古の守り人
俺は皇帝として生きていくことを決意した。そのためには、国政を好き勝手牛耳っている連中を排除しなくてはならない。無論、今動いたところで上手くいかないだろう。仮に成功しても俺には統治する能力がない。そうなれば国が割れ、戦乱が起きる。その後に残っているのは荒廃した土地、弱体化した国家、つまり帝国の崩壊だ。
だから来たる時まで、俺は待とう。少しずつでいいから宰相派、摂政派双方の力を削り、自分の勢力を作り、力を蓄える。
その為なら何十年だろうと道化を演じてやろう。
だが謀略渦巻くこの宮廷で、俺一人の力でそれをするのははっきり言って不可能だ。
だからまずは協力者を見つけなくてはならない。
幸い、目星はついている。密偵長ヴォデッド宮中伯だ。なるべく自然に、警戒されることなく、彼と二人きりで話す必要がある。
それから数か月、俺はヴォデッド宮中伯を見つける度、彼を呼び止めた。そして「しごとをやろう」と言って、どうでもいいような雑事をやらせた。
俺は一度、宮中伯を他の貴族がいる前で無職扱いしているからな。周りの人間には「我侭な皇帝」と「付き合わされる宮中伯」にしか見えないだろう。
問題はヴォデッド宮中伯が激怒したり、俺を見限らないかという点だった。だがこの男は俺の目的を知ってか知らずか、嫌な顔をせずに「しごと」に付き合う。
それを何度か繰り返したある日のこと。俺はヴォデッド宮中伯を部屋に呼び出した。
「よくきた、きゅうちゅう伯。今日もひまな伯にしごとをやろう」
俺の小馬鹿にした声を聴き、家令のヘルク=ル・ディッフェは静かに部屋を出ていく。
どうやら全く警戒していないらしい。侍女たちもおらず、部屋には彼と二人きりだ。
「陛下。何度も言っておりますが私にも仕事はございます」
そういつもと同じ返しをしながら、扉の方を見やる宮中伯。たぶん、部屋の外に警戒しろってことだろうな。
部屋の外を魔力探知する……うん、いないな。いるのは天井裏に一人。宮中伯の配下だけだ。
まったく、この状況を作るために、我ながら随分と回りくどいことをしたものだ。だが慎重すぎるくらいがちょうど良いだろう。
念の為、定期的に魔力探知を飛ばすことにした俺は、一度呼吸を整えてから、宮中伯に話しかける。
「さて、卿とこのように話すのは初めてだな。度重なる援護ご苦労」
転生して初めて、皇帝らしい言葉遣いで話しかける。
「いえ、臣下として当然のことをしたまでのことです」
やはり全て気づいていたようだ。声に揺らぎはなく、微笑みすら浮かべている。
味方に出来れば頼もしい存在だろう。
「ところで天井裏の者らは卿の配下か?」
「やはりお気づきでしたか。その通りです。彼らには陛下の護衛を任せております」
監視も兼ねているだろうが、それは構わない。信用など出来ないだろうしな。
動揺しているのか、初めて音を立てた天井裏の人間に向け声をかける。
「構わん。これからも続けよ」
別に俺がどうこうするつもりは無い。殺気を向けられたことも許そう。
まぁ、諜報を司るものとして宮中伯がどんな対応を取るとしても俺の知ったことでは無いがな。
さて、問題はこの宮中伯がどんな考えの元、中立派でいるのかだ。
「卿は余に戴冠した者に従うと言ったそうだが、それは事実か?」
「ええ。その通りでございます」
正直、この男の考えを表情から読み取るのは不可能だろう。未だに自然体を崩さない。
「その時が来れば、その者の命であれば余を討つか?」
「それは場合によりますな。少なくとも確かなことは……私は従うとは言いましたが、いつまでとは申しておりません。それが子孫に至るまで代々か、一瞬か。それは今の私に尋ねられてもお答えできません」
まるで少しずつヒントを出すように情報を小出ししてくる。おそらく、俺がどのくらい話を理解できるのか、探り探りなのだろう。
「ならばそれまでは余を見逃すと?」
この男は俺が屋内で魔法を使えることを知っているのだ。それは俺の切り札でもあり、生命線だ。それを握っている人間と敵対はしたくない。
「見逃す、という表現は正しくありませんな。我らは陛下に従うまでです」
「それはなぜだ。皇帝だから、なんて言ってくれるなよ」
この男は先程、俺の「余を討つか」の問いに「場合による」と返した。彼にとって皇帝という存在は無条件で従う存在では無いのだ。
「それは勿論、陛下が正当なロタールの後継者であるが故です。我がヴォデッド家はロタールの守り人であります故」
ロタール帝国はブングダルト帝国が建国される以前に、この地を支配していた大国。……つまりヴォデッド家は、ロタール皇家に付き従っていた側近の家系ということか?
「この国はロタール皇家の直系でもなければ、国号もロタールを名乗らなかったぞ」
「それらは些事に過ぎません、陛下。ブングダルト帝国は正しく正当なロタールの後継者なのです」
なるほど。その辺は俺には理解できないこだわりがあるらしい。
つまり、この男は「ロタールの後継者」に対して忠誠を誓っており、別に帝国やブングダルト皇家に対して忠誠を誓っているわけではないと。
そして俺が「ロタールの後継者」だから魔法が使えることも秘密にして来たと。
いいね。分かりやすい。
「その『ロタールの後継者』にラウル公やアキカール公は含まれるのか?」
「いいえ、陛下。彼らはラウル公であり、アキカール公です。それ以上でも無ければそれ以下でもありません」
「つまり、今『ロタールの後継者』なのは余のみか」
「左様でございます、陛下」
この男、「信念」や「信仰」に生きるタイプか。ならば踏んではいけない地雷に気をつける必要があるだろう。
「何をしたら『ロタールの後継者』として見なされなくなる?」
「陛下がロタールの後継者であることをお忘れにならなければ問題ありませぬ」
このブングダルト帝国はロタールの文化や言語、歴史をそのまま受け継いでいる。むしろ、ロタール帝国滅亡に伴う動乱期に破壊されたロタール文化を、再興してきた国家だ。
つまりロタール文化を不必要に破壊したり、歴史の改竄などを行わなければ問題ない……か?
もっとも、俺に子ができればすぐに廃される可能性もある。この男は「余を討つか」という問いに対し、「場合による」とのみ答えたのだから。
いや、この際覚悟を決めよう。俺は皇帝として生きると決めた。その為にこの男を信用し、利用する。信頼はしないがな。
だがその前に一つだけ聞きたいことがある。
「先帝や父上が殺されたのは何故だ。何故見逃した?」
そう問うと、初めてヴォデッド宮中伯の表情が歪んだ。彼は一度目をつむった後こう答えた。
「当家とその配下には私より年上の者はおりませぬ。皆自害しました」
見逃してしまった責任を取って……といったところか。だが……
「聖一教では自殺を禁じていたはずだが?」
「我らはロタール帝国が聖一教を受容する以前より守り人でしたので」
なるほど。こいつらは一歩間違えれば異端者扱いされる手合か。
さながら「ロタール帝国」を今でも信仰している狂信者といったところか。
敵にすれば厄介だ。 ……味方にしても危険だが。
しかしその程度従えられなければ俺も皇帝など務まらないだろう。
「わかった。ならば即位式までの間で構わない。俺に手を貸せ、宮中伯。この国を奴らから取り戻し、帝国の名に恥じぬ強国を再建する」
ヴォデッド宮中伯は深く頭を下げると、こう言った。
「かしこまりました、陛下。全ては帝国のために」
こうして俺は、協力者……というより、共犯者を一人手に入れた。
ところで、話していくうちに気になったことがある。
「先帝の死後、生まれた余が男児だったから良いものを……女児だったらどうするつもりだったのだ?」
「問題ありません。その女児が後継者です」
「……なら子を孕んでいなかった、あるいは流れたら?」
そう聞くと、ヴォデッド宮中伯は初めて満面の笑みを浮かべて答えた。
「その時はラウル公とアキカール公の一族をことごとく殺した後、我らも自害していたでしょう」
……なるほど。つまり、先帝と父上の暗殺は確実に二人の公爵によるもので、尚かつ証拠もあるということだな?
優秀なことだ。 ……このタイミングで今日一の笑顔ってのはさすがにどうかと思うが。
まぁ、人間として壊れていようが構わない。
全ては帝国のために……な。