12 玉座と帝冠
四代目皇帝が増築した宮殿内にあるこの謁見の間は、出入り口が二か所しかない。そして大抵の人間が使う入り口は一か所のみ。玉座が見下ろす正面の扉であり、基本的に人々はここから入ってくる。そんな重厚感ある扉を抜けると、玉座まで赤いカーペットの敷かれた奥行きのある空間が広がっている。
わざわざ玉座と一般入り口の距離を離しているのは、皇帝との距離を空けることでその不可侵さを謁見する者に感じさせため。玉座が一段高い位置に置かれているのも同じ理由だろう。これからこの場所にやってくる人間には、そんなものを感じる感性などないだろうが。
そんな謁見の間に入った俺たちは、慌ただしく準備する。
まず、脱出口の案内役である密偵たちには、脱出通路の出口側の安全確保をお願いした。脱出したけど出口で敵に待ち構えられてました……なんてことになったら笑えない。彼らはすんなりと脱出通路に潜っていった。
その隠し通路の入り口は、皇帝専用出入り口の付近の床にあった。こちらは、基本的に皇帝とその護衛しか通らない扉だ。確かに、その周辺は隠し扉があっても見つかりにくいだろう。実際、一見しただけでは全く分からない。
そして俺は、先ほど密偵が潜っていった脱出口を、こちら側から塞ぐ。かなりの重量のある収納棚を、魔法で浮かせて無理やり持ってきたのだ。封魔結界が解除されている今なら、この行動も可笑しくない。
「そこの君、この皇帝扉から外に出て、しばらくしたら扉が開けられるか確認して。開けられなかったらさっき言った通り、息を潜めて扉を監視しておくように」
俺はさらに、密偵の一人を外に出し、同じように重い収納棚で扉をふさぐ。これで外からは入って来れない。こうすれば、残る出入り口は完全に一か所。袋の鼠という奴だ。
「残った君たちも、余がさっき言った仕事をきっちりこなしてくれ。頼んだぞ」
残る密偵……俺が追加の仕事を頼むとしてつけてもらった彼らに、仕事を与えて部屋の外に出す。
こうして、この謁見の間には俺とティモナの二人きりになった。広々とした空間が、がらんどうに空いている。俺はその、座り心地の悪い玉座に座り、不調法者たちがやって来るのを待っている。
この謁見の間は、そもそも数十から百人ほどを相手に、一度に謁見するときに使う場所だ。あまりに広すぎて、普段はほとんど使っていない。だが今回は、この奥行きが重要になるからここを選んだ。
「……いや、そういえばここ、俺が生まれてすぐに諸侯の挨拶を受けた場所か」
転生を自覚し、そして自分が皇帝であると確信したあの瞬間。俺はこの玉座に座っていたのだ。なんという因果だろうな。まさか、今度はここで、襲撃者たちを迎え撃つことになるなんて。
「最初と最後、とでも言うつもりですか」
ここまで、俺がろくな説明をしなかったにもかかわらず、何も言わずに従ってきたティモナがポツリと呟いた。
「言わねぇよ。最後じゃない。死ぬつもりは無い」
普通に逃げようと思えば逃げられた。わざわざそれをせずに待っているのは、ちゃんと理由がある。
「であれば安心いたしました」
こうして話しているうちにも、どんどん空気中の魔力が減っていく。まぁ、もし宮中伯たちがあのドラゴンの討伐に失敗したら、そしてここに突っ込んできたら流石に死ぬかもな。それくらい、あのドラゴンは……いや、名前は『リトルドラゴン』なんだったか。その体格は巨体すぎるのだ。
「にしても、あのリトルドラゴン、たぶんドラグーンが乗ってるよな? 冒険者組合の人間に命狙われるようなこと、俺なんかしたっけな」
北方大陸くらいにしかドラゴンは生き残っていない。そしてドラグーンは、北方大陸の実質的国家と言っていい、冒険者組合の虎の子の戦力である。
ワイバーンより巨体で希少なリトルドラゴンは、ワイバーンとは違いホバリングも垂直着陸も可能だ。下手すると、戦闘ヘリより強くて便利かもしれない。
それを地上から倒す、なんて普通に考えたら無理だ。だが俺が信用している彼らが可能だと言った。俺はそれを信じようと思った。
……やっぱり帝都も、何かしらの対空装備が欲しいな。
「今は考えても仕方ありません」
「分かってるよ」
北方大陸の冒険者組合が敵になると、本当に色々と話が変わってくる。暗い気持ちになるのもしかない。
何より、俺は取り返しのつかないミスをしてこうなっているんだ。自然と心は落ち込む。
「このタイミングで襲撃か。全く予想できなかったな」
油断していたつもりは無いが、上手く出し抜かれたということは油断していたのだろう。今回の襲撃からは、俺を殺した後のビジョンが全く見えてこない。事前に諸侯の内の誰かと協力していたり事前に話をしていた痕跡はなかった。他国と連動して動いている様子もなかった。
全く、何の予兆も掴めなかった。だから宮中伯も出し抜かれたのだと思う。
単純な敗北だ。気づかないうちに負けていた。不思議と、そのことに怒りとかは湧いてこない。
「本能寺の変って、こんな感じだったのかなぁ」
思えば、状況はそっくりだ。織田信長を討った明智光秀は、その後同僚たちの支持を得られず、山崎の戦いで羽柴秀吉にあっさりと敗れる。
たぶん、そうなることは織田信長にも分かっていたんじゃないだろうか。合理的に考えて、今自分を討ったところで未来はない。だから明智光秀がこのタイミングで自分に刃を向けることは無い……そう考えていたのだろう。
合理的に考えて、あり得ない選択。そんな理外の行動だったが故に、明智光秀は織田信長を討てたんじゃないだろうか。事前に準備したり、同僚に根回ししたりとかしていたら、それこそ織田信長に察知されて先手を打たれていただろう。
そうだ、あり得ないのだ。自分が皇帝になるとか、自分が大貴族になるとか、そういう目的の為ならこのタイミングでの謀反は論外だ。絶対にこの後生き残れない。ただ、だからこそ、皇帝の暗殺という目的においては最高のタイミングだった。
皇帝の暗殺を手段ではなく目的とするとは……異常だ。あまりに異常すぎる。頭がイカレてる。まぁ、貴族のやることではないと思うけどな。
……あぁまったく。本能寺の変になぞらえるなら、俺はここで討たれるべきなんだろう。それが自然な流れなのかもしれない。それを、最悪な方法でひっくり返すとか……もはや笑える。
「陛下」
声をかけてきたティモナの方を見ると、何かを用意していた。床の一部に細工をしていたよう……いや、元からあったギミックを有効にしただけか。
「罠か」
「はい。効果は大したことないですが……単純な落とし穴です」
脱出口だけでなく、そんなものまであるとは。なるほど、宮廷の管理費が高くつくわけだ。
「いや、足止めには使えるんじゃないか。むしろ、何か罠がある……と相手が足を止めてくれるのが望ましいけどな」
ティモナの用意した罠の位置は、近すぎず遠すぎず、いい位置だ。たぶん敵の攻撃はこちらに届かず、こちらの攻撃は確実に届く。
「それよりも、陛下」
「あぁ、分かっている。魔力枯渇だ……もうすぐ来るんだろう」
謁見の間の外にいる密偵の役割は単純だ。気配を消して、やってくる敵を素通りさせる。そして敵が全員入ったら、内からドアを開けられないよう、外で封鎖する。だから俺の暗殺を企む襲撃者は、まっすぐに俺の首を狙いにこの部屋へ来る。
「ティモナが前衛、俺が後衛だ。投擲物は全部弾いてくれよ」
「全力を尽くします。最悪は身体で止めるので、可能な限り、私の陰から出ないでください」
だから俺たちはそれを迎え撃つ。報告からして、明らかに手練ればかりを集めた……近衛でも止められないような相手を。
「あぁ、頼りにしてるよ」
いつからか分からない。だが俺にとって、ティモナはもはや相棒であり、半身のような存在になってしまった。最初はそんな存在、作るつもりなかったんだけどな。
「……この感覚、やはり封魔結界が再展開されるか」
まぁ予想通りだ、問題ない。その状態で戦うことになる覚悟は最初からしていた。
玉座に座り、襲撃者を待つ。ティモナは少し緊張しているようだ。
「落ち着け。大丈夫だ」
「陛下が落ち着きすぎているだけです」
まぁ、こればっかりは自信の差か。
「……すまないな、巻き込んで」
もちろん、宮廷の外に逃げることも考えた。だがもし逃げれば、目標を失った連中がその矛先をどこに向けるか分からなかった。明らかに、宮廷内に内通者がいるこの現状、こちらの動きは敵に筒抜けだろうし。
それに、皇王や王太子を見捨てて自分だけ逃げたとなれば、皇帝の名声は地に落ちる。それは皇帝として死んだも同然となってしまう。
俺は皇帝だからな……我儘に貪欲に。何一つ失わずに、全てを守る。それが例え、最悪な方法でも。
「来るぞ」
***
謁見の間の扉が、勢いよく開け放たれる。何やら急ぐように、焦っているかのように、返り血に塗れた傭兵らしき集団は謁見の間へと雪崩を打つように流れ込んできた。その数、おおよそ三十名。その誰も彼もが明らかに手練れ……それも、対人経験が豊富そうな連中だ。よくもまぁ、これだけの人数を集めたものだ。
だが彼らも、玉座に目的の男が座っているのを見るや否や、その足を緩める。
一瞬、彼らが開け放った扉越しに死体が見えた。近衛が、最後まで抵抗してくれたのだ。彼らの時間稼ぎのお陰で、本来手練れのはずの男たちは焦っていた。この時間稼ぎで皇帝は逃げてしまったのではないかと。正常な判断ができないまま、彼らはこの部屋に飛び込んできた。部屋の外に抑えの人間を残すことなく、全員で。
お陰で俺は、この先の戦いを優位に進められる。だが……その代償が人の命というのは、あまりに高すぎる。
これも、俺が背負うべきものだ。皇帝カーマインの罪だ。
「逃げ遅れですかァそれとも諦めですかァ? 皇帝陛下ァ」
ドズラン侯アンセルム・ル・ヴァン=ドズランは、傭兵たちの中列、中心にいた。全く、これで調子に乗って最前列まで出てくるような男なら、少しは可愛げが……いや、その場合はこんな状況を作り出せていないか。
「どうした、焦り過ぎだぞ。ドズラン侯よ」
さて、この状況でドズラン侯は何を考えるか。俺が完全に諦めたと思うだろうか……いや、ないな。そこまで楽な相手じゃない。だが自分の勝利は確信してそうだ。
「いやァ、先に命断たれてはかないませんからなァ。その死にざま、しっかりと見せていただかねばァ」
長い長い謁見の間。それをゆっくりと歩き、彼らは玉座までの距離を詰めてくる。
「そんなに余の死に顔が見たかったのか? そんなことのためにわざわざ余の前に出張って来るとは」
勝ちは確信しているが、皇帝がただでやられるとも思っていない……そんな感じか。道ずれ、反撃を警戒している。距離をさっさと詰めることもなく、じわじわと近づいてくる。
「当然ン! そのために全てを賭けたのですからァ!」
……やっぱり、ドズラン侯は理解しているのだ。こんな反乱を起こしたら、皇帝の首を獲っても自分が敗れるであろうことを。家も未来もベットして、一瞬に全賭けしたのだ。全くもって、まともじゃない。
だが、この男。この場の違和感に気付いている。帝冠と玉座……彼が欲した栄光が目と鼻の先にあるのに、その歩みはどこか重苦しさすらある。
それでも、彼はその歩みを止めることができないのだろう。目の前にある皇帝の首という甘露を前に、逃げるという選択肢を選べない。
「そうかい。それは良かった」
何というか、今まで見てきたこの男は掴みどころがなかった。面の皮が厚いのはもちろん、余裕があるというか、どっしりと構えていた。
「終わりです、陛下」
それが今のこの男には無い。罠と……伏兵を警戒している? この感じ、ティモナが用意した罠にも気づいてそうだが、それ以外にも何かあるかと警戒している。
「陛下ともあろう方が、油断しましたなァ」
それはまるで、俺が油断していると、そういうことにしたいかのような。自分をそう納得させたくて、たまらないかのような。
俺の思いもよらないタイミングで謀反を起こし、俺をここまで追い詰めた。異常な、理外の一手だった。だから、もう少し油断してくれても……。
「陛下、罠に気付かれました」
俺は目の前の背中を眺める。あぁ、そうか。敵は手練れが三十人近く。対するこっちはたったの二人。
この場において普通じゃないのは俺の方か。
この状況を作れたドズラン侯は異常だ。だが、この場でより異常なのは俺の方だな。
「認めよう、余は油断した」
敵は何人か飛び道具を持っていそうだ。だが弓や銃は無さそう。つまり、射程は短い。
「お前の謀反は余には全く予想できなかった。普通の皇帝相手なら、お前は間違いなくその首を落とせていただろう」
それにこの距離なら、投げナイフの一、二本くらいならティモナが迎撃できる。長刀を構える彼は既に戦闘態勢に入り、集中している。
ほんと、いろんな意味で頼りになる。だってティモナは、宮中伯か感づいたタイミングか、あるいはそれより前に、俺が何をしようとしているのかを察知していたのだから。
彼が持ってきた武器は長刀。脱出通路から逃げるなら明らかに邪魔なチョイスだ。
一方で、敵は罠に警戒してか、歩みが慎重になっている。
「しかし良かった。お前も油断してくれて」
この部屋に入ってからは、ドズラン侯は油断していない。むしろ過剰なくらいに警戒している。
彼が油断したのはこの部屋に入る瞬間。焦燥感と期待感で思考がいっぱいになったのだろう。だからこの部屋に、足を踏み入れてしまった。
「……何をォ」
「お前の誤算は三つある」
「一つは、余が封魔結界の中でも魔法が使えるということ」
俺がそう言っても、ドズラン侯の表情は変わらない。これについては、どうやら予想済みらしい。随分と余裕そうな顔だ。まぁ、だからわざわざ魔力枯渇を狙って引き起こさせたのだろう。傭兵たち、全員得物を持っているし。
「もう一つ、余はヴェラ=シルヴィと違い、体内の魔力を放出して使う。だから空気中の魔力量は関係ない」
これは流石に想定外だったのか、ドズラン侯は大きく目を開いた。まぁ、これ出来る奴、そうはいないだろうしな。
結果的に、ヴェラ=シルヴィを俺の魔法の師と吹聴した上で、特に制限なく自由に魔法を使わせたことが良い方に働いた。彼女の場合、封魔結界内でも魔法は使えるが、それは『固定化された魔力』を無理やり動かすという荒業だ。
だから魔力枯渇の影響はちゃんと受ける。敵はそれを想定しての動きなのだろうが、まぁ裏目に出たな。
俺は魔法が使えるが、相手は使えないという状況になってしまった。
「だがその二つは、もう一つの誤算に比べれば可愛いものだろう」
敵の最前列が、ちょうど罠を踏む直前で止まる。そして最後列……もう少し前に詰めてくれると都合がいいのになぁ、まぁ流石に無理か。
……これだけ話しても止まるか。となると、これ以上は時間を稼いでも距離を詰めて来なさそうだ。
なら、引きつけるのはここまででいいか。
……見せよう。皇帝を追い込んだことに対して、敬意をこめて。俺の、本当の切り札を。
死ぬまで死蔵するつもりだった……これを使うからには、一人も生かしては帰せない……そんな、まさに必殺の切り札を。
俺は体内の魔力を一気に放出。押し寄せる脱力感に負けないよう、膝に力を入れて魔法を発動させる。
「最後に、そもそも……俺は生まれてから一度も、全力で戦かったことは無い」
俺はロコートとの戦争で実用性のない溜めの長い高威力な魔法を使った。だからこの男は、あれが皇帝の全力だと錯覚したのだろう、無理もない。だからこの男は、その力量を上回るだけの人間を集めてきた。
……気付いていたのは宮中伯ぐらいだろう。だからあの男は、俺が帝都に戻ってきた際、戦場で魔法を使ったことを聞いているだろうに何も言わなかったのだ。それが本当の切り札ではないと気が付いていたから。
すまんな、ドズラン侯。俺は普通の皇帝じゃない。
魔力を熱エネルギーへ変換。圧縮。属性付与。それを二百回同時に展開する。
「【炎の光線・二百基点・継続乱射】」
悪いが、こんな手を使ってでも、俺は死ぬ訳にはいかないんでね。




