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エタエク伯家唯一の文官を自認するフールドラン子爵曰く、脳筋武闘派集団であるエタエク家臣団。そんな彼らが生み出したエタエク伯は、彼らですら手の付けられないほど最強の、ある意味問題児になってしまったという。
彼女は配下の制止を振り切り、少数の私兵で敵地に浸透。帝国に反乱を起こした三人の伯爵のうちの一人を討ち取った。さらにこのことを、その日のうちに敬愛する皇帝に報告しようと、途中までついてきていた護衛を全て置き去りにして、直接帝都に、しかも単身で乗り込んだ。……それが今日起こったことだ。
ベイラー=ノベ伯の首持ってきてなかったら、あとフールドラン子爵の反応が無かったら普通に信じられなかったぞ。
正直、外見からは想像がつかない。髪も短めで男装しているが、普通にあどけない少女って感じだからな。ただまぁ、外見で判断付かないのは俺もだし。もしかしたらエタエク伯も転生者なのか……その方が良いな。そうじゃなかった方が逆に怖い。
そんな衝撃的な出来事はあったが、諸侯やエタエク伯らとはその場で解散となった。ちなみにエタエク伯は「このままだと失踪扱いされそうなので一度帰ります!」と宣言していなくなった。たぶん自領に帰るって意味だと思う。
……それ、途中で置いてきたっていう護衛と入れ違いにならない? さすがにそれくらいは考えてるよな?
会議は終わったが、俺の一日はまだ終わっていない。何やらフィクマ大公国の使節が俺と一対一で話したいらしく。会議の後に会うと約束してしまったからだ。
色々と衝撃的なことが起きたせいで、かなり時間も押してしまった。これだと、話の内容にもよるが終わる頃には夜も明けるかもな。
「すまないな、バリー。こんな時間まで」
俺はフィクマ大公国の使節を待たせている部屋まで、近衛長バルタザール・ド・シュヴィヤールに案内してもらう。
そうそう、一度寝室に戻ってみたが、ナディーヌは耐えきれなかったようでもう寝ていた。まぁ、よく頑張ってたから仕方ない。俺はナディーヌお付きの侍女を呼んで、そのまま寝かせておくように命じた。
特にナディーヌは、三人の妃の中でたぶん国内貴族から一番ヘイトを集める立ち位置だ。だから余計な隙を見せないように、晩餐会の時も長い時間、神経をすり減らして頑張っていた。
そういう意味では、バルタザールもかなり疲労しているはずだ。彼には披露宴の際も護衛についていてもらっていたし、ただでさえ神経すり減らすであろう要人警護の仕事を、こんな時間までやらせてしまっている。正直言って申し訳ない。
……ちなみに、ステファン・フェルレイへの違和感とかはバルタザールは感じていない。だが次は気を付けるように言うと、特に疑問を持つことなく「可能な限り近づきません」と返ってきた。
話も分かるし、武勇も本物だし、かなり信頼できる護衛になった。近衛として頼もしいよ。
……いや、ティモナも信用してるけど時々怖いんだよなぁ。全く納得できないって目をしながら「分かりました」って言う時とか。その点、バルタザールはかなり気が楽だ。
「いえ、実は先ほど少し仮眠を取らせていただきました。今はナン卿と交代です」
言われてみれば、さっきエタエク伯の対応をしていたの、ティモナだったな。
「二、三時間くらい時間じゃないか。それでは大して体が休まっていないだろう。疲れは?」
「いやぁ、有意義な仕事なんであんまり疲れたって感じはしないんすよね」
バルタザールはティモナと違い、話しかければ雑談も返ってくる。その話によれば、どうも俺に呼び出されるまでの近衛の仕事は苦痛だったらしい。まぁ、貴族にほぼ私物化されてたからね。
中でも、貴族に媚びるタイプじゃなかったバルタザールへの待遇はかなり酷かったようだ。貴族の飼い犬探しとかさせられてたらしいからな。だから、相対的に俺が良い主人に見えてるのかもな。
本人は顔に出してないつもりだろうけど、元近衛長のユベール・ル・アレマンが死んだと聞いた時とか、すげー喜んでたからな。数日は機嫌良かったぞ。相当な恨みが溜まっていたと見える。
「陛下こそ、大丈夫ですか」
気が付くと、前を歩いていたバルタザールが心配そうな顔でこちらを見ていた。
「体は平気だよ。夜更かしも慣れているしな……ただちょっと、衝撃的なことが多くてな」
たぶん今、帝国は……そして皇帝カーマインは、あらゆる国、そして勢力から注目を浴びている。だから考えることも多い。それでも、帝国の命運がかかっているんだから、気は抜けない。
「お待ちしておりました、陛下」
使節を待たせている部屋の前に立つ近衛が、綺麗な所作で敬礼をする。この一年くらいで、近衛の人間もかなり入れ替わった。元は箔付けのための名誉職みたいに腐りきった組織で、まともに護衛できる人間の方が少なかったが、今では数こそ減ったものの、かなりまともな組織になった。頑張ってまともじゃない近衛を排除したり、弛んでた連中を再教育したのも大きいが、何より新規の人員が優秀だった。
これはワルン公をはじめとする有力諸侯が、優秀な騎士を積極的に近衛に回してくれたのが大きい。本当は、金と時間をかけて自分たちが育てた人材、自分たちのところで使いたかっただろうに……好意で近衛に送ってくれたのだ。まぁ、その分諸侯の影響力が増えるっていう弊害もあるんだけど。人材不足だし背に腹は代えられないってことだ。
「客人は中でお待ちです」
バルタザールがドアをノックし、扉を開ける。部屋には使節が一人と、複数の近衛が待機していた。
「いかがなさいます」
バルタザールのその質問が、他の近衛のことを指してるって分かるくらいには、俺と彼は連携が取れている。
「外で待機。近衛長、君だけ残ってくれ」
「はっ」
部屋で待っていたのはフィクマ大公国の使節。確か晩餐会ではローデリヒ・フィリックス・フォン・スラヴニクと名乗っていたな。その名前は聞いたことないが、姓がフィクマの王族と同じ名前なので、たぶん王族の一人だろう。
テーブルの上には茶菓子とティーポットにカップ。ちなみに密談形式の場合、お茶のお代わりが欲しいときは部屋の外に控える侍女に伝える必要がある。不便だが、俺としては全ての近衛、全ての侍女を信用している訳ではないからな。
「遅くなってすまない」
俺は詫びを入れながら、用意された椅子に座る。
フィクマは大公国と呼ばれてはいるが、天届山脈以西の大公国とは違い、この国はその規模や軍事力で言えばその辺の王国と同じくらいの実力はある。それでも大公国と呼ばれているのは、この国が皇国によって建てられた緩衝国家……衛生国のような存在だからだ。
「いえ、こちらが無理を言ってこの場を設けていただいたのです。お気になさらないでください」
そう言って笑顔を浮かべるのは、金髪碧眼の若い青年だ。年齢は二十歳過ぎってところか。典型的な貴族って感じの見た目……ただ何となく、警戒した方が良い気がする。なめてかかると、こっちが痛い目見るかもしれない。
外国の君主と太子くらいは頭に入れているが、さすがにそれ以外の王族は分からない。しかも天届山脈の反対側のこととなると、帝国は一気に疎くなる。それくらい、あの山脈は人の行き来を拒絶する障壁になっているのだ。
だから俺としても、この男との会談は大歓迎だ。少しでも東側の情報が欲しい。こっちの情報を少し抜かれても、すぐに何かできるっていう距離じゃないしね。
それからしばらく、当たり障りのない雑談をする。まぁ、大抵は今回の結婚式や晩餐会に対する賛辞だ。あとは宮殿だの飾られた宝飾・絵画へ称賛……どれもお世辞だから軽く受け流す。
結婚式も晩餐会も俺の采配じゃないし、宮殿だって俺が建てたものじゃない。宝飾も絵画も、俺には善し悪しが分からないから全て他人任せだ。
普通の君主は、自分の理想とする宮殿を造営して、宝石だの名画だのを集め、そして音楽家や詩人を囲って、それを以て自身の威信とする。実際、そういうのは君主として必要だ。貧乏そうに見える君主より、豊かそうに見える君主に貴族はついていく。そっちの方が自分も豊かになれそうだからな。
だから俺も、宝石だの名画だのっていうのは、必要最低限はちゃんと残している。だがなぁ、個人的には興味ない……とまではいかないが、そこまでそそられないんだよな。宝石がきれいなのは分かる、だがどの宝石が一番きれいかとかは分からない。そのせいで、こういう雑談の時どうしても話についていけない。
これはマズいと思って勉強しようかと悩んだんだが、意外なことに今のところ良い方に転がってるらしいから放置している。どうも俺の反応が鈍いのは、それだけ大量の宝玉、財宝を蓄えていて、「凡人が思う宝玉は皇帝にとっての石ころ程度」だと思われてるらしい。
……俺、さすがに石と同じだとは思ってないぞ。一個くらい割ってもバレないかなとは考えるけど。
「時にローデリヒ・フィリックス殿。貴国は長年、プルブンシュバーク王国と相争う関係にあるという。晩餐会では彼の国の使節より後に来てもらってすまなかったな」
晩餐会において、皇帝はホスト側だ。だが皇帝という立場上、自分からゲストたちのテーブルへ顔を出すことはない。だから晩餐会で客人たちが皇帝のところまであいさつに来たのも、客人たちの方で示し合わせて順番を決めた……ということになっている。
もちろん、中には境界争いで常に対立する諸侯もいるし、現在進行形で戦争状態の国家同士の使節も来ている。実際に客人らに順番を決めさせれば、血が流れることは明らかだ。
だから裏で、晩餐会の采配を取る財務卿によって順番が決められている。だが、表向きにはそれを皇帝は知らないということになっている。順番に不満を持つ者の不況だの恨みだのを買わないようにな。
それをあえて、俺は口にした。それで反応を見ようとしたんだが、青年は特にボロを出さない。
「あぁ、いえ。お気になさらず。あちらは王国で、こちらは大公国ですから」
プルブンシュバーク王国と皇国は、長年敵対関係にある。そしてちょうどその間に存在するフィクマ大公国は、皇国にとってプルブンシュバークに対する盾であり、緩衝地である。
実際、国家の成立自体そういう歴史の流れを受けている。当時の皇国はまだテイワ朝では無かったはずだが、両国の講和交渉などを経て生み出された妥協の産物であるフィクマ大公国は、未だに皇国に従っている。表向きは独立国だが、その実情は皇国の強い影響下にある。一方で、プルブンシュバークとしても直接大国である皇国と領地を接するよりは、属国と対峙する方が楽だ。
「貴国は強国で知られるが、伝統は無下に出来ぬものでなぁ」
さて……そういった歴史的背景があるのだから、フィクマ大公国としては常にプルブンシュバーク王国と対立するのが自然である。しかし、話を振ってもプルブンシュバーク王国に対するネガキャンが一切出てこない。
だからこそ、俺はこの使節がただ皇国に追従するだけの人間ではないと踏んだのだが。慈悲なきこの世界では、獲物がいなくなれば猟犬は用済みにされるしな。
「時に陛下」
相変わらず、礼儀正しい貴族といった雰囲気の青年……これが外交と関係ない場なら、好青年と判断したであろうローデリヒ・フィリックスは、つまるところ掴みどころがない。失敗もしないし、動揺も見せない。下手すると、今日(というか昨日)会った人間の中で、一番手強い相手かもしれない。
「なんだ」
そして雑談がひと段落したタイミングで、青年はまるで明日の天気を聞くかのように、何気ない様子でその質問をしてきた。
「陛下はいつ頃、皇国に攻め入るおつもりですか」
さて、これはどっちだ。長年の皇国への臣従をやめて協力するつもりなのか、あるいは皇国の先鋒として偵察に来ているのか。前者ならラッキーだが、まだ油断できる状況ではないな。
「それは現実的に不可能だろう。回廊は大軍を通さぬし、そもそも我が帝国にそのような余裕もない」
皇国の混乱期に、帝国が何もしないというのは確かに考えづらいだろう。だが侵攻するという確信を持っているのは何故だ。
「今は無くともいずれ余裕は生まれましょう」
あぁ、めんどくさいな。やっぱりリカリヤの王太子みたいに探り合いを好むタイプか。でも彼よりも面倒な気がする。たぶんこの男、かなり場慣れしている。今のところ、オーパーツは使われてはいなそうだが……。
「侵攻経路も、ヒスマッフェとゴディニョンを押さえれば可能でしょう」
テーブルの上に用意された茶菓子をつまみながら、こちらの様子を気にすることなくフィクマ大公国の使節はそう呟く。
実際、俺がその二国と友好的に接しているのは、皇国侵攻への橋頭保にしたいからという理由で合っている。正確には、攻めるときには橋頭保になるし、守るときには盾となってくれる。皇国より帝国の勢力下に入れるために、多少の出費は厭わないつもりだ。
「それに、船という手段も今の陛下ならお持ちだ」
紅茶を飲みながら、今度はこちらを反応を伺うローデリヒ・フィリックス。まぁ、さすがにこれくらいで動揺を見せはしないが。
……こいつ、黄金羊商会のことも知っているのか。今の帝国に、碌な海上戦力は無い。にもかかわらず船という言葉が出るなら、それは帝国と黄金羊商会の関係を知っていると考えていい。
連中、船籍偽装などしてはいるが、かなり派手に動いている。国家レベルとなれば存在くらいは感知していても可笑しくはない。
しかしフィクマ大公国の港は地理的に遠すぎる……そこまで黄金羊商会について詳しいとなると、自力で得た情報というより、何者かに流された情報ではないだろうか。
「よせ。大義なき戦争では誰も付いては来ぬよ」
「やはり、どうせなら周辺国も巻き込むつもりでしたか。ならば確かに理由は必要でしょう」
……こいつ、鋭いな。そうだ、確かにただ皇国と戦争するだけなら、大義名分などなくても国内の支持は得られる。国内貴族も、平民すらも、皇国という存在が帝国にとって宿敵であることは理解している。
よって、皇国と戦うというそれ自体が大義になり得る。だから俺が欲している大義は、他国が追従する類いのもので正解だ。
「何が言いたいのだ。あるいは、皇国の門番として探りを入れに来たのか」
この男の真意が測れない。ここは門番ではなく番犬と形容して挑発してみるべきだったか。いや、それでボロを出すとは思えない。
そうやって探っていると、ローデリヒ・フィリックスは事も無げに新しい情報を……それも帝国が知らない情報を呟いた。
「現皇王ヘルムート二世の息子で皇太子だったニコライ・エアハルト様ですが、先日失脚し廃嫡となりました」
あまりに衝撃的な情報に、一瞬思考が止まる。それが本当か、あるいは嘘の情報かも分からない。
これはダメだ、完全に動揺が顔に出る。そこまで帝国は知らないことがバレる。帝国の諜報能力の限界を知られるのはマズい……ならいっそ。
「なんと! それは誠であるか。まさかそのようなことが皇国で起こっていようとは」
いっそオーバーなリアクションでブラフか本当か、相手に確証を持たせないようにする。
おいおい、これが本当ならマジでヤバい情報だぞ。そして伝統的に皇国に従属するフィクマ大公国が、皇国の情報に詳しいのは自然なことだ。しかし、皇太子が失脚なんてデカい情報、いくら数を減らしているとはいえ、帝国の密偵が見逃すだろうか。
「あぁ、失礼。廃嫡はまだ表に出ていない情報でした」
……面倒な相手だな、コイツ。皇国の情報は帝国より彼らの方が詳しくて当たり前だ。その情報に対するアドバンテージで、ここまで丁寧に俺に揺さぶりをかけてきている。
狙いは何だ。帝国の密偵の諜報力を探っているのか、それとも自分を売り込んでいるのか。
「ほう? まだ表に出ていない情報まで知っているとは、随分と皇国とは連携が取れているのだな」
いい加減、皇国に教えてもらっているのか、皇国から情報を抜いているのか、それくらいは教えてもらいたいところなんだけどな。
そんな俺の期待には答えず、ローデリヒ・フィリックスはさらに続けた。
「まだ現実になってない情報もございますよ。例えば、皇王ヘルムート二世はこれを受けて、事実上の軟禁状態に置かれる、とか」
軟禁状態? つまり皇国では事実上、皇王が完全に権力を喪失すると? 元から現皇王は典型的な平和な時代の君主で、あまり政治に関心は無かった。そんな人間をわざわざ軟禁する……その意味はなんだ。
可能性として高そうなのは……これは次の皇太子を、現皇王の意志とは違う人間にするために必要な準備ってところか。口出しさせないように軟禁し、政治的発言力を完全に奪う。下手すると、現皇王の息子から選ばない可能性も……いや、それは無いか。
確か、現皇王は出家するだのなんだのと一度騒ぎ立て、時の権力者である宮宰、ジークベルト・ヴェンデーリン・フォン・フレンツェン=オレンガウに他の皇族を殺させていったな。現皇王の子供以外に後継者はいない可能性が高い。
どちらにせよ、皇国の貴族も一枚岩ではない。この後継者争いは既存の派閥争いが絡んで激しくなるだろう。……それはいい。問題は、なんでそんなことをこの男が知っているのかだ。
早い話、この男がどっち側か分からない。だからどの反応が正しいかも分からない。
もう今の情報への反応は、さすがの俺も誤魔化せない。知らないことがバレてる……それはいい。本当にまだ発生してない情報なら知らなくても仕方ない。
いっそここは直接問いただすべきか。正直、この腹の探り合いは負けだ。開き直ってしまうのも手だろう。
俺が意を決して真意を問おうと、口を開きかけたその瞬間。部屋の窓から一人の人間がふわりと舞い込んできた。




