1 デスマーチ部屋
トミス=アシナクィが、帝国から事実上の独立状態にあるテアーナベ連合を従え、帝国に対し攻め込んできた。そんな衝撃的な報告を受けた俺は、一度状況を整理するべくヴォデッド宮中伯とティモナを伴い、宮中のある一室を訪れていた。
「おい、アーンダル侯領の納税額、去年とほとんど変わってないぞ! 確認したんだろうな!?」
「盗賊に襲われたから補填を求むだ? それを何とかするのが商人だろうが! 突き返せ!!」
「コーヒー……コーヒーを頼む。人数分だ……そうだ。砂糖もまとめてそこに置いておいてくれ」
そんな阿鼻叫喚が、開け放たれた扉の向こうから聞こえる……とっても活気あふれる部屋だなぁ。
……なんか最後の人、今にも死にそうな声してた気がするが……まぁ、大丈夫だろう。今のところ、この部屋から死人は出ていない。ちなみに、扉が開けっ放しなのは人の出入りが激しすぎて、閉める前に別の人間が出入りするからだったりする。
そう、この大部屋こそが帝国の心臓であり急所。帝国国内の内政、財政、その他諸々の報告が一挙に集まる場所。本来は財務卿であるはずが、優秀過ぎたせいで、皇帝によって内政の統括も丸投げされた男……ニュンバル侯の、宮廷における執務室である。
先日のドズラン侯による襲撃も、もし狙いが俺ではなくこの部屋だったら、帝国は数年の間は機能不全に陥っていただろう。
「失礼する。財務卿は居られるか」
そんな部屋に近づくと、ヴォデッド宮中伯が声を張り上げた。俺はその後ろから、部屋の中の様子を窺う。
部屋の中は机が規則的に並び、そのどれもが山積みの書類と、死にそうな顔をした官僚たちによって埋まっていた。そして無数のペンの音と、たまに響く怒号。
活気があるんだか、末期なんだか分からない地獄絵図だ。フールドラン子爵がかつて逃げ出したというのも納得である。
……いや、一年中こんなにひどい訳ではないよ。ただ、今の時期は帝国中で穀物の収穫と、それに付随する納税が行われる。その報告が帝国中から届けられるのがこの部屋だ。
つまり俺たちは、心苦しくも一番忙しい時にこの部屋を訪れているって訳。
そんな部屋の一番奥……ひと際広いが、他の机と違い書類が積まれることもなく、きれいに整頓された机。そこで部下からの報告を聞いていたこの部屋の主が、宮中伯の呼びかけに気がつき、顔を入口の方へと向ける。
「密偵長……と、陛下!?」
同時に俺の存在にも気がついたニュンバル侯が驚きの声を上げた。
すると、先ほどまでの喧騒が嘘のように、部屋中の音がピタリと止んだ。そして一斉に驚いた様子でこちらを見ている。
……部屋の入口に皇帝がいても、ここまで気がつかない集中力の高さは称賛されるべきだな。一方で、ニュンバル侯の声には常に注意を向けていたのだろう。彼の言葉でようやく俺に気づく……そこらの傭兵より統率とれてるな、ここの人間は。
そんな官僚たちの何人かが頭を下げようとする前に、俺はそれを制して彼らに声をかける。
「邪魔して申し訳ない。諸君はそのまま仕事を続けてほしい」
謝罪なんてされても困る。むしろ彼らの真面目な仕事ぶりが見られて、トミス=アシナクィの侵攻で沈んでいた気分も晴れてきた。
……と、そんな自慢の官僚たちの中に、フールドラン子爵の姿を発見する。エタエク伯の臣下で、脳筋な彼女の代わりに普段はエタエク伯家の内政の一切を取り仕切っている彼だが、帝都に帰ってきてからずっとニュンバル侯の下で働かされているらしい。というか、他の官僚たちは俺に驚いて手を止めたのに対し、彼はどちらかと言えば俺の名前を聞いて、さらに気配を消そうと頑張っているように見える。
……まるで俺が厄介ごとを持ってくる人間とでも言いたそうだな、おい。否定はしないけど。
「見繕っていただきたい資料がいくつか」
宮中伯がそう話す間、官僚たちは少しずつ元の仕事へと戻っていく……が、明らかにこちらを気にしている。まぁ、いきなり皇帝が仕事場にきたらこうなるのも仕方がない。
俺が普段、ここにはあまり立ち寄らない理由がこれだ。
……中には経歴的に、俺のことを好まない人間だっているだろうしな。こういう急を要する時でなければ近づかない方が良い。
「……なるほど、どうせならばその場で確認してしまおうということですな? では別室をご用意しましょう」
ニュンバル侯がそういって、控えていた秘書らしき者たちに指示を出す。忙しいとこ悪いね。
ちなみに、ここは明らかに人手不足なのがはっきりと目に見えているのだが、人員の補充についてはあまり進んでいない。もちろん、定期的に行われてはいるが、外でもないニュンバル侯が選んだ者しか加えられないのだ。
彼曰く、「今は人を育てる余裕はない」とのこと……言い方を変えれば、優秀な人間以外は邪魔になるってことだな。まぁ逆に言えば、実績ある優秀な人間については過去を問わずに迎え入れられるってことなんだけど。
それからしばらくすると、大部屋の奥の方の壁にあった扉が開き、ニュンバル侯に案内される。
「陛下。少々手狭ですが、ちょうど綺麗にしたばかりのお部屋がございます。どうぞこちらへ……フールドラン子爵」
その途中、こちらに目もくれず、じっと資料を見ていた……か、あるいは見ているフリをしていたフールドラン子爵にニュンバル侯が声をかける。
「資料の用意を手伝っていただきたい。よろしいかな?」
額面上は丁寧なお願いのようだが、その言葉は有無を言わせないという強い意思を感じる。
「ハイ、ヨロコンデ」
この露骨な棒読みはせめてもの抵抗だろうか。この男は、自業自得とは言え苦労するタイプだな。
ちなみにフールドラン子爵は、かつて宮廷でニュンバル侯の部下として働いていた。だが「各々の可能な仕事量の限界ギリギリ」を見極めるのが上手いニュンバル侯によって山のような仕事を割り当てられたフールドラン子爵は、やってられるかと夜逃げ同然に宮廷から逃走。その末にエタエク伯家に拾われたのだそう。
つまり、仕事をバックレた引け目もあるのだろう、ニュンバル侯には頭が上がらないという訳だ。
まぁそれだけの仕事を振られたってことは、彼はそれだけ優秀だったってことだけどな。そして今、忙しい時期を迎えた最悪のタイミングで宮廷にやってきたフールドラン子爵は、ニュンバル侯に捕まって仕事の手伝いをさせられている。
……宮廷の官僚の仕事を地方貴族の家臣に手伝わせるの、正直どうなのとは思うけどね。
でもこの件について、俺は口出ししない。だって俺もまた、ニュンバル侯に頭上がらない人間の一人だし。
***
「ちょっとした会議室か?」
ニュンバル侯に通された部屋の、第一印象はそんな感じだった。ただ、足を踏み入れた瞬間に何か違和感を覚えた。いったい何だろうか。
そのニュンバル侯は宮中伯の注文した資料をまとめている間、少し待っていてくれとのこと。その間、いつの間にか一式用意していたティモナによって茶を振舞われる……ずっと隣に控えていたはずなんだが? マジでいつ用意した。
「そう使うこともございます」
俺の独り言に、宮中伯は含みのある言い方で答える。なるほど、もしかしなくても密偵絡みか。
改めて辺りをじっくりと見渡す。そして俺は、ようやく不自然な点に気がつく。
「あ、そうか窓がないのか」
「正確には、ここは元々部屋ではなく通路になっておりました。入ってきた方とは反対側……そちらの扉から先は私の管轄する区画になります」
通路……そうか、言われてみれば長方形の部屋だ。ただ、調度品などを上手く配置することで誤魔化されている。あと床に絨毯が敷かれているが、その下の床材は硬い……部屋よりも廊下に近い床材なのだろう。足を踏み入れた瞬間の違和感はコレか。
「……もしかしてこれ、非常用の避難経路か」
「えぇ。以前は物置同然でしたが……」
あぁ、なるほど。最近きれいにしたって言ってたの、ドズラン侯の宮廷襲撃事件の際に避難経路として使って、それで片づけたばかりだってことか。
……ついでに密偵長への配慮もあるかもな。奥の扉の先は密偵のテリトリー、つまり俺の身を守る上でこっちの部屋の方が安全だろうって判断かな。
他にもこの部屋に通されたのは官僚への配慮もありそうだ。最近加わった官僚の中には、個人的に皇帝を嫌っている者もいるだろうからな。
さっきも言ったが、ニュンバル侯は実績ある優秀な人間については過去を問わず迎え入れている。それはかつて宰相や式部卿の下で働いていた人間であっても例外ではない。
……というか、あの二人の直属の官僚として働いていた人間って、帝国内でも屈指の優秀な人材だったからな。宰相も式部卿も、悪人だったが無能ではなかったのだ。むしろ優秀な人間を相手の派閥に引き抜かれないよう、好待遇で囲っていた訳だ。それがあの二人の強さの一端でもあった。
ラウル領平定以後は多くの元宰相派の官僚がフリーになり、その実績を買われニュンバル侯の下に加わっている。中には、皇帝を嫌っている人間だっていてもおかしくない。実際、あの二人の下で働いていたころより、待遇は悪化していると思う。給料はかなり近づけているが、勤務時間がね……うん。
あぁ、でも一応密偵のチェックは通しているらしい。それでも悪意のある人間を完璧に除けているかは分からないからな。
「しかし……こんなものがあるとはな」
「歴代の皇帝も知りません。財務卿が逃げる相手など、基本的に一人ですので」
……なるほど。ニュンバル候はよほど俺を信用してくれているらしい。というより、過去の皇帝たちはさぁ……。
「お待たせいたしました、陛下」
俺が思わずため息を吐いたちょうどその時、ニュンバル侯と共に資料を抱えたフールドラン子爵がやってきた。子爵は完全に雑用のように扱われているな。
資料を机に並べながら「早く帰らせてくれ」と訴えかけてくる彼の顔を見ると、自業自得とは言え同情を禁じ得ない。宮中で働く貴族の基準で言えば、子爵って高位のはずなのにね。
官僚として働く貴族は、ほとんど男爵くらいまでしかいない。まぁ、本来の「貴族」としての最下級が男爵だからな。そして伯爵以上となると、一部の例外を除いて領地を持っている。逆に言えば、領地を持たずに「伯爵」を名乗る「宮中伯」というのは、宮廷においてかなりの権限を持っているってことが分かる。
一方、伯爵と男爵の間にある子爵という階級は、基本的に領地持ちの貴族(伯爵以上)の重臣に主君(貴族)から与えられる称号だ。つまり、子爵を名乗れる人間っていうのは、基本的にどこかの貴族家に属している。称号としては子爵の次が男爵だが、その間には圧倒的な格の違いが存在する。……なのにこの扱いだから、フールドラン子爵がかわいそうに思えるって訳だ。
ちなみに、ニュンバル侯の下で働く官僚のうち、本人が貴族号を持つのは半数以下だ。後の人間は、多くが「貴族の子弟」にあたる。これは「本人は貴族としての称号は持たないが、身分としては貴族扱い」になる。貴族の子供や兄弟にも貴族としての身分を保障するのは、まぁ貴族に与えられた特権みたいなものだな。
……だから帝都の端に居座る無職の下級貴族も、一向に数が減らない訳だ。彼らの子弟も貴族だから。
そしてこれは宮中で働く官僚全体に言えることだが、親の爵位を継げる可能性が低い次男以降が、出稼ぎのような形で宮中に出仕することが多い。まぁ、上手くいけば独立して自分の家(貴族号)を持てるかもしれないからな。
あと、優秀な平民が貴族の養子となり宮中に出仕することも少なくない。送り出す側としては貴重な宮中との繋がりになり、家名の宣伝にもなる。彼らは平民出身ではあるが、一応身分としては貴族として扱われることが多い。……この表現になるのは、それを認めたがらない貴族も一定数いるからだ。
まぁ、この辺はかなり複雑でグレーな話になる。そもそも、ロタール帝国時代の「貴族」とブングダルト帝国になってからの「貴族」でもズレがあったりするしな。
閑話休題、テーブルの上に話を戻すと……並べられた資料は最近の、国内の収穫量や納税の記録、外国との貿易に関する報告書などであった。普段俺のところに上がってくる資料は、こういった諸々をまとめた最終的な報告書である。だが今は最新の情報が欲しかったから、まとめられる前の資料を見に来たって訳だ。
そもそもこの時期に、他国の食糧事情なんて調べてる余裕ないからね。
こうして俺たちは、資料と密偵からの報告などを照らし合わせながら、例年の数値とも比較して現状を把握していく。その結果として分かったことだが……。
「……やはり飢饉というほど深刻な状況にはなっていないはずだが」
トミス=アシナクィの帝国侵攻は、穀物の不作が引き金となった可能性が高い。事実、連中は侵入した帝国領の農村で食料を略奪している。
だが、もし国家に甚大な被害が出るレベルの不作が予想されるのであれば、流石に帝国は事前に気づいている。最初の報告で俺は動揺したが、よく考えれば……この段階まで気がつかなかったということは、トミス=アシナクィの「不作」というのは、軽度なものではなかったかと考えたのだ。
そして今ある資料も、その予想を裏付けるものになっている。不作ではあるが、飢饉となるほどではないはず。勿論、未知の病気で穀物が壊滅した可能性も無くはないが、そういった情報は確認できていない。
「リスクを負ってまで帝国に侵攻しなくてはならないような、追い込まれた状況ではないはずだが」
そもそも、トミス=アシナクィの西にある、ロザリアの実家であるベルベー王国からは食糧危機の兆候など知らされていない。まぁ、あそこは元々食料については帝国に依存しているから、不作だったとしても表面化しにくいのかもしれないが。
「しかし、トミス=アシナクィにおいて穀物の収穫量が減少しているのは事実のようですな」
ニュンバル侯はそう分析する。となると、外交的に孤立しているトミス=アシナクィとしては、不足した分を他国からの略奪で賄いたかった……ということだろうか。しかしなぁ……その為だけに大国である帝国に喧嘩を売るとは、あまりにリスクを度外視してないか?
最初に報告を聞いた時、俺はトミス=アシナクィが飢饉に陥っていると考えた。民衆が明日の食事どころか、今日生き延びることすら難しい状況なら、「どうせ死ぬなら」と帝国に襲い掛かってくるのも理解できる。
しかしそこまで酷い状況にはなっていないはず。ではいったい、何が起こっているのだろうか。
「あー……一つよろしいでしょうか」
そこで、もう逃れられないと諦め、開き直ったらしいフールドラン子爵が意見を述べる。
「聞こう」
「はっ。……数年前まで、帝国では穀物が余剰気味でした。しかし陛下の『即位の儀』以降、帝国では戦争が続き、食糧の国内消費が大幅に増えました」
戦争すれば、食糧の消費量は増える。戦争をやってるのが人間である限り、これは自明の理だ。戦闘に限らず、行軍や土木作業の量も戦争では増大する。その全てが、人間にとっては激しい肉体労働だ。そこで消費したエネルギーの分、食べることで補給する必要がある。
そしてなにより、戦争において食糧というのはよく狙われるものだ。腹が減っては戦はできぬと言うが、つまり敵軍を弱らせる手段として敵の食料を狙う行為は、極めて効果的という事になる。だから戦争において、食料は消費する以外に消耗もする。
「その分、国外に流出する穀物が減少したとなれば、商人は不足分を別の国から買い入れるかと」
「なるほど、需要を満たすためにか……それでトミス=アシナクィが帝国の穀物輸出の一部を補っていたのではないかと?」
ニュンバル侯の言葉に、フールドラン子爵が頷く。
「はい。もっとも、収穫量の減少は事前に予測できたはずです。にもかかわらず、穀物を放出する……などということを、現実的に選択するかは別ですが」
トミス=アシナクィでも、農民は穀物を税として納める。その一部を統治者は商人を通じて現金に換える。とはいえ、万が一に備えて普通は最低限の備蓄くらい残しておくものだ。なのに減収が予測される状況で、その貴重な食糧を輸出するとか普通は……いや、そうか。トミス=アシナクィは普通の国じゃなかったわ。
「トミス=アシナクィのような国であれば、あり得るな。外貨の獲得手段として、民衆が飢えてもいいから穀物を輸出……か」
どっかの赤い国もそれやって国内に大量の餓死者つくってたな。
「その場合、やはり厄介な敵かもしれません」
宮中伯の言葉に、俺は頷く。
「そうだな……飢えないために、命がけで戦ってくるかもしれない」
完全なとばっちりだけどな。というか今回の侵攻、もしかして食糧不足に対する民衆の批判を逸らすために、帝国という矛先をつくった可能性もあるのか。
「……ところで、余はこの辺りで食糧を買い取り、大口の販売先を確保できる商会として真っ先に思い浮かぶところ、一か所しかないのだが」
「えぇ、黄金羊でしょうね」
宮中伯のあっさりとした返答に、ニュンバル侯も頷いている。やっぱそうだよなぁ!?
「連中、中央大陸の戦争は下火になっているって言ってなかったか?」
「もしそうだとしても、穀物の供給量が回復するのには時間がかかります。武器や傭兵が売れずとも、食糧はまだ高値で売れるのでは?」
なるほど、ニュンバル侯の指摘はもっともだ。とはいえ、連中は帝国が支配できている訳でも無い。それに、仮想敵国とは言え、トミス=アシナクィとは戦争と言えるような規模の交戦はしていなかった。
黄金羊商会が連中から穀物を買い取って異大陸に輸出していたとして、この商取引を処罰するのは難しいだろう。
「アプラーダ王国の攻略が落ち着いたら帝都に来るよう伝えよ。処罰はできないだろうが、嫌みの一つでも言ってやる」
それはそれとして、結果的に迷惑を被ったから何かしらの譲歩は引き出さないとな。
「それで……陛下。トミス=アシナクィの侵攻はどの程度なのでしょうか?」
報告を受ける立場ではない為、正確には把握していないらしいフールドラン子爵がそう訊ねてくる。
「宮中伯、ついでだ。改めて説明を」
「承知いたしました。まず、現状侵攻を受けたのはベイラー=ノベ伯領、ベイラー=トレ伯領、ペクシャー伯領、アーンダル侯領」
帝都に届いた伝令の情報としては、テアーナベ連合に面していた領地のうち、最西部にあるカルクス伯領を除いた全ての領地が攻撃されているということ。そして敵は、都市部の攻略よりも農村部の略奪を優先しているということ。これくらいのことしか分かっていない。
「カルクス伯領に被害はないと?」
ニュンバル侯の確認に、宮中伯はこちらは報告ではありませんが……と前置きして答える。
「黄金羊商会に陛下が統治を委任されたデ・ラード市。これが要塞として機能しているようです。既に交戦状態にあるものの、余裕をもって防衛中とのこと」
デ・ラード市……かつて黄金羊商会が建てたこの城塞都市は、帝国軍が攻略した後、名目上は皇帝直轄領としつつも、黄金羊商会にくれてやったのだ。流石に自分たちの利益にも関わる事柄だからか、真面目に防衛戦をしてるらしい。
まぁ、俺たちが攻略できたのも、中の人間の不和を突いて、かつ初見殺しレベルの魔法火力でなんとか降伏させたってだけだからな。素直に籠城されてたら絶対に落とせなかった……そう思えるくらい堅牢な都市だ。
「そしてこれは、密偵の観測情報ですが……敵の第二陣は、ベイラー=ノベ伯領、ベイラー=トレ伯領、そしてアーンダル侯領に向けて侵攻を準備しているようです」
「敵の狙いはその三か所ですか」
フールドラン子爵はそう呟き、地図を見ながら何かを考えている。まぁ、位置的にエタエク伯家だって他人事ではないからな。
「あくまで予想になるがな。しかし狙いがはっきりと分かるし、可能性としてはかなり高い」
ベイラー=ノベ伯領とベイラー=トレ伯領は、クシャッド伯領と共に皇帝に対し反乱を起こしている。しかしベイラー=ノベ伯については、エタエク伯が手土産感覚で既に討ち取っており、その領地はほぼ制圧済み。残ったベイラー=トレ伯・クシャッド伯については元より不仲なのもあって連携が取れず、鎮圧も時間の問題だった。
つまりここを攻撃する狙いは、反乱軍との合流……あるいは籠城する両伯爵に対する帝国軍の包囲を弱めさせ、反乱を長引かせることで帝国をかく乱することが目的だろうか。
「アーンダル侯領の方は、代替わり直後で基盤が脆弱、さらにアーンダル侯本人の不在の隙をついて……と言ったところでしょうか」
そう分析するニュンバル侯に、俺は個人的な見解を加える。
「それもあるだろうが、侵攻を受けている地域の中では、アーンダル侯領が最も穀物の生産が盛んだからな」
地形的な要因で、他の領地よりアーンダル侯領の方が、農作地が多い。収穫された直後の穀物狙いだと考えれば、敵が優先するのも納得である。
「……そういった現状だから、帝都からも増援を送った方がいいだろうな」
幸い、ロコート王国との講和で対ロコート方面に送っていた軍勢は動かせる。移動距離は長くなってしまうが、ロコート王国との講和交渉期間は交戦することもなかったし、疲労も少ないだろう。
「一先ず、アーンダル侯は戻して……カルクス伯領の兵力も動かせるか?」
俺が対応に考えを巡らせていると、ヴォデッド宮中伯に止められる。
「陛下、それを考えるのは後になさってください……先にこちらです」
そう言って並べられたのは、テアーナベ連合の資料だ。
……あぁ、そうだった。今回の敵はトミス=アシナクィだけではないんだった。




