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1 戦争の弊害


 ロコート王国との戦争に勝利した皇帝は、軍勢の多くを前線に残しつつ、その一部を引き連れ帝都へと凱旋した。そんな皇帝の軍勢は、戦勝を喜ぶ帝都市民の熱烈な歓迎を受けていた。


 本来であれば、これは喜ばしいことなのだろう。皇帝を讃え、歓喜の声で迎え入れられているのだから。だが……俺はその隊列の中、馬上で辟易としながら空を眺めていた。

「陛下、もう間もなく動けるようです」

 ティモナの知らせを受け、俺は盛大にため息を吐く。

「やっとか……円陣を崩し縦隊に戻せ」

「はっ」

 単純な話だ。道沿いに民衆が押し寄せたため渋滞が発生し、俺たちはその只中で身動きが取れなくなっていたのだ。



 帝都というのは、住居の密集している区画と、そうでない区画の差が激しい都市である。特に宮廷に近い北西部は住居が密集しているが、一方で南側一帯はほとんど住居が建っていない。具体的には『建国の丘』周辺だな。俺が幼い頃、建国の丘が『帝都の市外』にあると勘違いした原因でもある。

 ではこの何もない土地は無駄なのかと言われると、決してそうではない。この一帯は、帝都に駐留する部隊の宿営地として利用されるのだ。訓練に利用されたり、仮設住居を建てて兵舎として利用したり……そういった目的で使うために、わざと空けてあるのだ。


 ちなみにこういったスペースは宮廷内にもあったりする……というか、本来は宮廷内にあるのが正しいのだろう。

 帝都ができたばかりの頃は宮殿も一つしかなく、広大な土地を余らせていたらしい。その理由は一つではないと思うが、優れた武人だった初代皇帝やその考えを理解していた二代皇帝などは、実際に兵士を宮廷の城壁内に駐留させていたようだ。

 ところがその後の皇帝の時代になると、このスペースを潰して自身の権威を誇示するために新しい宮殿を建てるようになってしまった。その結果、兵士が駐留する区画は宮廷から遠く離れてしまった。

 個人的には使ってない宮殿は潰してしまいたいのだが、それを実行するにはとんでもない費用が掛かるからな。今は放置するしかない。



 そんな事情で直轄軍の兵士の目的地と皇帝や近衛隊の目的地が違う為、帝都に入ってから途中で二手に分かれる訳だが……街道沿いに大勢の民衆が押し寄せた為、この分岐地点で渋滞が発生してしまい、身動きが取れなくなっていたのである。

 とはいえ、縦隊列で足を止めていると危険だ。市街地だからこそ死角が多く、暗殺の危険が高まる。そこで近衛たちは皇帝の周囲を囲むように、防御力のある円陣を一時的に組んで渋滞が解消されるのを待っていた……はい、そうです。俺たちもまた渋滞の原因の一つでした。

「付いてこなければよかった」

 帝都に着いた当初はテンションの高かったイルミーノなんて、すっかり萎えてしまったようだ。ゴティロワ族長ゲーナディエッフェの孫娘である彼女にとっては初めての帝都であり、最初は物珍しそうにきょろきょろと街並みを眺めていたのだが……もう見飽きたらしい。


「陛下が負傷兵から優先して動かすように命じたからです……余計な混乱が生まれ、渋滞が悪化しました」

 不機嫌そうなティモナの説教じみた言葉に、俺は肩をすくめる。

 今回帝都へ帰還した兵士は負傷兵が多い。講和が正式に成立するまでは現在の前線を維持しなければいけないので、元気な兵はロコートとの国境に置いてきた。

 そして俺の命令により、負傷兵から優先して仮設兵舎に帰したり、治療施設に向かわせたりした結果、近衛隊の足止めはさらに長引いてしまったのだ。

「仕方ないだろ。市民の目の前でいつまでも怪我人を立たせていたら印象が悪い」

 ちなみに、ティモナの機嫌が悪い理由は、たぶん自分が待たされたからとか時間を無駄にしたからとかではなく、この渋滞に巻き込まれている間、ずっと周囲を警戒していたからだと思う。

 ……うん、もう今回の件で懲りた。次からはいつ帝都に戻るかは黙って、かつ本隊から離れて帰還しよう。



 こうして長い立ち往生の末、やっと動き始めた皇帝と近衛の一行は、ついに宮廷の城門へとたどり着いた。

「宮廷なのに、立派な城壁に囲まれてるんだ」

 後ろではイルミーノが意外そうな声を上げる。外の城壁ほどではないが、宮廷の方も簡単には越えられない高さの城壁に囲まれている。

「宮廷は敵兵に限らず、他国の間諜の侵入も防ぐ必要があるからね。だから城門も一か所しかないし、警備も厳重なんだ」

 彼女の隣にいたファビオがそう答える。まぁ、それでも間諜というのは完全に防げるわけではないけどね。ただ城壁と城門があると、一定の抑止力にはなっていると思う。


 そして何より、城壁と城門に囲まれた宮廷というのは、むしろ侵入した密偵を逃がさない為に効果を発揮すると言っていい。

 その上、宮廷内には帝国の密偵が多数潜り込んでいる。他国の密偵は仮に宮廷に潜入できても、そう簡単に活動できないし逃げられない。もちろん、わざと見逃す場合は別だけどな。


 何せ帝国の密偵は対密偵……つまり防諜能力に特化しているらしいからな。俺が傀儡だった頃から、宮廷内で他国の密偵が活動した形跡はなかった。だから俺の行動も、宮廷の外にはほとんど漏れなかった。お陰で俺はこうして生き残ることができた。

 あと、情報収集と民衆扇動(プロパガンダ)の能力も優秀なようだ。その反面、一部の例外を除き戦闘能力は平均的で、暗殺に至っては不得手と言っていい。もちろん、密偵長であるヴォデッド宮中伯だけは別だが。


 特に民衆扇動(プロパガンダ)については、今のところ多用はしていないが強力な技能だ。まぁ、それが得意らしいと気が付いたのは、本当に最近になってからなんだが。

 例えば、俺が皇帝として生きていこうと決意したあの建国を祝う式典。あの時、あそこまで熱狂的に市民が幼帝を歓迎していたのは、たぶん宮中伯が一枚嚙んでいると思う。元々嫌われてはいなかっただろうが、あそこまで熱烈な歓迎を受けたのは、今考えればかなりの違和感がある。


 つまり俺は、ヴォデッド宮中伯にまんまとその気にさせられ、皇帝として生きる決意をしてしまった訳だが……まぁ、その決断については後悔してないからな。結果的に美人を三人も妻に迎え入れてるわけだし、宮中伯も密偵としての忠誠心は()()()()()本物だし。



「ご無事で何よりです、陛下」

 そんなことを考えていると当の本人がやってきた。いつも通り、心が籠っていないかのような冷淡な声だ。だが俺は宮中伯が一瞬、誰かを探すように視線を巡らせたのを見逃さなかった。

「エタエク伯なら前線だぞ」

「そのようですね」

 余計な真似を、という心の声が聞こえた気がした。

 宮中伯はロコート王国との前線に向かう際、エタエク伯の奇行によってまんまと置いてかれたからな……間違いなく激怒していると思ったから置いてきたのだが、やはり正解か。

 というか、情報は入っているだろうに俺に対してのお咎めはなしか。ほんと、恐れ入るよ。


「お妃方がお待ちになられています」

 どうやらロザリアたちが出迎えてくれるらしい。俺は宮中伯の言葉に頷く。

「分かった。それと、後で留守の間の報告を聞く。用意を」

「承知しました……こちらに」

 そして俺とティモナの二人は、宮中伯の誘導に従い列を離れる。……あぁ、そうそう。

「ファビオ、念のためイルミーノについてやってくれ」

「分かりました」

 言語は通じても文化は違うからな、ゴティロワ族は。余計な問題は起こさないに限る。


「どういうこと?」

「言っただろ? 宮廷に入るには厳重な警備を通過する必要があるんだ。特に初めて訪れた人間は、ね」

 俺とかは顔パスだけどね。帝国貴族ですら一度止められるのだ。異民族の姫君だろうとしっかり調べられる。つまり、イルミーノにとっては更なる足止めである。

「……付いてこなければよかった」

 まぁ、どんまい。



***



 宮中伯の言葉通り、ロザリアとナディーヌは俺の帰還を宮殿の外で出迎えてくれた。ちなみに、現在帝国に亡命し宮廷で生活している皇王御一行からは、誰も出迎えに来ていなかった。

 まぁ、俺としては別にいらないけど、世話になってる身分としてそれはどうなの。

「ご無事で何よりですわ、陛下」

 いつもの笑顔で出迎えてくれたロザリアからは、心からの安堵がちゃんと伝わってくる。なんだろうね、宮中伯と同じこと言ってるはずなのに、俺のテンションは全く変わってくる。


 ただ、そんなロザリアの隣にいるナディーヌの表情からは少し疲れが見えた。

「もしかして、ずっと外で待っていたのか……中で待っていればいいのに」

 宮殿の中でのんびりと待っていてくれた方が、俺も申し訳なさを感じないだろう。

「陛下が帝都にお着きになられたのですから、そのようなことはできませんわ」

 まぁこれはこれで嬉しいし、それが伝統なんだろう。結婚の時もそうだけど、妙な伝統が多いんだよなぁ、この国。

 けど……うん、やっぱり次からはこっそり帰ってこよう。



 それからロザリアとナディーヌと軽く会話を交わしながら宮殿内の私室に帰ってきた俺は、すぐに宮中伯とニュンバル侯を部屋に呼ぶ。

「ご客人の一行は案の定、派手に動いておりました……」

 宮廷内のあらゆる仕事を取り仕切る(というか俺が押し付けている)ニュンバル侯が、皇帝不在の間に皇王一行がやったことを報告していく。

 まぁ、基本的には金(ただし借金)と官職(ただし空手形)をばら撒いて影響力を強化しようとしていたようだが。


「意外だったのは元ダロリオ侯アロイジウス・フォン・ユルゲンスの動きでしょうか。陛下が居られぬ間、この動きを止めることなく、むしろ積極的に皇王の元に人を呼び込んでおりました」

 皇国から亡命してきた主要なメンバーは三人。皇王とその長男ニコライ・エアハルト。そしてもう一人が政争で失脚したアロイジウス・フォン・ユルゲンス。この三人の中では一番まともな感性をしている男である。

「彼についてはブレーキ役として期待していたのだが……残念だ」

 自分の立場を理解しようとも思っていなそうな他二人とは違い、彼はそれなりに話の通じる人間だった。そんな男が、皇帝不在の間に宮廷で自分たちの影響を強めようと動くとは……少し考えれば、皇帝が不快に思うであろうことくらい分かるはずだが。


「陛下、恐らく彼はシャルル・ド・アキカールが皇国へ亡命するつもりだと判断したのでは?」

 ヴォデッド宮中伯がそう推察する。……なるほど、それなら納得だ。


 俺は式部卿の三男、シャルル・ド・アキカールを軟禁から解放し、臣下に迎え入れた。その上で、彼には亡命を装って皇国へ向かわせ、いくつかの任務を与えた。

 表向きは外交官として、その裏で亡命を目論んでいる……と、思わせるように動けという命令だ。実際に亡命されたら俺は困るが、それについては賭けの部分もある。

 だが上手くいけば、皇国の動きをこちらでコントロールすることができる。俺が今恐れていることは、皇国貴族が一致団結して帝国に対し宣戦布告する……というものであり、そうならないよう派閥争いの火種として立ち回るのがシャルル・ド・アキカールの任務である。


 ……だが内容が内容なので、その辺の事情はごく一部の人間にしか伝えていない。当然、アロイジウスも何も知らない。

 だから彼は、シャルル・ド・アキカールが皇国に亡命するつもりだと判断し、慌てているのだろう。その場合、帝国と皇国が合意すれば、亡命したシャルル・ド・アキカールの身柄と皇王の身柄を交換する……なんて可能性もある。俺はそんなことをするつもりなど毛頭ないが、そう危惧してしまうのも自然か。それを防ぐために、帝国国内にある程度の影響力と発言力を持とうと必死になっているのだろう。



「不測の事態に備えて、なりふり構わず……か。それでも悪手だと思うが、それが判断できるなら失脚などしていないか」

 まぁ、亡命の身であるという危機感はあるからこそ、こうして過剰に反応したとも言える。

「一方、皇王陛下は相変わらず飾りですな。そして、元皇太子殿下の方は……遊んでおられました」

「はぁ?」

 思わず呆れた声が漏れてしまった。


 あの野郎、俺がいる間は散々邪魔するわ口出しするわで、あんなに出しゃばっていたのに?

 逆であれよ……俺がいない時に動いて、いるときは大人しくしろよ。その方が楽だろ……俺が。

「なんで急にやる気をなくした?」

「というより、貴族連中に相手にされなくなり遊ぶくらいしかすることが無かったようです。不貞腐れている、と言ってもいいかもしれません」

 ……あぁ、そういうことか。

「つまりまともな感性を持つアロイジウスが皇王の窓口として動き始めたから、帝都の中小(無職)貴族はニコライ・エアハルトには見向きもしなくなったと?」

「えぇ。愚かですが、自然な行動です」



 哀れだ……あんなに張り切って動いてたのに、馬鹿共にすらいらない子扱いされるとか……ニコライ君、本当に可哀そうに。

「まぁ、大体の事情は把握した。それで、帝都にいる官職に就けていない貴族の中で、一度も皇王一行に接触しなかった者は?」

「意外なことに、それなりの数が残りました。名簿にまとめましたが、目を通されますか?」

「頼む。後で目を通しておく」

 帝国は貴族であふれている。帝国を嘲笑する言葉に、「食料と貴族だけは満ち足りている国」というものがある。食料の方は大いに助かっている(短い期間に何度も対外戦争ができている理由でもある)が、問題は貴族の数だ。

 これは過去の皇帝が金で貴族称号を売ったのが原因である。金のある商人に留まらず、一時的に金を得ただけの傭兵にまで、金で貴族称号を売ってしまったのだ。


 そんな連中が、まともな貴族として機能するはずがなかった。商人の方は箔付けに過ぎず、貴族化することも無かった。だが、元傭兵の方は中途半端に武力を持っていたため、当時の貴族社会に迎え入れられたのだ。

 自分の家の私兵を戦場に送るより、元傭兵の貴族を自分の傘下に加えて代わりに戦場に行かせた方が何かと都合が良かったんだろう。


 ……そういう連中なら、まだ使い道があったんだけどな。

 残念なことに、現在帝都に巣くう下級貴族は、そういった貴族の子や孫の世代だ。しかも素行の良い家や、素行が悪くとも実力ある家はとっくに大貴族の臣下に収まっている。

 つまり、今帝都に残っている下級貴族は所領もなく、職もない元傭兵の二・三代目か、あるいはそういった「成り上がり」に自分の席を奪われた敗北者たちが多いのだ。


 使える人間は最初から仕事がある。貴族なのに仕事がない連中のみが一年中帝都にいるわけだ。

 


 そういった下級貴族は、俺が傀儡の頃は宰相や式部卿からの施しによって楽に金を得ていた。というか、二人の派閥争いはそういった連中すら手駒にしなければいけないほど大規模だった、と言うのが正しいか。何の魅力もなくとも、貴族は貴族だからな。

 この国には議会はないし、別に貴族が議員って訳でもない。ただ、基本的に平民では政治に参加できないこの国において、国政への発言権は貴族にしかなかった。

 もちろん、大貴族の権力の前では、こういった下級貴族の発言力は無に等しい。……無に等しいが、(ゼロ)ではない。だから宰相や式部卿は彼らにも甘い蜜を吸わせ、動かそうとした。

 塵も積もれば山となるってことだな。まぁ、ばら撒き政策みたいなもんだ。


 だが俺が、武力で以てその政治の舞台をひっくり返してしまった。宰相と式部卿の二人を粛清し実権を握った今、派閥争いの駒として利用されてきた下級貴族の価値は完全になくなった。

 他にも、俺は不正を見つけたら処罰するし、真面目に働かない貴族は冷遇した。そうやって、皇帝カーマインの治世に適合できなかった連中はかなり多い。それが帝都にいる下級貴族の正体だ。



 そして今、亡命してきている皇王の一行はそんな連中に金を与えたりして自分たちの影響下に置こうとしている。そんな微々たる存在でも必要なほど、彼らの立場は弱いからな……本来は。ちょっとあの皇王は自分の立場とか分かってないんだけど。

 だが、そんな皇王一行の誘いに乗らなかった下級貴族もいる。

 彼らは確かに、時勢も読めず、力もなく、かといって貴族という身分を手放すこともできなかった連中である。それでも、帝国人であり続けることを選んだだけまだマシではある。

「無能ですが、節操無しではない。使い道はあるでしょう」

 宮中伯があまりに辛辣な評価を下す。……流石に無能っていうのは言い過ぎだろう。皇王一行に手を貸しても泥船だって気付けているのだから。まぁ、使えるか使えないかで言えば使えないんだけど。

「ようやく貴族の選別も一段落つきそうだな……」

 時間はかかったが、ようやくだ。まぁ、色々と手間はかかったが、他の事案を片付けながら選別で来たんだから、ある意味効率的に選別で来たのではなかろうか。



 あぁ、というか貴族の話で思い出した。

「そういえば帰ってくる道中、野盗の討伐を押し付けられたんだが……」

「聞き及んでおります。即位の儀以降、戦争続きでしたから」

 そう答える宮中伯に、ニュンバル侯が訊ねる。

「やはり、治安の悪化ですか」

 正直俺は、基本は宮廷内にいるか、軍を率いているかだったから、その辺の治安については疎い部分もある。だが軍隊を差し向けなきゃいけない規模の野盗ってことはそうなんだろう。

「即位の儀より、正に怒涛の連戦でしたからなぁ」

 ニュンバル侯の言う通り、戦争が続くと、それに比例して逃亡兵が増加する。当然、兵士の逃亡を許しては軍隊として成り立たないので、どの国も逃亡兵は死罪となっている。それを理解しているが故、軍隊に戻れない逃亡兵は野盗化する訳だ。


「ですが、直轄軍からの逃亡兵はほとんどおりません。野盗の半数は諸侯の兵でしょう」

 宮中伯の言葉に、俺は少し驚く。戦闘が続けば逃亡兵はどうしても出るわけだし、しかも皇帝直轄軍と言えば聞こえはいいが、元は民兵みたいなもんだしなぁ。

「そうなのか?」

「幸いなことに、皇帝直轄軍は未だに負けておりません。連勝しているうちは、兵も逃げないでしょう」 

 ……ということは、負けた瞬間バブルのように崩壊するかもしれないのか。


「うん? 今、半数はと言ったか。では残りの半数は?」

 野盗化している連中には、直轄軍の兵でもなければ諸侯の兵でもないのがいると?

「こちらは話している言語から既に調べがついております。つまり、交戦相手国の逃亡兵です」

 ……あぁ、そうか。帝国領内で戦争してたりするからなぁ。帝国が勝ったということは、相手国は敗走時に逃亡兵を出している訳だ。

「言われてみれば当たり前だな。そこまで気が回っていなかった」

「しかし……戦闘は国境付近が多いはず。ここまで入り込んでくるのは不自然では?」

 ニュンバル侯が、宮中伯に疑問を投げかける。まぁ、帝国の中心部である帝都周辺は、皇帝直轄軍に限らず軍隊の往来も多いからな。わざわざそんな危険地帯に、野盗が出没するのは不自然か。


「そちらについては調査中です。よってまだ何とも言えませんが……そもそも、敗走の際に出た逃亡兵にしては数が合いません」

 宮中伯の報告によれば、敗走時に出る逃亡兵にしては多すぎるってことらしい。ということは……。

「……流入してきているのか」

「はい、恐らくは」

 つまり、戦う前に逃亡した他国の兵が、次から次へと帝国に流れ込んできているってことだ。

 戦う前から、負けると思って逃亡する兵士がそんなに出るって、割と末期なんじゃ……って。

「もしかして、帝国は勝ち過ぎたのか」

「一言で言えばその弊害でしょう。勢いある帝国との戦争に悲観的になり、帝国へ逃れさえすれば兵士として何かしらの恩恵にあずかれるかもしれない……そう思うのも無理はないかと」

「なるほど……平民の兵士であれば、勝つ方に付きたがりますからな」

 宮中伯に続けてニュンバル侯も納得した様子で頷く。


 なるほど、戦争に勝っても問題は出てくる訳だ……いや、待てよ。

「しかし彼らは帝国にしか行く宛てが無いのではなく、わざわざ帝国を選んでいそうだが。これはつまり、帝国が戦争をしていなくても発生する難民では」

「……流石は陛下、よく理解しておられる」

 宮中伯に褒められても嬉しくねぇ……むしろ嫌な事実に気づいてしまい気が滅入る。

「つまり帝国は、帝国である限り常にこの問題は抱えると?」

「滅多に起きることではありませんが……例えばゴディニョン王国とロコート王国が戦争し、一方が圧倒的な内容だった場合……同じように逃亡兵は帝国を目指すでしょう」

 俺は椅子の上でひっくり返るように脱力する。宮中伯の説明的に、帝国が無関係の戦争でも周辺国で起きればそうなるんだろうなぁ。


「どういうことで?」

 そう尋ねるニュンバル侯に、俺は軽く説明する。

「つまり、難民だ。帝国なら飢えないで済むって思われてるのだろう」

 まぁ、武装している分、普通の難民より厄介だが。というか、現代の地球ですら難民問題は解決が困難だ。受け入れた結果、文化・宗教の差から対立したり、言語の問題で難民が職に就けず治安が悪化したり……なんて話はよく聞いた気がする。

 むしろ領主の監視が厳しい分、この時代では平民が難民になる方が少なそうだ。しかし、そういった軛から解放され、ある程度自由に動けてしまう逃亡兵は、難民として帝国を目指せると。


 するとニュンバル侯は、思い出したと言わんばかりに、手を叩いて頷いた。

「なるほど……過去の記録によれば、周辺国で飢饉が起きた際、難民が帝国に押し寄せたこともあったといいます。似たようなものでしょうか」

 帝国は食料と人口にはまだ余裕がある。だから俺は、この短い期間で対外戦争を何度も続けられている。

 特に食料についてはあの黄金羊商会が買い入れてるくらいだしな。平野部が広大で、大河川が東から西へといくつも流れている帝国は、東方大陸の食糧庫と言っていい。その上、帝国の国土は広すぎる故に、ある地域で作物の病気や飢饉が発生したとしても、他の地域の食料で賄えてしまう。実際、帝国全土で飢饉が発生したのって、前ギオルス朝が崩壊する直前くらいじゃないだろうか。



 まぁ、それだけ聞けば帝国は恵まれていると思うかもしれないが……もちろん、帝国にも弱点はある。穀倉地帯は帝国の国力を強大にしたが、同時にその穀物狙いで周辺国が定期的に攻め込んでくる原因にもなっている。

 あと食料は余っている一方で、それ以外の産業や鉱物などの資源は、国土に比例するとあまり恵まれてはいない。だから帝国において、そういった資源に恵まれた所領を持つ貴族は、自然と力を持ち厄介な存在になっていた。これが帝国の中央集権化が進まなかった理由の一つである。


 そして何より、この時代の穀物は基本的に原価が安い。運搬にコストがかかり過ぎる為、商人は基本的に農民などから安値で買い叩こうとするからだ。これが農村地帯の生活水準が一向に上がらない理由になっている。

 ……この問題は、正直後回しだな。もちろん、俺は農民を苦しめたいとか、見捨てるとか、そういうつもりは全くない。ただ、人間というのは一度豊かな生活を味わうと、生活水準が下がった時、それが元に戻っただけだとしても不満を持つものだからな。その辺の改革は無理のない範囲で、慎重に進めたい。


 そして生産した穀物が安くしか買われない為、農民は貨幣がほとんど手に入らない。その結果が今の納税制度だ。無い袖は振れないというように、貨幣を持たない農民は納税の際に貨幣を納められない。だから納税も、必然的に現物(穀物)での納付になる。

 そして領主の元へ納められた穀物は当然、領主だけでは消費できない。彼らはこれを換金したがる……つまり、商人が必要になる。こうして商人と地方貴族の癒着が横行し、これも帝国の中央集権化が難しい原因の一つになっている。

 あと俺に対して反抗的な商人が多い理由もこれな。


 ちなみに、農村では生産性の低い分、味がよくて高価な白麦(たぶん地球で言う小麦)は領主への納税用として全て納められ、彼ら自身は安価な他の穀物(地域によっては米とか)を食料にしているらしい。まぁ、品種改良の技術が進んで白麦の生産力が上がればその辺の格差も是正されるんだろうけど……あと何百年かかるかなぁ。米の方も、気候のせいか日本の米とは比較にならないレベルで味が悪いし。

 ……でもたまに食いたくなるんだよなぁ。だからこっそり取り寄せて食べて、やっぱり違うとがっかりする……を何回も繰り返すわけだ。品種改良系の知識もってる転生者、早く見つからないかなぁ。


 俺がそうして一人で脱線しかかっていると、ニュンバル侯が唸るようにこう言った。

「これも帝国の宿命、ということでしょうか」

 宿命か……言い得て妙だな。

 帝国が広大な土地を支配する大国になった理由は、穀倉地帯を抱えていたからとも言える。食料が安定して確保できるから、継戦能力が高く、周辺諸国を侵略し、併吞することができた。

 だが同時に、帝国は過剰に生産された食料の消費先を常に探さなければいけなくなった。その解決策が対外戦争である。

 他国の田畑を焼けば、帝国の商人がその国に高値で穀物を売れる。地方貴族は税として納められた穀物を、兵士の給料としたり、彼らが他国から略奪した金銭や貴重品と交換したりする。

 そうやって帝国は成り立っていたし、この本質は俺がどうこうできる問題じゃない。


 つまり、帝国は帝国である限り、定期的に戦争しなきゃダメってことなんだろう。というか、テアーナベ領に侵攻しろって諸侯からの突き上げがあったのは、こういう事情も関わっているのだろう。

 ……余剰な食料が生まれないよう、計画的に生産しろって? それができたら赤い国は崩壊しなかったんじゃないかな。

 むしろ穀物の輸出能力を高める方向に……って、それこそ数百年は無理か。それを実現するには鉄道くらいないと。


「陛下、いかがなさいますか」

 また俺が一人で思案していると、今度は宮中伯の声で我に返る。そうだ、今すべきは野盗への対策だ。それ以外の事はもっと時間をかけて、ゆっくり考えればいい。

「ロコート王国から来る講和の使者に万が一があってもマズい。だが皇帝直轄軍は少し休ませたい。だから帝都に詰めている貴族の軍……マルドルサ侯かアーンダル侯の軍を派遣させようと思う。明日にでも二人を呼び出してくれ」

「かしこまりました」

 その間に皇帝直轄軍は人員の補充と再訓練……訓練の担当は誰にしよう。ジョエル・ド・ブルゴー=デュクドレーも、訓練くらいなら……いや、本当にどうしようかな。


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[一言] 「穀物が余るなら酒にすればいい」って呑べえが暴走したりしないのかな?
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