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その日の夜、俺は寝室でワルン公にニュンバル侯、チャムノ伯ら三人の報告を聞いていた。彼らは三人とも大貴族だ。だから晩餐会の間、外国の使節やら国内貴族やらが、ひっきりなしに挨拶に来る。まぁ、国内貴族に人気だったのはニュンバル侯くらいだけどな。
「基本的には、余が見聞きしたものと同じか」
ちなみにナディーヌは不貞腐れながらベッドに横たわっている。先に別室で寝ていいと言ったのだが、嫌だと言って聞かなかった。
あとオーパーツを持ち込まれたことについては三人に警戒だけ促しておいた。まぁ、それでどうにかなる相手でもないんだが。
「他に参考になることいえば、使節がどの程度動いていたかくらいでしょうか」
使節が、積極的に他国の使節や帝国貴族と交流している国は、何かアクションを起こそうと狙っている可能性があるし、逆に能動的に動かなかった国は外交的にも受け身に回る可能性がある。
「私としてはリカリヤ王太子の動きが気になります」
そう話すチャムノ伯は、自身も王太子からの接触を受けたらしい。
「随分と堂々と……」
「自分の立場をよく分かってるな。帝国は今はまだ、リカリヤの相手はできない」
どれだけ目障りに思われても報復は無いと見切っている。やってることはあくまで社交の範囲内だし、やはり文句は付けられない。
一方でニュンバル侯には接触無し、ワルン公とも挨拶程度か。
「内容は?」
「主に交易に関する話題がほとんどです」
交易か……それならチャムノ伯に接触するのも不自然ではない。
チャムノ伯領自体には特産品はあまりなく、領地の大半は農地が占めている。まぁ、だから他の貴族より兵力を多く動員できるんだけどな。これはワルン公領も同じだ。
あと内乱初期に傭兵をチャムノ伯に押し付けたのは、その領地に食料的余裕があったからっていうのもある。
しかしワルン公領と違うところは、チャムノ伯領は帝国における貿易中心地となっている点である。チャムノ伯の領地には帝国有数の河川が流れており、これは帝都を経由して帝国東部まで繋がっている。この水運を利用できるため、宰相派はヴェラ=シルヴィを人質にチャムノ伯を自分の派閥に置いていた。
だから貿易目当てなのは確実だろう。問題は何を狙って動いていたのか。
現在、貿易単価の高い商品は一度帝都に集まっている。これは俺が、悪貨であるラウル金貨やアキカール銀貨を、帝国硬貨及び新しく発行する中金・中銀貨と交換しているからだ。
辺境で物を売って価値の怪しいラウル金貨などで支払われるより、帝都で価値が保証されている帝国硬貨で払ってもらいたい。だから多くの商人が帝都に集まり、帝都で商売を行っている。その流れができている……にもかかわらず帝都の主たる俺に貿易関連の話をしなかったのか。
……しかも財務卿ともろくに会話していないという。これは不自然だ。あるいは、直接大商人らと話をつけていたのか?
……大商人?
さらにチャムノ伯が王太子の動向を報告する。
「私が見たところ、他にカルクス伯とも話し込んでおりましたが」
カルクス伯は帝国北西部、テアーナベとの境界近くの領地だ。
……なるほど、確かに大商人狙いだ。
「リカリヤの火薬は、確か品質が良いのだったな」
「はい……しかし製造は王家が独占しており、帝国には流れてきておりませんが」
「帝国にはな」
黒色火薬の品質は、この時代においては軍事力にも直結する。だから彼らは、火薬を他国にはあまり売らない。その相手の軍事力を強化することになりかねないからな。
だが事実、高品質の火薬は高価で取引されるだろう。つまりリカリヤとしては、金になるんだからできれば売りたい。ただし、この大陸の国家相手だと自国に不利になりかねないから避けたい。となると、あとは相手が絞られる。
「黄金羊商会……いや、イレールを名指しで呼び出せ」
リカリヤとしては他の大陸で使われる分には問題ない。しかも交換で希少価値の高い商品を手に入れられる。そりゃ飛びつくだろうな。
「あぁ、あそこなら確かに……しかし、どうするので?」
「止めるのは無理だろうな。その力は今の我々には無い……だからいっそ、帝国にも利益を還元させる」
問題は連中が食いつきそうな対価を用意できるか……か。
主に財務卿であるニュンバル侯と、貿易港を抱えるチャムノ伯の二人と意見を交わしていると、ティモナから客が来たことを告げられる。
「陛下。フールドラン子爵が部屋の外でお待ちです。お通しになられますか」
「あぁ、入れてくれ」
そういえば子爵を呼んでいたんだった。
ティモナが子爵を呼びに行っている間に、それまで横になっていたナディーヌが、いつの間にか椅子を持ってきて俺の隣に座る。
そんなに子爵を意識してるのか……と俺が聞く前に、それを察したらしいナディーヌが反応する。
「違うわ。勘よ」
その言葉の意味を考える前に、ティモナによって二人が案内される。
「会議中に失礼いたします、陛下」
「それは気にしなくてよいが」
その人物は、恰好は男性の恰好をしていた。しかし第一印象は間違いなく女性だと感じた。
「用とはその者を紹介したかったのか」
何より、ぱっと見ただけで俺と同じ世代なのが分かる。まぁ、ティモナがこの部屋に入れたってことは、怪しい人物ではなさそうだが。
「はい。こちらはアルメル・ド・セヴェール」
深々とお辞儀をするその人について、紹介する子爵は何故か目が泳いでいた。
「エタエク伯爵その人です」
エタエク伯……確か俺と同い年で、噂によると俺に憧れていて、配下の貴族たちに反対されて俺との面会を避けてきた……んじゃなかったのか。
「余がカーマイン・ドゥ・ラ・ガーデ=ブングダルトだ」
というか、帝都に来ているなら晩餐会の時に伯爵本人が挨拶に来れば良かったのでは?
別に公式の場じゃないから適当でいいのに、伯爵は律儀に頭を垂れ続けていた。
「直答を許す。顔を上げよ」
俺が再度声をかけると、伯爵は頭を上げると、今度は敬礼と共に答えた。
「はっ。アルメル・ド・セヴェールにございます。お会いできて光栄です、陛下!」
その声は、少年にしても高すぎる……女性だと言われる方が自然だ。というか、顔自体は中性的だが、雰囲気からして男装している女性にしか見えない。
だが、エタエク伯であってエタエク女伯ではないんだよな。
見ると、ワルン公もニュンバル侯もチャムノ伯も、みな彼女……いや、彼か。ともかくエタエク伯に驚いている。
そもそもエタエク伯家は、超高齢の当主が長らく存命だと信じられてきていた。しかし実際には何年も前に亡くなっており、これを偽っていた理由は新当主があまりに幼く、伯爵が成長するまでの時間稼ぎだったと、そういう説明を受けている。
そしてその「幼い伯爵」はまだ一度も表舞台に立ったことが無く、エタエク伯家の人間以外誰もその顔を知らなかった。
「男なの? 女なの?」
どこから切り込んだものかと悩んでいると、隣にいたナディーヌがあっさりと核心を突く質問をする。
思わず「それ聞いちゃうんだ」と思ったが……そういえばこの世界ではこれが普通だった。
「女として生まれました。しかし男児が生まれなかったので、生まれた時から男として育てられました」
なるほど……? まぁ、伯爵が自分を男性だと思っているのか、女性だと思っているのかはこの際どうでもいいから置いておこう。問題はこれからどうするかだ。
「もしやヌンメヒト女伯の前例が生まれたから、陛下に自分も認めてもらうと?」
ニュンバル侯がそう尋ねる。俺もそういうことかと思ったんだが、どうやらエタエク伯としては違うらしい。
「いえ! 男として爵位を継承したので、今更そこを変えるのは不可能かと」
そういうものなのか……というか、別に帝国法なら女性でも爵位は継げるんだから偽る必要はないだろう。
「しかし陛下を偽るのは不忠かと思い、こうしてご挨拶に上がりました。何卒、当家の罪に沙汰を頂きたく」
……罪? え、ちょっと待て。確か帝国法は女性でも継げるが、「男性優先」の原則があったな。ってことは……。
「もしかして本来は別の人間が継ぐはずだったのか」
「はい。先代エタエク伯の弟の家系に男児がおります故」
……正直、言葉が出ない。何でわざわざそんなことしたのかとか、いつまでも隠し通せると思っていたのかとか、もう本当に言葉が出ない。
けどよくよく考えると、すでに亡くなってる先代を、何年も存命にってことにしてた家だったな、ここ。俺に協力的だったから忘れてたけど、最初っからやばい家だったわ。
「隠し通せるはずがなかろう!」
何を考えているんだと怒るニュンバル侯に、フールドラン子爵が居心地悪そうに答える。
「その普通の考えが出てこない連中なんです」
「教会の確認を受けるはずだが?」
俺はよく知らないが、貴族に生まれた子供は必ず西方派によって性別を確認されるらしい。だがワルン公の質問に、フールドラン子爵は目をそらしたままあっさりと答える。
「そこは金で」
買収してるぅ……えぇ、どうすんのこれ。
「どうするの?」
ナディーヌよ、俺に聞かれても困る。
だがさらに困ったことに、当の伯爵本人がはっきりと意思表示をする。
「故に陛下の判断を頂きたく!」
勘弁してくれ……俺だって困るわ。
いや、確かに貴族としてやっちゃいけないことやってるし。これを許すと似たことをする家が出てくるから認めるわけにはいかないんだよな普通。
でもエタエク伯家は内乱で活躍したしちゃんと兵を出して戦うし、何より論功行賞で功を認めて領地与えちゃってるんだよな。このタイミングで取り上げて反乱とか起こされるとさすがにきついし……でも認めちゃダメだよなぁ。
これ、聞かなかったことにはできませんかね。
……というか、エタエク伯家の家臣たちが、俺と伯爵を会わせたがらなかったのって、これが理由か。そりゃそうなるわな。
それを聞いた時は箱入り娘かなって心の中でツッコミ入れてたけど、まさかフラグだったとは。
俺は自分だけでは判断できないと思い、その場の貴族に意見を仰ぐことにした。
「どう思う」
「聞かなかったことにしましょう」
そう即答したのはワルン公だった。
「エタエク伯領に問題が起これば基本戦略が破綻します」
まぁ、そうだよな。よりによってこのタイミングだもんな。エタエク伯領って、三伯の乱とアキカールの反乱を分断してる位置にある貴族の一つなんだよね。ここに反乱を起こされると、二つの反乱が連携できるようになるし、そもそも帝国西部との連絡線が断たれる。
「しかし、この前例は継承法そのものが揺らぎかねません」
そう反論したのはニュンバル侯だ。とはいえ、「絶対に許せない」って訳でもなさそうだ。あくまで前例を生むことへの懸念だ。
「だから聞かなかったことにする、ということでは? この問題の是非は先送りにする……それが現状では最善の選択かと」
どうやらチャムノ伯もワルン公と同じらしい。
先送りねぇ。それが許されるならありがたいけど、でもそれってエタエク伯に不利すぎないか?
「今は都合が悪いから見逃して、後で咎めるってことかしら。それって先送りにもなってないわ」
ナディーヌの言った通り、これエタエク伯にメリットないよな。
「ですので、この戦争で立てた戦功によってはお許しになられては。それが現実的かと」
「それは前例を作ると同義です。下級貴族が勝手な真似をしないよう制御するためにも、今は法の順守を徹底なさるべきです」
チャムノ伯とニュンバル侯の言葉は、どちらも一理ある。マジでどうする……?
「あなたはどうしたいの」
それはナディーヌからエタエク伯に向けられた、純粋な疑問だった。
「どちらでも構いません」
間髪入れずにはっきりとエタエク伯が答える。隣では、フールドラン子爵が「仕方ない」とばかりに肩をすくめる。
「本当に?」
「はい、皇妃殿下。私にとってこの爵位は、物心ついた時には継いでいたものです。継ぎたいと思ったことは無く、今も邪魔だと思うことがあります。しかし私にとって、臣下たちは親のようなものです。彼らを見捨てることもできない……故に、陛下に全てを委ねます」
……あぁ、そうか。エタエク伯は俺と一緒なのだ。生まれながら皇帝だった俺と。
気づいた時には、人生を決められていた。確かにその運命を自ら受け入れたが、望んだのは自分ではなく、他者だ。後悔はしていないが、執着もないってところだろう。
……同情してしまった。もう俺の口から認めないとは言えない。
「余はエタエク伯家の献身に感謝している。その働きも評価している。できることなら認めたい……しかし余は皇帝故に、法が絶対であると言わざるをえない」
だから先送りにしよう。ただし、許される可能性の高い先送りだ。
「よって、この事例がどの法の、どの場合に当てはまるのか、今一度精査しよう。故に、今は答えを出せない」
実際、これ以上俺に対して従順な貴族を減らしたくはない。その為には、多少のリスクは背負っていい。
「ニュンバル侯、シャルル・ド・アキカールに法を精査し、『答え』を見つけさせろ。代わりに身柄を解放した上、貴族として登用する」
法の専門家、シャルル・ド・アキカール。俺が殺した式部卿の息子で、俺が滅ぼそうとしているアキカール公爵家の生き残り。
「……陛下、それは」
「言いたいことは分かる。だが認めてほしい」
彼を野放しにするリスクは高い。だがあの男は優秀で、使い道にも心当たりがある。
何より、あの即位の儀の直後に、どさくさに紛れて殺せなかった時点で、たぶん俺にあの男は殺せない。なら、いつまでも軟禁しておく方が勿体ない。
「ただし、その対価としてエタエク伯家には限界まで兵を供出してもらう。両元帥、それでいいか」
俺の言葉に、ワルン公とチャムノ伯が応じる。
「問題ないかと」
「お任せいたします」
たぶん、これがちょうどいい妥協点だ。俺にはこれ以上の答えは出せない。
「エタエク伯も、それでいいな」
「はっ。ご恩情に感謝いたします。この命に代えまして、陛下のために戦功を挙げてみせましょう」
いや、死なれたらこの話全部意味ないんだけど? なんだろう、ヴァレンリールと同じで話がかみ合わなそうな相手な気がする。
「それと、ここからが本題なのですが」
「えっ」
伯爵の言葉に、何故かフールドラン子爵が声を上げる。
「え?」
そして俺も思わず声を上げる。どう考えてもこれが本題だろう。
「……そういえば、いつ帝都に着いたの?」
ナディーヌの質問の意味が、一瞬分からなかった。
だって、晩餐会に出なかったのは性別を偽っていたからで……と考えたところで気が付く。そういえば子爵には晩餐会の後、この場に来いと言った。しかし子爵が来たのは会が終わってすぐではなく、俺とワルン公らが外国からの使節について情報共有を終えて、しばらく経ってからだった。
「確かに、遅かったな」
「それもあるけど、入ってきたとき髪が湿っていたわ。短いから分かりにくかったけど」
ナディーヌの指摘は、俺は全く気が付いていないことだった。よく見てたな……同性だと案外分かるものなのか、ナディーヌが優れているのか。
「伯爵はつい先ほど帝都に着きました。ただ、事前に伯爵が来ることは聞いていたんで……あれ、そういえばお前、護衛は?」
フールドラン子爵が、かなり砕けた口調でエタエク伯に尋ねる。主君をお前呼びって、どっかの転生者を思い出すなぁ。アレは陪臣だけど。
「置いてきたよ」
その言葉に、フールドラン子爵は驚いた様子で声を荒げる。
「は? 単身で来たのか!?」
「うん。だって遅いし」
恐らくこちらも素なのだろう、あっけらかんと答えるエタエク伯に、フールドラン子爵が頭が痛いとばかりに額に手を当てる。
「あー伯爵? できれば俺の勘違いであってほしいんですが、もしかして湯あみが長かったのって」
「うん、なかなか血の臭いが落ちなくって」
……話の全容が見えてこないんだが。
「どういうことだ?」
「あー。たぶんこの人、騎馬に乗って戦場で戦って、そこから直接帝都に来ました」
戦場? 帝都の近場で戦闘していたなら、さすがに報告が入っているはずだが?
「それでは報告させていただきます」
すると伯爵は、完璧な所作で……ただし伝令として敬礼をした。
「本日、反逆者ティモナ・ル・ショビレを討ち取りました! 部屋の外に首をお持ちしましたので、ご確認していただきたく」
……ベイラー=ノベ伯じゃねぇか。
***
ベイラー=ノベ伯……彼はティモナと同じ名前で、ややこしいなって思っていたからよく覚えている。元宰相派貴族で、狩猟長官の官職に就いていた男だ。その官職に就くだけあって、いちおう武闘派の貴族……だったはずなんだが。
「馬鹿な……」
寝室にはナディーヌもいるからと、それ以外の人間で別室に移動して首を検める。ちなみにナディーヌがいないのは彼女への配慮もあるが、そもそもこういう日に妃が自分の血以外を見るのがよくないらしい。これも帝国における謎文化の一つだが、なんとなく言いたいことは分かる。
「確かに、本人のようです」
うん、俺も見た感じ本人だなって思った。しかもなんというか、綺麗な生首だ。切り口はもちろん、普通は首に躊躇い傷があったり、そもそも顔に傷が付いてたり、あと魔法で保護してないと腐敗してたりするんだが……そういうのが一切ない。まぁ、腐敗については今日討ったらしいからな。
というかこの時代、戦闘で敵将が戦死することはあっても、その生首がきれいに手に入ることなんてあんまりないんだけど。シュラン丘陵での戦いも、大砲で吹き飛ばしちゃって僭称公とか跡形もなかったし。
「そのような報告はまだ来ておりませんが」
知らせを受け、たった今この部屋で合流した宮中伯が、憮然とした声でつぶやく。これは自分の所の密偵にお怒りのようだ……俺はこれを理由に再教育を受ける密偵を想像し、心の中で冥福を祈る。
俺もエタエク伯が反乱軍とそんな本格的に戦っていること自体知らなかった。なぜならこれまでの報告によれば、乱を起こした三人の伯爵は基本的に連携することもなく自分の城に引き籠っていたはずだ。だから長期戦が予想されていたし、包囲しながら確実に潰す……って話だったはずだ。
というか、ベイラー=ノベ伯領は反乱を起こした三人の伯爵の中でも北側の、テアーナベとの国境に位置する貴族だ。エタエク伯家からはちょっと遠すぎる。
「あー伯爵。いつ、どこで討ち取ったんですか?」
フールドラン子爵が、遠い目をしながらエタエク伯を問いただす。
すると伯爵は、まるで散歩での出来事でも話すかのように、淡々と説明する。
「今朝、ベイラー=トレ伯領でマルドルサ侯の軍とベイラー=トレ伯、ベイラー=ノベ伯の連合軍が対峙していたんだよ」
宮中伯が、ピクリと動いた。どうやらその報告すら上がってないらしい。
「ちょうど背後が無防備だったから突撃して、なんかあっさり崩れたからそのまま敗走する部隊追撃してたんだけど、そしてら運よく目の前にベイラー=ノベ伯がって感じ」
「がって感じ、じゃないですよ。なんでそんなところいたんですが」
ベイラー=トレ伯領もエタエク伯の領地から遠い。確かにそれは疑問だ。
するとエタエク伯は、途端にバツが悪そうに目を逸らす。
「ちょっと道に迷っちゃって」
「……だから私兵は持たすなとあれほど」
頭を抱えたフールドラン子爵に代わり、今度はワルン公が尋ねる。
「その戦勝の報告が、未だに届いていないそうだが」
「それについては『当家で出すからマルドルサ侯は追撃に専念して』と伝えてありますので、報告が無かったのも仕方ないかと」
再び敬礼した伯爵に、俺も思わず横から尋ねる。
「で、伝令は?」
「はっ。それが私であります」
……いや、伯爵本人が伝令役をする家があってたまるか。
「なぜそのような愚行を?」
あぁ、耐えかねたのかワルン公がはっきりと愚行って言っちゃったよ。
「それはもちろん、当家で私が最も馬の扱いが上手く、私の馬が最も早く、そして私が最も強いからです」
あまりにも堂々と、伯爵はそう言い切った。それを見た俺たちは、全員が、一斉にフールドラン子爵の方を向く。
「……事実です」
消え入りそうな声で、両手で目を覆った子爵が呟いた。
まるで非行に走った反抗期のガキを諫めるように、大人たちが伯爵に詰め寄る中、俺は小声でフールドラン子爵に尋ねる。
「フールドラン子爵、伯爵は……なんなのだ?」
「……エタエク伯傘下の貴族は、代々武闘派の家系しかおらず……その脳筋どもが、自分の所の子供以上に可愛がり、英才教育を施した結果がアレです」
フールドラン子爵の目は死んでいた。自分の主や同僚相手に口が悪いのは、相当な苦労を重ねているからかもしれない。
「馬鹿なんです」
まぁ天然というか、アホの子っぽさはあるな。
「この時代によくそんな家が残ってたな」
俺がそう呟くと、子爵が焦点の合わない、死んだ魚のような目をしたまま首を横に振った。
「いえ、ほぼ滅んでましたよ。一族みんなそんなのだから、老人と幼子残して一族全員討ち死にしてるんですよ。伯が男児として後継者に選ばれたのも、本来の継承者がそんな一族についていけず伯爵家から逃げ出したのを、『軟弱だ』と言って馬鹿共が認めなかったからです。連中、本当に馬鹿なんですよ。挙句の果てに無い知恵絞った結果が『じゃあ討ち死にしないくらい最強の将になってもらおう』って……馬鹿でしょう」
よほど鬱憤がたまっていたのか、一息でそう言い切った子爵に、俺は咄嗟にかける言葉が見つからなかった。
なるほど。確かになんで先代は超高齢で、当代は幼いのか不思議だったが……薩摩隼人的なちょっとした戦闘民族ってことか。戦士階級が貴族化して数百年とか経ってるけど、未だに当時の文化が残ってるなら、そりゃそうなるわな。
シュラン丘陵やテアーナベ遠征でエタエク伯軍を率いていたサミュエル・ル・ボキューズ子爵とか、『大勝するか大敗するかの男』と言われていて、大概ヤバいなと思ったが……まさかもっとヤバい奴がいるとは。しかもそれが伯爵本人だとは。……俺と同い年なんだよな?
というか、なかなか血の臭いが落ちなかったってことは。
「まさか陣頭で指揮取るタイプなのか」
「はい。それも大喜びで敵中に飛び込むタイプです。なのでシュラン丘陵の時も戦場に出さないよう全員で止めたのですが……今回は連中も出し抜かれたようですね」
本当に俺と同い年か? いやまぁ、魔法がある世界だからなぁ。
「もしかして、かなり魔法が使えるのか」
「身体能力の強化と、防壁を張るくらいしかできませんが。ただ、一騎討ちで負けてるとこは見たことありませんし、防壁も破られてるとこ見たことないですね」
魔法がかなりの練度で使えれば、子供だろうが歴戦の非魔法使いの戦士を瞬殺できる。そういう世界だからな……女性だろうが、子供だろうが活躍し得る。ただ、魔法が使えない状態……いわゆる魔力枯渇に陥ればそこまで暴れることは難しいだろう。
今回の場合は、本人も話しているように奇襲だった。それも敵軍の背後への一撃……だから全力で暴れられたと。
この感じだと、部隊を指揮って感じより、先陣切って味方を鼓舞するってタイプなのかな。若いし、今のところ俺に対して忠誠を誓っているっぽいけど……早死にしそうだな。
「たぶんベイラー=トレ伯領で戦ったっていうの、本当だと思いますよ。うちの領地の近くだったら馬鹿共が死に物狂いで止めてるはずなんで、どうせわずかな私兵だけ引き連れて勝手にマルドルサ侯の戦闘に便乗したんでしょう」
運は絡んでいるだろうが、少数の騎兵部隊で突撃して、敵貴族を討てるって……相当ヤバいな。味方としてが頼もしい……か?
「だからおもちゃ感覚で兵を与えるなとあれほど……」
話しているうちに怒りが込みあがってきたらしいフールドラン子爵の言葉は震えていた。聞いている感じ、エタエク伯家の中ではまともな方っぽいし……まともなんだよな? ちょっと言葉遣いヤバいだけで、大丈夫だよな?
「しかし……」
エタエク伯について色々言いたいことはあるが、それは一度置いておこう。事実として、これで反乱を起こした三人の伯爵、その内の一人ベイラー=ノベ伯を討てた。反乱首謀者の一人を討てたというだけでも大きいが、中でも一番良い人間を討ち取ったと言えるだろう。
なぜなら俺は、かつて傀儡だった頃にこの目で直接見ている……残る反乱首謀者の二人、ベイラー=トレ伯とクシャッド伯の不仲さを。
かつての巡遊の折、ベイラー=トレ伯領からクシャッド伯領へと入る際、この二人は大いに揉めていた。宰相派と摂政派として対立しており、個人としても明らかに険悪な関係が見て取れた。あれはたしか……ベイラー=トレ伯が出費云々でキレてて、クシャッド伯が時間云々でキレてたんだっけか。
というかたぶん、今回の反乱がちゃんと連携取れてないの、この二人の対立が原因じゃないかな。二人とも過去の出来事を水に流せるくらい、人並みの器のある人間には見えなかったし。
……あれ、じゃあなんで反乱なんて起こしたんだ?
まぁそれは今考えても仕方ないか。ともかく、二人の接着剤といういか緩衝材になり得る人間が死んだんだ。こっちの反乱ももう怖くない。
ふと気が付くと、エタエク伯がこちらをじっと見ていた。このあどけない少女という風貌で敵貴族を討ち取るとか、この世界の魔法使いは怖いなぁ。……あぁ、そうか。
「よくぞ討ち取った。今は褒美などは出せぬが、いずれその功に報いよう」
俺がそう言うと、少女は満面の笑顔を輝かせ、美しい敬礼と共に答えた。
「はっ。ありがたきお言葉!」
それが演技でないならば、彼女は本当に心から、俺の言葉に喜んでいるように見えた。勢いよくぶんぶんと犬のしっぽが揺れる……そういう幻影が見えるんじゃないかってくらい、エタエク伯は俺の言葉一つで目を輝かせている。
……え、逆に怖いんだけど。なんでそんなに好感度高いんだ?




