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ナディーヌと結婚する朝、伝統に則り式より相当早く準備を終えた俺は、ナディーヌに貸し与えられた部屋にいた。本来はこの時、結婚する二人とお付きの者くらいしかいないのだが……今は数名の貴族も部屋に引き入れていた。
ワルン公、チャムノ伯、ニュンバル侯(財務卿)の三人にヴォデッド宮中伯も加わり、室内は物々しい雰囲気に包まれている。
ナディーヌの侍女は元々ワルン公爵家の人間だからか、それほど動揺はしていなさそうだった。しかし話す内容的に知る人間はなるべく減らしたかったので、今は離れてもらっている。
「すまないな、ナディーヌ」
すでにウエディングドレスに着替えていたナディーヌは、少し大人びて見えた。
いつもは年下だから「可愛い」という印象が強いが、ドレス姿の彼女は「綺麗」という言葉が似合う。
これから夫婦になる二人でゆっくりする……みたいな時間なんだろうけど、状況が状況だからな。信用できない貴族は排除できた上で、非公式の会議を行えるっていうのは正直ありがたい。
「別にいいわ。それより、私も聞いてていいの?」
「もちろん」
それに……これは別にナディーヌを蔑ろにしている訳ではない。むしろ逆だ。
ナディーヌは女性だからとか、幼いからとかって理由で、あまりこういう政治や軍事の話し合いに参加させてもらえなかった。
だから、「今は夫婦の時間だから」みたいな理由で会議を後回しにするとか、そういう「気の使われ方」を彼女は好まない。
この場での会議は、俺がナディーヌを信用していないとできないことだ。その信用を行動ではっきり示す方が、ナディーヌは喜ぶと思ったのだ。
「さて。ワルン公、チャムノ伯……既に聞いているとは思うが、南方三国にて兵の動員が確認された」
帝国は今、皇帝と三人の妃たちの結婚式を一斉に執り行っている。周辺国から使節を招き、帝都は連日、祝賀ムードとなっている。
これは一年前から周辺国に通達されていた行事であり、この大陸の常識として、その期間中に国家間の戦争行為はご法度らしい。
まぁ、国際条約とかない世界だからな……これはルールよりマナーに近い話だ。破ったからと言って、取り返しのつかない事にはならない。しかし、破った国の評判は間違いなく落ちる。
貴族の娘として、そういった事情も当然知っているナディーヌが俺に尋ねる。
「今回の件は批判の対象ではないの?」
先日、帝国の南に位置するアプラーダ王国、ベニマ王国、ロコート王国の三国……通称南方三国が徴兵を開始した。まだすべての兵を常備兵にすることは難しいこの時代、戦争前には大抵の国が徴兵を行う。
その動きを掴んだ密偵が素早く俺のところまで情報を上げたため、かなり早い段階からこちらは動くことができる。
「侵攻された場合はな」
俺は続けてナディーヌの疑問に答える。
「今回の場合はまだ侵攻されていない」
「……そっか、あくまで動員段階だから」
そういうこと。もし既に兵が国境を越えているとかなら堂々と批判できる。しかし、敵はまだ動員までしかやっていない。宣戦布告もなければ、そもそも帝国に侵攻するとも限らない。
……まぁ、徴兵してる地域が三国とも北部のみっぽいから、確実に帝国に来るんだけど。
「どう考えても帝国に来るが、絶対に帝国に来るとは言い切れない。面倒だがな」
「批判できないなら、いっそ正面から受けて立つと余裕を見せつけた方が良い、ってことかしら」
ナディーヌもその辺のことが分かるようになってきたな。ちょっと感動。
「そういうことだ。おそらくだが、宣戦布告はこちらが全ての祝宴を終えた後だろう」
この世界での宣戦布告の意義は、その紛争の正当性の主張である。だから敵対国に対してだけでなく周辺国にも通達される。むしろそっちがメインだと言ってもいい。
これについても、別に国際条約とかないから宣戦布告無しで開戦しても問題ない。ただ、宣戦布告が無いということは「自分たちには開戦するだけの大義名分が存在しません」と認めているに等しい。
戦争は正義が勝つとは限らない。だが、正義のある方が有利に戦えるのは間違いない。六代皇帝の時代に帝国が対外戦争で負けまくった理由の一つは、正義なき戦いだったからだと思う。それくらい、六代皇帝は手当たり次第に戦争を仕掛けては敗戦を繰り返していた。
今回の場合は……ロコート王国国内での旧帝国貴族の反乱、それが帝国の工作によるものだと断定してロコート王国が帝国に宣戦布告。その後ベニマ王国とアプラーダ王国が同盟関係を理由に参戦って流れだろう。
その反乱は現地貴族の勝手な暴走であり、帝国は無関係だが……事実なんて誰も気にしない。少なくとも講和まではね。
ちなみに、宣戦布告無しで開戦した上、批判されないパターンもある。例えば最近のテアーナベ周りの一連の戦闘とかいい例だろう。
テアーナベ連合は帝国からの独立を宣言したが、皇帝カーマインはそれを認めていない。そして帝国側の解釈としては、これは反乱の鎮圧であり、国家間の紛争ではないので宣戦布告はいらないというわけだ。
あとはガーフル共和国が帝国と交戦し始めた例か。
こっちはまず、ガユヒ大公国内でのクーデターから始まる。このクーデターに共和国が「善意で協力」し、その後「ガユヒ大公国に貸した兵が勝手に帝国との交戦に利用」され、その兵が帝国に「攻撃された」ので「仕方なく反撃、結果的に開戦となってしまった」という主張らしい。
だからガーフル共和国が大公国に「うちの兵を勝手に第三国との戦争に使いやがって」と批判する文書が帝国にも届けられてたりする。
こんな主張、無茶苦茶な上に明らかに時系列がおかしい。何せガユヒ大公国内でのクーデターを知る前に、俺たちはガーフル軍と交戦しているからな。
言い訳にすらならないような方便……白々しいことこの上ないが、それが通ってしまうのもまた戦争である。
ガユヒ大公国? 彼らには帝国と開戦する大義が無いし、宣戦布告も無かったよ。そもそもベルベー王国、エーリ王国と結んだ三国同盟すら無視してるし。
当然、彼らは国際的に批判される……が、そもそものクーデターの経緯からして周辺国からは認められないだろうからな。どうせ批判されるならってところだろう。
つまり、ガユヒ大公国はガーフル共和国が帝国に奇襲を仕掛けるための捨て石にされたのである。まぁ実際、俺はその奇襲のお陰でテアーナベ出征に失敗したわけだし。というか、それも織り込み済みでガユヒ大公国のクーデター勢力は共和国から兵を借りたとみていいんじゃないかな。
閑話休題、俺はそんな状況を踏まえた上で、二人の元帥に命令を下す。
「ナディーヌとの式が終わり次第ワルン公は領地へ。ヴェラ=シルヴィとの式後にはチャムノ伯も帰還してもらう。ただし、国境付近の中小貴族は現段階から帰還しても良いことにする」
皇帝としては今すぐにでも戻るよう促すべきなんだろうが、さすがに娘の結婚式に出るなとは、俺には言えなかった。
「かしこまりました」
「……そっか。戻れと命令したくはないのね」
ナディーヌの言葉に俺は頷く。
「そうだ。『別に帝国はこれくらいで揺るぎはしない』という姿勢を見せる為の対応なのに、貴族に帰還を急かしては余裕が無いと見られてしまう」
ちなみに、反乱軍と対峙するマルドルサ侯やエタエク伯、そしてガーフル軍と対峙するアーンダル侯やヌンメヒト女伯なんかも、そもそもこの結婚式に参加していないのだが、彼らも皇帝による命令で領地に待機している訳ではなく、あくまで自己判断による自発的な欠席である。
中小貴族でも、交戦中の貴族は領地に残っている。そういった貴族は、本人が参列しない代わりに、代理の者が帝都に来ている。
そして俺の言葉の意味をより深く理解しているワルン公が口を開く。
「ご安心ください。必要な貴族は晩餐会の前に、我々の方で個人的に戻します」
帝国としては、帰っても帰らなくてもいいというスタンス。ただ、現場指揮官の元帥が「帰って防備を万全に備える選択を独自にした」ってことにしてくれるらしい。本当に助かるよ。
「北部の近況も聞こう。宮中伯?」
「はっ。現在はガーフル共和国、テアーナベの反乱勢力共に停戦しております。恐らく、この祝宴期間が終わるまでは動かないかと。ガユヒ大公国についてですが、こちらはそれどころでは無さそうです。国内貴族と激しい内戦へ突入しました」
一年前に通達した結婚等の祝祭期間中は戦争をしない……それが国家としてのマナー。だからガーフル共和国はもちろん、自分たちが国家だと主張するテアーナベ連合も仕掛けてはこない。
「つまり、完全に戦闘は停止していると?」
「一部、撤退中のガーフル兵と交戦の報告もありますが……いずれも偶発的なものです」
ほう、撤退中か。その場で動きを止めるだけかと思ったが……これはむしろ厄介かもな。
「南方三国の動きが無ければこのまま講和もあったかもしれませんが……この機会を連中が見逃すとも思えませんな」
チャムノ伯の言葉に、俺は同意する。
「あぁ。むしろこの期間中に兵を再編して再侵攻してくるだろうな」
この停戦期間は相手にとっても準備を整える良い機会になってしまっている。
ガユヒは自滅しそうとはいえ、ガユヒにガーフル共和国が貸した兵も今は帝国との前線に回ってきている。
テアーナベ連合に帝国と戦う余力はない……という希望的観測を含めても、四か国とは戦う必要が出てくる。さらにアキカールの反乱も、クシャッド・ベイラー=トレ・ベイラー=ノベという三人の伯爵の反乱も同時に起きている。
全部で……何正面作戦だろうな、これ。
「どう見る、ワルン公」
俺の言葉に、ワルン公は平然と答える。
「耐えるだけなら何とかなりそうですな。問題は、皇国です」
実に頼もしい答えだ。そして俺もそう思う。
帝国は大国だ。よほどの兵力差を作られなければ……そして徹底的に会戦を避ければ、そうそう負けることはない。最悪、焦土戦に移行すればまず負けることは無い。この世界の歴史的にも、帝国が戦争に負ける時って、だいたい侵略する側の時なんだよね。
俺が生まれる直前の南方三国との戦争だって、宰相と式部卿が政敵を潰すために国土を割譲したものの、条文的には負け認めてないし、帝国。領土奪われてるから実質負けだけど、二人が余計なことしなきゃ勝ってただろうし。
もっとも、焦土戦なんかしてしまえば国土が荒れてしまうからできるだけ避けたい。皇帝の評判にも関わるしね。
そんな自分の父親の発言に、ナディーヌが不思議そうに首をかしげる。
「皇国? でも天届山脈もあるし、回廊の出口は抑えているのよね?」
帝国に並ぶ大国、テイワ皇国。この国と帝国の間には、前世で言うヒマラヤ山脈のような人の往来を拒む障壁が存在する。それが天届山脈だ。
当然、軍勢がここを越えることはまず不可能。そんな中、辛うじて軍勢が通れるS字状の渓谷、『回廊』が存在するものの、大軍を一気に送るのは流石に厳しい。
ちなみに、回廊は現在皇国に制圧されており、帝国側の出口に位置する要塞が常に監視している。
「あぁ。回廊では大軍は送れないだろうな。問題は国内貴族の動揺だ」
正確にはこれに呼応して東部の中小貴族……旧ラウル領の貴族が反乱を起こさないかってところだ。正直、現状での明確な負け筋は国内でのさらなる反乱である。
……今思うと、密造ワイン関連の騒動があのタイミングで良かったな。この状況で農民反乱まで重なれば、本格的にヤバかったかもしれない。そう考えると、結構紙一重のところで何とかなっている。
「皇国内での諜報ですが、現在十分な精度が保てておりません」
宮中伯の言葉に、軍事関連の話は専門外だからとここまで静かだった財務卿が反応する。
「皇国の政治情勢が落ち着いたと?」
皇国は長らく、宮宰であったジークベルト・ヴェンデーリン・フォン・フレンツェン=オレンガウが権力を掌握していた。しかし彼が暗殺されたことにより、権力争い……数年前の帝国よろしく、政争が勃発していたのだった。
「いえ、逆です。政争が激しくなったので、動きづらくなってきました。密偵とはそういうものです」
……あぁ、なるほど。政争が本格的になって、大貴族の密偵同士が潰し合い始めた。その結果、帝国の密偵も巻き添えを食らって狩られてしまっている……ってところだろうか。
となると、これは俺たちの仕事だな。
「先日の晩餐会では、人が多すぎて挨拶だけで終わってしまったからな……皇国からも使節が来ている。今度の晩餐会で探りを入れるとしよう。責任重大だぞ、ナディーヌ」
俺の言葉に、ナディーヌはそっと目を逸らす。
「どうせ腹の探り合いなんて、私には分からないわよ」
いじけている……訳ではなさそうだ。自信が無いのか。まぁ、俺も警戒されてるかもしれないし、ここは諸侯にも頼むとしよう。
「ワルン公、ニュンバル侯、チャムノ伯。卿らも少し探りを入れてはくれないか。報告は『立后の夜』に寝室で聞く」
すると俺の言葉に三人が反応するより早く、ナディーヌの声を上げた。
「……ちょっと待ちなさいよ!」
あぁ、この声を荒げる感じ、懐かしさすら感じるな。最近は割と大人しかったからなぁナディーヌ。
とはいえ、ここで反発されることは何となく分かっていた。
「なんだ」
ナディーヌの方に視線を向けると、彼女は顔を赤らめ視線を下に向けていた。
「その時は、その。し、してる時、というか」
いやいや、ワルン公もいるから、せっかくオブラートに包んだ表現をしたっていうのに……。
この国……というかこの時代において、貴族が子供を残すのは義務みたいなものである。あのクソババアですら、愛人と引き籠る前に俺を産むっていう義務を果たしている。
だから貴族の結婚は式だけで終わらない。いわゆる初夜まで含めて結婚と見なされる……のだが、例外もある。
「いや、ナディーヌは今回は無しだぞ。成人してないんだから」
この国では十五歳で成人である。つまり前世風に言うと、成人した人間が未成年に手を出す……みたいな認識をされるからな。まぁ、それを厳格に禁ずる法もないんだけど。
「それは建前でしょ! 私だけ仲間外れ!? それとも私には興味ないっていうの!」
嫌だよ俺、ロリコン扱いされたくねぇもん。たかが一歳差でそんなこと言われないと思うけど、後世ではどんな価値観になっているか分からんし。
あと俺、皇帝だからなぁ。こういう伝統を厳格に守った場合、称賛されることはあっても批判されることは無い。
……それにもう一つ、個人的に嫌な理由もある。
俺は声を荒げるナディーヌの目をまっすぐに見つめ、心を込めて本音を話す。
「急報とかあったら、初夜の最中でも人、入ってくるかもしれないんだぞ。初めてがそれでもいいならいいけど」
というか、確実に入ってくる。少なくとも宮中伯は、そういうところで遠慮はしない。せめてあと数日空けば報告とかも落ち着くと思うけどね。
「それは……まぁ、嫌かも」
「だろ? 余も嫌だ」