11 地に墜ちた竜は、決して飛び立てない(※非主人公視点)
――新暦四七〇年九月九日。アルフレッド・ル・ヴォデッド。
ドラグーンの討伐へと向かう彼の元に、一人の男が血相を変えて詰め寄ってくる。
「おい密偵長、どうなっている! 陛下は逃げるんじゃねぇのか!?」
近衛長のバルタザールが、己の愛槍を握り締め、密偵長を激しく問い詰める。
彼はつい先ほど、ロザリアの言葉により自分が勘違いしていたことを……いや、正確にはカーマインに勘違いさせられていたことに気が付いたのである。
「貴方は気にしなくていい」
そんなバルタザールの剣幕に、アルフレッドは強い怒りを感じた。
……だがその怒りが八つ当たりに近いものであることは理解していた。
この状況を作ってしまったことに、皇帝に最終手段を取らせてしまうのであろうことに……つまり自身のあまりの失態に、自分への怒りと失望で、彼の心は埋め尽くされていた。
「そうはいかねぇだろ! なんでこんなことを許した!!」
バルタザールは尚も食下がる。近衛の隊長に任じられてから、そして近衛長となってからはさらに、強い責任感を持ってその職務を全うしていた。
皇帝が逃げると言ったからその邪魔にならないよう竜殺しを引き受けたのだ。だが実際は、カーマインが「囮」になろうとしているという。となれば、彼が何をしようとしているかくらいはバルタザールにも予想がつく。だからこそ、それが危険すぎると反発しているのだ。
もしカーマインの身に何かあれば、バルタザールは生涯、自分のことを許せないだろう。
「……真面目に働いて結構。だからこそ、貴方を側から離すためにああいう物言いをしたのだ」
そう近衛長に言い放つ密偵長。それはいつも通り、淡々な口調には違いなかった。
だが、その身から殺気が漏れていることに気づいたバルタザールは、驚きのあまり追及の手を緩める。
あのヴォデッド宮中伯が、感情の制御すらままならないのだから。バルタザールが驚くのも無理はない。
「なら、だったら尚更、なんでこんなことを!? 陛下の身に何かあったら!」
バルタザールはアルフレッドが、本当はカーマインの行動に納得していないことを感じ取り、ならばなぜだと再び詰め寄る。
「私もあなたも選ばれなかった。我々を殺すわけにはいかないと判断なされた。それだけだ」
だがバルタザールとの違いは、アルフレッドは皇帝の言う「最善手」が何か……彼が何をしようとしているのか、それを理解していた。
実際、それが上手くいけば最も損害が少なく、そして主要な護衛対象は誰一人として死なずに済むだろう。一方、密偵が宮廷外に皇帝を脱出させた場合、宮中の要人の誰かが代わりに襲われ、命を落とす可能性が高い。
故に、もはやこの期に及んでは仕方がないと、この状況を作ってしまった自分の落ち度だとして、アルフレッドはカーマインを強くは止めなかったのだ。
「陛下の身に何かあれば? その時は後を追えばよろしい」
お前にその気があるのならだが、とアルフレッドはバルタザールに言い放つ。だがアルフレッドにとっては、それこそカーマインが生まれた時からできていることだった。
「それと私から言わせてもらうなら、陛下の真意を汲み取れなかった貴方が悪い」
これも八つ当たりのようなものだった。そもそも、密偵長と近衛長ではその付き合いの長さが違う。密偵長はこれまで、皇帝カーマインの行動に手を焼かされ続けてきたのだから……こういう時、カーマインが何をするのか、すぐに察知できるのも当たり前である。
「陛下は慎重な方だ。話した時も冷静だった。だから臣下として陛下を信じ、あの竜を殺すという命を……」
「これは予想外ですね……てっきり皇帝の盾になるかと思ったのに。竜退治ですか」
そんな二人の背中に、突如声がかけられた。驚き、二人は背後を振り返る。
特にバルタザールは二度驚いた。一度目は気配に全く感じられなかったことに、そして二度目は、あの宮中伯すらその気配を感じ取れなかったことに。
そこには、先ほどまでいなかったはずの男が立っていた。アルフレッドはその男を強く警戒する。自分が気配に気づけず背後を取られる相手……いくら冷静でなかったとはいえ、これは本来あり得ないことである。
「何者だ!」
近衛長の声に、男はダンスでも申し込むかのような仕草で挨拶をした。
「名は名乗りませんが……最後の守り人、貴方の足止めが仕事です。もっとも、すでに予想から外れているのが残念ですが」
「貴方は行ってください、近衛長」
長年培ってきた密偵としての勘が、この男が危険であるとアルフレッドに伝えている。それは言うなれば、火薬を抱えたまま松明を握っているような相手……二人で戦えば、間違いなく良くない類の相手だ。
「ドラゴンは誰が倒すんだ!?」
バルタザールがそう反論する。確かに最初の作戦では、アルフレッドがドラゴンを仕留めるはずだった。それでもこの場合、アルフレッドがこの場に残り、バルタザールがドラグーンとドラゴンを倒す……これがもはや最適解であるのは間違いない。
「相手は私を足止めするために用意された存在です」
その一言で、バルタザールもアルフレッドの言う通りにする他、道はないと感じた。何より、あのドラゴンとドラグーンを殺さなければ被害が出続けるであろうことも事実だった。
「ドラゴンの対処法は?」
「ことわざ通りなら」
アルフレッドはバルタザールの言葉に頷く。
「結構。念のため、そちらには貴方の知り合いも援軍に向かわせています……早く行ってください」
「……分かった」
バルタザールは納得し、この場から離れていく。
「随分と話が早いですね」
アルフレッドは目の前の男をじっと観察する。臨戦態勢のまま、だが同時に彼は、別のことを考えていた。
「何やら考え事ですか」
その言葉に合わせ、アルフレッドは目の前の男に訊ねる。
「私は、お前に以前会ったことがあるか」
それは、普通に考えれば突拍子の無い質問だ。なぜなら、アルフレッドには心当たりがないからだ。
だが、ずっとアルフレッドの中で、何かが訴えかけてきている気がするのだ。自分は何かを忘れているような……いや、最初から何かを見落としているような、そんな強烈な違和感。
「さて、どうだろうね」
アルフレッドは、目の前の男が口を割るような類ではないと理解した。
「……なら、もういい。貴方を殺し、その血肉で以て真実を見せてもらおう」
「ふっ……ふふふ。できるものなら」
***
――新暦四七〇年九月九日。バルタザール・ド・シュヴィヤール。
愛槍を抱え、ドラゴンの近くにまで接近した近衛長。彼の目の前では、ドラゴンが上空で宙に浮き、近づいてくる近衛をブレスで薙ぎ払っていく。
それを宮殿の屋根の下から隠れるようにして眺める、二人の存在に近衛長は気が付いた。
「何を……」
何をしているのか、そう言いかけて近衛長は思わず言い淀んだ。それくらい、二人の間の空気感は一触即発とも言えそうな……襲撃者やドラゴンをそっちのけで殺し合いを始めそうな、そんな雰囲気だった。
「ヴァレンリール殿。ここで何を」
一人は皇帝カーマインに雇われた変人研究者。彼女は不法侵入等で何度も近衛が捕まえており、その度に近衛長としてバルタザールが説教する羽目になっていた為、苦手としていた。……バルタザールが、ヴァレンリールを、である。
「うるさくて研究の支障になるんで、あの大蜥蜴をコレで引き摺り下ろそうと思ってきました……そしたら最悪のと鉢合わせまして、帰ろうかと思っていたところです」
バルタザールは、ここで初めて気が付く。過去に自分が説教した時のヴァレンリールは全く効いておらず反省もなく、むしろ上機嫌なくらいだったことに。
納得がいかないと思いつつ、バルタザールはヴァレンリールに訊ねる。
「それは?」
不機嫌なヴァレンリールがコレと形容した物。彼女が肩に担いでいたのは、先端に人の手を模した五本指が付いた、不思議な色をしたロープだった。
「これはマジックハンドのついたロープです。先端の指で物を掴んで、絶対に離さない……魔道具です。どうすればこれがあの蜥蜴まで届くか考えていました」
「届いたところで、掴めるんですか」
バルタザールの素朴な疑問に、ヴァレンリールが答える。
「さぁ? でもこの縄は絶対に千切れないらしいですから、力があれば引っ張れるのではないですかねぇ」
なるほど、とバルタザールは思った。これは上手くすれば、ドラゴン退治に利用できるかもしれない。
「そちらは? ……司聖堂大導者、様?」
バルタザールは、今度は老エルフの方に訊ねる。それに対し、ダニエル・ド・ピエルスはシンプルに答えた。
「自衛です。魔力が無くなれば邪魔になりますが」
つまり、シンプルに自分の身の安全のためにドラゴン討伐に来たとのことだった。ただし、空中の魔力が残っている間でしか役に立たないらしい。
「なるほど」
バルタザールには、二人の実力も何もかも分からなかった。だが彼の考えはただ一つ。さっさとあのドラゴンを倒すことが、自身の主からの命令である。ならば余計な考えをする暇はない。
「ヴァレンリール殿、その魔道具の扱いは長けているか」
流れるように、バルタザールは作戦会議へと移る。
「普段から使っていますよぉ」
実際、ヴァレンリールは自身の散らかった研究室で、遠方の物を手元に手繰り寄せる際に、日常的に使っていた。
「問題は届くかどうか……」
「確実に届きますよ」
ヴァレンリールは黙っていたが、このロープ、実は多少伸びたり縮んだりするのである。
そう、これは魔道具ではなく、正確にはオーパーツであった。ヴァレンリールが便利だからと私用で使っている、未報告のオーパーツである。
「強度は?」
「ロープの方は問題ないです。でもアーム部分は握力が無いですねぇ」
それを聞いたバルタザールは、すぐにこの道具の有効な利用法を思いつく。如何にも戦闘向きではなさそうなヴァレンリールに任せるより、自分が使った方が良いと判断した。
自分の中で決断を下したバルタザールは、さっそくこのロープを自身の槍に巻き付け、きつく結ぶ。
元々、ただ当てるだけでも、ドラゴンの高度はかなり下げられる自信はあった。それでも地上に完全に落とせなかったときは、このロープで引っ張れば多少は高度が落ちるだろうと思った。
「それを引っ張って引きずり下ろすのだな?」
バルタザールが声の方を見ると、そこには彼にとって懐かしく、そして驚きの顔があった。
「元帥閣下!?」
「元、である」
男の名前はジュストー・ド・ゼーフェ。かつて帝国元帥でありながら、皇帝とラウル公領の争いを「帝国内の戦争」だとして、皇帝の要請を拒否し隠居していた男であった。
「なぜここに!」
「あの密偵長に呼ばれたのだが……いないのか」
バルタザールはなるほど、と理解した。密偵長が言っていた知り合いとは、正しく彼のことだ。
「貴方がいれば百人力です。後ろの方々も……」
ジュストー・ド・ゼーフェの後ろに控えるのは、彼の指揮下で戦ってきた、歴戦の猛者たちであった。
帝国国内の内乱では交戦を拒否した彼ら……しかしドラグーンという、明確に国外の敵が相手であれば話は別であった。
「うむ、竜退治は心躍るのである」
こうして、その場に集まったメンバーで竜退治の簡単な作戦が決まった。
その内容はシンプルだった。バルタザールが槍を投擲し、戦士たちが突き刺さった槍に括られたロープを引っ張り、地上にドラゴンが落ちたら全員で袋叩きにする。そして魔力が残っている限り、ダニエル・ド・ピエルスが魔法で援護する。
「それはいいですけどぉ、あんな高さで動いてる標的に、投げ槍が当たりますぅ?」
そして戦闘員とすら見なされず、オーパーツと提供しただけで終わったヴァレンリールは、当然の疑問を口にした。
それに答えたのは、彼と戦場を共にしたこともある、ジュストー・ド・ゼーフェであった。
「問題なかろう。かつて従士だった頃、彼の投げ槍は必中であった」
というより、投げ槍に限らず、従士だった頃の彼は、槍の扱いに関しては部隊の中でも一番だった。
そもそも彼は、当時腐敗していた近衛において、その実力だけ抜擢された数少ない人間である。長いことやる気がなかっただけで、戦闘技術自体は十二分にあるのだ。
「何より、あのドラグーンは未熟であるな。攻撃はリトルドラゴンに任せきり。自分は何かを探すように地上を見渡しているが、警戒している訳ではない。ここが戦場であるという自覚すらないと見える」
男の見解は正しかった。実のところ、彼は元々ただの冒険者に過ぎない。北方大陸で魔物を狩り素材を採集する彼らは、対人戦闘についてはほとんど経験がなかった。
……何より、このドラグーンは敵を舐めてかかっていた。所詮、地上を歩くだけの人間に空の覇者たる竜種は倒せない……それどころか攻撃すら届かないだろうと。
「はぁ」
一方、初対面の人間に語られたヴァレンリールは、興味無さそうに相づちをうつ。
ヴァレンリールにとって、研究分野以外の事は基本的に関心が薄い。彼女はただ早く終わってくれと眺めていた。
そんな二人の様子も、バルタザールには途中からは入ってきていなかった。敵の注意がこちらに向いていないことを確認した彼は、静かに宮殿の陰から出る。
ドラゴンもドラグーンもまだ彼に気づかず……地上の何かを探している。
そんな中、攻撃が届く高度であると判断したバルタザールは、覚悟を決めた。もう空気中の魔力が枯渇しつつある。一撃で墜とさなければ、二度とチャンスはないだろう……バルタザールは槍の穂先に、全力で魔力を込めた。
マスケットや大砲の登場により、遠距離での攻撃に投げ槍はほとんど使われなくなった。人相手には威力が強すぎるが、しかし城門を破れるわけではない。連射もできず、熟練の練度に至るまで時間を要する……そんな投げ槍は、ほとんどの軍隊から姿を消した。
逆に言えば、魔法によって威力を補助し、連射の必要もなく、そして十分な練度があれば……それはこの時代においても、十二分に通用する一撃となる。
バルタザールは、ゆっくりと呼吸を整えると、その全身全霊を以て集中する。それから僅かに助走をした後、短いステップを踏み、そして無駄なく、全ての力を槍に伝える。
その一連の動作はあまりに素早く、自然で……何より静かだった。ずっと見ていなければ、いつ投擲したのかも分からないほど、静かな攻撃。気づけば彼の手から槍が消えていた……そう錯覚するほどの美しい投擲だった。
そんな一瞬の静寂を破ったのは、リトルドラゴンの苦しそうな悲鳴だった。
槍が目標に突き刺さった瞬間、バルタザールは穂先に仕込んでいた魔法を発動させる。
「【氷礫】」
氷の礫が、ドラゴンの体内に深々と突き刺さる。それは同時に、槍が抜けづらい「返し」の役割にもなっていた。
「っしゃあ! 引っ張れ!!」
ジュストー・ド・ゼーフェ配下の男たちが、歓声と共にそう叫んだ。
ドラゴンは空の王者である。しかし同時に、この東方大陸では人の手によって狩りつくされた存在でもある。
そんな竜について、東方大陸に残ることわざが一つ。これは取り返しのつかないこと、手遅れなことを表すことわざである。
「地に墜ちた竜は、決して飛び立てない」
彼らはそのことわざを体現するかの如く、一斉に襲い掛かるのだった。




