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ステファン・フェルレイとの交渉を終え、帝国は正式にガーフル共和国と講和した。
それはそこまでの経緯に比べれば、あまりにあっさりとした決着だったかもしれない。それもそのはず、俺にとって最大の目的はあのオーパーツの破壊だったのだから。そこをステファン・フェルレイは読み違えていた。
それさえ済めば、俺とステファン・フェルレイの利害が一致してる以上、話はスムーズに進むのだ。
例えば俺にとって、今回の講和内容は、まぁ最悪は拒絶されても良かった。俺の目的は、皇国への出兵に向けて周辺国との国境を安定化させること。つまり、ブロガウ市で敵の主力部隊の殲滅にうっかり成功してしまった時点で、その目的は果たされたと言っていい。
今のガーフル共和国に、帝国へ侵攻する余力はない。だから講和が無くても、国境は安定したはずなのだ。
軍事通行権については、それこそ必要になった時に外交交渉などで得れば良かったしね。
その上で、俺としては共和国とさっさと講和したくて仕方なかった。俺の主目的はあくまでアプラーダ王国とロコート王国に割譲してしまっている旧帝国領の回収だからな。だが、長年にわたり帝国の人間はガーフル人を敵視してきたため、市民に「弱腰」と受け取られかねない交渉はできなかった。しかも大勝してしまったものだから、「要求できるだけ要求するべき」と考える貴族や市民は少なくなかったはずだ。
だから講和の場で剣を抜き斬りつけるという、「禁忌」を冒すことで、その辺を全部有耶無耶にしたのだ。「宿敵を前に思わず剣を抜いてしまった」というのは、「弱腰」とは見なされないだろう。
そしてステファン・フェルレイの方も、俺の考えを理解してからは講和に飛びついてきた。
そもそも開戦したのはステファン・フェルレイの意志じゃなさそうだし、他の貴族の尻拭いの為に講和できるように南方三国を焚きつけ、共和国に有利な交渉ができるよう準備をしていたのに、肝心のガーフル軍が大敗し自分以外の大貴族が軒並み壊滅するという未曽有の事態になってしまったのだ。どうにか被害を抑えて講和しなければと、彼は間違いなく焦ったはずだ。
だから条件さえ整ってしまえば、あとは講和までは一瞬だったという訳である。お互い講和したかったんだからそりゃそうだ。
そして皇帝軍は、次の目標をアプラーダ王国に定めた。その途中、一度休息するために……さらに兵を入れ替える為に、俺たちは帝都を目指していた。
その途中、また例によって野営の大天幕に、慌てた様子で俺の元にやってきた者がいた。それはなんと、あのティモナ・ル・ナンである。
「陛下っ! 急報です!!」
「……げぇ」
またこのパターンか。毎回のように急報急報って、なんでこう次から次へと。
……いや、落ち着け。まだ緊急の情報ってだけだ。慌てるような状況ではない。ここは落ち着いて、どのような状況でも冷静な皇帝を演じるのだ。
「今度はどこの反乱だ? あるいはどの国が攻めてきた」
「いえ、そういう訳では」
あぁ、良かった。せっかく一芝居(?)してまで、寛大な条件での講和で我慢したんだ。これからようやく南方三国を調理して二度と帝国に逆らえないようにしようって時に、他国からの横槍とか来たら発狂もんだった。
「じゃあ何か災害か? あるいは諸侯の誰かが亡くなったか」
「いいえ、違います」
よしよし、じゃあ大丈夫そうだな。まぁ、急ぎの報告ってだけで、それがヤバい報告とは限らないしな。
「はぁ、脅かすな。それで、内容は?」
まぁ、そうだよな。毎回、めちゃくちゃいいところで邪魔が入るとか、そんな訳……あれ、じゃあなんでティモナは焦ってたんだ?
「内容は?」
宮中伯に促され、ティモナが報告を読み上げる。
「はい、それが……テイワ皇国にて事実上幽閉されていた皇王ヘルムート二世が、陛下を頼って亡命してきたと……帝都から連絡が」
「は?」
皇王が、帝国に亡命だと?
お前、そんなの、思いっきり横槍じゃねぇか!
「おぉ! 陛下の御威光が皇国にまで! さすがです陛下」
そんなエタエク伯の言葉に返せるはずもなく、俺は机に拳を叩きつける。
「クソっ!!」
最悪だ……マジで最悪だ。よりにもよって……!
「なぜ今なんだっ!」
転生者が多い皇国には早いうちに大ダメージを与えないと、この先の帝国は皇国の後塵を拝すことになる可能性が高い。
だから皇国で後継者争いをしているうちに、こっちは近隣諸国との戦争や領土問題をすべて解決させ、背後の憂いを断った上で、内乱で混乱する皇国に介入するつもりだった。
そのプランのために、ガーフル相手の戦争を切り上げて、黄金羊商会に莫大な利権も与えて、ヒスマッフェだのゴディニョンだの相手への懐柔策を推し進めようとしていたのに!
全部、全部崩れた。万全の準備を調えてから皇国に介入しようとしてたら、準備の初期段階で皇国の方から介入されに来やがった。
「早すぎるっ……!」
なんで、何でせめてあと一年耐えられなかった皇王! よりによって、これから南方三国と戦争するって時に!
「人数は!?」
「皇王と失脚していた前皇太子、それから宮中で官職に就いていた土地を持たない宮中貴族が数名、僅かな従者と供回り……程度です」
しかも、夜逃げ同然じゃねぇか。使えねぇ……。
考えろ、落ち着いて考えろ。
受け入れないという選択肢はない。帝国と皇国はライバル関係、それで受け入れを拒否すれば皇国に怯えて逃げたと言われかねない。しかも皇帝を「頼って」逃げてきやがった。これは完全に俺が判断を下さなければいけない問題だ。
俺が拒絶した場合、皇帝が皇国に配慮したことになる。そもそも皇国に対して大義名分になり得る駒だ。それをみすみす逃すとか、帝国の未来を考えても絶対にありえない。
というか、帝国が放棄しても他の国に拾われるだけだ。最悪、帝国攻めの道具にされる。受け入れない選択肢はあり得ない。
だが受け入れれば? 帝国はこれから成立するであろう皇国の新体制を認めないという意思表示になる。そうなれば、彼らには帝国に侵攻する大義名分が成立する。
あるいは周辺国は? 皇王が帝国に逃亡するという異常事態、もうこの時点で帝国が皇国で起きる後継者争いに巻き込まれることは決定。つまり周辺国としてはもう、来る皇国の新体制と帝国の戦争は始まっているようなもの……南方三国との戦争が、その意味が、ただの国境戦争ではなくなってしまう。
というか、前皇王ではなく現皇王だと。
野郎、退位せずに来やがった。皇王が皇帝に屈したかのように見えてしまうこの状況。帝国をライバル視する皇国が許すはずがない。最悪、政争していた連中が、それを止めて急転直下の連合を組んで、新皇王をすぐにでも擁立する可能性がある?
そうなれば……南方三国との戦争中に、横っ腹を突かれかねない?
「最悪だ」
追い返すわけにはいかない。だが受け入れれば南方三国との戦争どころではなくなる……だと。
「最悪のタイミングだ」
どうする、どうすればいい。南方三国と停戦? アプラーダとロコートに占領されている帝国領を諦める? ……いや、無理だ。もう旧アキカール王国貴族も巻き込んでいる。ここで止めたら彼らの矛先が帝国に向きかねない。
だが、会わないわけにはいかない。だってもう、帝都は目の前だ。
「クソがぁ!」
毎回、毎回っ! なんでこうも上手くいかない!?