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会議にて方針が決まった後、帝国軍は行軍速度を上げブロガウ市へと入城した。そしてまる一日、兵たちはゆっくりと休息した。
とはいえ、休めるのは兵士だけだ。その間、俺たちは作戦を立てなければならない。
新設されたニュンバル侯領……中でも旧エトゥルシャル侯領中部、エトゥルシャル・セント伯領には、河川が流れる場所が多く存在する。東西に流れるいくつもの河川は、歴史的にガーフル人に対する天然の、防衛線の機能を有してきた。そしてそれは同時に、水運の利用を活発なものとし、いくつもの都市がこの河川沿いに建てられた。
ブロガウ市も、そんな河川沿いの都市のひとつである。また、この辺りではかなり発展した都市になる。
そんな比較的大都市に位置づけられるこのブロガウ市だが、ここの人間はかなり好意的に、皇帝軍を歓迎してくれた。ブロガウ市の市長も、代官として駐留していた貴族も、それどころか西方派の教会すら、自分たちの所有する建物を快く貸し出してくれた。
これは住民の反応も同じで、多くの兵士が屋根の下でぐっすりと休むことができている。
この歓迎ぶりには驚いた。それだけ、皇帝カーマインの名声が高まっているというのもあるだろうが……何よりガーフル人と戦うというのが高評価のポイントな気がする。それだけ、この地の人々は長年ガーフル人と戦ってきた歴史を持つ。
ただ、そんな歓迎を受けたからこそ、俺たちは本陣をどこかの館に置かず、ちょうどいい位置にあった広場に大天幕を張って本陣とした。
これは既に住んでいる人間を追い出すのが申し訳ないというのもあったし、単純にここがこの都市のちょうど中心になるからだ。
その大天幕の中で、改めて俺は報告を受けていた。
「既にヴァンペスーラ城は放棄。城主以下、守備兵は全て本市に入りました。また、それ以外の前線から敗走してきた兵も収容済み。さらにこの都市に元からいた守備兵と合わせて約三千五百人……ですが負傷兵も多いのが現状です」
ティモナから報告されたのは、都市内の現状について。皇帝親征軍はニュンバル侯軍とも合流して二万五千を超えたが、これだけの数がいると、いくら住民の半数が避難済みとはいえ流石に狭い。
「そして籠城を続けていたレクスラジン城ですが……先ほどついに降伏したとの報告を受けました」
ずっと籠城を続けていたレクスラジン城がついに陥落した。元々、ほとんど兵力が残っていないとの報告を受けていたのだが、想定以上にギリギリまで粘ってくれた。
「ここまで耐えてくれるとは……しかし余は見殺しにしてしまった。すまない」
救援要請はなかったが、俺たちはこの地から動かなかった。謝ってどうこうなる問題ではないが、口にせずにはいられなかった。
「陛下のために戦えたこと……彼らも本望でしょう」
アルヌールはそう言ってくれたが、やはり俺の判断で見殺しにしたのは事実だからな。何より、彼らは本当に俺のために戦ってくれた。もっと早い段階で降伏するつもりが、「皇帝が来た」の伝令を受けて、徹底抗戦を選んでくれたようだ。だがそのおかげで、ここの軍は行軍の疲れを取ることができた。
「俺からも報告だ」
アトゥールル騎兵を率いるペテル・パールが、地図を指さしながら報告する。
「付近の橋は大体落とした。ただ、下流の方にひとつ、石橋が残っている」
本来、この時代の橋は石橋と木造の橋が半々くらいだ。だがこの辺りの地方は、歴史的にガーフル人と戦ってきたので、大半がいつでも落とせるよう木造の橋になっている。
反対に、敵軍と戦うことが想定されていない帝都周辺などでは、ほとんどの橋が石でできていたりする。
「その位置なら問題ないだろう。助かった」
次に報告するのはエタエク伯と宮中伯だ。
「報告します! 我々の偵察によれば付近の敵軍はここブロガウ市を目指しており、夜行した場合は明日未明、または明日正午ごろに接敵すると思われます!」
「我々も同じ見解です。付け加えるなら、敵はここに陛下がおられることを把握しております」
なるほど。まぁ、それは別に隠してなかった……どころか堂々と俺の旗掲げてたし、知られてて当たり前か。
俺は敵にとって手柄首だからな……無視して迂回する可能性は低い。となると、やはりこのブロガウ市で決戦か。
「先ほど、ヴェラ=シルヴィから連絡があった。明後日には目標地点に到着できるそうだ」
俺からの報告も加えて、いよいよ防衛計画を練るわけだが。
「それを踏まえて……やはりこちらから打って出るのはどうだろうか」
ここブロガウ市は、東西に少し長い、長方形状の都市になっている。四方を城壁に囲われ、そして都市の北側には川が流れており、これは水堀としての役割も果たしている。
そして北側の城壁については、眼前に水堀があるためか、大人の背丈より少し高いくらいの高さしかない。これは城壁としてかなり低い。一方で、それ以外の三方はかなり高い城壁を備えている。
「都市の北側、及び市外の東西……その川沿いに部隊を配置。上流でヴェラ=シルヴィの魔法を使い一時的に川の水を堰き止める。都市北側は魔法兵に坂を作ってもらい城壁を越えさせる。そして全軍で敵軍を強襲、その後都市に退却し、川の水を再び流し敵の追撃を阻止する」
俺はこの作戦の是非を諸将に問う。
「奇襲としては……良い案かと」
アルヌールが頷く。だがそれに続いて、ペテル・パールが意見を述べる。
「それをやるなら、時刻は夜か明け方がいい。欲を言えば月の出てない時間が良いが……そこまで徹底するかは任せる」
なるほど、奇襲ならその方が効果的だ。川の水が見えにくい方が、敵も混乱するだろう。だが月明りの反射は……俺、暦とか天文詳しくないな。専門家が必要か?
「では、基本はその方針で。次は布陣だが、余はあまり詳しくない。諸将の意見を求む」
俺たちはこの奇襲を成功させるために、作戦を練っていく。
……そして俺はまた過ちを犯す。
だが俺は、この戦いを経て一つの学びを得た。知識では理解していたことを、実体験としてこの身に刻むことになる。
それは……「自分が奇襲する側だと思っているときこそ、最も効果的に奇襲の被害を受ける」ということだ。
***
ついにガーフル軍が現れた。敵の総数は、約三万。様々な旗が風になびいている。
俺たちは既に都市の北側に残していた橋も落とし、布陣を完了させている。都市北壁には皇帝直轄軍の半数五千と魔法兵、ニュンバル弓兵二千を配置。
市外の左翼側には弓兵隊を除いたニュンバル侯軍五千、ブロガウ市及び周辺都市の守備隊を再編した二千、合わせて七千。
右翼側には皇帝直轄軍のもう半数五千と、アトゥールル騎兵二千の計七千。
そして残るはエタエク伯軍の騎兵二五百だが、彼らについては作戦会議の結果、別働隊とすることになった。下流の石橋を通って迂回し、軍背後の捕捉されない位置にまで進出。そして本隊の夜襲を受け、敵軍が混乱したタイミングで敵本陣に奇襲……ベイラー=ノベ伯を討ったその手腕で、敵本陣を攻撃してもらおうって算段になったのだ。
これから夜になるまで、両軍は睨み合うことになる。
その間、やることのない俺はブロガウ市の市長や、市内に残っていたガーフル共和国と取引をしたことがある商人にガーフル軍の旗を見てもらうことにした。
ガーフル共和国は、実質的に貴族共和制の国だ。その為、帝国で言う皇帝直轄軍のような、中央軍というものを持たない。また貴族に制限をかける存在がいないため……結果的にガーフル貴族は、戦場で少しでも目立つようにカラフルな服に身を包み、華美な装飾を身に着け、そして自身の旗を大々的に掲げるようになった。
こうして自分たちの家の武勇をアピールするのは、彼らにとって死活問題になっている。貴族議会から認められようと……あるいは貴族議会の議席を得ようと必死なのだ。
つまり何が言いたいかというと、ガーフル軍の旗は遠くから見ても分かりやすい。大きいし派手だしな。だから遠目から見ても、どの貴族がその軍に参加しているのか簡単に分かる。
しかし俺はどの旗がどの家の物なのか知らないので、それを知っている人間に見てもらっているという訳だ。
そしてその情報を宮中伯に報告してもらい、早い話がどの派閥がどのくらい参加しているのかを照合してもらおうと思ったのだ。
「それで、どうだ宮中伯」
「まだ全てではありませんが……さすがに穏健派、あるいは帝国派と呼ばれる派閥はおりません。しかし、主戦派と呼ばれる勢力の貴族……その中でも主要な大貴族は、ほとんど見えておりますが」
なるほど、主戦派はだいたい皆いるのか。なら晩餐会でステファン・フェルレイが俺に認めさせた、「交戦しているのは過激派、あるいは暴走した主戦派のみ」という言葉は完全に嘘だったわけだ。
ということは、奴の狙いは……。
俺がこの暇な時間にそれを考えようとしたところで、ティモナに呼び止められる。
「陛下」
ティモナ・ル・ナンは俺の側仕人、護衛から秘書まで幅広く担っている……だが最近は護衛の役を近衛に任せるようになり、手の空いた時間は自己判断で動いている。そんなティモナは、先ほど皇帝直轄軍の様子を見てくると言って、北壁に向かったはずだ。
「どうした?」
「城壁の兵の中に、気になることを言っている者が」
こういう時、例えば特定の部隊長に対する不満が多く聞こえただとか、飲み水の配給に偏りが生まれてるだとか、そういう細かい情報を俺に与えてくれる。
そういうミクロの視点は皇帝の立場にいると見逃しがちだ。本当に助かっている。
「聞こう」
「川の水位が減っている気がすると話す者がいます。数は多くありませんが」
……水位? 確かに天気は晴れているがまだ春先だから、普通水位は減らないだろう。むしろ天届山脈から豊富な雪解け水が流れ込んで水位は高いはずだ。……しかも数は多くないってことは、一人じゃないな。
「敵部隊の動きは?」
「変化があれば、どんな変化でも報告するように言ってありますが」
ならいい……いや待て、本当に大丈夫か? なんか嫌な予感がする。
「宮中伯、念のためペテル・パールとアルヌールをここに呼んでくれ」
「ただちに」
そして俺は念のためヴェラ=シルヴィに現状を聞こうと、『シャプリエの耳飾り』に魔力を込める。
これは恐らくオーパーツの一種類だと思われるものだが、特に脳に影響を与えるものでは無い。二つで一対のこの耳飾りは、それぞれが離れた位置にあっても、まるで無線機のように通話ができる優れモノだ。
ただ欠点もある。それは発信の際に魔力を込める必要があること、そして発信能力……最初に通話をオンにすることができるのは片方だけということ。
俺は繋がった耳飾りに声をかける。
「ヴェラ、そちらの状況は」
『言って!』
『妃様に代わって報告します!』
最初に聞こえたヴェラ=シルヴィの声、そして続く聞き覚えのない男の声。
『目標地点、敵部隊が確保済み! 作業中と見られ、その数約一千』
……やられた。
そしてそのタイミングで、城壁からの報告も来る。
「城壁より報告です。敵中央集団に動きあり。歩兵が下がり、なぜか騎兵が前面に出て来る模様」
また俺は失敗したのか。テアーナベの二の舞だ。
……いや、まだだ。まだ間に合う! 反省は後だ。できることをできる限りやれ!
「……ヴェラ、敵兵の兵科は」
『騎兵主体です!』
再び聞こえた男の声。恐らく、ヴェラ=シルヴィは自分だと上手くしゃべれないと判断したのだろう。彼女の方も焦っている。
「そのまま通話状態で待機」
俺は耳飾りを顔から離し、大天幕内の伝令や指揮官全員に向け叫んだ。
「敵の奇襲が来る! 伝令をかき集めろ!」




