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8 運命の日



――新暦四七〇年九月九日。

 その日は、自分の寝室で目を覚ました。というか、普段は決まった時間まで決して起こさないティモナが、珍しく時間前に無理やり起こしに来た。

 身体を起こすと、ティモナから「ロザリア様が面会を希望しております」との報告があった。


 俺は最初、良い知らせかと思った。しかしティモナの行動が引っ掛かった。こういう時は大抵、良くない知らせを伝えに来る時だからだ。

 だから俺は、半々くらいの想定でロザリアの面会を受けた。



 そして部屋に入ってきたロザリアの表情は困惑そのもので、俺は自分の予想が外れていたことを悟った。そしてその空間では、俺もロザリアも、そしてティモナですら困惑していたのだ。

「何があった」

「それが……今朝、このようなものが私の部屋の、窓の淵に」

 そう言って見せられたのは……青い布の輪っか? そこに黒い文字が何か書かれていて、正直よく見えない。

「おそらく、長髪を束ねる布です」

 ……あぁ、これシュシュか。

「これで花を束ね、私の部屋の外に……」

「それで、なんて書いてある?」

 まぁ、ロザリアが俺に知らせに来たってことは、悪戯ではなさそうってことなんだろう。


「それが……『本日、警戒せよ』とだけ」

 ……どこで、何をだ。全く情報が足りない……からこそ、確かに悪戯にしては妙だ。

「その、悪戯や策略も疑ったのですが、妙な胸騒ぎがして」

「いや、見逃さずに何もなかったより、見逃して何かあった方が怖い。知らせてくれてありがとう」

 それにしても、俺の部屋にロザリアが来るの、本当に珍しいな。


 ちなみにティモナも、シュシュの文字をジッと見つめながら何かを考えている。だがその場で密偵などを呼び出さない辺り、判断を迷っているようだ。 

「別に何もなくても余の部屋に来ても良いのだぞ。妻なのだから」

 ロザリアは意外なことに、普段は全く寄り付かない。仕事の邪魔をしないようにと気を使ってくれているのだろうか……逆に、ナディーヌは定期的に顔を出すんだけどね。

「ふふ、では今度、ナディーヌと来ますわ」



 ……だがそんな朝一のやり取りも、俺はすっかり頭の片隅に追いやってしまっていた。俺はきっと、浮かれていた……油断していたのだ。


 それを思い出したのは、執務室で書類の決裁を行っていた時だ。そして同時に、俺はかつてレイジー・クロームに襲撃された時を思い出した。

「これは……」

 この感覚は間違いない。魔法を使えなくする『封魔結界』が解除されている。


 俺がティモナにそのことを言おうとすると、その場に爆音が鳴り響いた。部屋の窓がビリビリと震える。一瞬、落雷が宮殿に直撃したかと思った。

 だが、外は晴れている……何が起こった? 砲撃でも受けているのか?



 その時、ドアがノックもなしに勢いよく開け放たれた。

 俺はすぐに、何か尋常ならざることが起きているのだと察した。なぜならあの、基本無表情で淡々としている宮中伯が、勢いよく部屋に飛び込んできたのだから。

「何があった!」

「宮廷の城門が破られました。敵の襲撃です!」


 ……暗殺か? いや、それなら俺の寝込みを襲う。襲撃……クーデターか?

 今朝、ロザリアが知らせてくれた布のアレは、罠では無く本当に警告だったらしい。


「皇王か? 黄金羊か?」

 とはいえ、この宮廷で問題を起こそうとするのは……そして起こせるのはこの二勢力しかいないだろう。

 元皇王の一行は元から宮廷内にいるし、その誰かが暴走して挙兵に走ったか。あるいは何を考えているかは分からないが、何をしたって可笑しくはない黄金羊商会の犯行か。


 だが、俺の耳に飛び込んできたのは、そういった予想を吹き飛ばすものだった。

「どちらでもありませんっ! 恐らく敵は、ドズラン侯!」



「……は?」

 いやいや、何言ってんだ。ドズラン侯は確かに信用できない警戒すべき相手だが、このタイミングで宮廷を襲撃して何の意味がある?

「ドズラン侯、謀反です」

「本当にドズランなのか?」

 こんなタイミングで俺を殺したところで、ワルン公やチャムノ伯に滅ぼされて終わるだろ。


 普通に考えてあり得ない。そもそも前線で不穏な動きが無かったということは、軍勢はほとんどアプラーダ王国との前線にそのまま置いているということ。ならば現在ドズラン侯領はガラ空きだし、ここまで軍勢の移動を察知できなかったなら帝都にいるドズラン兵は必然的にごく少数ということ。

 そんな兵力では仮に宮廷を制圧できても、帝都の完全制圧は不可能だ。そしてその間に、ワルン公などの諸侯に素早く領地を制圧される。


 仮に、俺を殺せたところで、どう考えてもその先に未来はない。完全に自殺行為だ。正気の沙汰じゃない。

「間違いありません。襲撃者の中にドズラン侯が見えました。陛下、すぐにお逃げください」

「陛下!」

 続いて飛び込んできたのはバルタザール。彼は必死の形相で叫んだ。

「上空にドラゴンっ! おそらく敵のドラグーンです! その攻撃で、迎撃に出た近衛は壊滅。地上の襲撃者は貴族殿からこちらに向かって進んできています!!」



 ドラグーン……北方大陸の竜騎士だと!? 何の前触れもなく、何の脈絡もなく、こんな突然に……。


 ……いや、逆か。だから密偵も捕捉できなかった。だから俺も予想できなかった。だから侵入を許すまでに止められなかった。

 帝国の支配者になる、あるいは独立を目指すつもりなら、これは下策中の下策。

 だが、皇帝を殺すことそのものが目的ならば……確かにこれは効果的だ。現に俺は、命の危機に陥っている。


 ……あぁ、そうか。なるほど……俺は今、死にかけているのか。

 敵は本当に、本気で、そして全力で俺を殺しに来ているのか。



「陛下、お気を確かに。逃げましょう」

 ティモナが俺の腕を引き、行動を促す。分かっている……もはや余計な考えはいい。理由も経緯も誰がどこまで敵に関わっているのかも。不要な情報は全て後回しでいい。


 ……死にたくない。いつも通りそう思った。だから自然と頭が回った。皇帝として生き残るために、俺は必死に最善手を導き出す。



――敵の狙いは本当に俺か? あるいは妃か皇王か使節か。しかし殺すだけならドズラン侯が襲撃者の中にいる必要はない。でも確認されたということは、つまり命を捨てる覚悟で、それに見合う何かを最前列で見たがっている。であれば、皇帝()の死か。狙いはこの首で確定。


――上空のドラゴンの攻撃。これはブレスか。言い方からしてワイバーンではなくリトルドラゴンの方。外から聞こえる音からして相手はドラグーン一騎。宮殿の外壁は魔法に強い素材でできているからブレスには耐えられる。ただし、耐えられるのはブレスのみ。つまり、最優先で討つ必要がある。


――逃亡した場合狙いが変わる可能性は、十二分にある。ここは大宮殿西側。皇王は東側、皇妃たちも使節団の所在もこちら側。敵は南から侵入……無理やり動かして混乱するくらいならその場で籠城すべきか。重要なのは囮の動きだな。


――封魔結界が解除されてからのドラゴンブレスの連発。比例した空中魔力量の減少。その狙いは一つだけ。だが封魔結界の管理は宮廷にとって死活問題だ。そんな最重要機密の場所が敵に握られてるなら、宮廷内部に内通者は複数いる。警戒するに越したことは無い。


――敵は本気、この場で全てを決めきるつもり。ならば近衛で止められるかは怪しい。皇王一行とロコートの交渉団が殺されたら、俺が生き残っても皇帝としては終わり。ならば護衛を重視した方が効率的。


――そして……何より俺の、()()()()()()。これは、確実にバレてない。


「陛下! しっかりなさって下さい」

 俺の採れる最善手は決まった。あとは、時間との勝負か。



「今から言う質問に答えろ。バリー、宮中伯。お前たちはあのドラゴンを倒せるか」

「こ、攻撃は当てられます、一度なら。ですが倒し切れるかは」

「一人では厳しいですが、高度を落とせれば。ですが今は……」

 バルタザールの一撃は高度があっても当てられそう。高度が下がれば宮中伯の攻撃が有効。他にも有効打を与えられそうな人間を選ばせれば、いけるな。

「あの巨体が捨て身で、加速して突っ込んできたら、この宮殿は耐えられるのか?」

 敵は本気で殺しに来ている。カミカゼ特攻だってきっとやるだろう。今は俺の詳細な位置が分からないからやっていないだけだ。

「それは……なるほど。確かに、密偵ならそうします」

「あのドラゴンを殺す、これが最優先だ。お前たち二人と、他に有効な攻撃ができそうなのを連れていけ」

 それが最優先だ、可能な限り早く討たなければいけない。


「陛下は?」

「逃げる。一番近い謁見の間に非常用の逃げ口は?」

 過去にイレール・フェシュネールが使っていたような、宮廷外に繋がる隠し通路。俺はその存在を知らないが、ここは宮廷だ。そういう抜け道は無数にあるはず。

 俺は皇帝になった当初、皇帝の身分から逃げようとしていた。宮中伯ならそれに勘づくだろうし、逃亡を警戒して俺に秘密にしても可笑しくない。

「……ございます」

「信頼できる密偵数名に案内させろ。出口側の安全確保も必要だろう」

 やはり謁見の間か。皇帝専用の出入り口があるから、逃げ口を隠すには最適だろう。しかもこの辺は比較的新しい区画だし、管理もされているはず。俺も薄々、あるだろうなとは思っていたが、使わないと思って聞いてこなかった。


「バリー、近衛は三つの任務に分けろ。まず近衛の中で信用できる者を、亡命者たち、ロコート王国使節、ニュンバル侯の順で護衛につけろ。封魔結界を敵が握っている異常事態だ、絶対に信用できる者だけつかせろ。信用できない近衛は襲撃者の足止め。そしてどちらでもない者は、ドラゴンとの戦闘開始と同時に宮廷の城門の奪還に向かわせろ」

 こうしているうちに、空気中の魔力はどんどん消費されていく。まだ敵は近づいていないが、時間的余裕はない。

「余は逃げるのだから、皇帝の護衛は気にしなくていい。いいな? むしろ目立つから邪魔だ」

「はっ……しかし、陛下。お妃さまたちは」

 バルタザールがロザリアたちの護衛を気にする。あそこは侍女に護衛の心得があるが……念のために一言あった方が良いか。


「……バリー、ドラゴンの迎撃に行く前にロザリアにこう伝えろ。『敵の狙いは皇帝の首。だから余は逃げる。囮が必要だ』と。必ずお前の口からそう言え」

「そっ……いえ、承知しました」

 バルタザールは何かを言いかけるも、それを無理やり飲み込んで部屋から出ていく。そうだ、それでいい。

 一度に複数の命令を下してしまったが、正確に遂行して貰えることを祈るしかない。


「それと、宮中伯」

 この間に、宮中伯は侍女……に紛れていた密偵に命令を出していた。

「何か」

「もう数名、隠密に長け、信用できる者を余の方に付けてくれ。別の仕事を与えたい。ただし、場合によっては余が殺さなければいけなくなるかもしれない。本当に死んでは困る者は外せ。そして余が出てくるまで()()()()()()()()

 俺がそう告げると、宮中伯は一度何かを言いかけ、やはり彼もそれを飲み込み別の言葉を口にする。

「それは()()()()()ですか」

「これが最善手だ」

 宮中伯はいつものように止めたがっているが、今回は本当に議論する余裕がない。


「ティモナ、お前は余について来い。行くぞ」

 この議論は終わりだと、ティモナに声をかける。彼は俺の護衛として、武器を用意していたようだ。

「陛下は何か持っていかれますか」

 ティモナは剣を腰に差し、さらに柄の短い長刀も持っていくようだ。

「いや、『聖剣未満』だけでいい。ティモナも、飛び道具は持って行かなくていい」

 後は……帝冠か。皇帝の象徴である冠……邪魔にはなるだろうが、敵の手に渡る方がマズい。これも持っていくか。


 俺たちが準備を終えると宮中伯はただ一言、念を押すようにこう言った。

「陛下、貴方が死ねば全てがおしまいです。決して油断なさらぬよう」

「もうしない。出し惜しみは無しだ」

 こんな状況になったのは、俺の油断でもミスでもある。だが、宮中伯のミスでもある。彼は散々、俺の命に危険がないよう、リスクのある選択肢には反対してきた。

 だが今回の場合、もう何を選んだところで何かしらのリスクは背負うことになるだろう。


 だから俺は選ぶ、この取り返しのつかない選択を。

「では、後は頼んだ。ティモナ、行くぞ」

 全ては生き残るために、だ。


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― 新着の感想 ―
囮… 皇帝だと思わせられる囮を作れれば…俗に言う影武者だけど… もしくは魔法かなんかで囮を作るとかできれば…
[良い点] 最善手をうってきて完璧な対応しているカーマインたちの予想外からの攻撃 相手ながら素晴らしいね ちょっとワクワクドキドキが止まらんw
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