皇王亡命編3
「では続きまして、それ以外の報告を」
ティモナに代わり、今度は宮中伯からの報告だ。
宮中伯からの報告は大きく分けて三つ。帝都の様子と皇国の様子。それから亡命劇の協力者について。
まず今回の皇王らの亡命について。これはもう予想通りの話だった。
帝都に入られるまで帝国が気付けなかった理由は、一言で言えば莫大な賄賂の結果だ。
第一に、彼らは天届山脈の回廊を抜けて帝国領に入ってきた訳だが……この国境で警備しているのは現地貴族、つまり旧ラウル貴族だ。その連中が、賄賂で皇王一行の通過を黙認した。
俺はラウル僭称公を討ち取った後、降伏した彼らに寛大な処理をしたのだが、それが裏目に出た形だ。なんでこの国の貴族は、優しくするとすぐつけあがるのだろうか。
第二に、どうやって帝都まで来たか。これは水運を利用している帝国の商人に、これまた賄賂を贈って船を調達し、そのまま一気に帝都まで川を下ってきたらしい。
この商人も、元は宰相のとこに出入りしていて、最近になって皇帝に恭順した商人の一人だ。こいつは以前から俺に従った商人とは違い、あまりおいしい思いできていないからな……皇王が商機になると見越したのだろう。
というか、どっちも平然と賄賂受け取ってんじゃねぇよ。両方とも当然、処刑だな。
まぁお陰で俺が得したこともある。それは今回の「失態」を受け、回廊付近の国境警備について、俺が堂々と口出しできるようになった点である。
旧ラウル貴族に寛大な沙汰を下してから、回廊出口にある要塞の警備についても、それまでと変わらず現地の旧ラウル貴族が担っていた。これは最初から口出ししたり、干渉しようとしたりすると、現地貴族は宰相の治世と比較して反発するだろうとの考えもあってのことだった。
だが今回の一件は現地貴族の大失態だし、干渉されても流石に文句は出ないはず。これからは皇帝が選んだ人間を警備担当として堂々と送り込める。
というか、短いながらも回廊は皇国との国境であり、今はその地の防衛能力に疑問が呈される状況だ。皇国に対する備えの名目で、すぐにでも手の空いた諸侯の兵を送り込むとしよう。
次に帝都の様子だが、市民の間では皇帝の病状について色々な憶測が広まっているらしい。ただ、死亡説や戦闘での負傷説は密偵の方ですぐに火消ししているらしい。というか、宮中伯の口ぶり的に帝都の中には相当数の密偵がいるんじゃ……まぁいい。
次に宮廷の反応だが、ロザリアと財務卿の二人で落ち着いて対応してくれている。これもさすがである。あと、亡命してきた皇王の歓待は財務卿……ニュンバル侯がやってくれている。
宮中儀礼について色々と頼りになるニュンバル侯も、さすがに皇王の相手は荷が重いらしい。早く帰ってこいとのことだ……たぶん仮病なのバレてるね、これ。
そうそう、この皇王一行についてだが、メンバーも一通り把握できている。
皇王ヘルムート二世と共に幽閉されていた、権力を握ろうとしたけど人望が無さすぎて失脚した男、ニコライ・エアハルト。それから皇王によって無理やり連れて来られた貴族が八人。
それとヘルムート二世と元皇太子が連れてきた妾の集団がそれぞれ十数名ずつ。あとは仕えている従者たちって感じだな。
……なんで家臣である貴族より妾の方が多いんだよコイツら。しかも二人とも正妻は皇国に置いてきたらしい。
それと、妾について十数名って特定できないのは、従者の中に含まれる侍女の中にもお手付きがいるかららしい。聖皇派は一夫一妻制だろうに、どんだけ元気なんだこいつら……そりゃ権力奪われて幽閉もされるわなぁ。
そして最後に皇国の様子。皇国に送った使者が、皇国からの使者も連れて帰ってきたため、密偵が得た情報と共にまとめて報告が上がってきたようだ。
「陛下が病床にあるということで待たせておりますが、皇国から使節が来ております。まずはそちらからご報告を……皇王と前皇太子の早期返還の要求です」
まぁ、それはもう当然の反応だろうね。というか、皇国が「そっちで受け入れていいですよ」なんていう訳がない。自分の国の王様が他国に握られてるとか、現在進行形で皇国の威信は大いに損なわれている。
これまで皇国から圧迫されてきた周辺国は、高笑いしてることだろう。
「それで、他には? まさか無条件で、とか言う訳ないだろうな」
「そのまさかです」
はぁ、それで返す人間がどこにいるのか。
こっちにも皇帝としての面子があるんだから、それと天秤にかけられるくらいの何かは用意するべきだろう。敵対国家との外交なんて、弱みがある限りはそこに付け入るのが常識だ。
特にこういう外交は周辺国の目もある。戦争したいときは他国に弱腰だと舐められても、油断に繋がるだけだから問題ない。
だが今は違う……弱腰と見られたら今がチャンスだとリカリヤ辺りの本格介入もあり得る。それを避けるためにも強気に動く必要がある。
「ですが、これについては帝国を下に見ている……というより、『皇国』として統一された意思表示としてはここが限界、ということのようです。この使節とは別に、皇国内の三つの派閥のそれぞれからの使節も来ております」
「へぇ、それは早いな」
なるほど、皇国としてではなく各派閥が個別に皇王らの身柄を要求していると。
「その条件は?」
各派閥の思惑は簡単だ。皇王を確保し、自派閥が囲っている王子への譲位を迫る。上手くいくかは知らないが、現在劣勢の派閥も、皇王さえ確保できれば逆転できるかもしれない……そう考えてもおかしくはないからな。
上手くいくかは別だけど。
「最大勢力である三男を担ぎ上げる派閥からは、聖皇派より陛下に『聖』の称号を贈っても良いと」
……ほう、それはまた。たかが称号とかいらねぇ、と言いたいところではあるが、この称号には相応の価値がある。
皇国の定義は、聖皇派によって「聖なる君主」として認められた者、すなわち皇王が治める国家だ。そして「聖」の称号はこの聖なる君主として認めた証である。だから歴代皇王は戴冠の際、聖導統の手で冠を戴き、「聖」の称号を与えられ、初めて名実ともに皇王となる。
だから現皇王であるヘルムート二世も、皇国が自称する正式名称は「聖ヘルムート」だったりする。
そしてこれまで、ほとんどの場合において「聖」の称号は皇王にのみ贈られてきた。この提案はつまり、俺を歴代皇王と同格に扱うという提案である。これまで帝国と皇国は相手を対等だと認めるなんてことをしてこなかったのだから、かなり異例の提案である。
「安いな」
だが足りない。これが国号の方だったら話は別だった。同じように、皇国が自称する国号は『神聖なる皇国』だ。
これも同じく「聖」と同じようなものだが、違いは「聖」が一代に限るものなのに対して、こちらは継承される点だろう。「神聖なる」は国号に付随しているから、こっちを貰えたら俺が死んで次の皇帝になっても「神聖なる帝国」と名乗り続けることができる。
この場合、俺個人を認めるのではなく、帝国そのものを皇国と同列に扱うということになるからな。
「しかし最大派閥なだけあり、確実に叶えられる約束だけの提示か」
無茶のない範囲ってことは、それだけ余裕があるってことだ。最悪、他の派閥に皇王を取られても、まだ戦えるという判断だろうな。
「次男を担ぐ派閥は領土と金銭の提示です。領土は天届山脈の回廊全土を帝国に譲渡するとのこと、金銭については金額次第とのことです。どうやら回廊を押さえているのはこの派閥のようです」
「なるほど、交渉に応じて金銭の額で調整するつもりか」
交渉がしやすいように条件に幅を持たせているのは上手いな。回廊についても、狭いから戦闘で奪還するのはかなり難しい。それを無血でもらえるというのは確かに嬉しい。
「そして四男の派閥ですが……両方を提示しています。『聖』の称号と回廊の譲渡です」
うわぁ、思いっきり空手形というか、ホラを吹いてるなぁ。
「彼らにそれを実現する力は無い……なりふり構わず、といったところか」
聖皇派も押さえてなければ、回廊だって押さえていない。仮に皇王をこの条件で返したところで、本当にこの対価を用意できるとは思えない。
「どこかの条件をお呑みになられるので?」
エタエク伯はそう訊ねてくる。彼女は間違いなく、政治とか苦手だな。
「まさか」
これらの交渉は、皇王の身柄と交換する認識でしか提示してきていない。少なくとも俺はそう感じた。だから「安い」のだ。
「皇帝の名声と引き換えるには安すぎる」
今回皇王は、皇帝個人を頼りに亡命してきた。会ったこともない見ず知らずの連中だが、彼らがそう発言した時点でこれが真実になる。
それをすぐに皇国に突き返せば、皇帝の威信が傷つくことになる。それに見合うだけの対価なら考えたが、今回提示されたのはそうでは無かった。
そもそも、向こうも交渉前提の提案だろう。最安値を提示して、ここから折衝する気だ。
「では、どう返事しますか」
……ただ、問答無用で断ればいよいよ「交渉の余地なし」と判断して強硬手段に出かねない。それだけは避けなければいけない。
ここはやはり条件を吊り上げ、交渉継続の方向で時間を稼ぐのがベストだろう。
「三男の派閥にはいずれ生まれるであろう俺の第一子にも『聖』の称号を与えるよう要求してくれ。まだ生まれるどころか、胎児ですらない存在に『聖』を与えるなんてことは前代未聞だろう。その検討で時間が稼げるはずだ」
こういう組織っていうのは前例に拘るからな。そもそも聖導統は聖皇派内で完全に独裁的な動きができるって訳じゃないだろうし。
「次男の派閥には金銭はいらないから、回廊の譲渡に加え、その派閥に参加する貴族家当主の息子を一人ずつ、皇王の護衛兼監視役として帝都に送るよう要求してくれ。勿論、実質的な人質だ……これも時間が稼げるだろう」
あえて嫡男と指定してないところがポイントだ。何人も息子がいる貴族家は全く構わないと考えるだろうし、逆に息子が一人しかいない貴族家はリスクを考え拒否しようとするだろう。派閥内で意見が割れれば、意思統一に時間がかかる。
「かしこまりました。では、四男の派閥には?」
続けて尋ねる宮中伯に、俺ははっきりと答える。
「論外だと伝えろ。対価が安すぎるとな。それと、条約として紙に残すのも絶対条件だ」
空手形ながら最も提示された対価が良かったところには、さらに吹っ掛ける。
正直なところ、俺が欲しいのは帝国が皇国を攻撃するための、誰が見ても帝国側に正義があると思わせられる「理由」だ。
皇王の頼みに応じてっていうのもそれに当たるだろう。だが、その場合はリスクも大きい。
一方で、条約の一方的な不履行というのもまた、帝国が皇国を攻める正当な理由になり得る。だからこの四男の派閥には、100パーセント履行不可能な条件を提示させたい。
「しかし陛下、これだけでは十分な時間を稼げるとは思えませんが」
「分かっている。余も何か他にいい考えは無いか考えている。何かあるか?」
俺だってそれ以上に時間が稼げる策があれば教えてほしいさ。
まぁ、この稼いだ時間でまた次の時間稼ぎを考えればいい。
「ございません!」
堂々と元気よくエタエク伯が答える。お前、たぶんだけど途中から話の内容、聞き流していただろ。
軍事面ではかなりまともな意見が出てきたが、政治とかそういう話には露骨に興味無さそうだ。居眠りしたって驚かないね。
とはいえ、宮中伯もティモナも、現状では特に名案は浮かばないようだ。
「余も何か考えておく」
まぁ、それはさておき。
「これで皇国相手に少しは時間を稼げる……少なくとも、すぐに全派閥が団結し帝国に宣戦するということは無さそうだろう。よって、帝都へと帰還することにしよう」
不透明だった皇国の状況もそれなりに見えた。それに、これ以上帝都に戻らないと今度は亡命してきた皇王に不審がられかねない。
「いつ出立なされますか」
さて、普通に考えれば日中の宮廷では皇王一行のお世話が忙しいはずだ。そんなタイミングで帰れば、彼らは忙しい中、俺を出迎えようとするだろう……その負担は不要なものだ。
何より、帝都に戻ってから皇王一行と対面するまで少し時間が欲しい。
となれば、最適な時間帯は一つだけだろう。
「夜中にこっそりと」




