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講和交渉が行われるテント……村の外に置かれた大天幕に、先に到着したのはガーフル共和国の外交官としてやってきたステファン・フェルレイだった。
これは、自然なことではあった。皇帝は立場として、最上位に君臨する。基本的に相手を待たせて当たり前なのだ。
しかし不自然なこともあった。それは皇帝よりも先に、彼の腹心として有名な側仕人と彼の近衛長がテントの中にいたこと。
果たして彼は、気づけただろうか。まぁ、違和感に気が付けても……防げなければ俺の勝ちだ。
***
「まぁ別にいっか、失敗しても」
俺はそう呟き、講和会議の場としてセッティングした天幕に近づく。
俺は腰に差している剣の鞘をそっと撫でる。『聖剣未満』……なんの力もない、ただ魔力を蓄えているだけの剣。だがその事実を知る人間はほとんどいない。
俺は魔法をかなりの練度で使えることを、大々的には見せていない。それでも人前で魔法を使う必要が出た時、カモフラージュできるようにこの剣を常に持ち歩いている。
即位の儀において、俺はこの剣の魔力で、剣に【炎の光線】をまとわせ、宰相と式部卿の首を刎ねた。
だから多くの人間は、この剣がそういう力を持った魔道具だと思っているだろう。今回も同じ手法で、【炎の光線】を使う。
天幕の中の全員が、頭を下げる気配がする。まぁ、これから皇帝が入るわけだからな。これが戦場ならそんなマナー誰も守らないが、ここはどちらかというと政治の場だ。剣よりペンが強い場所。だから油断する。
問題は、俺が剣の扱いが下手だということだが……振り抜けば剣で斬ったのか魔力で斬ったのかは分からないだろう。
そして何より、万が一間違えて指輪だけでなく指を切ってしまったとしても……まぁいいかと思った。相手はそういう奴だ。効果を分かっててオーパーツを使ってるんだ、それくらいの覚悟をしていて貰わないと困る。
俺は天幕の中に入ると同時に、剣の柄に手を掛ける。そして顔を上げたその場のほぼ全員が驚きの表情を見せる中、剣を鞘から引き抜く。反応したガーフル側の護衛との間には、既に事情を知っているバルタザールとティモナが入り彼らをけん制している。
その瞬間、俺はそいつと目が合った。ステファン・フェルレイ……今までただ肥満ぎみの体型としか思えなかった男だが、その巨体から考えられない速度の反応で、咄嗟に急所を守ろうとしていた。やっぱり、元は戦える人間だったか。
そして俺は、剣を振り抜いた。
「な、何をなさる!」
ガーフル共和国側の文官らしき一人がそう叫ぶ。だが、一番叫ぶべき人間は、無意識のうちにかその宝石が落ちるのを目で追っていた。
「すまない、非礼を詫びよう」
俺は床に落ちた宝石……正確には宝石の見た目をした魔道具を、足の裏に踏んづける。
……良かった、どうやら遠隔操作できるタイプのものでは無いらしい。ついでに、ティモナやバルタザールが俺を見る目にも変化はない。靴で踏んでも発動しないのかあるいは今ので壊せたか。まぁ、その辺りは後回しか。
「あまりにも気持ち悪い魔道具だったのでな、思わず斬ってしまった」
その男は驚愕の表情を浮かべていた。そこには、卑しさのかけらもなかった。少しふくよかではあるが、これくらいの貴族はいくらでもいる。もちろん、生理的な嫌悪など抱かない。
「お前、そっちの方がいいぞ? 好感が持てる」
俺は宝石状のオーパーツを踏みつけたまま、表情が凍り付いたステファン・フェルレイに向かってニヤリと笑った。
「さぁ、公平な交渉といこうじゃないか」
***
「……いつ気が付かれたので」
ステファン・フェルレイは俺の凶行を非難する訳でも、突然の出来事に狼狽する訳でもなく、絞り出すような声でそう言った。
そこにはやはり嫌悪は感じない。今は普通の声だと感じる。
幻覚や幻聴を見せられてたわけではないと思う。同じものを見ていたはずだ。ただ、印象操作を強制されていたってところだろうか。
「しいて言えば帝都での晩餐会、そこで卿が指輪に触れた瞬間か」
あの時、それまで感じていた嫌悪感が、一瞬で侮蔑にすり替わった。しかしその瞬間を、普通の人間は気付くこともできないだろう。オーパーツの事前知識が無ければ気が付くことすらなかったかもしれない。
流石に一度オーパーツの出鱈目な性能を体験していたからな。経験を生かせて良かったよ。
嫌悪を植え付け一度警戒させ、侮蔑を植え付け警戒を解かせる。その差で相手はいつの間にか油断し、自分の狙いを「些細なもの」と判断させる。相手は「どうでもいいが、醜い奴が必死に懇願してるから、そんなどうでもいいことくらい認めてやっていい」と思わされる。
そして最後に自分を取るに足らない存在だと思わせ、その後に違和感を思い出させることを防ぐ。
「上手いやり方ではある。だが、あまりに気持ちが悪い」
自分の思考というか、感情を操られる感覚。それはあまりに気分が悪い。
さて……こうしてオーパーツは相手から奪えたわけだが。
「しかし……いくら皇帝とは言え、余は大変無礼なことをしてしまった。そこで、だ」
敵の外交官らしき連中は困惑しているし、こちらの人間も、事前に聞いていたティモナとバルタザール以外、全員事情を把握していない。
とはいえ、ティモナとバルタザールも、碌な説明は受けてないんだけどな。ただ、俺が剣を抜くから何も言わず、何も疑問に思わず俺を守ってくれと。それだけの指示で、何も反発することなく、それを実行してくれた。
「この講和会議、無かったことにしてもよいぞ」
「……それは、我々と戦うということで?」
俺はステファン・フェルレイの言葉を肯定する。
「余は戦いたくないが……そちらがそのつもりなら戦うしかないだろうな。あぁ、無事に我々の撤退を保証してくれるなら、捕虜をタダで返してやってもいいが、どうする?」
俺は、もう講和する気なんて無いかのように、さらに畳みかける。
「一日停戦で兵千人……いや二千人返してもいいか。少し取り過ぎてしまってなぁ」
正直、俺は今ここで共和国と講和したい。ガーフル共和国相手の戦争は片付け、その上で一度帝都の戻り直轄軍を再編し、次の戦場へ向かいたい。
しかし、今講和を結びたいと思っているのは共和国の方が強いだろう。
「こちらの条件は議会で承認された内容ですので、私個人では如何とも返答しがたく」
ガーフル共和国は、貴族共和制の国だ。大貴族による、議会で政治が決まる。だからまぁ、この男が言っていることも、別におかしなことではない。
「それで、議会が復活するのは何年後だ? 一年後か?」
だが俺たちは、今回の戦いで結果的に大量の貴族を戦死させた。その中には、議席を持っていた大貴族も多数いた。貴族とは、言わば軍人の役割と政治家の役割を兼任した存在だ。それが一瞬で、一度の戦いで大量に屍となった。
俺たちは今回、ただガーフル軍の壊滅させたんじゃない。結果的にガーフル共和国の政治中枢……貴族による議会すら壊滅させたのだ。
「どうせ議会が復旧するまで数年かかるだろう。その間、講和条件を交渉できないというなら、現状維持とせざるを得ない」
まぁ実際のところ、こっちとしては最悪、講和を結べなくてもいい。戦線を押し戻すという当初の目的は達成できた。何より、これだけ大量の貴族が一気に死んだのだ。共和国は本当は大混乱に陥っている……あるいはこれから陥るはずだ。
つまり、ここにきているステファン・フェルレイの軍勢以外は、恐らくまともに戦える状態ではない。皇帝軍が撤退するときに攻撃されれば損害は大きいだろうが、それを捕虜という人質で誤魔化せば案外何とかなる。
「余としてはその間に、先に南方三国との戦争を片付ければいい。そもそもガーフル人と戦っていると国内の評判が良いのでなぁ……著しく政府の能力が低下し、軍隊も建て直せていないお前らと講和を結ぶのに、何でお前らの条件を飲まなくてはいけないんだ?」
こちらも当初の戦略では、真っ先にガーフル共和国と講和する気でいた。だが今回、俺たちは想定以上の勝利を挙げてしまった。流石にガーフル共和国へ侵攻するのは下策だが、継戦自体は一見悪い選択肢では無くなってしまっている。
しばらくして、ステファン・フェルレイが深く息を吸った。
「そちらの希望する条件は」
……やっぱりな。ステファン・フェルレイが嫌がっているのは皇帝軍に逃げられることではない。継戦することでも無いかもしれない。これから帝国軍がガーフル共和国領に侵攻するなら、共和国をまとめ上げて防衛戦争の指揮執ればいい。生き残っている数少ない大貴族の一人であるこの男なら、継戦自体は可能だ。何より、ガーフル領内で戦えば俺たちはたぶん負ける。
この男が嫌がったのは、南方三国と先に講和されることだ。
晩餐会の時の矛盾した南方三国使節の反応、彼らの近くにいたステファン・フェルレイ……これは外国の使節の中で孤立気味だったから同じテーブルにいたんじゃない。この男は以前からあの使節たちと顔見知りだったから同じテーブルにいたのだ。だからおそらく、彼らにガーフル共和国が帝国と開戦することを教えたのはステファン・フェルレイだ。
そして、もしかすると……そもそもロコート王国を唆して帝国との開戦に踏み切らせたのもこの男ではないだろうか。
この男は奸臣と呼ばれている。自己利益のみを追求する貴族だと見られている。
だが本当にそうなら、今回の講和条件は徹底的に敵対派閥……主戦派を攻撃する内容になっていたはずだ。例えば、主戦派貴族の領土割譲……は、こちらがガーフル領にまだ侵攻してないから現状では無理か。それでも、賠償金の請求先は共和国ではなく、指定の貴族……主戦派貴族を名指しで指定するくらいのことはやって然るべきだ。
なのに、賠償金は共和国から払うという……大方、この男が肩代わりするつもりだったんじゃないのか。
「条件と言われてもなぁ。余は別に講和に魅力を感じておらぬからな」
「ご冗談を……時間は互いにとって敵のはずです」
……やっぱりこいつ、帝国の事情も分かっているのか。
「そうかな? 時間をかければ、これまで何故か消極的だったヒスマッフェ王国も動き出すと思うんだがな」
俺の言葉に対するステファン・フェルレイの反応は……無い。だが、これは不自然な無反応だ。もし心当たりがなければ、困惑などの反応が出る。つまり、当たりだ……ヒスマッフェ王国が対ガーフル共和国に乗り気でなかったのも、この男の暗躍によって縛られていたからだ。
俺たちは皇国内での政争、あるいは内乱に介入するために、早いところ講和したい。ガーフル共和国としても、歴史的な敗北のせいで国内を立て直す時間が欲しい。お互いに講和したいところではある。
「陛下の御考えをお聞きしても」
「だから、魅力を感じないのだ。『暴走した主戦派』との講和など」
俺にその発言をさせたのは他でもない、この男なのだから。
ブロガウ市で調べてもらった敵貴族の所属派閥。確かに、穏健派は参加していなかった。だが主戦派はほとんどが来ていた。皇帝の首という火に群がる虫のように、ほとんどが参加していた。だからガーフル共和国は軍事的以上に政治的な損失を被っているのだし。
帝国が戦っていた相手は確かに主戦派で合っている。だが、暴走した主戦派のみ帝国と戦っているというステファン・フェルレイの言葉は嘘だった。
それがどういう意味かというと、この男は自己保身も自勢力の拡大も最初から狙っていなかった。このステファン・フェルレイという男は、共和国のために動いていた。だから主戦派はこの先も共和国に必要だと判断し、主戦派の主要な貴族を守るために『暴走した主戦派』という存在をでっち上げた。
ただ唯一の誤算は、その守ろうとした主戦派貴族らが壊滅してしまったこと。だから慌てて、自ら軍を率いてここに来た。
「余は共和国と交渉したいのだ」
だが、皇帝に嘘をついていたとはステファン・フェルレイも言えないだろう? さぁ、どう出る。
「私としてことが言い忘れておりました。帝都で陛下にお会いした時点では『暴走した主戦派』のみ戦っていたのですが、今回の戦いには共和国として参戦していたようで」
……なるほど。それを事実ではないと主張することは簡単だが、否定することは帝国には難しいか。案外、最初は本当にそうだったのかもしれないしな。
テアーナベ地方での奇襲は、主戦派貴族の一部の暴走。そのなし崩し的な開戦から、有利な状況で共和国が講和できるように、ロコート王国を唆した……ステファン・フェルレイは暴走した一部貴族の尻拭いをしていただけっていうのは、十二分にあり得るな。
というかこの男、交戦中の勢力を『主戦派』ではなく、共和国全体だとあっさり認めたな。実際には、穏健派貴族はまだ帝国と交戦していない。自己保身だってできたはずなのに……主戦派へのさらなる追撃を防ぐために自分たちも責任を被りに来た。まったく、何が奸臣だ。コイツ、共和国の為の行動しかしていない。
「共和国として、帝国からの講和条件をお聞きしましょう」
「余としたことが、思わず斬りつけてしまったからな、少しは配慮しよう」
俺は、ついに交渉のテーブルに着かせた共和国に、そう前置きした上で条件を提示する。
「帝国領からの完全撤退。ガユヒ大公国及びテアーナベ地方からの完全撤退。現在ガユヒ大公を名乗るクーデター勢力との間に結んだあらゆる契約、同盟の即時破棄。共和国から帝国に対する賠償金の支払い」
ちなみに、賠償金の額は正直いくらでもいい。大事なのは賠償金を払わせるという行為。共和国に非を認めさせ、敗北を認めさせる為に必要なのだ。
「そして帝国と共和国間での捕虜の交換。今後五年間の停戦。及び今後五年間、共和国は帝国軍に軍事通行権を付与するものとする」
もとから、ステファン・フェルレイは帝国の目的を察知していた。だから俺の狙いも考えも理解したはずだ。ヒスマッフェ王国の名前を出したにもかかわらず、俺は共和国とヒスマッフェ王国が結んだ条約や契約などの破棄は求めなかった。
それはつまり、ヒスマッフェ王国と共和国が現状の関係のままで構わないという帝国からの意思表示だ。その上で、軍事通行権……帝国軍が共和国領内を自由に通行できる権利を求めた。
俺たちは皇国を攻撃する。その為に必要な侵攻ルートの一つ、北からの侵攻経路の確保……それはガーフル共和国領の通過が必須な訳だ。
だからこの講和はメッセージでもある。つまり、手出しせずにただ通過させてくれるなら見逃すけど、皇国側に付くなら滅ぼすぞっていう帝国の意思表示だ。まぁ、ガーフル人はブングダルト人と長年争ってきたから、滅ぼして統治するとなると反乱祭りになるだろう。それはお互いにとって利益が無い。
「賠償額の折衝が必要にございますな」
「安心しろ。本来請求する捕虜の身代金を名前を変えて請求するだけだ」
身代金換算でかなり高価な貴族もそれなりに捕虜にできていたからな。
ブングダルト帝国とガーフル共和国は、それから一週間と経たずに講和したことを発表した。