皇王亡命編11
この日は珍しく、元皇太子に限らず皇王、ダロリオ侯も同席しての話し合いとなった。
こうなったのは理由がある。これは予想できていたことだが、案の定帝国の作戦に亡命組が口を出すようになったのだ。
彼らの主張……というより元皇太子のニコライ・エアハルトによる主張は、一刻も早く皇国へ帰還するために全力でロコート王国軍を攻撃しろというもの。
んで、それを簡単に無視する訳にもいかなくなっている。理由は彼らが中小貴族共や商人を抱き込んでいるからだ。
特に厄介なのは商人だ。黄金羊商会が自分の方の準備で手いっぱいのため、兵糧などの支援に、皇王にすり寄ったクソ商人共の協力も必要となってきてしまったのだ。
「よって、我々は諸侯軍がアプラーダ王国に対し陽動作戦を行い、その間に陛下御自身が率いる親征軍によって、目標であるロコート王国を屈服させるのです」
相変わらず変なテンションのファビオによる説明を受け、さっそくニコライ・エアハルトが横から口を挟む。
「しかしこの編制ですと、本隊と別働隊の兵数がほぼ同数ですな。これは如何なものかと」
帝国の軍事に口を出すお前が如何なものかだけどな。まぁこの男、帝国としては邪魔な動きばかりしてくるが、まだ理解はできる。
なぜなら彼は、皇国では孤立して失脚しているから。このまま皇国に帰ったところで、自分を支持してくれる基盤はどこにもない。だからそれを帝国内で作ろうと必死に動いている。爵位を配っているのも、彼らを皇国に連れていかなければ皇王になれないからだ。
全くもって哀れな男だ。ちなみに、報告した編制は誤魔化しまくったやつである。
実際は対アプラーダ攻略の方が主攻であり、主力部隊はほとんどこちらに回している。主体となるのはヌンメヒト女伯軍、ニュンバル弓兵、そして皇帝直轄軍の魔法兵部隊。あとヴェラ=シルヴィにも向かってもらっている。
そこに加えて黄金羊商会の海兵と船舶、傭兵である。
どこを誤魔化したかと言えば、まず黄金羊商会は帝国軍ではないのでカウントせず。
ヴェラ=シルヴィも兵団ではないのでカウントせず。さらに皇帝直轄軍の魔法兵だけ抽出した部隊もその他換算である。
それだけ誤魔化しても対ロコート王国方面の部隊と同数。どれだけアプラーダ攻略がメインかが伝わるであろう。
しかもアプラーダ攻略には、第二陣としてワルン公、チャムノ伯の軍勢から精鋭兵が援軍として送られる予定だ。この兵たちは、今最前線から少し下がり、休息を与えられているという。
しかしまぁ、そろそろ口出してくる頃だろうなとは思い、俺たちも十分に対策した。
「陛下。皇帝直轄軍とはつまり禁軍です。ここはこの作戦を承諾し、協力なさるべきです」
そう、元ダロリオ侯をこちら側に引き込んだのである。先日の酒宴の後、彼から皇王の醜態についての謝罪を受け入れる条件として、今回の作戦を皇王に認めるよう説得させることになったのだ。
まぁ、彼を調略した、というか彼と話を通したのはファビオなんだけどね。俺が懇意になってしまうと、皇王や元皇太子の方が煩そうだからな。
「むぅ、禁軍か。ならば勝てそうじゃのう」
皇国の禁軍というのは、一言で言えば兵数が数十倍になった近衛隊である。近衛並みの練度の兵が、数千から最大一万もいたと言い、これにより皇国は天届山脈以東の覇者であったという。つまり皇国にとって、禁軍=勝利というイメージなのだと。
現在の禁軍はどうなっているのか? それはもちろん、三つに分裂し政争の渦中だ。そもそも帝国の近衛兵並みに人員減ってるしね。過去の栄光は遥か彼方、テイワ朝の終わりは近いと言われるのはそういうところもある。
こうして何とか商人の協力を取り付けた帝国軍は、ついに前線へ軍を進めることとなった。
***
さて、こうして帝都に集結した帝国軍は、作戦通りに二手に分かれ行動することとなった。一つは皇帝が指揮する直轄軍を主体とする親征軍。もう一方は主力である諸侯の精鋭を集めた別働隊となっている。
一応、親征軍の方には皇帝直轄軍の他にラミテッド侯軍とエタエク伯軍、そしてアトゥールル騎兵も加わっている。
だから、最低限は戦える軍勢のはず……だが、正直なところ騎兵頼み感は拭えない。
亡命組には「皇国へ帰還するための道筋を作る皇帝率いる禁軍」と「それを支援する陽動の別働隊」としているが、その実情は皇帝率いる陽動と諸侯の精鋭をまとめた別働隊。
いやぁ、口出しされるだろうなって思ってたから、あらかじめダロリオ侯を抱き込んどいて良かったよ。帝都の留守はマルドルサ侯軍とアーンダル侯軍。ガーフル方面の戦線が無くなった分、随分と余裕が出てきた。
ところが、だ。なんと俺はこの「皇帝率いる禁軍」の出陣に間に合わなかった。それは出発日から五日間、皇王と元皇太子に散々妨害されたからである。
まず、元皇太子の方は許せないがまだ理解できる。自分が抱き込んだ中小貴族が、皇帝カーマインに対して非協力的というか、俺が功績を挙げることを苦々しく思っているのだろう。
もともと宮廷や直轄領で働いていて、即位式の後に非協力的だったり碌に働かなかったりで、俺の命令により職を失ったものも多いからな。
元皇太子は自分の立場が分かっていない行動だが、まぁそれを理解できる脳があるなら、そもそも失脚なんてしていないだろう。
問題は皇王の方だ。こいつも散々、俺の出陣を妨害してくれたが……なんとコイツが妨害していた理由が、本気で俺を心配したためだと。
……意味が分からない。なんでも皇王は、酒の席で倒れるという痴態を晒したにもかかわらず、後日何も無かったかのように接してくれた皇帝に感謝して、その身を本気で案じて、出陣を妨害していたと。
……余計な事すんじゃねぇクソ皇王。つうか分かってんなら酒飲むんじゃねぇ。あと痴態ってそっちかよ、他人の正妻馬鹿にした方反省しろよ。
と、思わず自室で叫び散らかしたが、何とか表には出していない。
ちなみに、「禁軍」と聞いて許可したのになぜ今更止めるのかと聞けば、率いている体裁なだけで実際は宮中にいるのが普通だと思っていたらしい。本当にコイツは……。
その間、皇帝不在でもいいから近衛を含めた皇帝直轄軍の援軍が欲しいというゴティロワ族長ゲーナディエッフェの要請もあり、直轄軍は先に出立した。流石に援軍要請にはすぐに対応するべきだ。
ただ、実は二人の妨害以外にも俺の出立が遅れた理由がある。それは皇帝直轄軍が出立した翌日。よりによってこのタイミングで、皇帝が仮病を使っていたことを知る人間が喋ってしまったのだ。
流石に、全員をずっと拘束しておく訳にもいかず、この頃には解放していたからな。
漏らしたのはその内の一人、貴族出身の伝令である。もちろん、そいつはすぐに密偵によって特定され、秘密裏に処理された。
だが問題はその伝令が、この情報を金に換えようとして複数の人間に接触していたことだった。そのせいで、ヴォデッド宮中伯の指揮の下、帝都で大規模な調査を行う必要があった。その間、近衛は行軍中で密偵も手薄となり、結果的に皇帝は帝都を動けず。
こうして密偵の調査と皇王一行の余計な口出しが止んだのが、直轄軍の出立から五日後のことであった。
この余計な五日間の間に、前線では戦況の変化があったらしい。
まず、正確な情報から。ヴェラ=シルヴィとの定期連絡で、アプラーダ攻略部隊の第一陣が出港したとの報告を受けた。この艦隊は海上を迂回し、アプラーダ王国首都の北側に布陣する予定だという。
また同時進行で、チャムノ伯の率いる対アプラーダ方面軍が総攻撃を始めた。この総攻撃で敵戦力を前線に集中させ、その間に迂回部隊が守備の薄い敵の後方に上陸し浸透する……この戦法だけ聞くと、まるで二十世紀の戦いみたいだ。
続いてベニマ方面。こちらは包囲されていたセドラン子爵が籠る要塞を、ワルン公がついに解放したらしい。これによって、戦況的はほぼ五分まで戻しているようだ。
ただ、敵将が開戦当初から変わり、新しい指揮官はあのゲトー・ド・シャルヌフの養子だという。
……このゲトー・ド・シャルヌフというのは、ベニマ王国の中でも指折りの名将である。第二次・第三次アッペラース紛争において、ベニマ王国軍を率いて何度も帝国軍を苦しめた。アプラーダ王国やロコート王国に比べ国力が低いのに、帝国と対等に戦えていたのは彼がいたからだろう。
そんな彼が自ら選んだ養子という訳で、その実力はまだまだ未知数だが警戒が必要だろう。
そして問題のロコート王国方面。先ほど届いた報告によると、ゲーナディエッフェは増援として送った部隊と合流したそうだ。
そしてこれまで共に戦っていた周辺貴族の部隊は領地に戻し、皇帝軍(皇帝不在)とゴティロワ兵だけで敵主力を迎え撃つということだ。これはゲーナディエッフェ……相当、周辺貴族にイライラしてたな。
あとそうそう、ロコート王国に占拠されていた旧帝国領の貴族について。彼らは基本的に勝手に反乱を起こした連中であり、帝国としては助けてやる義理はない。というか、戦後に領地問題で揉めそうなので、全滅してくれても良いなと言うのが本音ではある。
ただまぁ、今この段階で反乱を起こされても困るので、ゲーナディエッフェは微妙な反応で誤魔化しているそうだ。
これについては、ゲーナディエッフェが異民族の王というのがプラスに作用した。知らないのも無理はないと思われたのだ。
「陛下!」
閑話休題、そんな事情を経て俺たちは皇帝軍から大幅に遅れて出陣することとなった。
メンバーは帝都に残っていた近衛と戦闘経験のある密偵合わせて五十騎。それからヴォデッド宮中伯とエタエク伯だ。
「準備はできましたか!」
相変わらず元気のいいエタエク伯……というか、いつも以上に張り切っている気がする。
「あぁ、問題ない」
ちなみに既にエタエク伯軍は出立しているのに、エタエク伯だけ残っている理由は、エタエク伯が「陛下がご自身の馬に乗られるより、私の後ろに乗った方が早いですよ」と言ったためだ。実際、エタエク伯の馬は非常に体格も良く、またエタエク伯自身も騎馬の扱いは上手いという。
宮中伯もティモナも、他人の後ろに乗っていく方が消耗しなくて楽でいいとの判断だった。相変わらず、過保護な連中である。
そしてこれが決まった時点で、俺の乗馬や荷物は全て皇帝軍と一緒に先行することが決まり、その管理をティモナに任せて先に行ってもらったってところだな。
「さぁ、ボク……じゃない、私の後ろにお乗りください」
いつもとはどこか様子がおかしいエタエク伯に首をかしげつつ、伸ばされた手を掴む。
「皇帝軍の位置は把握できているか」
「問題ありません!」
お前にじゃないよエタエク伯。
「現在地は把握しておりますし、毎日情報を更新する用意もできています」
まぁ、宮中伯なら、流石に俺が言うまでもなくその辺りは完璧か。
「よし、では出陣する」
宮廷の門が開き、外に出る。今からだと決戦には間に合わなそうだが、戦後には合流できるだろう。そしてこの戦いの勝敗で方針は大きく変わるが……まぁ、何度も言っているが主攻はアプラーダ方面。ロコート方面は助攻だし、臨機応変に対応すればいい。
こうして五十騎の集団は暫くして帝都から出ることができた。流石にこの少数では大々的に出立とはできないが、道行く人はかなり手を振ってくれた。まだ支持率高そうで良かったよ。
「それで、陛下。これって急ぐんですか?」
しばらく進んだところで、エタエク伯は世間話でもするようにそう言った。
「……さては話聞いてなかったのか。大急ぎだよ」
かなり遅れてしまったからな。これだけ少数の部隊でしかも全員騎兵となれば、二日でかなりの距離まで近づけるはずだ。あとはそのタイミングで皇帝軍がどこにいるかだよなぁ。
「大急ぎなのですか」
ちなみにエタエク伯軍も皇帝直轄軍も最高指揮官が不在なので、行軍中の指揮官はラミテッド侯であるファビオだった。順調に目的地までたどり着いたみたいで良かったよ。
「では、急ぎますか」
俺の目の前で、エタエク伯が何かの魔法を発動させた。それが何の魔法なのか聞く前に、彼女はこう叫んだ。
「死ぬ気で掴まっててください!」
いや、急ぎってそういう、いみ、じゃ│
***
「到、着! です!」
「へ、陛下!?」
あたまいたい、きもちわるい、からだがいたい。
「いったい何が!」
「ぎ、きもちわづい」
朦朧とする意識の中で、誰かに支えられ、胃の中身をぶちまけた……ような気がする。
気付いた時には簡易的な椅子に座っており、ティモナの助けで水を飲んでいた。
……まだ心臓が大きな音を上げ、脳もくらくらする。正直、エタエク伯の後ろに乗って、しばらくしたころから今まで、記憶がほとんどない。
ていうか、ティモナだと?
「まさか、ぶっ通しでここまで?」
バルタザールの驚いた声を聞き、俺は顔を上げる。そこにはバルタザールの他に、ゴティロワ族長ゲーナディエッフェらが驚きの表情でこちらを見ていた。
「はっ、陛下が大急ぎとおっしゃっておりましたので!」
途中でやっぱやめてくれって訴えようとしたわ! でも喋ろうとしたら舌噛み切る自信しかなかったから喋れなかったんだよ!!
前世含めても初めての乗り物酔いかもしれない。まだ体が揺れてる気がする。まだ喋れないくらいのダメージだ。本気で、本当に、死ぬかと思った。
「大丈夫?」
少女がそう言って背中をさすってくれる。兵士にしては、随分と軽装だ。
ん? というかこいつどっかで見たことある気が……。
「そんなことができるのか」
「エタエク伯の愛馬、名馬揃いのカルナーン軍馬の中でも断トツの一頭ですから」
そうゲーナディエッフェに答えたのは、またもや内政担当なのに連れて来られたらしいフールドラン子爵だった。噂によると、彼がいないとまともな補給もできず、略奪するしかなくなるので連れてきているそう。この脳筋集団め……。
「伯爵、あなた以外は耐えられないんだから、他人乗せてるときに全力で走っちゃダメだって言ったじゃないですか」
「いやいや、陛下なら耐えられるよ。現にこうして生きてるし」
やっぱそうだよな! これ普通に死ぬ奴だよな!!
途中でマジで命の危険感じて本気で魔法使ったよクソっ!
「帝都からここまでほぼ一日とはな……これ、本当に馬か?」
ゲーナディエッフェとフールドラン子爵は俺の心配をよそに馬の話しかしない。
「圧倒的なスタミナとパワーがあるものの、とんでもなく暴れ馬なんで彼女以外は乗りこなせないんすよ」
マジで意味分かんねぇ、なんで帝都からこの距離を一日で踏破できるんだ? しかも途中一回も休憩挟まなかったし、いっさいペース落ちなかったぞ。
「最高速度を出し続けたのか……普通は潰れるだろう」
「常に回復魔法を全力で注ぎ込んでおりますので!」
ほぼほぼドーピングじゃねぇか。地球だったら動物愛護団体に訴えられてるぞマジで……。いや、なんか途中でちょっとした川飛び越えてたし、本当に馬か、こいつ。
改めて視線を向けると、その馬は到着してからここまでずっと水を飲んでいたらしい。やっと顔を上げたかと思えば「ひとっ走りした後の水は沁みる……」とでも言わんばかりに恍惚とした表情を……人間みたいな馬だな。
そして与えられた飼葉を食べ始めた……伯爵も伯爵だが馬も馬だな。
「……密偵長は?」
ティモナの問いに、エタエク伯があっけらかんと答える。
「護衛の皆さんは付いてこれなかったようです。でも誰も捕捉できないんで暗殺の心配もありませんよ」
……そういえば途中、なんか賊の一団みたいなの蹴散らしてた気が……そんな景色もすぐに遥か後方へと流れていったからよく分からなかったけど。
「全てを置き去りにする速度で駆ける、これぞ最強の護衛です」
ドヤ顔でそう言ったエタエク伯の頭を、フールドラン子爵がひっぱたく。もうこの二人はセットにしないとダメそうだ。あと護衛対象は死にかけてるけどな……。
つうか、馬に身体強化をかけて、同時に回復魔法とか……あと他にも二つくらい同時に魔法使ってたぞ。
どんだけ高難易度の魔法を同時に使ってるんだ。しかも馬を操りながらって、俺には絶対無理だぞ。
「化け物め……」
「陛下のお役に立てるとは、この子も都市一つ担保に買った甲斐ありましたね!」
いや、その馬も大概だが、お前だよ問題は。皇帝暗殺未遂だぞこれ。
……って、都市担保に馬!? マジで何してんだ。
「あぁ、そうだ。陛下、回復魔法を」
そう言ってエタエク伯が近づいてくるが、俺は反射的に思わず逃げようとしてしまった。
「本当に回復魔法なんだろうな……?」
これがトラウマか……足の震えが止まらない。
「あれ、もう痙攣始まってますか。今のうちに回復しておかないと」
あぁ、筋肉痛とかか。いや、普通に怪我もしてるかもしれないけど。
そしてエタエク伯に手を当てられるも、伯爵は怪訝そうに首をかしげる。
「アレ? ボクの魔法が弾かれる」
……あぁ、そうか。それたぶん体内に溜め込んだ魔力で魔法の効きが弱まってるのかも。
体内に魔力を溜められるって気が付いてから、毎日吸収と圧縮を繰り返してるからな。もうそんなに溜まってるのか。
けどまぁ、それは開示しない方の切り札だ。黙っておこう。
「問題ない、効いている」
俺はそう言って、自力で立ち上がる。最悪、魔力で無理やり動かせばいいしな。
「しかしコイツは困ったな」
視線を向けると、珍しく真剣な表情を浮かべたゲーナディエッフェと目が合った。
「来ない前提で作戦立てちまった。どうする?」




