皇王亡命編8
少しだけ時間を捻出した俺は、ロザリアのところに顔を出していた。
「悪いな、なかなか顔出せなくて」
ロザリアが自らの手で淹れたお茶をもらいながら、俺はそう謝った。普通の皇帝はこんなに宮廷の外には出ないから、もっと妃との時間があるのが自然だろう。
俺は自分で言うのもなんだけど忙しい。あと何より、ロザリアがあまり我儘とか言わないからそれに甘えてしまっている側面もある。
「私は平気ですわ。それより、お体は平気ですか、陛下」
体? まぁ、忙しくてちょっと寝不足の感は否めないが、まったくもって平気だ。
ぶっちゃけ、傀儡時代の方がしんどかった。あの頃は監視の緩む夜中に訓練とか勉強とかしてたからね。
「特に問題はないけど……なんでだ?」
俺がそう訊ねると、ロザリアはクスクスと笑った。
「病だったのでしょう、陛下」
あぁ、そういう。完全に仮病だって分かってるだろうに。
だがロザリアは、笑顔を浮かべると、さらに続けてこう言った。
「なんでも、エタエク伯が何日も付きっきりで看病なされたとか」
心臓止まったかと思った。……というか、笑顔なのが怖いよ。
「仮病だから。しかもそれ護衛だから」
「あら、そうですか」
声色は、怒って無さそうだ。むしろ冗談を言っただけのような……いや、洒落にならないけど?
というか、なぜか女性関係について信用無さすぎない? 俺。
「もし手をお出しになられたら、ちゃんと側室にしなくてはいけませんよ?」
「出さないよ。そんな人を節操無しみたいに……」
俺が少しムキになって反論すると、ロザリアは朗らかに笑って言った。
「賑やかな後宮というのも楽しそうですけど」
えぇ……絶対いやだよ。その後宮、ギスギスしてて心休まらなそう。
「というか、同じ天幕で暮らして思ったが……あれは本当に男として育てられている」
なんというか、女性らしさを感じたことは一度も無かった。まぁ、比較対象がお姫さまであるロザリアたちなのが悪いのかもしれないけど。
「あんなの見たら、百年の恋も冷めるぞ」
それにしたって酷かった。それくらいのものを見てしまった。まぁ、常に快活だから、天幕内の雰囲気が悪くなることは無かったけどな。
ロザリアのお陰で妃間の関係は悪くないし、いらないだろう。
「それは残念ですわ。でも、側室を加えるときはちゃんと相談していただきたいですわ」
だから増やさねぇって。
そして少しの間が空いて、ロザリアはぽつりとつぶやいた。
「また前線へ行かれるのですか?」
「あぁ。そのことを伝えに来た」
ちょっと悲しそうな顔をするロザリアに、俺はそうせざるを得ない理由を説明する。
「誰から耳にしたのか知らないが、ジョエル・ド・ブルゴー=デュクドレーが皇王に気に入られ、皇国伯爵の称号を与えられた」
彼は前回のロコート王国との戦争……第三次アッペラース戦争において、ロコート王国を相手に連勝した将軍だった。話によると、ロコート王国の首都にまで到達したという。だから本当は、今回の戦争でも皇帝直轄軍の指揮を執ってほしかった。
だが彼は、元々皇国からの亡命貴族の家系であった。それを聞いた亡命組連中は、自分たちが動かせる指揮官が欲しかったのもあり、即座に伯爵号を与えてしまった。
「それは……陛下に断りもなく?」
「あぁ」
困惑した表情でロザリアは首をかしげる。
「それは……非常識なのでは」
俺の直臣になっていたジョエル・ド・ブルゴー=デュクドレーを、俺に断りもなく勧誘したあげく、称号を与えて引き抜いた。
マナー違反、というレベルじゃない。他国がやったら関係は悪化し、最悪の場合戦争までいく。
相手が皇王ってのが本当に面倒だ。同格相手だから俺が命令できない。
法の専門家たるシャルル・ド・アキカールも、「行動を制限することはできても、罰するのは無理」と言っていた。
だから一度与えられた爵位を撤回させることもできない。
ジョエル・ド・ブルゴー=デュクドレー本人は、帝国貴族と皇国貴族の両方に属している認識らしいが……爵位を受け取った時点で、俺はもう軍指揮官として彼を信用できない。
まぁ、彼の立場からすれば皇王からの爵位の下賜を断る方が難しいってことだろうけどな。それでも、失望はある。
「そういうのばっかだ」
口からは思わず、愚痴があふれ出る。
「勝手に皇国の人間に手紙を出そうとするわ、勝手に帝国貴族を雇ったり囲い込んだり。挙句の果てには、罪人を許せと口出ししてきた」
「ええと……罪人ですか?」
正直、一番頭に来たのはその件だ。
「あぁ。連中が皇国から亡命してくるときに、賄賂を受け取って黙っていた貴族と、亡命に協力した商人。帝国の法に則り処分するはずだったこいつらを許してやれと言ってきたんだ」
なーにが許してやれ、だ。自分たちの立場を弁えてもの喋れよ。絶対分かってないだろう。
「えぇと……まだ正式に亡命を受け入れた訳では無いのですわよね?」
「あぁ、恐ろしいことにな」
あいつら、絶対に後先考えて行動していない。呆れを通り越して心配になってくるレベルだ。
予想はしていたが、好き勝手してくれる。そりゃ皇国から逃げようとしても黙認されるわ。対皇国の大義名分として必要だから確保しているが、いるだけで強烈なデバフとして作用するんだもんな。
特に皇王は本当に何も考えてないと思う。罪人を助けるよう口出ししてきたのは、本当に世話になったと思ったからだろう。いや、じゃあそもそも賄賂贈んなよ……って常識は通じない。
元皇太子ニコライ・エアハルトの方が三下だがまだ理解できる行動を取っている。あいつはこの国で発言力を得るため、ひいては皇王より実権を自分に集めるため。人材の引き抜きを行っている。
ちなみに、元ダロリオ侯アロイジウス・フォン・ユルゲンスはそのたびに反対しているが、止められずにいる。ブレーキの効きが弱すぎるな。
まぁダロリオ侯は、このままだと見限られると主張しているがそんなことはしない。地獄に落ちるまで利用してやるよクソが。
「その者たちは、お許しになられたのですか?」
まともな教育を受けてるロザリアも罪は罰せなければならないと分かっている。こういうところで前例を作ると、あとで良くないことになることも。
そんな懸念が滲む声色のロザリアに、俺は安心しろ、と笑いかける。
「いや、それについては不幸中の幸いと言うべきか、ティモナが気を回してくれてな」
俺もかなり驚いたが、そんな理不尽な要求と言うか、介入に腹を立てた翌日のことだった。
***
「申し訳ありません、陛下。例の貴族と商人の身柄ですが、捕らえようとしたところ激しく抵抗され、その場で殺さざるを得なかったとの報告が入っております」
ティモナはいつも通り、集まった連絡や情報を整理し、俺に報告していたが、その中で突然、片膝を付き、そう謝罪した。
「私の失態です。お許しを」
俺はこの時、かなり突拍子のない話で面食らっていたが、すぐに意味を理解して思わず笑った。
「そうか、拘束しようとしてやむなくか。それは残念だが仕方ないな」
抵抗されたんだから仕方ない。皇王一行は不快に思うかもしれないが、死んでしまったものは仕方ないし、抵抗されたんだから仕方ない。過失であり、抵抗した方が悪い。
真相がどうかなんて俺は知らない。俺がそうするよう命じた訳でもない。これを材料に俺が攻撃されることは無いだろう。
俺は、我ながら悪い人間になったなと思いつつ、ティモナに訊ねた。
「表向きの報告は聞き入れた。それで、ティモナが密偵を使って処理したのか?」
そもそも、彼らを捕らえて護送するなんて仕事、忙しいティモナに俺はわざわざやらせない。
なのにティモナが「自分の失態」として謝罪したということは、ティモナが密偵に命じて秘密裏に処理したということだろう。そして謝罪の意味は、俺に伺いを立てず、勝手に動いたことへの謝罪ってことだ。
「はい。面倒なことになる予感がしましたので」
しかも、この言い方では助命嘆願される前から殺す決定をしていたということだ。
俺は優秀な仕事ぶりを発揮したティモナに訊ねる。
「宮中伯はなんて?」
「甘い、と言われました。当人だけでなく、一族郎党殺さなければ見せしめにならないと」
それは……いや、流石だな。ここでやりすぎではないかと躊躇ってしまう俺の方が、為政者としては間違っている。
「だがティモナはそうしなかった」
「警告という意味であれば、これだけでアロイジウス・フォン・ユルゲンスらには十分に伝わります」
やはり、ティモナなりに考えがあってのことらしい。
「ですが、仮に一族郎党殺しつくしたところで、伝わらない者には伝わりません」
これは……皇王のことを指してるんだろうなぁ。
まぁ、外見的なアレでティモナは皇王に近づかせないようにしているが、それにしてもティモナの皇王に対する態度が露骨すぎる。
「それと、今回向かわせた密偵には、『ロタールの守り人』を偽って名乗らせました。仮に遺族が復讐を目論んでも、その矛先は宮中伯です」
「いや、それはダメだろう」
流石の俺も、それはどうかと思う。ヘイトが皇帝に向かないようにしたいのは分かるけど、無関係の宮中伯が巻き込まれるのはいったいどうなんだ?
そんな懸念を他所に、ティモナはきっぱりと答えた。
「あの男なら、問題ないでしょう。そういったことには慣れています」
「いや、それは……うーん……まぁ、いいか」
宮中伯なら、と俺も思ってしまったので、これ以上何か言うことはできなかった。
とまぁ、そういうことがあった訳である。ほんと、ティモナが優秀で助かるよ。
ちなみに、宮中伯からは特に何も言われていない。まぁ、もしかすると俺の知らないところで宮中伯とティモナの間で話があったのかもしれないが。
「しかしまぁ、あんな皇王だからこそ、みんな生かしておいたんだろうな。次期皇王へ『禅譲』させるためだけの存在として」
俺だけじゃなく、皇国でも利用されるために生かされてた。今各派閥に擁立されてる皇太子もそんな感じだろうなぁ。
「禅譲、ですか?」
あまり聞き慣れないという様子のロザリアに、俺は説明する。
「君主が血縁者以外にその地位を譲ることを指す言葉だ。君主の座を無理やり奪う『簒奪』とは違い、平和裏に王朝交代が行われる……ってことになっている」
まぁ、「禅譲」っていうのは地球の東洋圏の歴史によく出てくる概念だから、この世界でもその言葉が最適かは分からないが。
「簒奪は分かりますわ……ですが、それがまかり通るような状況で、君主の座を譲ってしまえば、その先は自明の事に思えますわ。なぜ譲られてしまうのでしょうか」
さすがはロザリア、よく理解している。そんな状況になるってことは、もはや君主にはその冠くらいしか残ってない状況だ。そんな状況で、自身の身を守る唯一の術まで手放したら、まぁ確実に殺されるだろうね。
「簡単な話だよ。刃物を突き付けて禅譲を迫るんだ」
「それは……簒奪と変わらないのでは」
実際、地球の歴史上では禅譲と称していても、譲られる側が強制して行ったパターンは非常に多い。というか、ほぼ全部そうだったんじゃないか。
「それでも、殺して奪うより奪ってから殺す方が、冠は汚れないからね」
実際には簒奪に近いものでも、新王朝の正統性を示す演出として行われるのが禅譲だ。
ちなみに、禅譲した先代王朝の一族を殺さずに保護した王朝もあった。だから絶対に殺されるとは言い切らないが……まぁ、禅譲すれば九割は殺されるね。
「皇国は、聖一教を受容して以来一貫して『皇国』を国号としている。今はテイワ朝だからテイワ皇国と呼ばれているけど……彼らも先代王朝の最後の皇王から、禅譲を受けて始まった王朝だよ」
だから、テイワ朝を滅ぼすときも禅譲させよう。それが皇国貴族の共通認識だった……たぶん、王朝の創始者の座を巡って熾烈な争いがあったはずだ。
そんな時に当の皇王に逃げられるとか、寝耳に水ってレベルじゃなかったろうな。
……俺にとってもな!
仮に愚帝列伝とかあったら確実に名前が載るであろう皇王だぞ。後世の歴史には、亡命先の国家を二分しかけるとか書かれるんじゃないだろうか。
しかもその長男まで酷い。煩いし出しゃばりだし本当に大変。
「今日の会議も酷かった……」
会議は踊る、されど進まず……まぁ俺たちの場合は進ませず、なんだが。
「ですが、予算の都合はついたと聞きましたわ」
「あぁ、そこは思い通りに動いてくれて良かったよ」
俺は会議の場で予算不足を前面に押し出した。それを真に受け、予算の都合がつけばいいと考えたニコライ・エアハルトは、大量の商人や帝都の中小貴族に金を捻出させてこれを予算とした。
たぶん、商人や中小貴族には自分が皇王になった暁には、みたいな利益をちらつかせたのだろう。そんな何の確証もない空手形を乱発する方も方だし、それを真に受けて金出しちゃう方も問題だ。
まぁ、そもそも予算不足ですらないんだけどね。新硬貨の発行による帝都の好景気や、黄金羊商会から大量の金を借りられるので、出そうと思えばいくらでも出せる。
でも帝都でまともに働かないから職にあぶれているような貴族共が、一斉に皇王一行に群がったのを見て、これは金巻き上げられるなって思ったから金が無いという嘘を吐いたのだ。
金さえあればいいと騙されたニコライ・エアハルトと、その口車に乗せられて「金さえ払えば楽においしい思いできる」と考えた馬鹿共。
「払わせた金はそれなりにまとまった金になった」
どうせ、どいつもこいつも商人から金借りたんだろう。いい加減心を入れ替えて真面目に働けばいいのに、利権に群がるしか能のない連中だ。
そんな連中相手の、新手の詐欺みたいな流れで集めた金だ。
「ちゃんと使うよ、皇王らの滞在費にな」
ニコライ・エアハルトはこの金で俺が皇国と戦う備えに金使うと思い込んでるけど、俺はそんなこと一度も言ってないし。
つまり、皇王一行が帝都で使う金を、皇王一行らに稼がせただけだからな。働かざるもの食うべからず、ちゃんと還元してやってるだけ、俺は皇王一行に対し相当甘いぞ。
え? 金ないのに借金してまで資金供出した帝国貴族? 知らん。そのまま金の担保に命とか私邸とか持っていかれた方が帝国のためになるんじゃなかろうか。
まぁ、話を戻して、だ。
「ともかく、ジョエル・ド・ブルゴー=デュクドレーが引き抜きを受けた。それが本人の望んだ物かどうか分からないが、もう信用できない」
皇国の息がかかった時点でアウトだ。少なくとも皇帝直轄軍の指揮は任せられない。もう信用できないのだ。
「皇帝直轄軍を動かせるのが俺しかいない」
ほんと、やってくれたなって感じである。
「だから俺が皇帝直轄軍を動かすしかない」
もちろん、例えば影武者を作って皇帝直轄軍を率いさせ、その間宮廷に引き籠る……みたいなことも可能と言えば可能だ。あくまで名目上は俺が動かしてるってことにすればいい。だが俺の性格上、そんなことするくらいなら戦場に出るってことは、ロザリアも理解している。
ロザリアは、何かを言いかけていた。だがそれを押し殺して、困ったような笑みを浮かべた。
「……どうかご武運を」
俺はハグするように、ロザリアを抱き寄せた。
「いつも心配かけてすまないな」
それでも、俺はこの選択が最適解だと思って動き続ける。皇帝として、帝国のために働き続ける。
そして何より、今回みたいにリスクを負った作戦を立てるなら、皇帝の存在ほど罠に使える材料もないだろうし。
そんなこと考えていると、耳元でロザリアが囁いた。
「ちゃんと次はナディーヌのところに行ってあげて。順番どおりに、ですわ」
「……今それを言うか」
今は他の女のこと考えないで! ……これちょっと一回言ってみたいかも。




