皇王亡命編13
近衛が布陣するのは本隊の中央、そのほぼ最前列だ。
ほぼと言ったのは、実際は近衛の前にゴティロワ兵と皇帝直轄軍の長槍兵の隊列が二列ずつ交互に並んでいる。俺がいなかったとしても、端から近衛を無駄に消耗させるつもりは無かったらしい。
俺が到着すると、ティモナとバルタザールに出迎えられた。俺は近衛の指揮をバルタザールに任せると告げ、交戦に備えるように言った。
それから俺は、内心では恐る恐る、ただしそれが表に出ないようにティモナに声をかけた。
「何か言いたいことあるか?」
付き合いが長いから分かるが、ティモナの不服そうな雰囲気を感じ取った俺はそう聞いた。
「いいえ。陛下が間に合う可能性を考慮しなかった私の失態です」
やはり俺が最前線にいるということが嫌ならしい。自分のミスだと言いつつ、納得のいってないという感じだ。
まったく、過保護というかなんというか。本当にヤバくなったら下がるって。
「あぁ、そうだ。ティモナ、彼女のことは知ってるか?」
俺は護衛としてついてきたイルミーノについて、ティモナに訊ねる。
「えぇ。ゴティロワ族の天幕で陛下に酌をしておりましたから」
あぁ、それちゃんと覚えてたのか。いや、俺が興味ないと覚えようとしなさすぎるのか……?
「余の護衛として送られてきた。傍に置くが良いか?」
「ご随意に」
ううむ、機嫌悪い……というか、ピリピリしている。敵軍が近いってのもあるんだろうな。
「私は陛下のそばにいたらいーの?」
その声の方に目を向けると、少女は馬から降りてこちらを見ていた。
「あぁ、護衛だからな……下馬するのか?」
「乗れるけど、馬上で戦うのは苦手」
確かに、彼女は槍などの長物も、弓などの遠距離武器も持っていない。確認できる武器は両腰に差した二本の剣だけだ。
「得物は?」
俺の質問に、彼女はその二本の剣を抜いてみせて言った。
「にとーりゅー」
気の抜けた声だが、その所作は慣れている人間のそれだった。剣を鞘から抜く動作で、その人が扱い慣れてるかどうかは意外と分かるんだよね。
それにしても、二刀流か。両手が塞がるから、馬上戦闘が苦手なのも納得だ。
「その剣、魔道具ですか」
するとそれを見たティモナが彼女にそう尋ねる。言われてみれば、刀身が淡く光っている気がする。
「うん。お爺様って、口ではああだけど孫に甘いんだ」
へぇ、それはまた意外な一面だな。
「そろそろ始まる?」
「あぁ、来るな」
これは勘だけど、戦闘が始まる気配がする。不思議なもので、何度か戦場に出るうちに、これくらいは何となく分かるようになってきた。
「敵は召喚魔法を使わないようだな」
この世界における魔法兵の戦術は基本二通り。召喚魔法を連発して弾除けや壁にするか、歩兵を盾に接近して強力な魔法を叩き込むかだ。前者は魔法戦力において劣勢な時によく採られ、後者は優勢な時によく狙う戦法だ。
「我が軍より自分たちの方が魔法戦力において有利と判断したのでしょう」
まぁ、魔法兵の部隊はアプラーダ攻略軍の方に回したからね。
皇王にはロコート軍との戦闘に注力するかのように言ったが、実際のところ主力部隊はみんなアプラーダ攻略に回している。
左右の方から、銃声が鳴り響いた。帝国軍が撃ち始めたようだ。それに対し、ロコート軍の銃兵も反撃を開始……いよいよ戦闘が始まった。
「そして正面は、と……やはり狙ってくるよな」
銃兵の打ち合いから始まった左右とは違い、正面のロコート軍はいきなり突撃から始まった。敵の騎兵部隊がまっすぐこちらに向かってくる。
それに対し、こちらは皇帝直轄軍の槍兵が槍衾を組んでこれに対抗。そして敵騎兵の足が止まると、その後ろからゴティロワ兵が短めの得物で敵を刈り取った。
……いや、びっくりするくらい連携が取れている。連携する訓練の時間などなかったはずなのに。
帝国兵が敵を止め、ゴティロワ兵が二列目から一撃で殺す。一列目が突破されれば、複数人のゴティロワ兵が飛びかかる……いや、違う。これ、ゴティロワ兵の戦い方が上手いんだ。ゴティロワ兵以外と一緒に戦うのに慣れている。
ちなみにゴティロワ兵の中に銃兵はほとんどいない。
それは恐らく、量産され普及しているマスケット銃が一般的な人間向けだからだ。それと比べ極端に背丈の低いゴティロワ兵にとって、これは間違いなく扱いにくい。
「しかし、なるほどなぁ」
思わず呟きを漏らすと、イルミーノが反応する。
「何か感心することあった?」
「戦い方だ。ゲーナディエッフェの戦術と言うべきか」
ゴティロワ族は普通の人間より膂力がある。魔法抜きなら、基本負けないだろう。それはかつて宴に参加したときに見たレスリングと相撲の中間のような取っ組み合いで、理解していた。
そんな彼らの得意戦法は白兵戦。人間より低い重心から、より強い膂力で重い一撃を敵に見舞う。
ただし、恐らく防御は苦手だ。だからゴティロワ兵の得意な戦い方へと持ち込むために、前の列に防御役として帝国軍の槍兵を置いているのだ。
「ごめんね、不快でしょ」
不快……? あぁ、見ようによっては、帝国兵を盾に自分の兵を温存してるように見えるのか。
「いや、これが正しい。より強力な兵科の強みを生かすための戦術として、これは完成度が高い」
結果的に、この戦法はより多くの敵を屠れるだろう。一列目と二列目を逆にするより、帝国兵の損害も少ないはずだ。
この戦いはきっと、勉強になる。
俺はさらに、もう一つ気になったことを訊ねる。
「ゴティロワ兵っていうのは、あまり長物は使わないのか」
ゴティロワ族は「ドワーフっぽい」からな……いや、これは差別とかではなくてだな。ただハルバートを使ってそうというか、使っていたら似合うというのかな。
「うーん人によるかな。うちらって最近まで南北に分かれてたから。北側は使う人も多いけど、南側は少ないかも」
ゴティロワ族は分裂していた。それを統一したのがゲーナディエッフェだ。しかしそうか、ゴティロワ族も実際は氏族ごとに小さな差異があるのかもな。
「あぁでも、投げ物はみんな共通してるよ。みんな投げ斧なの」
投げ斧か。確かに、ゴティロワ族は農耕より狩猟を得意としてるし、そのイメージはあるな。普通に投擲用だけでなく、手持ちで振っても強いからな。何より、威力も馬鹿にならない。
「ちっちゃい頃からみんな教え込まれるの。特に男の人は、斧で獲物を狩れないと結婚できないんだよ」
へぇ。そんな風習があるのか……やっぱり異民族って新鮮で面白いよね。
もう交戦が始まっているのにそんな呑気な話をしていると、前方からバルタザールの叫ぶ声が聞こえた。
「陛下! そろそろ交戦します!」
どうやら最前列が崩れ始めたらしい。
「頼んだぞバリー! 一人も通すな!!」
近衛隊の指揮は任せているからな。命を預けているようなものだ。
ちなみに、銃声が最初にしたタイミングから防壁魔法は常に複数展開している。体内の魔力を使わなくていいなら、このくらいはかなり余裕だ。
あと、何だかんだ毎日魔法使ってるから、初陣の時よりも魔法を使うの上手くなってる気がする。
「早いね、崩れるの」
「ゲーナディエッフェはかなり攻撃的な陣形を敷いたからな」
陣形とは基本的に、隊列の数が多ければ……つまり敵に対し、陣形に厚みがあれば防御力が高くなる。一列突破されても次の一列、そのまた次の列と、次々に部隊が敵に当たるので突破されづらい。
逆に敵に対し薄く、その分横に隊列を伸ばせば火力が増し、攻撃的になる。こっちの方が、一度に敵と交戦する人数が増えるからだ。その分、突破もされやすくなるから防御力は低い。
「短期戦になると判断したのだろう。かなり横に隊列を広げていたからな」
行軍形態と敵と騙すためでもあったんだろうけど、それにしても攻撃的だ。
「突破されない……予備部隊を完璧なタイミングで劣勢な箇所に送り込める自信があるってことだろうな」
ゲーナディエッフェは強い。俺はそう確信した。もちろん、普通に考えたら……二十代のうちに部族内の紛争を終わらせて、それから最近までの数十年、かなりブランクあるけど大丈夫かって思うところなんだけど。
「ところでイルミーノ、お前の初陣はどこだった?」
実戦を経験してない軍隊は弱い。この時代、まだまだ傭兵の価値が高いのは彼らが実戦経験豊富だからだ。
アトゥールル族もエタエク伯も、傭兵として活動していたからあの練度の高さを見せている。一方ゴティロワ族は最近まで、あまり帝国軍として積極的には活動はしてこなかった。宰相派から嫌がらせを受けたし、彼らが帝国のために戦わないのも道理だ。
……つまり、表向きは帝国に従属していたゴティロワ族も、裏では帝国以外のどこかに傭兵として参加していた可能性が高い。
「ん? それはゴディ……んんっ、ゴティロワ族内のちょっとした小競り合いだよ」
ゴディニョンかぁ。皇国じゃなかっただけマシかなぁ。
というか、最近ゴディニョンがロコート相手に大敗したのって、ゴティロワ族が抜けた穴のせいかもな。
ちなみに、ゴティロワとゴディニョンは名前の雰囲気が似ているが、恐らく偶然ではない。その関係性については諸説あるらしいが、下手したら帝国以上に関係が深い。
だからまぁ、ものすごく腑に落ちる話だ。
「だからゴティロワ兵以外も上手く動かせる自信があるんだな」
何かしら上手くやるだろうとは思っていたけど、ここまでゲーナディエッフェが帝国兵を動かせるとは予想外だった。嬉しい誤算だな。
「それとイルミーノ」
「私は何も言ってない」
いや、それはもういいよ。別に咎めないし……俺が実権握ってからはちゃんと帝国軍として活動してくれているんだから何も問題ない。
「別働隊はどのくらいで来そうだ」
特に丘陵地帯を迂回しているゴティロワ兵。それがどのくらいでこの場に到着するかだ。
「もう来てるんじゃないかな」
イルミーノはそう言うと、さらに続けた。
「だってお爺様のことだから。左手の丘陵は木々が生い茂ってて隠れやすいけど、騎兵はそうはいかないでしょ? だからきっと騎兵の到着待ちだよ」
なるほど、その可能性は高いな。つまり、本隊が本当にヤバくなったら騎兵が来る前でも丘陵側の別働隊は動く……リスクヘッジまで完璧ということか。
だがその場合、『鉄床戦術』は失敗と言っていいだろう。この作戦で重要なのは、金床の方ではなく、それに打ちつける槌の威力だ。
今回、ゲーナディエッフェはわざわざ軽歩兵と騎兵の両方を別働隊にした。それはつまり、どちらかだけでは威力不足と判断したということだ。
「必要なのは……敵を敗走させないように、それでいて味方が崩れないように」
上手いこと調整しながらの戦いか。俺がもし、歴戦の指揮官だったら……部隊を動かし指揮を執ることでその調整を可能としただろう。だが俺に、その自信は無い。
結局、自分にできることをやるしかない。
そんな風に考えていると隣で同じように戦場を眺めていたイルミーノが突然、俺が乗った騎馬の前に躍り出た。
それから彼女は、素早い身のこなしで剣を抜くと、飛来してきた何かを叩き落とした。
「矢か?」
「うん。まぐれっぽいけど」
すげぇ……飛んでくる矢を叩き落とすとか。動体視力とか技術とか、いろんなもの必要そう。
しかも切るんじゃなくて、叩き落とすことで矢の軌道を逸らしてるとこも流石だ。切ろうとすると、裂けるだけで軌道は変わらなかったりするからね。俺に当たらないような配慮まで見える。
「陛下、お下がりください」
ティモナは強い口調でそう言った。まぁ、俺が既に防壁魔法を展開していることは分かっていたんだろう。焦りはしていない。
ちなみに防壁魔法には対物理攻撃、対魔法攻撃など種類があり、俺はちゃんと両方を展開している。
「有効射程ではなさそうだが、そろそろ動くか」
前線はかなり押し込まれている。目的通り敵は十分に引きつけられているし、これ以上は貴重な近衛兵の損害が増えかねない。
「助かった、イルミーノ。後で褒美を取らす」
「褒美くれるの? じゃあ……結婚が良いな!」
……あれ、俺と結婚させようとしたの、てっきりゲーナディエッフェの独断だと思っていたんだが。それとも、相手は俺じゃなくても良いから、とにかく結婚相手を探してるってことかな。
……まぁいいや。無視しよ。
「そのままそこで護衛を頼む」
「え、無視?」
俺は次に、ティモナに向けて命令する。
「ティモナ、手綱を頼む。余は自分の魔法に集中する」
俺の言葉の意味を察したティモナは、さすがに驚いていた。
「お見せになられるのですか、ここで」
「あぁ。正直、隠しておくメリットも少なくなってきた」
これまでは、いつか使える切り札として隠してきた。
そしてこれまでは……天届山脈以西の文化では問題なかった。だが、天届山脈以東の国々では魔法の使えない王族は舐められるらしい。これは元皇太子ニコライ・エアハルトだけが言っていたことではなく、それ以外の国々でもそう感じるらしい。
とはいえ、魔法が使えなければ人に非ず、みたいな話ではない。ただ何となく弱そうとかとか、戦いに勝てなそうとか、国内で発言力なさそう、リーダーシップを発揮できなそうというステレオタイプの偏見ってやつだ。
俺も、俺個人が嘲笑われる分には気にしなかっただろう。だが、そのイメージは良くない。
これから対皇国で協調したい国々から、それも帝国が中心になって対皇国同盟を結びたいこの状況で、皇帝に対して「弱い」とか「リーダーシップがない」というネガティブなイメージは持たれたくない。
強い皇帝を演じないといけない俺にとって、この切り札はそろそろ切っていいタイミングだろう。
「別に切り札は一枚だけじゃないし」
そして何より、切り札というものは使われて初めて効果を発揮する。
馬上からは、戦場がよく見える。多くの兵が、乱戦の中を戦っている。
シュラン丘陵で戦った時は、俺が前線へ行っただけで士気は上がった。それは皇帝という存在が最前線にいること……それが異常なことだったからだ。決して普通のことでは無かった。だから沸き立った。
だがその特別感も薄れつつある。特に近衛なんて、俺のことは日常的に見かけるしな。
そんな彼らの士気を、より上げるためには。
簡単だ。勝てると思わせればいい。それが嘘だろうが何だっていい。
絶対に勝てる戦いから逃げる奴はいない。だからこの軍は、この戦いは勝てると思わせられるように。この皇帝のいる軍は不敗なのだと、そう信じさせられるように。
俺は兵士の目を意識した。彼らにとって、戦に勝てる皇帝……戦場で頼りになる皇帝として見られるように、全力でかっこつける。
腕を伸ばし、指先に起点を作り、そして周りの兵たちにも聞こえるように魔法の名前を口にする。
「炎の光線」




