皇王亡命編6
レイジー・クロームと個人的な対談をする直前。俺はイレール・フェシュネールを呼び出すように頼んでいた。
するとなんと、予想外の早さで彼女は俺の元へやってきたのだった。俺はレイジー・クロームと入れ替わるようにやってきた彼女を部屋に招き入れる。
「今回は最初から帝都にいたのか、イレール・フェシュネール」
「はいぃ。お呼ばれしそうな気配がしたのでぇ」
この女はいつも話が早いが……今回は行動も早い。
油断ならない味方であり、そして敵に回したくない人間……だがそれ以上に、帝国に利をもたらすような商品を約束する商人だ。それがイレール・フェシュネールである。
「皇王にはもう餌付けしているのか」
まずは世間話の雰囲気で探りを入れる。まぁ、軽いジャブみたいなものだ。
「うちでしか取り扱えない物も多いのでぇ」
それに対する返事がこれだ。
あぁそうか。カカオとか取り扱ってんの、この大陸じゃあこいつらくらいだろうし。独占してると強いよなぁ。
「あまり甘やかすなよ」
「はいぃ。いずれ二人からは巻き上げるのでぇ」
……こいつらはカカオとか砂糖みたいな嗜好品を扱ってる。そして皇王は甘いものに目がない。
つまり最初はタダで餌付けして、依存させて、それ無しでは生きられないようにしてから金を搾り取るってことか。
「そうだ、先に純粋な商売の話を済ませておこう。近いうち皇王たちを歓待する宴を開くと思う。その際、皇帝から贈り物を送る。そちらで良いものを見繕ってはくれないだろうか」
皇王も元皇太子も、私欲を優先するタイプだから扱いやすくはある。そういう人間相手には、好みの物をプレゼントするってのは効果的だ。
これが優秀な人間相手だと、どんなに金積んでプレゼントしても、「それはそれ、これはこれ」って分別されてしまうからなぁ。その点、アイツらは分かりやすくはある。
まぁ、流石に皇王なだけあって貴重な品を贈られることには慣れてそうなのが面倒だが。
「かしこまりましたぁ。ご予算の方はぁ?」
「悪いがこれは財務卿と話し合ってくれ。ちゃんと俺の私財から出す」
出していい金額とか、細かくは分からない。それに……俺が見繕うと、「なんでこんな奴らにこんなに金をかけなくちゃいけないんだ」って本当に殺意が芽生えると思う。
だからこの辺は一切を財務卿に任せる。財政に関しては、彼のことをしっかりと信用している。
俺が傀儡の頃に、着服しようと思えばいくらでもできたのにニュンバル侯は一切しなかった。ほとんどの貴族がやってたのに、だ。
だから俺も、心から信任できる。
「御用商人としての仕事ですねぇ。確認はいりますかぁ?」
「いらない……あぁいや。ティモナに報告だけはしてくれ」
基本的に、俺は自分の私財の総額とか確認しないようにしている。
人間、金持つと欲が湧くからなぁ。俺の場合は魔法関連の書物とか研究資料とか、そういうのを買い漁りたくなるんじゃないだろうか。
「そちらも、かしこまりましたぁ」
そういうことで余計な金を使わないようにしている。だが管理は必要だ。その管理はニュンバル侯だが、所持額についてはティモナにも共有される。
あと、直接聞きたいことと言えば……。
「アキカール=ノベ侯領南西部の攻略はどうなっている」
俺が以前、黄金羊商会に頼んだ仕事の進捗状況を訊ねる。それ以外の部分については報告を受けているが、ここだけは直接聞かないと詳細は分からない。
「『制圧』はまだまだですけどぉ、『攻略』はほとんど終わりましたぁ」
……なるほど、つまり土地の占拠は進んでないが、人の攻略は進んでいると。調略メインで進めていたのか……というか、これはもしかしてアレか。
「それは進んでないのか、進めてないのか」
「後者ですぅ」
なるほど、あえて進めていないと。つまりそうするだけの理由があるのか?
俺がその理由について尋ねようとすると、イレールの方から先に答えが返ってくる。
「リカリヤから火薬以外の軍事品をアキカール諸勢力が購入してますぅ」
……リカリヤから反乱軍への支援だと? いや、これが無償なら完全に敵と見なせるが、普通の貿易か。黒に近いグレーだな。
帝国に余裕があれば、反乱軍への支援として抗議していたが、今は余裕がない。見て見ぬふりしかできない……厄介な連中だな。
「それなら尚更、アキカール=ノベ侯領の港は押さえておいた方が良いんじゃないか?」
リカリヤからの物資の流入を絞れば、その分アキカール諸勢力は弱体化する。
すると俺の疑問に対し、イレールはきっぱりと答える。
「アプラーダに流れられるよりはマシだと思いましてぇ。アプラーダへ出兵する直前がタイミング的にも理想かとぉ」
アキカール地方へのリカリヤからの支援を断ち切ると、その支援先がアプラーダ王国になる可能性が高いだと? いや、連中の目的を考えれば納得か。少しでも帝国の戦力を削ぐための嫌がらせみたいなものだし。
アキカール地方の反乱軍は互いに争っており、彼らが買った商品は帝国相手だけでなく反乱軍同士でも消費される。
一方、アプラーダ王国が購入するようになると、その矛先は帝国だけに向かう。より厄介になる……なるほど、確かにそうかもしれない。一理ある。
しかし驚くべきは、この女が依頼された仕事だけでなく、帝国全体の損得まで気を回していることだろう。
サービスまで充実しているとは素晴らしいことで。
「現状のままリカリヤからアプラーダ王国に支援はほとんどないと?」
「陸は分かりません。でもアプラーダ王国はリカリヤの仮想敵国ですぅ」
それはそうだ、隣国だしな。だから帝国の伸張を警戒するリカリヤの支援先が落ち目のアキカール反乱なんだろうし。
アキカール諸勢力がいる限りは、リカリヤとしてもリスクの低い選択をし続けるってことか。
「理解した、問題ないなら余としては構わん」
まぁそもそも、アキカール=ノベ侯領海岸線の占領って、アプラーダ王国攻略の足掛かりとしてって話だし。極論、アプラーダ王国さえ攻略できれば、アキカール=ノベ侯領は占領に失敗したって問題ないのだ。
後は他に何か言っておきたいことは……と考えていると、今度はイレール・フェシュネールの方から報告が上がってくる。
「あ、それと……私、皇太子に粉かけられちゃいましたぁ」
ちょっと照れた雰囲気を出して、イレール・フェシュネールはそう言った。
え、マジ? もう直接会ってることが驚きだが、あの皇太子本当に節操無しだな……失脚の原因、女関連なのにまるで進歩がない。
と、いうか……お前実年齢いくつだよ、イレール・フェシュネール。先代皇帝の愛人だったんだから、年齢は相当……いや、言わないし聞かないけど。
「帝国とか余には迷惑かけるなよ」
俺がそう言うと、イレール・フェシュネールは酷く残念そうな声を上げる。
「心配してくれないんですかぁ?」
心配されたいのか、お前。そういうタマじゃないだろ。というかなぁ……。
「余が? 先代を骨抜きにしたお前を?」
むしろこの場合、元皇太子の方を心配してやるべきだろう。先代の私財を自分に相続させるとか、表沙汰になれば稀代の悪女として歴史に名を残すぞ、こいつ。
「……それで本題はぁ」
話逸らしたな……まぁいいか。
今回コイツを呼んだのは他でもない。アプラーダ攻略の話をしたかったからだ。
「アプラーダ攻略を前倒ししたい。足りないのはなんだ」
黄金羊商会に「そんなに簡単じゃない」と怒られたようなものだからな。だが前倒ししたいのは事実だ。
とはいえ、これが本当に無理難題かといえばそうでも無さそうだ。実際、黄金羊商会はアプラーダ王国の海岸線に対し、散発的な攻撃を既に始めている。これは揚陸作戦を前にした準備攻撃……この女のことだ、情勢の変化を感じとって計画自体は早めているのだろう。
それでも、準備完了と言わないってことはまだ足りない何かがあるってことだ。
「勝てる兵士ですぅ」
……なるほど。それは誰だって欲しいが。というか、俺が一番欲しいかも。
しかしまぁ、言わんとしていることは分かる。大商会で大量の武装商船を抱えているとはいえ、船の数には限りがある。それに、船に乗せられる人数にも限界がある……必要なのは兵数よりも少数精鋭の強い兵士だろう。金で兵士は雇えても、精鋭兵まで雇えるとは限らない。
何より、優秀な傭兵はとんでもなく高価だ……つまりコストカットだな。どこまで行っても商人だな、コイツ。
「船に慣れているかは知らないが、単純に戦闘で強い奴なら送れると思う」
「欲しいのはそっちですぅ」
俺の考えた通りか。船から一度に上陸させられる人数には限りがあるから、第一陣として上陸した後に少数でも敵を撃退できるような兵士が欲しいと。
となると、騎兵以外で精鋭兵を送ることになるだろう。馬は船に乗せる余裕がないだろうし、追加で馬用の餌も船に乗せなければいけない。まぁ、現実的ではない。
まぁ、必要になりそうだって予想は、俺にもできていた。ヴェラ=シルヴィを呼び戻して、ヌンメヒト女伯と執事、皇帝直轄軍の魔法兵も送るとしよう。あとニュンバル弓兵も欲しいな。
「勝てるのか?」
ただ、それだけの人間を送るからには勝ってもらわないと困る。問題はそこにあるし、こうして呼び出したのもその確認がメインだ。
「全て指揮させていただけるのでしたらぁ」
なるほど、アプラーダ攻略軍の総指揮を。それなら勝てるという自信は大いに結構だが……その場合は当然、条件がある。
「自由は無くなるし、船や兵の詳細を共有してもらうことになるが?」
これは当たり前の話だ。皇帝軍を率いるからには、所属する兵と所有する船、ついでに隠し持っているであろう領地も共有してもらわないとな?
そんな意味を込めた俺の言葉に対する、イレール・フェシュネールの返答は極めてシンプルだった。
「では優秀な方が指揮官になっていただいてぇ」
まぁ、当然逃げられるよね。とはいえ、この作戦は黄金羊商会に大きく依存している部分もある。
彼らの船が無ければ、そもそも実現不可能な作戦だからな。
「選ばせてやろう。誰がいい」
「チャムノ伯でぇ」
……なるほど、そうなるか。
確かに、アプラーダ方面の総司令はチャムノ伯だ。そのチャムノ伯の下で、地上軍も上陸する軍も、指揮系統を一本化するのは良いことだ。
ただコイツの狙いは違うだろうな。大前提として、チャムノ伯はアキカール地方でアプラーダ軍と交戦している。つまり陸軍の管理で確実にチャムノ伯は手一杯であり、海軍の方まで監督する余裕はない。
名目上はチャムノ伯の指揮下だが、実質的にはイレール・フェシュネールが指揮することになる。
「帝国の人間でもない、余に忠誠を誓っている訳でもない。そんなお前に、帝国兵の指揮権を完全に預けろと?」
「『リスク』と『タイムリミット』を天秤にかけたんじゃないんですかぁ?」
俺はイレール・フェシュネールと視線をぶつける。相変わらずむかつく表情だ。
俺はそこまでコイツを信用できない。正直、こんなことはしたくない。利害が今は一致してるだけの商人だ。それも、帝国と戦えるような強大な力を持った商人。
……だが、そうでもしなくちゃいけない状況なのも事実。
ていうか、コイツくらいにもなれば、俺がリスク度外視で速度を優先しようとしてることなんて、簡単に分かってしまう。
本当、憎たらしい奴だ。そして手強い。
「そうすれば絶対に勝てるんだな?」
「絶対はないですぅ」
イレールはそう言った後、俺の目をまっすぐ見据えて続けた。
「でもこれが一番勝率高いと思うのですぅ」
いや、もちろんその意味は分かる。ほぼ海軍もなく、上陸作戦なんてやったことない帝国軍の誰かが指揮するより、経験のある黄金羊商会が指揮を執った方が勝率は高い。
だが、こいつらは帝国に忠誠を誓っていない。こんなの、貴重な精鋭軍を他国に援軍として派遣して、しかもその指揮を現地の貴族に任せるようなもんだぞ。
黄金羊商会に兵を預けるリスク、それで得られるかもしれない戦果、それを天秤にかける。もちろん、俺も最初から分かっている。これは圧倒的に戦果の期待値が高い。任せるべきだ。
……でもなぁ、今は良いけど将来的なリスクがなぁ。黄金羊商会が帝国と敵対するようなことがあれば、今回任せた際に収集されるであろう情報が足を引っ張るだろう。
……いや、結論は出ている。あとは覚悟の問題だ。
……よし、このリスクは許容しよう。今回の帝国の精鋭兵の詳細な情報が彼らに渡るのは、仕方がない。
仮に将来、帝国と黄金羊商会が敵対すれば、帝国は苦戦することになるだろう。その時、未来の俺は今の俺を恨むかもな。
しかしまぁ、それは未来の俺に何とかしてもらおう。
「分かった。チャムノ伯の方には余から話を通しておく。頼んだぞ」
「ちゃんと対価に見合う戦果をお約束いたしますぅ」
まるで悪魔との契約だなぁ。




