6 静かな闘争
ロコート王国との交渉はその後も続いた。ちなみに「仲介人」として話し合いに参加する皇国は、かなり酷い状況になっている。
皇王は元々政治に興味のない人間なので、早々に話し合いには参加しなくなった。まぁ、それが理由で傀儡として君臨してた訳だしな。
そして元ダロリオ侯アロイジウス・フォン・ユルゲンスは早々に講和を成立させ、帝国とロコート王国を友好的な状態にしようと真面目に動いている。
対して元皇太子ニコライ・エアハルトは、講和の成立を先延ばしにしようと画策している。しかも、ユルゲンスに対する猜疑心からか、かなり暴走気味だ。
そして俺はこれを放置している。なぜかというと、ロコート王国から見たこの男の心証が悪化すればするほど、後々のロコート王国と皇国の関係も、良好なものには成りにくいからだ。今は敵対していなくとも、彼らも皇国に戻れば仮想敵国だ。
ただまぁ、元々の器量が違い過ぎる。ニコライ・エアハルトの行動は完全に空回っている。ここで上手くやれるようなら失脚などしていないんだから当然だ。
ただ注目すべきは、ロコート王国の使節がニコライ・エアハルトの妨害を嫌がったということだろう。特にビリナ伯……彼は少しずつ態度に出始めている。
そして彼らは、一日の話し合いで何の成果もない……ということを露骨に避けている。必ず、何かしらの合意を取ったり、次に話し合うことを決めたりと、着実に講和成立に向けて進めているのだ。
その手管は優秀だった。だからこそ、意図も透ける。恐らく、彼らにはタイムリミットがある。それより前に講和を成立させたいのだろう。
そんな講和会議は、着実に前進しているとはいえ、そう簡単に話はまとまらない。そこには三者三様の思惑があるからな。
しかも全員が相手を探りながらだ。純粋に講和内容だけを話し合っている訳ではない以上、どうしても会議の進みは遅くなる。
だが帝国は、この会議においてそれなりに強気に出れている。なぜならベニマ王国・アプラーダ王国相手の戦争が、帝国優勢の状況だからだ。俺はそっちが先に降伏するならそれでもいいと思ってるからな。
つまり、帝国は急いでロコート王国との講和を結ぶ必要もない。これ以上ロコート王国と継戦しても、彼らの国境は堅牢過ぎて突破できないだろう。しかし、無理な攻勢を避け守備に徹すれば、問題なく時間は稼げる。
もちろん、結びたくないかと言われるとそれも違う。これ以上血を流さずに見返りが手に入るならそれが一番だからな。
ただまぁ、どうせ皇国相手の出兵はアプラーダ・ベニマとの戦争が片付いてからだし。あと「アインの語り部」経由で接触を始めた皇国周辺の諸国家からの返事も待っている状態。だから時間がかかろうが焦る必要はない。
講和してもしなくてもいい。その余裕が帝国の強みだ。
それもこれも、ベニマ王国とアプラーダ王国で、圧倒的優位な戦況だからだ。臣下が強くて楽できている。
対するロコート王国の使節団だが、恐らくアプラーダ王国の苦境……首都が陥落したことは伝わっているだろう。それでも平然としている彼らは流石としか言いようがない。
基本的に話し合いで矢面に立つのはビリナ伯。彼自身も、頭も回るし優秀だ。
しかし厄介なのはマリアナ・コンクレイユ。彼女が口を開くと場の空気が変わる。指摘も鋭い上に、発言が常に的を射ている。それなのに極たまにしか口を挟まないものだから、その発言に重みのようなものが生まれている。なんというか、彼女が口を開くとロコート王国のペースになるんだよなぁ。
あぁ、あとハロルド王子だが……彼は会議の場ではほぼ置物だ。常に笑顔を絶やさず、自分の妻であるマリアナ・コンクレイユを見ている。まぁ、夫婦仲が良好なのは良いことだが……何というか、調子が狂う。
そう、調子が狂うのだ。そのくせ、話を振ると半分くらいしか聞いてないし、妻に向かって「どう思う?」だ。自発性がない……が、余計な自我も出さない。本当に、妻であるマリアナ・コンクレイユを信頼して全てを任せているのだ。
それもまた、マリアナ・コンクレイユの発言に重みが出る理由となっている。一人、全肯定する人間がいる……それだけで説得力のようなものが生まれる。それも会議の場では俺に次いで権威ある立場の人間が、だ。
この全肯定とは、言葉にすれば簡単だが、実現するのは難しい。試しにニコライ・エアハルトを焚きつけて挑発してみたが、それでも一切表情が変わらずヘラヘラしている。
常にマリアナ・コンクレイユの半歩後ろで笑顔。そしてその立ち位置に誇りすら抱いていそうな、絶対的な、揺るぎない信頼感。本当に、全くブレないのだ。
正直、俺が今まで出会ったことの無いタイプだ。だからこそ、やりづらい。
この言い方が正しいか分からないが、ロコート王国の使節団である三人はバランスが取れているのだ。ビリナ伯が話し合いを進め、時折マリアナ・コンクレイユが鋭い指摘で場の空気を変え、ハロルド王子がそれを支える。
ゲームで例えるならタンクとアタッカーとバッファーのような安定感。
……これが帝国有利の会議で良かったよ。そうじゃないと、完全にペースを握られていたかもしれない。
それはさておき、現状で進んだ話をまとめようと思う。
まず、講和を呼び掛けてきたときにロコート王国側がチラつかせてきた条件。終戦と、前回の戦争で帝国から割譲された土地……彼らが王領ヘアドと呼ぶ土地の、皇帝への返還。これについては、そのまま合意する方針で話が進んでいる。
ロコート王国からすれば破格の譲歩だが、そもそもそれが無ければ俺はこの話し合いのテーブルに着かなかったかもしれない。それに、この条件があるからアプラーダやベニマより先に、ロコート王国と講和しても良いと思えるのだ。
だからこの条件は絶対条件だ。譲る気はないし、相手もそれは分かっている。
次に賠償金について。これについてはまぁ難航している。ロコート王国としては賠償金を支払いたくない。帝国としては分捕れるならもらっておきたい。この場合、譲歩するなら帝国側だが、その見返りが欲しいところ。
……まぁぶっちゃけ、借金まみれの帝国にとっては、賠償金が手に入ったところで借金の返済に消えてくだけだし。譲歩しても良いのは事実である。
あとは両国で一定年数の不戦条約を結ぶことが検討されたり、帝国が獲得した捕虜についての話があったり、皇王一行に関する文言を条約内に組み込むか……みたいな話が続いている。
総じて、少しずつ前進はしているが、ゆっくりとしか進んでいない。
こうして「表」の交渉が行われるのと同時進行で、「裏」での話し合いも行われている。
こういう時、普通は社交の場を用意してパーティーで……となるのだが。今回はロコート王国側が「まだ外交上は交戦国」であるからと断った。その代わり、マリアナ・コンクレイユはロザリアたちとお茶したり、お忍びで帝都の市街地を見学したり……と、びっくりするくらいの余裕を見せつけていた。
まぁ、意図は分かる。余裕がないからこそ、余裕があるように見せるのだ。俺だってそうする。
ただ、それに我慢できなかった男がいる。元ダロリオ侯アロイジウス・フォン・ユルゲンスだ。シャルル・ド・アキカールの時もそうだが、ちょっと焦り過ぎである。
そんな彼に協力を請われた俺は、話し合いの末それを了承した。まぁ、やっぱり条約結ぶの止めたいなって思った時は、元皇太子っていう飛び道具を使えばいいからな。
ちなみに現状、彼は良い感じにユルゲンスの足を引っ張っている。というか、彼の妨害のせいで「表」の交渉では自分の要求を押し通せないから俺を頼りにきたとも言える。
マッチポンプ? そうですが何か。
そんなユルゲンスのお願いとは、一言で言えば帝国側の要求に自分たちの要求も加えてくれ、だ。普通に仲介してたら要求を通せないという判断らしい。
内容は簡単。ロコート王国は、「今後五年間、帝国軍の『軍事通行権』を認める」ことと「ヘルムート二世を皇国の正統な皇王と認める」ことの二点だ。
前者は帝国と皇王一行が皇国へ出兵する際にロコート王国領内を通過できるように。まぁ、本当はロコート王国通らなくても、ゴディニョン王国さえ経由で切れば皇国へ攻め込めるんだけど……帝国とゴディニョン王国の国境、山岳だから大軍の移動は厳しいんだよね。
ちなみに最初、「帝国軍と皇王の軍」って文言だったんだけど、「皇王の軍の法的根拠は? それ禁軍じゃない? 場合によっては皇国の現政権に利用されない?」と突っ込んで撤回させた。俺の一勝だな。
後者はもっと単純で、微妙な立場である皇王の権威を補強する文言だ。まぁ、これが認められないとそもそも今回の仲介人としての意味すら怪しくなるからな。こっちは認めてもいいでしょう。
***
そんなことがあった日の午後。俺はビリナ伯と二人で歓談していた。
「……なるほど、そのような話が」
「あぁ」
はい。ユルゲンスとの「裏」で成立した約束をすぐに話しましたが何か。
だって別に、口止めとかされてないし。何より俺の交渉相手は「ロコート王国」だ。皇国から亡命してきている一行は、俺に利用されるべきものであって、対等な交渉相手じゃない。
「恐らくこの動き、彼らは仲介の見返りに別の何かを狙っている」
「えぇ、私もそう思います」
これは忠告兼、対策の要求だ。あんまりユルゲンスに良いように動かれても困るからな。だが俺から牽制すると彼との関係が悪化しかねない。この場合の最適解はユルゲンスとロコート側に牽制させあって、帝国が会議のペースを握る、だ。
「彼らは仲介役に過ぎない。あまり口出しされても困るのだ」
あくまで帝国とロコート王国の講和交渉だという共通認識の再確認である。これでもしユルゲンスが出しゃばり過ぎれば、ロコート王国がそれを咎めるだろう。それくらいの警戒心は植え付けられたはず。
まぁ、場合によっては口出しさせるようにこっちは元皇太子という飛び道具をキープしてるけど。
「さて、それはさておき……せっかくこのような機会を得られたのだ。もう一つ、良い情報を」
実はこの男を呼び出したのは、この密告が目的じゃない。むしろここから先が本題だ。
「帝国のアプラーダ侵攻だが、かなり順調だ。北の軍集団は全ての戦線で前線を突破。首都を攻略した別働隊も東進に成功。もう間もなくアプラーダ王国は南北で分断されることだろう」
これはついさっき入ってきた情報だ。そして、俺の予想が正しければ、ロコート王国にとってこの情報はタイムリミットが近づいてきている合図になる。
「それは……よろしいので、我々にそのような大事な話を」
「隠す必要もあるまい?」
……明らかに、ビリナ伯からは動揺が見て取れる。
ロコート王国からの使節団の三人組の中で、一番高齢なのはビリナ伯だ。普通は、一番動揺などが出にくそうだと思うだろう。だがむしろ、あの若い二人の方が読み取りづらい。
マリアナ・コンクレイユは腹芸が上手いし、何となく嫌な予感がする。そしてハロルド王子に至っては、本当に何考えてるか分からない。頭が空っぽそうに見えるが、本当に空っぽなのか、それとも本当は思慮深いのかも分からない。
というか、普段の立ち振る舞いからして、たぶんこのビリナ伯は政治家というより軍人タイプの人間だ。腹芸はそれほど得意ではないだろう。
「さて、それでは本題といこう……あなた方の目的は?」
皇帝に単刀直入に切り込まれたビリナ伯は、動揺を収めるときっちりと答えてくる。
「目的と言われましても……我々は帝国との講和を求めております」
こうやって動揺を引きずらない辺り、外交が得意分野ではないだけで、人材としてはかなり優秀そうだ。まぁ、誰だって苦手分野での戦いは不利を背負うものだ。
「それはロコート王国としての目的であろう。そうでなく、コンクレイユ家の目的を訊ねているのだ」
コンクレイユ公家の行動には謎が多い。前回の帝国との戦争で勝利し英雄となり、しかしあっさりと隠居。その後、最近になって再び政治の舞台に復帰し、そして敵対派閥の自国貴族を帝国軍に「処分」させた。その結果、まんまと政権を握り、孫娘を嫁がせた王子も王太子にまで出世した。
こんな経歴、警戒するなという方がおかしい。
「……単純な話です。我が国では、政治の中枢は反帝国一色でした。そして、我々が入り込む余地のないほどに固められていた。そんな情勢下において、再びコンクレイユ家が政治の中枢に戻るには、その正反対の主張をする以外になかっただけです」
意外と素直に語りだしたな……これは嘘か?
「そもそも、なぜ一度政治の舞台から退いた? 前回の帝国との戦争で、英雄となったであろうに」
「勝ち過ぎたのです。王すら恐れさせるほどに……これは結果論ですが、ご隠居なされたのは公爵閣下のみであり、そして生き残ったのも閣下のみです」
嫉妬、あるいは恐怖か。しかし自国の王の、ダメなところの話なのに随分とあっさり……いや、コンクレイユ公の直臣。しかも閣下の言い方も普通じゃなかった。
そもそもロコート王が嫌いなパターンか。そして上司であるコンクレイユ公を本当に尊敬しているのかもしれない。
「なるほどな……それで? 政治を握ったら終わりでもあるまい」
「実のところ、我々にこの先の展望などありません……いえ、まだ決まっていないというべきでしょうか。少しでも国内の支持を増やし、今後に備えるしかありません」
自分と敵対する派閥をほとんど一掃しておいて、あまりに控えめが過ぎないか?
素直には信じがたいが……今のところ、パターンAよりか。国内の支持を増やしてっていうのも、今は帝国と終戦して、数年後の再戦に備えていると見た方がいい。
「随分と悲観的なのだな」
俺が探りを入れようとすると、ビリナ伯は強張った表情のままこう言った。
「……もしやご存じではないのですか」
俺は心の中で舌打ちする。何かこっちが知らずに、相手だけが知っている情報がある? それともブラフか?
だが俺がそれについて何かを言う前に、ビリナ伯は席を立ってしまった。
「しゃべり過ぎました。失礼いたします」
……面倒だな。
それから俺は、密偵を使い念入りに調べさせた。その結果……俺たちは、コンクレイユ公が病床に臥していることを突き止めた。
これだけ短時間に劇的な政権交代をやってのけたコンクレイユ公が、もうすぐ死ぬ。間違いなく、ロコート王国はこの先数年、外部に向けて何か行動する余裕はないだろう。
ならばパターンAの方だろう。こうなると、元皇太子の方はいらないな。
俺としてはユルゲンスを後押しして、早々にロコート王国と講和をまとめていいくらいだ。
……しかし妙に引っかかるな。まぁ、それが何かは分からないんだが。
腹の探り合いは疲れるな。




