飢えを満たすためになりふり構わずに戦う」からだ。つまりその場合、敵は死を覚悟した兵……死兵となる。
だが調べたところ、今回の敵は飢えていたとしても比較的軽度と思われる。つまり、少し腹を満たしてやれば、敵は死兵ではなくなる。
それに、収穫直後であるこのタイミングは、帝国としても食糧に余裕のある状況だ。
「食糧という罠に食いついた敵を攻撃しろ。こちらの当面の目標は敵を飢えさせることではなく、出血を強いることだ」
食糧に食いついたところを殺す……これだけ聞くと、戦争と言うより狩りのようだな。
要するに、敵軍に出血を強いて厭戦気分にさせるのが当面の目標である。
「もちろん、前線の各領地には帝都から全力で食糧の支援を行う。また、これは後日になるが、既に納税された分の穀物も一部返還しよう」
ガーフルやロコートとの戦いで使うように蓄えていた兵糧もあるし、そもそも帝国は穀倉地帯だ。食傷を罠に使ったところで、冬くらいまでの期間なら、帝国の民衆に影響が出ないレベルで戦える。こんな作戦、帝国じゃなかったらできなかったろうな。
その分、ニュンバル侯の仕事は増えるが……まぁ頑張ってくれ。
「総指揮はいずれワルン公に執ってもらう予定だが、それまでは各自の判断で動くように」
一番の問題はここだ。いっそワルン公が来るまで誰かに全体の指揮を執らせようかとも思ったのだが、引継ぎの際に問題が起こる方が面倒だ。それに、基本的にはワルン公着任まで防衛、着任後に反撃を予定しているから何とかなるだろうという考えだ。
……俺が親征できたらそれも解決できたんだけどな。ドズラン侯の宮廷襲撃事件が、ここでボディーブローのように効いてくる。
「余からは以上だ……何か質問は?」
まぁ、補給などの細かい調整はニュンバル侯に任せている。後で聞くことだってできるからか、この場で声が上がることは無かった。何より、本格的な反転攻勢は来年だからな……今必要な命令はそう多くない。
「では、卿らの武運を祈る。解散」
***
軍事の方を整えたら、お次は外交の時間。諸侯に命令を下した後、俺はその足でロコート王国の外交団との会見に臨んだ。
「急遽呼び出す形になってすまない」
「いえ。私たちも帰国前に陛下にご挨拶をと思っておりましたので」
そう答えたのはマリアナ・コンクレイユ。そしてその両脇には王太子ハロルドとビリナ伯。ロコート王国から講和の使節としてやってきていた三人が勢ぞろいだ……まぁ呼び出した理由、言ってないしな。警戒されるのも当然か。
「単刀直入に言う。帝国とベニマ王国との講和を仲介してほしい」
この三人は腹芸が上手い。それは講和交渉で嫌というほど分からされた。彼らを相手するなら、余計な駆け引きはしない方が得策だ。
「まぁ……それは、いつ頃の予定でしょうか」
マリアナ・コンクレイユは喜ばしいことだとアピールするかのように、やや大げさな身振りと笑顔でそう訊ねてくる。ちなみに王太子は半分も話が耳に入っていなそう。ビリナ伯は俺に対してというより、マリアナ・コンクレイユに注意を向けている。
「あぁ、言い方が悪かったな……帝国はベニマ王国と一刻も早く講和を結びたい。よって、可及的速やかに、仲介の用意をお願いしたい」
流石にこの答えは予想していなかったのか、マリアナ・コンクレイユの表情が僅かに揺れ動く。
「それは……随分といきなりですわね」
まぁ、彼らの視点から見ればそうなのだろう。先日、ベニマ王国も絡めた条件の講和を提示して拒否されたばかりで、いきなり帝国が方針を変更したように見えるのかもしれない。
とはいえ、トミス=アシナクィの侵攻は既に耳に入っているはずだ。情勢が変わったことは分かっているだろう。
「白紙講和に近い形での講和を予定している。そちらが望んだ、領土割譲無しの講和だ」
当然、全力で仲介してくれるよな? という圧をかける。
ロコート王国の方針は、ベニマ王国との同盟を維持した上で、矛先を南にあるダウロット王国に向けることだ。この講和は、彼らにとってはメリットが大きいはず。
「それは……我々としては極めて喜ばしいことですが。いささか急過ぎるのでは?」
そう言ったのはビリナ伯だ。実際、ベニマ王国と帝国の戦況は帝国がやや有利。その上、アプラーダ王国攻略軍が勝利を重ねれば重ねるほど、ベニマ王国は孤立し、より不利になっていく。つまり、帝国としてはもう少し戦っていた方が得られるものは大きくなる。
なのに突然、講和と言い出した訳だ。たぶん、罠を疑っているのだろう。
「確かに帝国軍はかなり優勢だ。もう少し待てばより有利な講和を結べたであろう。しかし、そもそも帝国がベニマ王国から得られるものなどたかが知れている」
とはいえ、ベニマ王国は小国ながら丘陵も多い。すぐさま首都まで攻め込める、なんてことにはなりにくいだろう。このまま続けても勝利には時間がかかる。そして勝ったところで、得られるものは限られている。
属国にすれば恨まれるし、領土を奪えばロコート王国に警戒される。ならいっそ、ここで講和するのもアリだ。そうすれば、ロコート王国からもベニマ王国からも、少なくとも恨まれることは無い。
「何より事情が変わった。だから暇つぶしは終わりだ」
もちろん、本気でベニマ王国との戦争を暇つぶしだと思っている訳じゃない。戦争で、そこでは人が死んでいるのだから。
だがそれぐらい、帝国には余裕があるというアピールだ……つい最近、宮廷が襲撃されちゃってるし、帝国としては一切動じてないという姿勢は、どうしても必要なのだ。
「決断が、早いですな」
ビリナ伯は驚いているようだ……まぁ実際、諦めが早すぎると言われても否定できない。でもベニマ王国ってそもそも、帝国から領土奪ってたわけでもないし……ある意味、帝国には戦う理由がないんだよね。帝国的には勝てそうだから戦闘を続けていたってだけだし。
「国境は開戦以前に戻そう。賠償金は要求するとしても少額になるだろう。彼らに負けを認めさせるようなこともしない」
ただし、アプラーダとの同盟関係については切らせるつもりだが、それは今は言わなくてもいいだろう。
「国境を……本当に白紙講和に近い内容になりそうですわね」
もし、再びベニマ王国が帝国に対し対決姿勢を明確にし、帝国が再侵攻する必要があるなら、今の国境は面倒だ。
逆に言えば、もう戦わないのであればこの国境で何ら問題ない。その為の仲介役である。
これで刃向かったらロコート王国のメンツも潰すことになるからな。
そして何より、小国であるベニマ王国が単独で帝国と戦うのは現実的ではない。ロコート王国が講和し、アプラーダ王国の首都が落ちた時点で、彼らが帝国と戦って勝てる可能性はほぼゼロに等しい。つまり今後、ペニマ王国が単独で挑んでくる可能性は限りなく低い。だからこの条件は帝国にとっても不利にはならない。
「この講和……それも早期の講和であれば、あなた方にも利があると思うが?」
彼らが静かなのは、たぶん罠を疑っているからだ。だがもし罠だとしても、それでも飛びつかずにはいられないほど、この講和は魅力的なはずである。
「仲介を担ってくれたなら……ベニマ王国に派遣されたロコート王国からの援軍。これについて、ベニマ王国との講和内容に一言加えてもいい」
目の前の使節団一行は親帝国派。一方、ベニマ王国に援軍として派遣されているロコート王国軍は反帝国派。この両者は対立する政敵だ。
もし現段階で帝国とベニマ王国の間に講和が成立すれば、上手くいけばこの政敵らを親帝国派は自在に料理できる。
「それと、ロコート王国と帝国との講和内容に、ベニマ王国と帝国の講和に関する密約があったということにしてもいい」
これは言い換えると、「ロコート王国の(さらに言えば親帝国派の)お陰でベニマ王国はこの条件で帝国と講和できるんですよ」とアピールすることができることを意味する。
ぶっちゃけ、現時点でベニマ王国は反帝国派と親密だ。そりゃ、自分たちの国に援軍に来てくれた人たちなんだから当然だろう。その上、親帝国派が主導したロコート王国と帝国との講和は、ベニマ王国から見れば裏切りに等しい。帝国と戦うために三国で結んだ同盟から最初に離脱した訳だからな。
だがこの、密約があったという嘘で、ベニマ王国からのヘイトは少し和らぐ可能性はある。親帝国派が自分たちの都合だけを考えたのではないと主張することができる。
もちろん、これは完全に嘘だ。ロコート王国との講和が成立した直後だから使える荒業である。だが、その効果は絶大なはず。
「なぜ、そこまで帝国は譲歩を重ねるので?」
「トミス=アシナクィにしろベニマにしろ……そしてあなた方ロコート王国にしろ、帝国から仕掛けた戦争ではないからな。挑んできたから、仕方なく戦った。望んだ戦争ではないから、早々に講和を提案する。ただそれだけではないか」
後はアプラーダ王国相手の勝利を確実にするためっていう狙いもある。
初動で黄金羊商会が首都を陥落させ、そのままアプラーダ領を南北に分断。さらにチャムノ伯率いる帝国軍主力も国境から南下している。これにより退路を断たれた、北側にいたアプラーダ軍は動揺し、帝国軍相手に敗走を重ねている。今も降伏する部隊や都市が続出しているようだ。
だがもし、ベニマ王国が無理をしてアプラーダ王国に援軍を送り込めば、帝国軍は側面を突かれ、不要な損害を被る可能性がある。少なくとも、今の進軍速度は維持できないだろう。
流石にそれだけで負けることは無いとは思うが、今の帝国に余計な損失を出す余裕はない。
「この際、腹を割って話しましょう。私たちは、既に同じ船に乗っております。その上で、同乗者として伺います。トミス=アシナクィと開戦なさったようですが……それほど厳しい戦いになると?」
マリアナ・コンクレイユの口調が変わった。外面をやめて、本音で……というポーズだろう。外でもない、俺がよくやる手口だ。
「いいや? それだけならば現状でも対応可能だ」
ロコート王国は味方寄りの立ち位置になった。だが、完全な味方ではない。帝国がこの戦いでトミス=アシナクィを滅ぼすつもりだってことは伏せておこう。
その上で、共通の脅威を提示して意識を逸らさせる。
「我々が警戒しているのはリカリヤだ。そもそも、今回のトミス=アシナクィの侵攻は、リカリヤ王国が関わっている可能性がある」
「リカリヤがっ!?」
驚きの声を上げるビリナ伯。一方、マリアナ・コンクレイユは冷静にあり得るかどうか考えているようだ。
ちなみに、これは完全に俺の妄想。現時点で、そのような情報は一切確認していない。だが、可能性としてなら否定もできまい。密偵の練度的に、ロコート王国が手にしてない情報を帝国が手にしている可能性は十二分にあると考えるだろう。
「……そういう事でしたら、協力させていただきます」
まぁ、それ以外の選択肢は最初からロコート王国にないからね。帝国と敵対を続ける道を選ばずに単独講和を選択し、国内の反帝国派と対決する道を選んだ彼女たちにとっては、帝国と旧来の同盟国であるベニマ王国との講和は、政権運営の上で必要不可欠だ。
仮に、帝国に何らかの事情があったとしても、拒否するという選択肢はないだろう。
まぁ、それが分かってるから俺も声をかけたんだけど。純粋な交渉だと負けるかもしれないが、最初から結論の決まってる交渉なら問題なくやれるのだ。




