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新章プロローグ


 フィクマ大公国北部の重要都市アワン=アマット。元は川を挟んだ二つの都市だったが、この河川を利用した水運により発展し、現在は合わせて一つの大都市となっている。

 この都市はフィクマ北部に位置するだけあり、テイワ朝以前より皇国との関係も深く、現在もテイワ皇国からの使節の出入りは、首都につぐ数だと言われている。一方で、近くにはフィクマ大公国の前身王朝が当時の皇国と対立した際、一大決戦の舞台となった。

 つまりここは皇国とフィクマの玄関口であり、大公がこの都市を誰に任せるかによって、その時の外交姿勢が分かるとまで言われている。


 任命された者が皇国に友好的な者なのか、あるいは反抗的な者なのか……常に皇国の注目を浴びるこの都市は、別名「フィクマの試金石」とまで呼ばれるほどである。



 そんなアワン=アマットの現在の総督は、ローデリヒ・フィリックス・フォン・スラヴニク……大公に気に入られ、彼の娘を妻に迎えたことで婿養子となった青年だった。

 元は先々代皇王の一族だったが、先代皇王とその下で辣腕を振るった宮宰により一族が粛清される中、フィクマ大公の家に入婿となったことで辛うじて生き延びた男である。

 そんな過去を持つ男を、アワン=アマットの総督にしたフィクマ大公の真意は何なのか……暫定的に女皇王を擁立したものの、依然として次の皇王の座を巡って派閥争いを繰り広げる皇国貴族は、どうにかして大公の目論見を明かそうと必死になっている。


 皇国と対峙するために現在の皇王の一族に恨みを持つであろう彼を配置したのか、あるいは皇国と協調路線を取るために、元皇国人の彼を配置したのか。彼が抱く恨みが元皇王に対してのみなのか、現在派閥争いに担ぎ出された皇子たちに対しても抱いているのか……。

 こうして総督の心中を探るべく皇国の各派閥から、大量の使節がこの「試金石」に送り込まれていた。



 そしてこの日も、そんな使節が一人……聖一教聖皇派のメッセンジャーとして送り込まれた貴族が、ローデリヒの館を訪問していた。ローデリヒはこの貴族……伯爵になったばかりの男の名前を聞くと、他の予定を後回しにし、すぐに彼の前に姿を現した。

「この短い間に随分と出世したようだね」

 傍らに騎士服を着た女性を控えさせた客人は、足を組みソファの背にもたれ、片手で音を立てながら紅茶を啜っていた。

 総督の機嫌を損ねたくない他の使節たちであれば、まずしないであろう態度である。これではどちらが部屋の主か分からないなと、小さく笑いながらローデリヒは客人と向かい合う。

「礼儀作法を知らない君ではないはずだが?」


「いやぁ、それだとボクは使節として君と対峙しなきゃいけなくなるからねぇ」

 友人相手に談笑しに来ただけだとアピールする客人に、ローデリヒは思わず胡乱な目を向ける。

「その方がこちらとしては楽だよ、テオ・フォン・ボルク伯爵。使節の役割に徹してくれるなら、相手は君というより君の背後にいる人間で済むからね」

 ただのメッセンジャーなら楽な相手だ……この男には聖皇派への忠誠心など微塵もないのだから。問題はこの男自身に何らかの目論見がある場合である。


「……いや、案外功績に見合う爵位を貰って心を入れ替えでもしたかい?」

「教会はそう思ってるらしいねぇ」

 テオ・フォン・ボルクはそう言いながら、口元に嘲笑を浮かべる。

「あいつら、他派閥に引き抜かれないよう今更になって必死こいちゃって……叙任式では笑いそうになるのを堪えるのが大変だったよ。君もそう思うだろ?」

 それから男はジッとローデリヒの目を見つめた。まるで目を通して頭の中を覗こうとしているかのように。

「生憎だけど、こちらはそうでもないよ。君とは違って拾ってもらった身だ」

 そう答えながら、やれやれ結局は腹の探り合いになるのかと、ローデリヒは小さく苦笑いをする。


 つまり今の一連のやり取りは、「皇国内の他派閥が自分を引き抜こうとするように、ローデリヒにも皇国や他国からの引き抜き工作があるのではないか」と探りを入れてきたテオ・フォン・ボルクに対し、ローデリヒは引き抜き工作に関しては否定せずに、「フィクマ大公に対し思うところなどは無い」と答え、引き抜かれるつもりが無いことを宣言したのである。


 実際、今のローデリヒはフィクマ大公の駒ではあるが、その現状に不満など抱いてはいなかった。本来ならばとっくに死んでいたはずの命、救ってもらったからにはその恩に報いるべきだというのが彼の考え方である。

「律儀だねぇ。そんなの、いつまで続くか分からないのに」

「外からはそう見えるかい? それとも無意識に同じ『ものさし』で見ているだけかな」

 今の大公ではなく、その実子が大公位を継承する際、ローデリヒは危険視され排斥されるだろうと言うテオ・フォン・ボルク。それに対し、自分たちは兄弟で醜い争いを続ける皇国とは違うと返すローデリヒ。


「なーに、ボクは心配しているんだよ。こういうのは当人たちだけで解決するとは限らないからねぇ」

 そのテオ・フォン・ボルクの言葉に、ローデリヒは「なるほど、これを聞きに来るのが仕事か」と納得する。

 皇国では依然、次期皇王の座を巡って三つの派閥による争いが続いている。そしてもし、フィクマ大公国でも後継者争いが起きるのであれば、彼らはその争いに間違いなく介入するだろう。

 自分たちが支援した者が隣国の君主となれば、今度は皇王を巡る派閥争いにも助力してもらえる可能性が高い。あるいは、他派閥がそう動くのであれば、自分たちは対抗馬に接近しなければならない……大国で後継者争いが起きると、周辺国でもそれに呼応するように後継者争いが起きるという事例は、歴史上においても少なくない。


 つまるところ、彼が聖皇派から命じられた仕事は、ローデリヒがどこかの派閥から工作を受けていないかの確認である。それも単なる引き抜きではなくローデリヒをフィクマ大公の後継者にする工作の。

「同じような忠告を聞いたのは三回目……あるいは四回目かな?」

 そう言って、ローデリヒはテオ・フォン・ボルクに探りを入れ返す。


 皇国では三つの派閥が後継者争いを行っている。だがそれはあくまで貴族の争い。聖皇派の宗教的権威である聖導統は、表向きは中立の立場である。とはいえ、特定の派閥に肩入れしているであろうことは周知の事実だ。

 そんな聖皇派の命令でテオ・フォン・ボルクは来ている。それが争いの渦中にいる派閥の使節としてなのか、あるいは聖皇派は第四の勢力になり得るのか。その辺りのことを探ろうとしている……ように聞こえただろう。



「うーん、降参」

 しばらくの沈黙の後、口を開いたのはテオ・フォン・ボルクだった。右手で頭をかきながら、まるで上司への報告内容に困ったかのように独り言を言う。

「全ての接触から距離を取ってる可能性が高い……っていう曖昧な報告になるかなぁ。まぁ、勝者の予想もつかないような今の状況じゃ、誰も巻き込まれたくないよねぇ普通」

 それから部屋の扉を指さし、ずっと黙って傍らに控えていた騎士服の女性に向けて言う。

「こっからは友人同士でお話しするから、君は外で待っててねぇ」

 すると女性は素直に頷き、ローデリヒに対しては礼儀正しく退室の挨拶をした上で部屋から出ていった。


 あっさりと監視役の女性が出ていったあとも、しばらくは沈黙が続いていた。だが結局、先に口を開いたのはテオ・フォン・ボルクであった。

「それで? 君は大公様の意思に従うつもりかい?」

 またしても、彼の言葉には必要な情報が省かれていた。だが、ローデリヒには彼が言いたいことが既に分かっていた。

「もちろん。だからどちらにつくかなんて聞いても無駄だよ」

 すなわち、来たるブングダルド帝国の皇国侵攻に対し、皇国と帝国のどちら側につくか……という話である。


「まったく、笑えるよねぇ。帝国が本気で潰しに来るっていうのに、派閥争いなんてしちゃってさ」

 テオ・フォン・ボルクの顔に浮かぶのは嘲笑だ。中央に居座る高位貴族や聖職者たちは、帝国に備えるどころか国内の派閥争いに夢中になっている。

「あの皇帝は確実に来る。来ないなんてことはあり得ない。それがあのバカ共には分からないらしいねぇ」

 その点に限っては、この場にいる二人の見解は一致していた。あの皇帝、カーマインの狙いは皇国であると。むしろ問題は「いつ来るか」である。

「それも仕方ないだろう。彼らはあの皇王しか知らない……いや、元皇王か。そして皇帝も長らく傀儡として振舞っていた……潜在的に過小評価してしまっているのだろう」

 元皇王の亡命、次期皇王を巡る派閥争い……皇国の動きはあまりに鈍重と言っていい。一方、帝国は短い期間に次々と周辺国を屈服させ、着実に準備を整えている。

「挙句の果てに『皇帝は小さな勝利に満足してすぐに講和する』だの『自ら対外戦争をしない消極的な皇帝』だの『貴族を抑え込むだけの強さもない』だの……希望的観測ばかりでほんっとうに嗤えるよ」


 そう評価されるのも無理はないなとローデリヒは思った。実際、これまでの皇帝の動きは確かに消極的だと捉えることもできる。対外戦争は基本的に仕掛けられる側であり、それもある程度戦って有利になると早々に打ち切って講和を結んでしまう。

 そして自分に刃向かった貴族にも極めて寛大な沙汰をし、大貴族の伸張を警戒せずにむしろ強大な力を与える。貴族に対して甘すぎると見られるのも当然だった。

「できないのか、あえてやらないのか。直接見た人間でなければ判断は難しい」

「えぇ? そうかなぁ。こんなに分かりやすく矛盾してんのに?」



 どの国においても、君主と貴族の関係は単純な主従ではない。君主の権利と貴族の権利というものは、潜在的に衝突するものだからだ。君主の力が強まれば貴族の力は弱まる。その逆もまた然り……中央集権的か、地方分権的か。これはどのような小国であろうと、君主と貴族が存在するならば、避けては通れぬ対立構造である。

 もちろん、一代に限れば例外はあるだろう。だがたとえ個人の間に忠誠や友情による結びつきがあっても、代が替われば関係は変化する。

 そしてこのパワーバランスが崩壊……つまり君主の力が弱まり、貴族の力がそれを上回れば、王朝の交代などが起きてしまう。それを避けるためには、君主は貴族の力を削ぐか、あるいは君主の力を増やすかのどちらかを選択しなければならない。


 そして君主の力を強化する簡単な例が対外戦争である。対外戦争に勝利し、獲得した領土や金銭を、君主が貴族より多く確保すれば、相対的にパワーバランスは君主の方に傾く。

 あるいは、国内の貴族の力を削る……領地の没収や処刑、反乱を起こさせて鎮圧するなど、貴族を攻撃しその力を弱めれば、やはりパワーバランスは君主に傾く。

 つまり、対外戦争に消極的な君主は、その分国内の貴族に対し攻撃的になることが多いのである。逆に対外戦争に積極的な君主の下では、貴族を弾圧せずとも彼らは戦争で自然と消耗していく。


 ではその観点から見たカーマインの行動はどうだろうか。彼は獲得した領地を積極的に貴族に分け与え、自分に刃向かった貴族に対してもその所領を安堵するなどしている。一方、対外戦争は全て防衛戦争で、講和の判断も早い。つまり、現時点では対外拡張にも消極的に見える。

「貴族の消耗を抑え、彼らの力を維持したまま対外戦争を素早く片付けている……この矛盾が意味するところはただ一つ」

 この先、比較にならないほど大きな消耗を強いるから、今はわざわざ貴族の力を削ぐ必要がないということ。そして帝国がそれだけの消耗を見込む相手とは、同等の国家規模を誇る皇国しかありえない。

「今やっているのは後顧の憂いを断つ戦争だからねぇ。消耗を抑えて、周辺国との秩序を再編している……つまり皇国が対峙するのは最大出力の帝国になるねぇ」

 その上、皇都ではアキカール公家の生き残りがロビー活動を繰り広げて、帝国を弱く見せている。皇国は現状、皇帝カーマインの思惑通りに動かされているのだ。



「君は大変だな。あの皇帝に目を付けられている以上、戦うしか道は残されていないのだろうから」

 過去の行いからして、テオ・フォン・ボルクは帝国に降っても未来はないだろう。そう分析したローデリヒは、同情を過分に含みながら他人事のように言った。ローデリヒの場合、大公の判断によっては()()()帝国側に付くかもしれないのだから。

 しかしテオ・フォン・ボルクの返答は意外なものだった。右手で顎を撫でながら、興味深いとでも言うかのように、彼は答えた。

「いやぁ、最近はあのバカ共の焦り顔を間近で見られるんだったら、それも悪くないと思えてねぇ」

 決して強がりを言っているようには、ローデリヒの目には見えなかった。そして他にも感じていた疑問。それを繋ぎ合わせて一つの仮説を導き出す。


 しかしそれを確かめる前に、テオ・フォン・ボルクが鋭くローデリヒを見つめながら訊ねる。

「だから最高のショーの前に余計な事されても困るんだよ……皇帝への襲撃、君らの差し金かい?」

 先日帝都で発生した、皇帝暗殺未遂。ドズラン侯による未曽有の宮廷襲撃事件は、既に彼らの耳にも入っていた。

「てっきり君が関わっていると思っていたが……そうか、君も知らないのか」

 これには、ローデリヒは素直に驚いた。てっきり、目の前の男がまた何か関わっているとばかり思っていたのだ。

「いやぁ、その反応で大体の事情は察したよ。なるほどねぇ」

 一人で勝手に、何かに納得するテオ・フォン・ボルク。


 意識が自分ではなく、彼だけが知る情報の整理に向く……そんな彼の様子を見て、突きつけるなら今かと、ローデリヒは口を開く。

「今日の君は随分と焦っているようだ。会話の節々から落ち着きがない。君はもう少し我慢強い人間だと思っていたけれど」

 そこで一度区切ると、斬りつけられても良いように心の中で身構え、さらに言葉を続ける。

「あるいは本当に時間が無いのかい? この部屋に入ってきてから、君の()()は全く動いていないが?」



「いやぁ流石にバレるよねぇ」

 だがローデリヒの予想とは異なり、落ち着いた様子……あるいは諦めたかのような声でテオ・フォン・ボルクは自嘲する。

「左半身が少し麻痺するようになってねぇ……ここ最近、急にだよ。まさか頭がパーになって廃人になるより先に、身体の方がダメになるとはねぇ」


「副作用か」

 テオ・フォン・ボルクの扱うオーパーツ。他人の脳に影響を与えるその呪物は、しっかりと使用者も蝕んでいた。

「たぶんねぇ。ま、あんな呪物扱ってたら当然だけどねぇ」

 余裕無さそうに見えたのではない。実際に余裕が無いのだ。彼は自分の余命がそう長くないことを、薄々感づいている。

「でもこの生活も悪くないよ? 道具のように扱っていた女に、同情されて世話焼かれるのも……ボクは案外楽しめている」

 余裕を見せるように、へらへらと笑うテオ・フォン・ボルク。

 だが、ローデリヒの次の言葉には流石に表情を変えることになる。


「元皇王らを帝国に()()ために、随分と無理をしたんだな」

 ……それに対する答えは沈黙、それが何よりの答えだった。

「まさか誰も、君がたった一人でやったことなんて、露ほどにも思わないだろう」

 誰にもバレずに、誰にも犯人を特定されずに、集団を誘導するなんて芸当ができるのは、彼が持っているオーパーツくらいのものだ……ローデリヒはそう確信していた。

「それでも関与すら全く疑われないとなると……随分長い間、従順に振舞ってきたようだね」

 帝国と皇国、二大国家が衝突する舞台を整えたのが、たった一人の男の手によるもの……これは間違いなく、歴史に残らない事実だ。だが確かに、目の前の男は歴史を動かしたのである。


「安心するといい。個人としては時間を稼ぐ真似はしない」

 ローデリヒは目の前の男に対し、敬意をこめてそう言った。残り時間の少ない彼が待ち望んでいること……帝国による皇国侵攻、その時期を個人の判断で遅らせるような真似はしないと宣言したのだ。もっとも、大公の命令であれば話は変わるが。

「……いやぁ、ありがとう。その言葉が聞けただけで来た価値があったというものだよ」

 帝国と皇国。東方大陸の二大国家が衝突する時は少しずつ、しかし確実に近づいている。


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― 新着の感想 ―
久しぶりの更新ありがとうございます! 皇王亡命の黒幕はやっぱりお前か 目的は皇国滅亡当たりですかね
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