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【閑話】王の器


 旧ヘアド・トレ侯領、現ロコート王国王領ヘアド。この地の東にはゴティロワ族の領地が存在しており、彼らが帝国軍の一部として参戦する今回の戦争において、この地はロコート王国軍が死守するべき拠点の一つであった。

 当然、ロコート王国側も警戒していた。この地を突破されてしまえば、最前線で戦っている部隊の退路が断たれ、敵中で孤立する恐れもあるからだ。だからロコート王国軍はこの地に十分な戦力を配置し、さらには拠点の要塞化まで行っていた。


 だが、それでも彼らは敗れた。結果、ロコート王国軍はこの地を放棄し敗走することとなり、要塞化された拠点もゴティロワ族の兵士によって陥落したのだった。



 そうなった原因は大きく分けて三つ。一つはロコート王国側にゴティロワ族についての情報があまりに少なかったこと。派手な魔法もなく銃火器も使わない蛮族であるとしか知られていなかったのである。

 実際、ゴティロワ族は長い間、銃火器への対応に苦労していた。そのため、銃火器が普及してからの戦争においてゴティロワ族は帝国側で参戦することも少なかった。それが情報の不足という結果を招いたのだった。


 もう一つはゴティロワ族長が本当に帝国軍の指揮を執っていたということ。ロコート王国側は、ゴティロワ族長を将軍としているのは皇帝がゴティロワ族を参戦させるための方便であり、実際は別の貴族が指揮を執っているのだろうと見誤っていたのだ。

 これまでも帝国軍にゴティロワ族が派兵される際は、帝国軍の一部としてその指揮下に入ることが通例であった。これはゴティロワ族という部族が、『蛮族』として扱われており、帝国軍として戦う際は序列を低く扱われたためである。

 そのため、得意な戦法で戦えることも少なく、その力を最大限に発揮できなかったのだ。


 そしてカーマインが親政を開始してからも、ゴティロワ族は傭兵のような扱いで戦わされることが多かった。故に、ロコート王国は「帝国軍の戦い方」への対策ばかりで、「ゴティロワ兵の戦い方」への対策は疎かだったのだ。

 シュラン丘陵で皇帝とラウル僭称公が雌雄を決する前に、ラウル軍が尽く消耗させられたゴティロワ族の戦い方……それに対する調査が甘かったのである。


 そして最後の誤算、それは……相手がただのゴティロワ族長ではなく、ゲーナディエッフェであったということだ。



 彼が生まれた当時、ゴティロワ族は南北に分裂し、激しく争っていた。これはゴティロワ王の氏族が他の氏族も巻き込み南北に分裂したためであり、ある種の南北朝時代を形成していたのだ。

 そんな中、北ゴティロワ族の族長……王の一族に生まれたゲーナディエッフェは、若くして軍を率い南ゴティロワ族を平定してしまう。さらにその功を疎んじ排除しようとした北ゴティロワ族長に対して反乱を起こし、勝利して北ゴティロワ族すらも平定した。

 ゲーナディエッフェは、確かに族長一族の生まれではあるが、その統一は血筋によってではなく、自身のカリスマと勝利によって成したものである。それも、なんと二十代のうちに全てを終わらせたのだ。


 ゲーナディエッフェは、正に傑物であった。そんな男によって率いられたゴティロワ軍は、帝国内において最強の軍団の一つになっていた。


***


 激しい戦闘の末、勝利を収めたゴティロワ族。その族長であるゲーナディエッフェは将兵の休むテントから一人離れ、伝令からの報告に耳を傾けていた。

 そんな彼の傍に一人の少女がやってきた。その時、ちょうど全ての報告を終えた伝令は、ゲーナディエッフェに深々と頭を下げた。それから、入れ替わるように近づく少女……ゲーナディエッフェと同じ色の目をした少女にも一礼すると、足音もなくその場を離れていった。


「どこの伝令? 随分と礼儀正しいけど」

 帝国人にしては……というより、聖一教徒にしては珍しい反応に驚いた少女は、ゲーナディエッフェにそう尋ねた。

「『ロタールの守り人』の生き残りだ。そもそも聖一教徒かどうかすら怪しい連中だろう」

「ふーん。じゃあ密偵なんだ?」

 その男は確かに伝令の格好をしていたが、言われてみれば身のこなしが密偵のそれであった。

「密偵の中でも上澄みだろうなぁ。それも、ヴォデッド宮中伯の意を完全に汲み取れる者しか残ってねぇと思うぞ」

 それ以外はみんな宮中伯が殺しちまったんだろう、とゲーナディエッフェは心の中で続けた。


 今生き残っているのは宮中伯の忠実な手足のみ。そして宮中伯は皇帝の意思に従う。彼らがゴティロワ族に敬意をもって接してくるのは、皇帝カーマインがゴティロワ族に一定の敬意を払ってくれているからにすぎない。

 ゲーナディエッフェはそのように考えていたのだった。



「まぁいい。連中、帝都に集まった戦況をまとめてこっちにも伝えに来てくれた」

「ここ以外の戦況ね。それで、今のところは順調そうなの? お爺様」

 少女の名前はイルミーノ。ゴティロワ族長の孫娘の一人であった。族長の孫娘ともなればお姫様のように扱われてもおかしくはないのだが、その中でもイルミーノだけは、祖父と同じように戦場に立つ変わり者であった。


「まぁまぁだな。こっち側の三つの戦線は予想の範疇」

 これは当然のことだろうとゲーナディエッフェは考えていた。なぜなら皇帝カーマインは、ラウル僭称公を討った頃には既に、この戦況になり得ることを予想していたからだ。

 国内最大のライバルを破ったのだ。普通は喜びで舞い上がるなり、気が緩むなりしてもおかしくはない。特にカーマインはまだ少年と言っていい年齢である。


 ところがカーマインは、そこですぐに次の準備をし、アプラーダ・ベニマ・ロコート相手にそれぞれ経験豊富な将を配置した。特にワルン公などはかつて南方三国との戦いにおいて各地を転戦した歴戦の将である。

 今回の敵はよく勝手の知る相手であり、一方で南方三国に名のある将はいなかった。

 当時最前線で帝国相手に善戦した南方三国の名将たちは、もう第一線から退くか、あるいは既に亡くなっていたからだ。

 将の差、備えの差からしても、帝国軍が圧倒的に優勢であった。


「問題はガーフルの相手をどうするかだったが……こっちは大勝したらしい。陛下が籠城を指揮し、エタエク伯が率いる別働隊が敵を壊滅させたとさ」

 皇帝カーマインが前線に赴き、数日で敵を壊滅させた訳だ。文句のつけようがない戦果であり、ゲーナディエッフェは内心、こういうとこも可愛げねぇよな、と皇帝の働きっぷりに肩を竦めるのだった。



 ところどころ肌の露出もある軽装な防具に身を固めた少女は、戦闘後の疲労した体を解すように伸ばしながら、祖父に話しかける。

「初めて聞く貴族ね。どういう人なの」

「おう、このエタエク伯ってのはすごいぞ……戦場を支配する才能がある。若ぇのにもう騎兵指揮官としちゃ最高クラスだ。しかも本人も人馬一体の戦闘技術の持ち主らしい」


 多くの戦場を経験してきたゲーナディエッフェは、この若い才能に興奮した様子だった。

「へぇ」

 もっとも、少女にはその興奮が伝わらない。少しの興味も抱いていなさそうな孫娘に、ゲーナディエッフェは呆れた声を上げる。

「お前なぁ、興味ないなら儂に話を振るな」

「ごめんなさい、自分でもびっくりするくらい興味ない声が出たわ」


 でも、と少女は微笑んだ。

「楽しそうね、お爺様」

「おう……面白くなってきた」

 やはり自分の勘は間違っていなかったと彼は思った。かつて部族を平定したときのような興奮……それをゲーナディエッフェは、確かに感じ取っていた。


 あの日、エルフの企みに乗って初めてカーマインと会ったゲーナディエッフェは、その少年に賭けてみることにした。その判断は今のところ正しかったように思える。

「なぁ、イルミーノ。名君の条件とは何だと思う」

 祖父のニヤリとした笑いに、少女は本当に楽しそうだなと思った。

「運かしら。天命みたいな」



「ほう一理あるな。お前は人間としては破綻しているが、そういう筋は悪くない」

 盛大に人格を否定された少女は、特に気にした様子もなく肩をすくめる。

「だがな、運があったってダメな奴はダメだ。悪運が強いが故に国をダメにした君主なんていくらでもいる」

「先々代の皇帝とかね」

 ブングダルト帝国の六代皇帝、彼は異常なまでに悪運が強かった。

 結局、彼は病死するまで至高の座に居座り続けた。今カーマインがやっていることは、その後始末にすぎない。


「で、正解は?」

「儂が思うに二つある。一つは現場に対し、後方から余計な口出しをしないこと」

 最前線にいる将軍の判断に対し、絶対的な権力者が後方から余計な口出しをする……その結果、現場に混乱を招き、取り返しのつかない損害を出す。

 そういった失敗は古今東西、多くの君主が犯してきた。またこれは、ある程度才覚があり優秀だと言われる君主こそやりがちなミスでもある。

 つまり個人としてどれほど優秀な君主であっても、このミスを犯すようでは名君ではない。名君かそれ未満かを判別する分かりやすい基準の一つだと言いたいのだろう。

 どうしても口出ししたいなら、自ら現場へと赴けばいい……これがゲーナディエッフェの持論であった。


 その点、カーマインは積極的に前線に赴く。その上、一度任せると決めた部分においてはしっかりと家臣に任せる。今回の南方戦線においても、カーマインは三人の指揮官に多くの権限を与え、その判断に委ねている。戦術面はもちろん、作戦面に至るまで現場に一任しているのだ。

「現場の帝国貴族に対する処罰までお爺様に任せてるものね、異民族なのに。今までそんな皇帝いたかしら」

 お陰でかなりやりやすい、というのはゲーナディエッフェも感じているところである。蛮族の命令など聞けぬと逆らった貴族も、ゲーナディエッフェの権限で数名見せしめに処刑したところ、言うことを聞くようになった。


 ちなみに、命令違反に憤るゴティロワ族の諸将を宥め、現場の判断に任されるだろうと思いつつも、わざわざカーマインに伺いを立てたのはゲーナディエッフェの判断である。こういった政治的な立ち振る舞いもゲーナディエッフェは問題なくできるのである。



「そしてもう一つは部下がそいつのために必死に働くかどうかだ」

 ゲーナディエッフェの言葉がいまいちピンときていない様子の孫娘に、彼はさらに続ける。

「動く理由はなんだっていい。それが恐怖でも、恩でも、褒賞でも、庇護欲でもな。重要なのは必死かどうか。つまり臣下が君主のために自分の命を張れるかどうかだ」

 極論、皇帝は飾りでもいい。臣下たちが己のためではなく、皇帝のために働くのであれば。

「その点、あの皇帝はよく分かっている」

 たとえば宰相や式部卿は、自己利益のために動いた。だからあの皇帝は排除した。一方で、当時反乱を起こしたワルン公は皇帝のために動いた。だから許され、その強力な軍事力を保持させたまま皇帝は彼を懐に抱えた。


「相手によって動かし方まで変えているしな」

 有能な大貴族相手には十分な信頼を示し、反抗的な貴族には流血による恐怖で動かす。商人相手には実利を説き、兵士相手にはその身を以て先導する。そして民衆相手には、演説と結果で応える。

 まるで正解を知っているかのように適切に動く……その姿は恐ろしくすらあった。ゴティロワ族の王たるゲーナディエッフェがそう感じるのだから相当なことである。

「ふぅん。で、お爺様は皇帝のために必死に働いている訳ね?」

「いや、儂はゴティロワの王だから働かせる側だな」

 自分もまた提示された「部族の利益」で動かされていることは分かっているが、それを素直に認めないのがゲーナディエッフェという男である。



「……そんな不忠者の命令で吊るされた兵たちがかわいそうね」

 そう言ってイルミーノが視線を向けた先には、木に吊るされた帝国兵の遺体が並んでいた。彼らは将軍であるゲーナディエッフェの命令に逆らったため軍規に則り処刑され、見せしめに吊るされているのである。

「ガッハッハ。軍規違反は殺せっつったのは陛下だからな。清濁併せ呑むいい君主だ」

 ちなみに、処刑される彼らを眺めながらイルミーノは平然と軽食を取っていたので、本当に可哀そうなどとは少しも思っていなかったりする。

「ほんと、陛下は私たちに良い人だよね」

 これは多くのゴティロワ族が感じていることであった。当代の皇帝は、聖一教徒とは思えないほど自分たちに好意的である、と感じていた。


「いや、そいつは……」

 思わず口に出かけた言葉を、ゲーナディエッフェは野暮だと思い飲み込むことにした。

 ゲーナディエッフェの目にはそうは映っていなかった。カーマインは確かにゴティロワ族を好んでいるかのように見える。だがその理由は恐らく、まともに働かない帝国貴族と比較しているからである。

 相対的によく見られているだけであり、働かなければすぐに切り捨てられるとゲーナディエッフェは感じていた。つまりカーマインが好きなのは「ゴティロワ族」ではなく「真面目に働くゴティロワ族」なのだろう。

「……ま、せいぜい皇帝の期待に応えるとするか。孫娘よ、皆を儂の天幕に集めい」

「はーい」

 かつて皇帝は、ゲーナディエッフェの前で「皇帝すらも歯車にすぎない」と言ってのけた。その言葉の通り、彼は「皇帝」という部品の役割をここまで全うしている。


 ならば自分も、歯車として皇帝カーマインのために働こうとゲーナディエッフェは心の中で呟く……ただし、ゴティロワ族の利益になる限り。


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― 新着の感想 ―
[一言] めっちゃひさびさ 相変わらず面白かったので ぜひこのまま再開してくだされ
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