青き瞳の花嫁
結婚する日、俺はいつもより早く目が覚めた。
正直、正式に結婚したところでこれまでと何かが大きく変わるわけではない。王族同士の結婚の場合、婚約の段階では会ったこともなく、結婚する時に初めて会う……ということも少なくないらしいが、俺たちの場合は特殊だからな。
だがこうして早起きしたってことは、案外俺も緊張しているのかもしれない。
「もう起きられましたか」
「ティモナか……喉が渇いた」
そっちも早起きだなと言いかけたが、ティモナが寝ずの番をしていた可能性に気が付き、代わりに飲み物を所望した。
相変わらず働きすぎだ。過労死とか怖いから休んでほしいんだが。
「どうぞ。熱いのでゆっくりお飲みください。それから、浴場の用意もできております。身を清めた後に朝食、その後礼服に着替えていただきます」
……いや、俺がいつもより早めに起きるの分かってて準備万端じゃないか。たまに怖いんだよな……こういうところ。
その後、俺は婚姻式に向けて色々と準備をしていく。いや、正確には準備されていく、だろうか。
普段は自分で着替えたりもするんだが、礼服の際は全て任せることにしている。
そして諸々の用意も終え、俺は早々に暇になった。
「そういえば、余はいつ出ればいいのだ」
どのタイミングで何をすればいいかは聞いているが、具体的なタイムスケジュールは聞いていなかったなぁと、今更ながら気づく。
「昼食後、ニュンバル侯が呼びに参ります。式は午後です……それまでは何も」
……待ち時間なっが。
「そんなにか。知らなかった」
というか、仮にも結婚する当人がその詳細を知らないって不味くないだろうか。
「陛下は周辺諸国の使節と、連日懇談なされていたのです。むしろ一度采配を任せた以上、余計な口出しをしないその立ち居振る舞い、ニュンバル侯が感謝しておりました」
それは自分のセンスとか信用してないから丸投げしただけなんだけどな。あと、自分の好みで式典をやらせて、あまりのセンスのなさに嘲笑を買った皇帝が過去にいるらしいからな。同じ轍は踏みたくなかった。
だから俺は、その辺の美的センスはロザリアに任せることにした。ニュンバル侯にはロザリアの好みを優先し、打ち合わせするように命じたのだ。
ロザリアはベルベー王宮でその辺は叩き込まれているし、俺の好みもある程度は反映してくれそうだと思ったしな。
「それはさておき、余はこれからかなりの時間暇になるわけだ」
この空いた時間に残っている政務でも……と思ったのだが、これはティモナに遮られてしまう。
「いえ、今日は長丁場になりますから執務はお控えください。それより、ロザリア様のところへ向かわれてはいかがでしょうか」
「こんな時間に? 邪魔になるだろう」
「先ほど確認いたしました。問題ないとのことです」
ティモナはそう言うと、案内の侍女を呼び寄せ、さらに続けた。
「私の用意もありますので、行ってくださった方が助かります」
「……なるほど」
まぁ、俺の世話しながら自分の支度するのは大変だわな。
こうして俺は、ティモナに追い出されるように、花嫁の部屋へ送り出された。
※※※
ロザリアの部屋を訪ねると、彼女の方ももうウエディングドレスに着替えていた。
「ようこそいらっしゃいました、陛下」
ロザリアに笑顔で出迎えられ、もてなしを受ける。
……なるほど、こういうことがあるからだろうか前世のウエディングドレスに比べて動きやすそうに見える。裾とか、床を引き摺るほどは長くないし。
「まさかもう着替え終わっているとは思わなかった」
だって式、午後からなんだぜ? なのに朝から着替えているとか、いくらなんでも早すぎるだろう。
「こういうのは、早ければ早い方が良いと言われておりますの」
「そうなのか?」
ロザリア曰く、ロタール帝国でこういう風習になったのは逸話があるという。
そもそも昔は花嫁の衣装を花婿が見るのも当日だったし、着替えるのだって早くはなかったようだ。
しかしあるロタール皇帝が結婚を楽しみにしすぎて、何日も前に花嫁のウエディングドレスを覗き見て、そして当日もあまりにも早くに起きて着替え、花嫁のもとを訪ねた。すると花嫁の方も同じ気持ちであり、既に着替え終えていたという。
そして二人は仲睦まじい夫婦として民からも愛され、そして国も大いに繫栄した。
以来、早すぎるくらいに着替え終えておくことは、それだけ結婚に好意的であり喜ばしいと感じているという意味になり、それが半ば慣習化したという。
……それ、結婚に舞い上がった若い皇帝の若気の至りを、誤魔化すために慣習化したとかじゃないよな? 君主制国家の悪いとこだぞ、そういうのは。
「あぁ、それであの時、みんな言葉を発さなかったのか」
事前に仮縫い状態のウエディングドレスを着たロザリアたちを見させられ、感想を求められた時は「そういう慣習です」としか説明されなかったが……あれ、覗き見してるっていう体なのかよ。変な慣習だなぁ、おい。
「絶対、当日までの楽しみにしてた方が良いと思うんだけどな」
こう、当日までソワソワしてワクワクするみたいな……そういうのも経験してみたかったんだが。
「私もとても恥ずかしかったですわ。色々と好き勝手言われましたから」
えっ、何か失礼なこと言っただろうか。どのドレスが良いかとか、どの宝飾品が合うかと聞かれたから、素直に感想を口にしていただけなんだが……なんてな。
あまりに反応がかわいかったから、ついついいじめたくなってしまった。
ちなみに、ナディーヌは反射的に返事してしまう癖があって、違う意味で面白かった。あと、ヴェラ=シルヴィが実は一番ノリノリだった。父上の時はできなかったらしいからな。ポーズまで決めていた。
「それで……いかがでしょうか」
「うん、よく似合ってる」
そりゃ花婿の好みとかをその場で反映してたんだ。似合わないはずがない。
「だが……そうか、あれ出陣の前か」
だからだろうか……こうして花嫁姿のロザリアを見られて、これほどまでホッとしているのは。
「本当、間に合って良かった」
「ふふっ、四人での挙式というのも、それはそれで面白そうでしたけど」
ベルベー王もいる前でそれは……俺の胃に穴が空いてただろうな。
本来の予定では、ロタール式で一連の儀式を行う予定だった。しかも、結婚に関する儀式と女王即位に関する儀式を分けて執り行う予定だったのだ。
そしてナディーヌとヴェラ=シルヴィの結婚も合わせると、全部で十日もかかる予定だった。
だが反乱やらなんやらで予定通り帰ってこられるか怪しくなり、急遽ブングダルト式に変更となった。
……ブングダルト式とはつまり、面倒な儀式を極力削ったバージョンだ。こちらはロザリアとの結婚と、ロザリアの戴冠をまとめて同日に行うというもの。
そして最悪、それでも間に合わなかったら三人の結婚を同日に同時に行うという、彼女たちに失礼極まりないことが行われることになっていた。
他国から来賓を招いている関係で、翌月や翌年に持ち越すという訳にはいかなかったのだ。
いやほんと、間に合って良かった。当初の予定より短くはなったが、帝国としての面子は保てる範囲で帰って来られた。
儀式の規模は縮小する代わり、諸国の王族や使節を歓待する晩餐会の規模は変えていないのだ。社交の場としてはそっちがメインだし、前世の結婚式も披露宴の方が内容濃かったような気もするから、そうおかしなことでもないだろう。
「ところで、ベルベー王にはもう会ったか」
「えぇ、陛下がお戻りになられる前に。ふふっ、とても面白かったですわ」
なら良かった。せっかく久しぶりに父親と会えたのに、ロザリアの事だから皇帝の婚約者として接したのではないかと不安になったのだが……この様子だとちゃんと家族として話せたようだ。
その後もしばらく、ロザリアとは話し込んでしまった。これから結婚する相手だというのに……普段通りの会話だった。
※※※
結婚の儀式……婚姻の儀と呼ばれるそれは、建国の丘にある教会で行われることになった。
この地下には、まだ活動中の遺跡が眠っているが、ヴァレンリール曰く今年中には停止させられそうとのことだ。
ちなみに、当初の予定では結婚関連の儀式を帝都の広場前の聖堂で、立后の儀を宮廷内の教会で、女王戴冠を建国の丘の教会でそれぞれやる予定だったらしい。
この中で最も規模が大きいのは広場前の聖堂だ。そこで貴族を大量に入れて盛大にやるつもりだったらしいが、ここの教会で行われることになり、中に入れる貴族は大幅に制限されることになった。
もの凄く小さいんだよね、ここ。
そういえばこうなることが決まった時、ニュンバル侯は「予算が削減できる」と喜んでいたな……皮肉じゃなくて本気で喜んでいるところが凄い。
さて、俺はこれからいわゆる結婚式に臨むわけだが……前世のそれとは、色々と違いも多い。
まず、式はだいぶシンプルな構成だ。指輪の交換もなければ、誓いのキスもない。だからまぁ、これは結婚式というより結婚の儀式だな。
前世の「結婚式」に近い形態は市民の方では普及してきてるらしいが、貴族の方は当分先だろう。
理由はまぁ、恋愛結婚かそうでないかの差だろうな。会ったこともない、結婚したくない相手とも家同士の契約であれば結婚しなくてはならないのが貴族だ。そんな相手とキスなんかできるかって主張もまぁ分かる。それを一律で「礼式」にしてしまうのもまた貴族である。
あと、新郎と新婦は同時に入場だ。家同士の同盟である貴族の結婚とは名目上は対等な同盟関係だから、入場に関しても差をつけないらしい。意外と、一つ一つに理由があるんだよな。
つまり俺とロザリアは、教会の扉の前で呼ばれるのを待っている段階である。
すでに諸侯や参列してくれる諸国の王族たちは入場済みだ。
こうして並んで立ってみてようやく実感できるのだが、いつの間にかロザリアの背を完全に抜かしていたらしい。
彼女と出会ってからの月日を感じ、少し感慨深くなる。
ふと隣を見ると、ロザリアの手が小さく震えていた。表情も強張り、綺麗な瞳も揺らいでいる。
「緊張しているのか」
だがその緊張した表情は、どこか懐かしい気がした。
……あぁ、そうか。初めて会った、あの日に似ているのだ。
「はい……陛下は、緊張なさらないのですか」
「言われてみれば」
緊張か……確かにしてる気がしない。打ち合わせとかに参加していない分、結婚する実感が湧いていないのかもしれない。
あとは……敵陣に突撃した時に比べれば、まぁ緊張はしてないな。というか、俺がここでやらかしても、笑われるだけで罰せられはしない。そして笑ったやつを、探しだして二度と笑えなくする……なんてことも、極論だが、できてしまうからな、皇帝って。
それに、ロザリアは婚姻の儀の後、そのままの流れで行われる女王戴冠の儀……ここで宣誓しなければいけない。一方で俺は、隣で立って時が来たら冠をロザリアの頭にのせるだけだ。
とはいえ、感動もちょっと違うんだよなぁ。これがお世話になった家族とかがいたなら感動もしたかもしれないんだが……父親は最初っからいないし、親戚はだいたい殺してしまったからな。元摂政はもちろん未参加だ。
ちなみにロザリアに与えられる称号は、女帝ではなく女王で合っている。帝国なのに女王は変だと思うかもしれないが、『帝』を名乗れるのは一人だけという決まりがある。女帝は女性が皇帝になった時の呼び方で、皇帝と同時に存在することはない。
この女王は「皇帝の配偶者」に与えられる称号だ。だから呼び方も、「ブングダルト女王」ではなく「ブングダルトの女王」が正式名称になる……が、公式行事以外はなかなか呼ばれない。
会場内で、楽器の演奏が始まった。もうすぐ、扉が開いて入場することになる。パイプオルガンや吹奏楽器、それから弦楽器のような音色が聴こえる……前世の結婚式で聞いた曲より、行進曲に近い気がするのは気のせいだろうか。
「ロザリア、肩の力を抜いて」
俺は音楽にかき消されないよう、ロザリアの耳元にささやく。貴族は皆扉の向こうだし、護衛も離れている。多少は言葉を崩しても平気だろう。
「申し訳ありませんわ、私……」
「別に気にしなくていい。それに、君ならなんだかんだ上手くやれるさ」
俺に緊張する要素がないってだけで、緊張するのは普通だと思うしね。
……ただ、俺の方も冷静って訳ではないと思う。なんというか、気分が高揚しているというか、浮わついているというか。
「あぁ、そうか」
少し考え、俺は思い当たる理由を呟く。
「緊張以前に、嬉しいのか。好きな相手と結婚できることが」
考えてみれば当たり前だ。好きな相手と結婚するんだから、舞い上がって嬉しくなるのも自然なことなのだ。俺、自分で言うのもなんだが思春期の真っただ中だしなぁ。
というか、これ前世含めても多分初めての結婚なんだよな。その相手が美人で、しかも信頼できる相手というのは、十五歳の少年が舞い上がるのも無理はないな、うん。
肉体年齢に精神年齢が引っ張られているような感覚は前からあったしなぁ、と思いながらロザリアの方を見ると、なぜか彼女は俯き、耳はほんのりと赤くなっていた。
「……もしかして聞こえてた?」
返事はなかった。それが答えだった。
……いや、だとしてもそこまで照れるほどの言葉だろうか。
言い訳のような言葉を口にしようとしたその時、目の前の扉がゆっくりと開いた。
……いや、気まずい。
※※※
列席者の横を、ロザリアと並んでゆっくり歩く。その間も続く演奏は、しんみりする曲ではなく、テンポの速い曲だった。ただまぁ、こうして聴いていると案外悪くない気もしてくる。祭りとか、ハレの日にふさわしい曲ではあると思う。
そして最前列にいるベルベー王らも通り過ぎ、さらに少し歩き、ようやく立ち止まる。そしてそこで、控えていたティモナに帯剣していた『聖剣未満』を預ける。
貴族の前では油断しない心構えを見せるために帯剣する、しかし神前と見なされる聖職者の前ではこれを外す……これが帝国流らしい。変なところで細かいよなぁ。
「それではこれより、夫婦となる二人に、宣誓をしていただきます」
早々に儀式を始める聖職者……そう、『アインの語り部』のダニエルである。表舞台から一歩引いて楽をしようとしていたので、表舞台に引きずり出すきっかけとしてこの一連の儀式を取り仕切る聖職者に指名したのだ。
それにしても、異様な光景である。何せ儀式が始まったのにもかかわらず、演奏は続いているのだ。こんな状態では、後ろの列席者には会話内容は聞こえないだろう。
「神前です……『大原則』に則り、どのような理由であっても嘘は許されません。しかし同時に、宣誓の文言に決まりはありません。あなたが誓えることを、あなたの言葉で誓いなさい。唯一の証人たる私は如何なることがあっても口を閉ざします」
西方派の大原則には、嘘を禁ずるというものがある。まぁ、完璧に守っている人間なんて絶対いないと思うが、神前ではさすがに守らなければいけない。
だが政略結婚が基本の貴族において、よく知らない相手と結婚する際、嘘をつくなとなれば「結婚はしますが愛しません」となりかねない。
……だからずっと演奏が続いているのか。どれだけひどい文言の宣誓でも、自分や相手の家族、そして列席者には聞こえない。嘘はつかなくていいし、実家への迷惑も考えなくていいと。
……合理的なんだか非合理的なんだか分かんねぇな、これ。まぁ、こういう慣習に違和感を覚えてしまうのは、前世の記憶がある俺だけかもしれないが。
そしてダニエルは、そのままロザリアに宣誓を促す。
「ロザリア・ヴァン=シャロンジェ=クリュヴェイエ。あなたはカーマイン・ドゥ・ラ・ガーデ=ブングダルトの妻となります。神前にて婚姻の宣誓を」
「はい。私、ロザリア・ヴァン=シャロンジェ=クリュヴェイエは、その生涯においてカーマインだけを愛し、彼を支え、その隣に立つ者として相応しくあらんと努力を惜しまないことを、ここに誓います」
……はじめてカーマインと呼ばれた気がする。まぁ、それはさておき。
「愛し合う、じゃないんだな」
「では陛下は私だけを愛してくれますか」
まぁ、そういうことだよな。
「……君から側室の話を持ち出しといて、それはズルいんじゃないか」
「はい、ですからこれで、良いのですわ。神前で嘘はいけませんから」
そう言ったロザリアの表情は、いたずらが成功したかのような表情だった。
なぜここでその表情なのか。時々ロザリアの感性、よく分かんないんだよな。
「その宣誓、聞き届けました。続いてカーマイン・ドゥ・ラ・ガーデ=ブングダルト」
ダニエルの言葉を聞きながら、俺は何を誓おうか頭を悩ませていた。だって、事前に何を誓うか考えといてくれとかなかったし、あと他人の結婚式も見たことなかったからなぁ。
「あなたはロザリア・ヴァン=シャロンジェ=クリュヴェイエの夫となります。神前にて婚姻の宣誓を」
なぜ事前に、教えてくれなかったのか……あぁ、そうか。ロザリアのあの表情は、確かに悪戯だったのかもしれない。
「……ロザリア、余は君だけを愛するとは誓えない。もう側室を持つと決めてしまったから。だが君以上に誰かを愛するつもりはない」
……うん、控えめに言ってこれはなしだな。もうちょっとマシなセリフがあるだろう、俺。
「……待て、やっぱりもう少し考える」
「聞き届けました。では二人の宣誓……」
「おい」
終わらせようとしたダニエルを止めようとするも、返ってきたのはため息だった。
「過去には『何も誓うことはない』と言い切った皇帝もいれば、『お前だけを愛する』といった翌日に愛人に手を出した皇帝だっているのです。それに、儀式として重要なのはこの後の証明書へのサインです」
そう話すダニエルは、なぜか半眼だった。
「私にとって嬉しい言葉ですわ、陛下」
俺の隣で、今度はロザリアがそう言った。見ると、嘘ではなく本当に嬉しそうだった……もしかして、俺が自分で考えた言葉なら、何を言っても喜んだんじゃないだろうか。
「では二人の宣誓の証人として、ダニエル・ド・ピエルスはその内容に口を閉ざすことをここに誓います」
そしてダニエルが両手を挙げると、演奏がすぐに鳴りやんだ。
「宣誓の証人者として、二人を夫婦と認めます。では、この証明書に二人のサインを」
……ほんと、変な結婚式だなぁ。これが、この世界での当たり前なんだろうけど。
「余はこの場で隣にいるのが、貴女で良かったと心から思っている」
「ふふっ。私も同じ気持ちですわ、陛下」
そして証明書にサインを書き終えると、途端にその場の雰囲気が切り替わった。
ここから先は、婚姻の儀ではなく戴冠式だ。皇帝の妃となったロザリアに、『ブングダルトの女王』の称号を与え、王冠をその頭にのせる儀式だ。主役は俺ではなくロザリアだけになる。
というか、実のところ政治的に重要なのは婚姻の儀ではなくこっちだ。だから力の入れようが目に見えて違う。
まず、女王にふさわしいと証明するためにロザリアはブングダルト語とロタール語で聖一教の聖典の内容の一部を暗唱させられた。その後、女王としての心得をダニエルが唱え、これを復唱。その後、ダニエルより聖偉人の逸話が語られる。
酷だと思うが、これは話によると通過儀礼らしい。外国人であるロザリアが、帝国人として貴族に受け入れられるための。
ロザリアは、最初の緊張が嘘のように難なく試練を乗り越えた。その間、俺は隣に立っているだけだった。
いや、本当に暇だったよ。だがまぁ、当事者じゃない祭礼とは、得てしてそういうものかもしれない。
ちなみに、俺も皇帝になる時に、皇帝としての心得を唱えられているらしい。ただし、俺が皇帝になった時とはつまり、生まれた直後のことだ。当然、言葉など聞き取れていない。
さて、ダニエルによる説教が終わり、ようやく俺の出番になった。ダニエルが王冠を持ってきて俺に差し出すと、背後の列席者から驚きの声が上がる。
それもそのはず。本来、慣例では聖職者の手から王冠がのせられることになっている。
だが俺は、誰かの手によって帝冠をのせられたのではない。自分の手で、この頭上に帝冠をのせた。あの即位の儀において、血の滴る帝冠を。
だから妻であるロザリアの王冠も、皇帝の手でのせる。誰にも縛られず、誰にも指図されない。それがブングダルト帝国の皇帝であると、内外に示すために。
この道の隣を歩くのは、ロザリアこそ相応しい。
※※※
婚姻の宣誓と女王への戴冠式、この二つの儀式を終えた俺たちは、すぐに最小要塞と呼ばれる皇帝専用の馬車に乗りこんだ。
馬車の中は、慣習通り俺とロザリアだけだ。この後、帝都市街の広場にある聖堂から帝都市民に向けお披露目をする。まぁ、ここまでの儀式は王侯貴族しか関われないからな。このお披露目は市民への結婚報告みたいなものだ。
これに関しては、それほど心配していない。ロザリアは市民から大人気だからな。
何より、馬車の中ならほかの人間の目がない。肩肘を張らなくて済む。
「それにしても、懐かしいな」
「もう五年も前ですわ」
「あぁ」
かつての巡遊の際も、こうしてロザリアと二人だった。あの頃は馬車の中は広く感じたが、今はそうでもない。俺もロザリアも、あの頃から成長し、二人とももう大人と見なされる歳だ。
「色々あったが、楽しかったな」
「はい!」
……っと、思わずほっこりしてしまったが、本題はそれじゃない。
「ロザリア、君に渡したいものがある」
俺は準備していた小箱を取り出す。これはテアーナベ連合討伐へ向かう前に、こっそりと注文しておいたものである。
「それは?」
「噂によると、最近の市民の間では結婚の際、夫から妻へ指輪を贈るのが流行っているらしい」
ただまぁ、これは元々の聖一教の風習ではない。おそらく、どっかの転生者の商人がそういうブームを巻き起こしているんだろうな。夫婦で交換という形を取っていないのは、まだこの世界の女性は働き手として一般的ではないからだろう。
小箱を開け、指輪を取り出す。シンプルなシルバーリングだ。本当は宝石をあつらえたかったんだが、目立つからという理由で却下された。渋々、防壁魔法を込めた簡易的な魔道具にしたが……小さいため、気休め程度にしかならないだろう。
「指輪……私に?」
「あぁ。もう後は市民へのお披露目だからな。細やかな決まりもない」
いちおう、晩餐会は公式行事だがアクセサリーの決まりはない。だから指輪を身に着けていても怒られはしないだろう。
「まぁ、聖一教も絡んでいる儀式の手前、あまり派手なものは控えたから……地味かもしれないが」
王族同士の結婚なんてこんなもんなんだろうけど、結婚することより女王として戴冠させることが重視されているし、宣誓とサインだけで「はい結婚成立。今から夫婦ね」っていうのも、味気ないとは思ってたんだ。
俺はロザリアの左手を取って、薬指に指輪を通す。
「『余』は君を特別扱いしない。けど『俺』にとってロザリアは特別だから」
「えっ」
ロザリアが帝都に来なかったら、俺と会っていなかったら。今の俺はなかったかもしれない。
あるいはロザリアがベルベー王国の利益のみ追求するタイプだったら、俺は早々に演技が見破られ宰相らに排除されていたかもしれない。
ロザリアが婚約者で良かった……ずっと俺はそう思っている。だが皇帝の俺は、そんな彼女を特別扱いできない。ただまぁ、これくらいは許されるだろう。
指輪は、ロザリアの薬指にぴったりと収まった。ちゃんとサイズも測って作ったとはいえ、なぜかホッとした気持ちになる。
「……どうかな」
ロザリアは、驚きの表情で固まったままだった。
「……あの、ロザリアさん? 黙っていられるとものすごく不安になるんですが」
指輪の渡し方、良くなかっただろうか。急に愛の言葉とか囁いても、変に勘繰られる気がしたんだが……何か考えておけば良かったかな。
するとロザリアは、慈しむように右手でそっと指輪を撫でた。……良かった。受け入れてくれたらしい。
「あまり甘やかさないでいただきたいのですわ」
彼女は小さく呟くと、顔を上げ笑顔で言った。
「ありがとうございます、陛下。一生、大切にさせていただきますわ」
……甘やかす? そこまで言うほどだろうか。
俺としては、大したことできずに申し訳ないなと思うばかりなんだが……。
それからしばらくして、馬車が停車した。扉がノックされ、ティモナによって馬車の扉が開けられる。
広場に着いたらしい。これから市民に、結婚の報告と新女王のお披露目をする訳だ。
馬車から降りれば、もう公務だ。俺もロザリアも皇帝と女王として振る舞う。
「御手をどうぞ、女王」
「ありがとうございます、陛下」
それでもロザリアの笑顔は、社交向けのものではなかった。どこか年相応のあどけなさの残る、そんなまぶしい笑顔だった。




