演技する幼児
皇帝になることを決意し協力者を手に入れた訳だが、まずやらなければいけないことを忘れていた。
「どんな為政者になるか」
これを決めるべきだろう。
その為に目標を定めようと思う。
俺も人間だ。いくつか望みはあるし、その中で最も大きいもの……野心と呼べるものがある。
それは「後世において名君として語り継がれること」だ。
いつか歴史の歯車が進み、俺が「過去の偉人」として語られるとき――そのくらいの功績を建てるのが前提だが――「暴君」や「暗君」として語られるのは我慢できない。これはちっぽけなプライドでもある。
それを避けるために、「善政」を敷く。
だが「誰にとっての善政か」というのは大きな問題だろう。例えば「平和主義」でどことも戦争をしない王は、他国にとっては名君だろう。だがその為に自国の利益を捨て続けていたならば、自国にとっての名君とは言えない。
俺は帝国の皇帝だ。故に、この国にとっての善政を敷く。その為に他国を滅ぼすことも、虐げることも辞さない。
とはいえ俺は前世の、地球の歴史を知っている。もちろんその歴史と同じようにこの世界が進むかは分からないが、大いに参考にはなるだろう。つまり、未来をある程度予測できる。
にもかかわらず目先の利益・繁栄のみを見ていては、このアドバンテージが活かせないというもの。
俺は世界帝国を一代で築きながら、自らの死により国を瓦解させてしまったアレクサンダー大王のようになるつもりはない。
そんな才覚もないだろうしな。
つまり、俺の死後も帝国が繁栄できるような政策を敷き、不必要な遺恨を残さず、将来問題となりえることに対する解決策をいくつか撒いておく。
すなわち、この先数百年に渡り帝国が繁栄するような善政を敷く。
これが俺の目標だ。
もっとも実際に数百年続くかは俺の知ったことではないがな。今の帝国のように、それを壊すのは一代で足りる。
まぁともかく、その為にはまず実権を握る必要がある。それにあたって宰相と式部卿、それから摂政……こいつらは粛清しなければならない。
だがこの粛清は一撃をもって、同時に成し遂げねばならない。
誰か一人でも生き残れば俺と対立し、国が割れるだろう。そうすれば苦しむのは帝国の民だ。
だから俺がしなければならないことは、まず宰相派と摂政派を争わせることだ。ただし、内戦を起こさせない範囲で。そして双方の勢力を削りながら、できるだけ俺独自の勢力を作る。
問題はこれら全てをバレずに行わなければいけないということ。バレたら即、暗殺コースだろうな。
つまり今は雌伏の時だ。力をつけ、密かに自分の勢力を手にし、そして腐った貴族共を一掃する。
そのためなら愚者でも傀儡でも演じよう。今、どのように評価されても構わない。
後世の評価のみ、俺は気にするだろう。
***
さて、俺はもうすぐ6歳になる。そこで問題となってくるのが……教育だ。
ちなみに先代皇帝が教育を受け始めたのは4歳の頃らしい。それと比べるとかなり遅い。まぁ、傀儡であってほしい皇帝に教育を施したくないんだろう。これはどこの世界でも一緒だな。
だが先日の婚約騒ぎで、無知は却ってマズいと判断されたらしい。……ベルベー王国絡みで色々な騒ぎになったみたいだしな。
その上、どうやら俺の教育がなされていないことについて中立派諸侯の批判を受けたらしい。
んで、これを機に中立派を取り込んで勢力を巻き返したい摂政派が、「摂政が教育をする」と宣言。
対抗して宰相派も教育の開始を確約。現在は誰が何を教えるのか、教育係をめぐっていつものように争っている。
人の教育を派閥争いの道具にするんじゃねぇ。
まぁ、どちらの派閥が教育することになっても、自分たちに都合のいい情報や歪んだ知識のみしか教えないだろうけど。
だが俺はこの国をいずれ治められるだけの知識が欲しい。
帝王学なんて前世の知識にはないからな。まずは、せめて一科目でいいからまともな教育を受けたい。
だから俺は、いつも通り面倒な芝居をした上で、自室にヴォデッド宮中伯を呼び出した。
「もうすぐ余は教育を受けはじめる。その際、歴史を教えるのは家令のヘルクが内定しているのだな?」
「えぇ、前回ご報告した通りです」
教育が始まりそうって話も、目の前の食えない男から聞いた情報だ。というか、最近得た情報の大半はこの男経由だ。
前回の報告によれば、本来皇帝に教育されるのは語学・算学・歴史・宗教学・軍事学・魔法・芸術教養・護身術・政治学・乗馬の10科目。
だが俺に施される予定の教育は語学・歴史・宗教学・芸術教養・乗馬の5科目のみ。
俺に武力を持たせず、政治力を与えないという強い意志を感じる。
……傀儡にしようとするのは分かるが、露骨すぎないか?
その他5科目は「様子を見ていずれ」だと。まぁ、百年後でも「いずれ」だからな。嘘は言ってないってやつだ。
このうち、宗教学と芸術教養は宰相派が、語学と乗馬は摂政派が教える予定。そして歴史学が中立派から家令のヘルクが教えることになっているらしい。
ここまでがヴォデッド宮中伯から聞いた情報だ。
……この男に頼りきりになるのは危険だとわかっているのだが……他に頼れる人間いないしな。
ちなみに「中立派諸侯の批判」はタイミング的に、この男が裏で手を引いているとみていい。俺と話して、使えそうだと判断したんだろう。
「他の科目についても前回の報告通りで固まったようです」
「そうか。ならヘルクを退けさせる。その後釜に卿が名乗り出ろ」
もともと歴史に関しては中立派の人間が、帝国の歴史だけを教えるつもりだったらしい。だがヘルクは裏で宰相派に繋がっている。
奴ら宰相派に都合の良い歴史だけ吹き込まれるのも癪だからな。
「構いませんが……他の科目はよろしいので?」
「語学・芸術・乗馬は誰が教えても変わらんだろ。宗教は……そもそも真面目に聞く気が無い」
そういうの、前世から苦手なんだよな。端から疑って聞いてしまう。
「かしこまりました。 ……援護は必要ですか」
「いらん。卿も余がどのくらい使えるか見たいだろう」
俺がそう言うと、宮中伯は笑顔で「恐れ入ります」とだけ言った。
***
その機会はすぐに来た。俺が歩いていると、家令のヘルクと式部卿が話しているのが見えたのだ。
二人は俺に気づくと、ピタリと話すのを辞め、頭を下げる。
「なんじゃお主ら。仲良かったのか」
「お久しぶりです陛下」
声をかけてきた式部卿に俺は答える。
「うむ、久しいな。ベルべー王国のことは良くやった。お主のような忠臣がおって、余もうれしい」
……あーやばい。思ってもないこと口にしたせいか、鳥肌が立ってきた。
そんなことを知らないアキカール公は感極まったフリをする。
「おぉ! なんと有り難きお言葉。これからも陛下のために老骨に鞭打ち御奉仕させていただきます」
いや、さっさとあの世行って欲しいです。てかリアクションが大きくてウザいなぁ、こいつ。これが祖父って、何だかなぁ。
「もっと気軽に余を訪ねるといい。さいきん母上と会えぬからな」
「なんと! よろしいので?」
驚いた顔をする式部卿。その隣で平然としている家令。……悪いがお前らの蜜月の関係は終わりだ。
ニヤけそうになる口元を鋼の意思で抑えながら、俺は式部卿に言う。
「良いも何も、さいしょうは余が入ってくるなと言ったのに来たぞ」
これは本当のことだ。ヘルクが宰相派と繋がっていると気づいた時の事だな。
「……なんですと?」
素が出てるぞ式部卿。
ヘルクが何か言う前に俺は続ける。
「しかたあるまい。ヘルクはさいしょうとも仲が良いのじゃ。よく二人きりで話しておる」
これは完全に嘘だ。そんなところを見た事はない。今だって、アキカール公の周りには人が何人もいる。護衛、貴族、侍女……たぶん、この宮廷内で一人になることは無いだろう。それはきっと宰相も同じだ。
もし二人きりで話すとしたら、それは内密に話さなければいけないときだけだ。
「ご、誤解です。式部卿! そのようなことは決して」
「なにっ。余のことばが嘘だと申すのか! 余は忘れんぞ!! 母上がさいしょうに気をつけるよう言った日のこと、忘れておらぬぞ!」
ヘルクが否定したかったのは「二人きりで話していた」部分だろうが、俺は話をすり替える。今回の目的は式部卿に、ヘルクへの不信感を抱かせることだからな。
「い、いえ、それは」
「もうよい。 ……陛下、お言葉を疑うだなんてとんでもございません」
「うむ。ならいいのじゃ」
子供の言うこと一つで信じる訳が無い。だが疑念を抱かせることには成功しただろう。当然、式部卿は事実を確認するべく調査する。
そしてこの家令は実際に、間違いなく宰相派と繋がっている。
これでヘルクはしばらく大人しくするだろう。一度芽生えた疑念はそう易々と拭えないしな。
「余は戻る。しきぶきょうもヘルクのようにさいしょうと仲良くするのじゃぞ」
最後に、子供らしく「みんな仲良く」アピールしてその場から離れる。一度も思ったことないけどな。
実際に仲良くなられたら困る。だって両派閥ともに潰すつもりなんだから。
その後、歴史の授業は無事ヴォデッド宮中伯が担当することになった。