10
黄金羊商会との交渉を終え、俺はどこか肩の荷が下りた気分になっていたが、気づけばまだイレール・フェシュネールは退出していなかった。
「まだ何かあるのか」
「面白かったので、ちゃんとしますぅ」
俺がした質問にそんな意味の分からない返答をした彼女は、謁見の間の外に控えさせていた護衛の中から、一人を俺の前に連れてきた。商人らしい格好をしており、黄金羊商会の一員に見える男が、俺の前で頭を垂れる。
「この男は?」
俺が疑問をそのまま口にすると、イレール・フェシュネールはそれには答えずに、質問で返してきた。
「ドズラン侯が何か言ってませんでしたかぁ」
俺はあの男との会話を脳内で再生する。占領されている旧領の領有権と、ワルン公への援軍の話などをして、確か……。
「あぁ、最後に土産を持ってきたからお抱えの商人に届けさせると言ってたか」
そこまで口にして、俺はようやくその意味を理解する。
「もしかしてあれ、彼のお抱え商人ではなく、余のお抱えという意味か」
「はいぃ。そしてその手土産が彼ですぅ」
なるほど、この感じだとこの男は黄金羊商会の商人ではないのか。それ以外の重要品目の商人だろうか。
手土産、として連れてこられたその男は、俺の前で深々と頭を垂れていた。俺はふと、かつてファビオと出会った頃を思い出した。案外こういう人間が、重要人物だったりするんだよな。
「直答を許す、面を上げよ……余が八代皇帝カーマインである」
俺がそう告げると、男はあっさりと立ち上がり、俺の目をまっすぐに見つめ答えた。
「オーギュスト・ド・アドカルだ」
それを捕捉するかのように、イレールは続けて言った。
「元アドカル侯ですぅ」
……アドカル侯だと!?
アドカル侯領は帝国南西部に位置していた貴族領だ。元々、アキカール地方と呼ばれた地域の南東部に位置し、その地名の由来はアキカールもアドカルも同じらしい。当然、昔からアキカール人が住んでいたし、ロタール帝国の崩壊後はアキカール王国として独立していた地域に属す。
ではアドカル侯領がずっと反ブングダルト的な所領だったのかというと、これはそうでもない。むしろロタール人やブングダルト人も多く住んでいたアドカル侯領は、アキカール人諸侯の中でもかなり帝国に近しい立ち位置にあった。というか、歴代当主の中にはロタール人を自認する者もいたらしい。それ故にアキカール人の中には、アドカル侯領は「アキカールではない」と言う者もいたようだ。
それでもロタール帝国崩壊後は「アキカール人として」アキカール王国に属し、ブングダルト帝国の征服を受けその所領の一部となった。しかし主流派ではなく、穏健派と目されたため所領は安堵された。それがアドカル侯領についての簡単な歴史だ。
またこの歴史からも分かるようにアドカル侯はロタール帝国時代から続く由緒正しい名門だ。名前も地名と同じアドカルだしね。その為、俺が生まれる数年前まではは有力貴族の一人としてかなりの力を持っていたようだ。
それ故に、宰相や式部卿に政敵として危険視され、何よりジャン皇太子が殺された地がアドカル侯領内という噂が広まり、急速に発言力が低下。結果、その領土は完全にアプラーダ王国の土地として割譲されてしまい、それに反発したアドカル侯はアプラーダ王国内で反乱と潜伏を繰り返していた……ここまでは皇帝として、俺も知っている。
「それで、わざわざ商人の格好をしてまで、余に接触を図ってきたのか」
「普段からその格好ですぅ。なかなか良い商人なんですよぅ」
あぁ、そうか。アプラーダ王国領として編入されて以来、商人として潜伏していたのか。
だがその言葉が気に食わなかったのか、オーギュスト・ド・アドカルが反論する。
「貴族ですよ、こう見えてもね……もはや城もありませんが」
まぁ、帝国とアプラーダ王国の都合で土地を奪われたとはいえ、伝統と格式ある一族だからな。
というか、この男には俺は恨まれていてもおかしくない。俺の決断では無いとはいえ、帝国によって自分の領地を奪われたんだ。その君主である俺は嫌われていてもおかしくない。
「それで? 黄金羊商会は仲介しただけか」
「いいえぇ。陛下の構想に合致してるんじゃないかと思いましてぇ」
そのイレールの言葉に、俺は少しだけ考える。
この言い方だとつまり、仲介以上の関係を求め、なおかつ俺の描いている戦略に合っていると言いたいのか。ということは……アプラーダ王国との戦争で利用するよう勧めてきているのか。
「ここに来た目的は交渉か」
すると、オーギュスト・ド・アドカルはまっすぐに俺の目を見つめ、こう言った。
「そうだ。こちらはアプラーダ国内で反乱を起こす用意がある」
なるほどねぇ。つまり帝国とアプラーダが本格的に戦争するこのタイミングで、旧領を奪還しに来たのか。
「その言い方だと、こちらの命令に従うと? それでいいのか」
「あぁ。そちらが反乱を起こすなというのであれば起こさない。起こせというならば起こす。ただし、決断はこの場で下してほしい。時間的余裕はない」
さて、話は分かった。帝国とアプラーダが戦争するのに呼応してアプラーダ王国で反乱を起こす。これ自体は効果的な策だ。だが、自らこの場に乗り込んできたということは、それだけでないはずだ。
「条件は?」
「連携して動くために連絡手段が欲しい。それと、援軍も欲しい。加えて、戦後アドカル侯として帝国に復帰したい……その確約も欲しい」
次々と出てくる条件に、俺はまた少しだけ悩む。
いや、これだけ条件を出してくること自体は別に構わないのだ。なぜなら、今この段階でオーギュスト・ド・アドカルは帝国貴族ではないからだ。身分的に皇帝の方が上でも、交渉というこの場において俺たちは対等な存在だ。だから無礼に見える態度も皇帝として怒らなくていいだろう。
……そもそもアドカル家が裏切ったとかではなく、どちらかと言えば帝国の都合で彼らは捨てられたわけだし。正面切って恨み言を言われないだけマシだろう。
問題は、条件の内容がなぁ。うーん……よし、一部だけ勘弁してもらおう。
「連絡手段は用意させよう。戦後の復帰についても余が証文を書く。だが援軍は無理だ……その代わり、卿が独力で所領奪還できずとも、帝国領となったアドカル侯領は卿のものだ。これも余が書面で以て約束しよう」
俺が代わりに提示した条件……当然、アドカル侯はすぐさまその意味を理解する。
「召喚獣になれと?」
……これはこの世界独特の表現だな。戦の際、敵銃兵に対する弾除けとして召喚魔法がよく用いられていて、リロードに時間のかかる火縄銃に対して、これは一定の効果を得ている。その召喚魔法で呼び出される召喚獣のように、自分たちに肉壁になれといっているのかと、そう言いたいわけだ。
「無論、援軍を送る可能性もある。だが約束は無理だ……黄金羊商会が出すなら別だが?」
「嫌ですぅ」
……イレールは今、無理だとは言わなかった。援軍を出す余裕はあるけど、利益が薄そうだから嫌だってことだろうな、守銭奴め。
俺の提案を、しばらく吟味していたオーギュスト・ド・アドカルは、何かに気が付いたかのように片方の眉を持ち上げた。
「通過儀礼ですか」
あれ、分かっちゃうんだ。そんなに分かりやすかったかな。
もちろん、まだ帝国貴族として帰参していないからっていうのもある。だがそれ以上に問題がある。
「余は卿には不信感を抱いてはおらぬ。だが手土産として卿はここに来た」
俺が「いつ裏切ってもおかしくない」と思うドズラン侯……彼と関わりがありそうだから、俺はちょっとオーギュスト・ド・アドカルが信用できない。どのくらいの関係値なのか分からない以上、いつか一緒に裏切るところまで考慮しないといけない。
俺はまだ、この男のことを何も知らないからね……まぁ、代わりに最前線で血を流して戦えって言ってるわけだから、我ながら酷いことを言ってる自覚はある。
だが意外にも、オーギュスト・ド・アドカルはこれに反発しなかった。
「……なるほど、仲介役を間違えたらしい。そうか、それでお前たちがわざわざ私を買い取ったのか」
どこか納得した表情を浮かべ、彼はイレールの方を向く。
「潰されてしまってはもったいなかったのでぇ」
イレールとオーギュストの会話から察するに、つまり本来はドズラン侯に仲介を頼んでおり、ドズラン侯が土産としてつれてくるはずだった。だがその場合、俺はこの元アドカル侯を中々信用しない可能性が高い……しかし元アドカル侯の反乱が、対アプラーダ戦線で有効な一手になると判断したイレール・フェシュネールは、仲介する権利を金でドズラン侯から買い、こうして連れてきたと。
この女、最初っから……まぁいい。そう考えると、ドズラン侯が「手土産」と言っていたのは、苦し紛れに近いのか。
同じく事情を把握したオーギュスト・ド・アドカルは、俺にドズラン侯との関係について説明を始めた。
「所領を失い、金が無ければ食っていけなかったからな。傭兵としてよく彼個人に家臣共々雇われていた」
なるほど、理にかなっている。反乱を起こすための資金集めと、反乱の際に主戦力となる私兵の訓練を兼ね、しかも他の傭兵とコネクションを築くことで反乱の際に彼らを雇えるかもしれないってことか。
「もしや、シュラン丘陵にもいたのか」
「いや、あの時は仲介をしただけだ。私はアキカール人だが、潜伏生活を続けていれば嫌でもアプラーダ人とも伝手ができる。それを紹介して手数料をもらったが、それだけだ」
あの時、ドズラン侯は南方三国の傭兵を大量に引き連れていた。その仲介をしていたって訳か。そう意味では、ドズラン侯とはただの雇用関係ってところだろうか。
……結局、イレール・フェシュネールは「お釣り」をきっちり返してきたな。というか、それがなかったら「ちゃんとしなかった」ってことか……本当に厄介な味方だな。
「詳細は任せるが、反乱を起こしてもらおう。条件はさっきの通りだ、どうする?」
俺がそう決定を下すと、オーギュスト・ド・アドカルは素直に頷いた。
「良いでしょう。そちらが最大限に譲歩していることも分かります。その条件で構いません」
「では書面は後で用意する。情報伝達の手段もな」
アキカール地方の反乱が片付いていないせいで、アプラーダ方面には不満があったが……これで何とかなりそうな気がする。
俺が改めて二人を下がらせようとすると、再びオーギュスト・ド・アドカルが口を開いた。
「それともう一つ、これは戦後を見据えた提案なんだが、いいか」
まだ何かあるのか……いや、待てよ。彼はアキカール人だ。そして戦後ってことは、なるほど予想がつく。
「アキカール人貴族の処遇か」
俺がそう言うと、少し驚いた表情でオーギュスト・ド・アドカルが答える。
「あぁ……そうだ。何か考えがあるのか」
アキカール人貴族……つまり旧アキカール王国の貴族と、帝国の関係はかなり溝が深い。これについては、俺のせいではなく過去の皇帝らのせいなんだが……俺が今の皇帝である以上、俺は彼らの負債を全て引き受けなくてはならない。
土地を奪われ、自治権も奪われた彼らは帝国国内にいながら、反帝国的性格をしている。それを抑える為に、アキカール地方の一部とそれ以外の土地も加え、六代皇帝は「アキカール公」を置いた。そしてアキカール公が……つまり式部卿が権勢を誇っていた頃は、力の差があり彼らも大人しくせざるを得なかった。
だが俺の手で式部卿が討たれると、この混乱に乗じて反乱を起こした……それが旧アキカール王国貴族の今日に至るまでの状況だ。
「本当はどこか一か所にまとめて自治領としたいんだがな」
ただこれは難しいと個人的には思っている。なぜなら過去、帝国は彼らに特別な権限を与えておきながら、それを反故にした。俺が自治権を餌に帰参するように言っても、素直に従わない可能性が高い。
「では彼らの一部を、帰参した後の私の領地で受け入れさせてくれないか」
「それはつまり、助命嘆願か」
反乱を起こした旧アキカール王国貴族たちは、今確実にゆっくりと消耗している。俺の即位式以後、帝国が大きく荒れると思って蜂起した彼らも、予想外に早く決着がついたことから、苦境に立たされている。
するとオーギュスト・ド・アドカルは、自分の立ち位置を踏まえて説き始めた。
「そうだ。だが危険は少ないと思う。アドカル家は昔からアキカール人の中でも親ブングダルト派と見なされてきた。そして一部からは裏切り者とまで言われている。アキカール至上主義などの強硬派は、私が受け入れると言っても来ないだろう……裏切り者に頭を下げるくらいなら、どこか別の場所に落ち延びるはずだ」
だからアドカル侯領でアキカール人貴族を受け入れると言っても、応じるのは比較的穏健な連中だって言いたいのか。
「私としても、少しでも兵力を補いたいという思惑はある。だがそれ以上に、我が一族は長らくアキカール人の中でも異端として隅に追いやられ続けてきた。いい加減、他の一族に優位性を築きたい」
随分とはっきり言うな……つまり、穏健派のアキカール人貴族を取り込んで、アキカール人貴族の従わせる立場になりたいと? そしたら今度は、力をつけたオーギュスト・ド・アドカルが反乱を起こすんじゃないか。
「余の懸念は、言わなくとも分かるな?」
「あぁ。だが現実問題、アキカール人貴族を全滅させるのは厳しいと思うが? 生き残った者が必ずまた憎しみを抱く……この負の連鎖をどうするつもりだ」
分かっている。だがアキカール人が大人しく従ってくれないんだから仕方ない……そう思っていたんだがな。
俺はアキカール人を上手く利用する手立てを、ちょうど今思いついた。
「黄金羊商会としては、港が使えて商品が買えるなら誰の国だろうが構わないよな?」
「仕入れ先は小国の方が安くできるんで嬉しいですぅ」
イレール・フェシュネールは既に理解しているようだ。俺はオーギュスト・ド・アドカルに向けて、その考えを宣言する。
「旧帝国領をアプラーダ王国から奪還した上で、そのさらに南、アプラーダ王国北部にアキカール人の国家を建て、両国の緩衝地とする」
もう帝国の影響下で旧アキカール王国貴族をコントロールするのは難しい。ならいっそ、国外に彼らの国を作ってあげようということだ。
さすがに「旧領奪回」を掲げる俺としては、元々の帝国領から独立国を作るのは避けたい。だがアプラーダ王国内なら帝国の土地では無いからこっちの懐も痛まない。ついでにアプラーダとの間の緩衝地……皇国にとってのフィクマ大公国のように、盾の役割を与えられる。
後は監視を徹底し、ついでに黄金羊商会に流通を依存させれば「独立しているはずなのに帝国に逆らえない」という状況を生み出せる。アプラーダ王国への備えも減らせるし、厄介なアキカール貴族を国外に追放できる。
とはいえ、この計画にはとてつもなく大きな問題点がある。
「いや、しかし。そのようなあまりにも不公平な講和、アプラーダ王国が認めるとは思えないが」
オーギュスト・ド・アドカルが指摘する通り、普通はこんな条約認められないだろう。だって「うちの厄介な人たちのために、君の土地の一部を切り取って独立させるね」って言ってるんだから。無茶苦茶な話だ。
……だが唯一、その無茶が通る状況がある。
「イレール・フェシュネール、アプラーダ王国は徹底的にやるぞ。首都攻略の計画を練っておけ」
「計画は立てますけど兵の用意はお願いしますよぅ」
首都を攻略した上で、敵を全面降伏に近い形まで追い込む。そうすればこちらの言い分はほとんど通せるようになるはずだ。
アプラーダ方面は暫く守勢に回ると思っていたが、オーギュスト・ド・アドカルが反乱を起こすなら早い段階から敵に消耗戦を強要できる。その上で、敵の主力部隊を国境付近に張り付けさせて、一気に後方へ上陸し、浸透する……さすがにこれは、考えただけで胸が躍る。
「二人の働きに期待する」
となると、そこに注力するためにはそれ以外の敵を早いところ片付けないと……だな。




