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ヴェラ=シルヴィとの結婚は何とか終えることができた。
これがとてもではないが「つつがなく」とは言えないのは……ヴェラ=シルヴィが結婚式の最中に魔法を発動させたからだ。もちろん、封魔結界を起動している状態で。
テンション上がっちゃったんだろうね。その前から、普段とは様子が違かったし。
当然、これ見た諸外国の使節の反応は大きかった。まぁ、帝国の宮廷では公然の秘密って感じになってたけど、初見は驚くわな。
そしてダニエルが式を一旦止めたところで、ヴェラ=シルヴィも自分がやらかしたことに気付いたらしい。それから晩餐会が終わるまで、ずっと落ち込んでいた。
……そんで、何故か俺は貴族に称賛された。
どういうことかというと、つまりこれも仕込みだと思われたらしい。「上手い演出」って言われた。実際問題、結果的にはインパクトある結婚式になったのは確かだ。
そしてヴェラ=シルヴィの魔法について、使節らの反応はネガティブなものでは無かった。
恐怖とか拒絶とか、そういう系の反応は一切なかったのだ。ある使節は、父親と結婚していたも同然の相手となぜ結婚したのか理由が分かったと納得していたし、ある使節は俺を称賛し、ある使節は純粋に驚いていた。まぁ、彼らが何故そんな反応をしたのか、何となくだが想像がつく。
まず『封魔結界』の中でも魔法が使える人間について、どの使節も驚いてはいたが、すぐに魔道具を使ったトリックだと疑わずに、ヴェラ=シルヴィの魔法だと判断した。これはおそらく、それが可能な存在に心当たりがあったということだ。
未知の存在ではないから、納得した。彼らが今も抱えているかは不明だが、少なくとも過去に、その特異性を持った人間が一人はいたのだろう。
そして諸国が、その特異性を利用しようと考えた時、まず最初に考え付くのは暗殺者だろう。暗殺者対策でどの国も大金をはたいて『封魔結界』を確保しているのに、それをすり抜けられるんだからな。しかし俺は、その特異性を持った人間を暗殺者ではなく妻として迎えた。だから称賛した……共通認識として、暗殺は汚い手段だとみんな思っているからな。
しかもそれを結果的に大勢の前で公表した訳だから、使節たちの感想としては「隠されたままにされなくて良かった」だ。
これは晩餐会での反応も同じだった。畏敬の念を抱いたり、珍しがったりする者はいても、も嫌悪感を抱いている者はいなかった。まぁ、結果オーライではないだろうか。伏せていたカードが事故で捲れてしまったが、それがジョーカーだったから抑止力になった……みたいな?
まぁ、ヴェラ=シルヴィは失敗したと落ち込んでいたので一日かけて機嫌を戻すの、ものすごく大変だった訳だが。
というかこれダニエル・ド・ピエルスが悪い。ずっと演奏が鳴りっぱなしという、来客の反応とか無視しても問題ない形式なのに、わざわざ式を一度止めたのはその方が効果的だと判断したからだろう。あの男はそういうの、徹底的に利用する。
閑話休題、そんな結婚式と晩餐会を終えた俺は、呼び出していた人間と謁見の間で対面していた。
「呼びつけてから来るまでが早すぎるな。いつからこっちの大陸にいた」
言外に隠れていたんじゃないかと責めると、その女は相変わらずの、半泣き状態のような喋り方で反論した。
「違いますよぅ。本当はロザリア妃の式から参加したかったのに海が荒れて遅れたんですよぅ」
黄金羊商会の会長、イレール・フェシュネール……悪魔のような女は、さらに続けた。
「ちゃんと結婚祝いも持ってきたんですからぁ、ちゃんと確認してくださぁい」
まぁ、それが本当かどうかは判断できないし、深く追求する必要もないだろう。
「それで、事業の方はどうなんだ」
「落ち着いちゃいましたぁ」
……黄金羊商会はただの商会ではない。彼らは前世で言う三角貿易のようなものを行っている。ざっくり言うと、中央大陸の戦乱に乗じて食料や武器弾薬、そして傭兵を売り、対価として奴隷を得る。これを南方大陸に売りつけ、砂糖やカカオ、コーヒーや香辛料、タバコなどの贅沢品と交換する。それを東方大陸の諸国に売る……まぁ正確にはちょっと違うが、大体そんな感じだ。
「そうか、なら良かったな。売れはしないが死蔵はしなくて済むぞ」
「『出る杭は打たれる』じゃないんですかぁ」
そんな黄金羊商会は、表向きは帝国の傘下にある。だが、帝国はこの商会を支配できていない。それが帝国とこの商会のパワーバランスだ。
実際の関係は相互に利用しあっている状況ってところだろう。逆に言えば、本来は対等に振る舞える黄金羊商会が、表向きは帝国傘下という関係に甘んじているのは、それだけ帝国に利用価値があるからだ。
それがなくなれば、すぐに次の取引相手へと移ってしまう。
……そのくせ、喋り方だけは下手に出てくるからむかつくんだよな。
「そのつもりだったんだが事情が変わった。今は『時は金なり』だ」
さてと、これは都合がいいな。
事業が落ち着いたってことは、中央大陸の戦乱が下火になったということ。
だがその傭兵を帝国に売ると、黄金羊商会の影響力が増すからお前たちは嫌なんじゃないの……っていうのがイレール・フェシュネールの発言の意味だ。
「皇国の崩れ方が早そうだ。何か聞いているか」
「いいえぇ、後払いで良いですかぁ」
黄金羊商会は、油断すると帝国すら食い物にしかねない相手だ。だが同時にその本質は冷徹な商人……感情より利益を優先するし、継続的な取引をする相手には誠実に対応する。その方が最終的に自分らが得をすると、彼女は知っているのだろう。
「あぁ。それと、リカリヤの王太子がお前に会いたがってたぞ」
「それは陛下次第ですねぇ。商品は良いんですけど、そのリスクは勘弁ですぅ」
……ふむ、つまり彼らとはまだ取引してないってことか? 高品質な火薬は欲しいが、俺の判断に任せると。
「止めても裏で買うだろ」
「ちゃんと流しますよぅ」
高品質の火薬をリカリヤ王国から買い付けた場合、リカリヤ王国にバレない範囲で横流しするつもりはあったらしい。
……相変わらず話が早い。早すぎるから、会話を一つか二つ飛ばしているような会話になる。
「なら、それは好きにしていい。その上で、仕事を頼みたい」
「はぁい」
苛つく喋り方も変わらないな、お前。
さて、今回の南方三国との戦争……それとガーフル、テアーナベ、伯爵領の反乱、アキカールの残党。これだけ敵に囲まれてても、たぶん守りに徹すれば帝国は耐えられる。
そしてこの戦い方をするなら、全て終わったころには皇帝は絶対君主として中央集権化に成功しているだろう。激しい戦闘になり消耗が出ると予測される周辺国との戦争に諸侯を当て、彼らの戦力を削ぎつつ防衛。
その間に比較的楽に倒せると思える反乱軍を皇帝軍が平定。後は諸侯軍と戦って消耗しきった国から順番に皇帝軍が戦えば、戦争には勝てるし諸侯は弱体化するし、そして相対的に皇帝の影響力は増す。
問題は、この戦い方をするなら四、五年はかかりそうだということ。さらに諸侯の弱体化は、帝国全体の弱体化を意味する。皇帝の影響力強化も、帝国が弱体化するのと引き換えになる。
何より、予想外のことが起こっている。それは皇国での動きだ……現皇王の政治への関心がないことは知っていた。だからいずれ皇国が荒れることまでは予想がついていた。しかしそのスピードがあまりに早い。既に皇太子が失脚し皇王が軟禁状態になりそうという、ローデリヒ・フィリックスの情報が正しいのであれば、既に皇国では後継者をめぐって政争が始まっているはずだ。
そして帝国の将来を考えれば、皇国が弱体化したタイミングで攻撃して、百年くらいは帝国に手出しできないダメージを与えたい。つまり、俺は今帝国が抱えている戦争を全て、なるべく早くに終わらせて皇国に介入できるようにしたい。
「皇国で更なる事件が起こった時に、今度はこちらから介入したい。だからそれまでに余裕を……早い話、周辺国と停戦した状態にしておきたい。その為に、『悪魔』の力でも借りようかと思ってな」
「……呼ばれたから来たのにぃ。魔物扱いですかぁ」
やっぱり呼ばれたから渋々来たんじゃねぇか。どうせ呼ばれてなかったら代理の人間派遣して結婚祝いだけおいて帰るつもりだったろう。……まぁいい。
「対テアーナベ戦線を任せたい。それと帝国内の反乱鎮圧への助力、アキカール=ノベ侯領南西部征圧……それができるくらいの傭兵は動員できるだろう?」
楽な相手を黄金羊商会の傭兵とやる気のない諸侯に任せる。その間に、俺は皇帝軍を率いて面倒な相手を受け持つことにする。皇国に介入できるくらい諸侯に余力を残すために、一部の損害を黄金羊商会の傭兵たちに肩代わりしてもらうってイメージだ。
「随分と高くつきますよ?」
まぁ、そうだろうな。いくら楽な相手とはいえ、黄金羊商会にとっては自分の利益にはならない戦いに見える。自分たちに利が無いなら、割増しで代金を請求してきても可笑しくない。
だからまずは、黄金羊商会にも利があることをアピールする。それで代金の値引きをはかる。
「帝国内の反乱鎮圧への助力については、諸侯の取引に応じるだけでいい。割引しろとも言わん」
「あぁ、新参貴族にもチャンスあげるんですかぁ。それは引き受けましょう」
ベイラー=ノベ伯が討たれた今、ベイラー=トレ伯とクシャッド伯の反乱は、倒しやすい敵になっている。さらにこれら反乱軍の土地を、活躍した貴族に与えると言えば……口だけは達者で、皇帝への忠誠とは無縁の旧摂政派・宰相派諸侯も飛びつくだろう。
逆に言えば、これくらい「楽な敵で簡単に報酬が手に入る」状態にしないとまともに戦いすらしない……俺は連中をそれくらい下に見ている。だって、自分たちからテアーナベ出征求めておいて真っ先に逃げ出した連中だし。
「次にアキカール=ノベ侯領南西部……正確にはアキカール半島の『海岸部』の制圧だけでいい。それと制圧した都市の港湾利用権……これは平定後も付与し続ける。占領した都市が多いほど、戦後の利益も多くなる」
「それ防衛も含まれますよねぇ」
……まぁ、イレール・フェシュネールならこのくらいのトラップは簡単に気が付くか。
占領しても、すぐに取り戻されては俺が困るからダメだ。アキカールの反乱軍を滅ぼし、アプラーダ王国と講和するくらいまでは維持し続けてもらう必要がある。その維持まで含めれば、黄金羊商会はそれなりの数の傭兵を投入し続ける必要がある。
とはいえ、これは割引としてノーカンにはなっていないはずだ。
「半島の制圧はアプラーダ王国への布石だ」
「分かってますよぅ。リカリヤの話も合わせてますよぅ」
イレール・フェシュネールは心外だと言わんばかりに口を尖らせる。
アキカール半島は帝国の南西部に突き出した地域だ。そして地図で見ると分かりやすいが、ここからならリカリヤとも交易がしやすい。
今の黄金羊商会がリカリヤ王国と交易する場合、たぶんカルナーン王国の北部にある半島辺りの港を経由していると思う。だが、リカリヤ王国とカルナーン王国は対立している都合上、それほど大規模な取引はしにくい状況のはずだ。
あるいは、利用許可を出しているチャムノ伯領から直接リカリヤ王国へ向かっているかもしれない。その場合、アキカール半島を迂回してのルートである。このアキカール半島を使えるなら、黄金羊商会としては交易が楽になる。
そして何より、この半島からはアプラーダ王国の中枢部が狙えるのだ。もっとも早い運搬手段が船であるこの時代、都市が発展するのは河川沿いか港に適した地形のある海岸沿いが多い。これはアプラーダ王国も同じだ。
そして南北に長いアプラーダ王国の海岸線、そこにあるどの都市もアキカール半島から攻撃可能。前線で主力軍と対峙して動きを止め、その隙に手薄な海岸線の都市に上陸……そんな夢みたいな作戦も実現できるのだ。
つまりアプラーダ王国に対しては、実はこのアキカール半島さえ確保できればほぼ『詰み』の状態にできる。
……いや、正確には加えて黄金羊商会もいれば、か。これまでの貧弱な帝国海軍ではアプラーダ王国の海軍に勝てるか怪しいし、そもそも上陸作戦なんて夢のまた夢である。
それが可能な大型船を持っている黄金羊商会がいなければ実現は不可能だ。
「……アプラーダ王国の港湾……」
「それは空手形ですぅ」
さすがにダメか。そこの交渉はアプラーダを攻撃する際に改めて……ってことだな。
「それらを加味した上で、報酬は先払いとしよう」
仕方がない、たぶん値引きに使えるのはこれくらいだ。だから後は、この対価がどれくらい響くかだ。
「デ・ラード市を皇帝直轄都市とした上で、イレール・フェシュネールを代官に命じる。さらに復興の為の特別措置として、五年間の免税を与える」
それから時間にすると十秒ほど、イレール・フェシュネールは黙っていた。毎回返答が早い彼女にしては、珍しい沈黙だった。
「三年の免税でぴったりの報酬でしたよ」
う、うぜぇ。ここでダメ出しとか、マジでうぜぇ。
「お前みたいな奴を相手にするなら、ちょっとお釣りが返ってくるくらいがちょうどいいだろ」
……別に負け惜しみではない。というか実のところ、俺としてはデ・ラード市は手に余っていたのだ。
奪還しようとするテアーナベ軍相手に防衛するための兵が必要なのも痛いが、防衛のために指揮官が必要なのが厳しい。新設されたばかりの皇帝直轄軍は指揮官不足だからな。
その上、降伏した現地貴族もそのままだ。つまり、帝国としては維持しなければいけないが、皇帝としては維持に必要なリソースが惜しかった。
一方で、黄金羊商会にとってデ・ラード市は喉から手が出るほど欲しい存在だ。そもそも、連中が東方大陸での貿易拠点とするために建てた都市だしな。
ついでに、テアーナベ地方が帝国の勢力圏に戻ることは黄金羊商会としても望むところのはずだ。彼女らは現地貴族と対立したから損切りする形で放棄したが、この地の商業に商品価値があったからそもそも独立させたのだし。
対して俺としては、デ・ラード市は次のテアーナベ侵攻の際の拠点にさえなればいい。そして表向き帝国領なら誰が実権を握っていようが「皇帝が旧領を奪還した」という功績は曇らない。
奪還した、奪還されたという話には興味あるだろうが、誰が治めているかなんて帝都の市民は興味ないはずだしな。
つまりこの交渉はお互いに益のある交渉だったと。
「ふふっ」
「……は?」
それはあまりに突然のことで、俺は思わず声を上げてしまった。
……今、イレール・フェシュネールが素で笑った?
「きもい」
「酷いですぅ」
なんだろう、ちゃんと寒気がする。
……ひとまず、交渉は上手くいったから良しとしよう。
 




