【閑話】時間稼ぎの決闘
──奴を討ち、我らに勝利をもたらすがよい。
それが前世で友人だったかもしれない男、帝国皇帝カーマインの命令だった。
オレたち転生者は、記憶に欠損を抱えている。それはもう、戻ってこない可能性が高い。オレも、自分がクロムラレイジという人間だったことは覚えているが、その人生については半分も覚えていない。
だから、あの男が本当に友人だったのかは確かめる術がない……が、あの男といるとなぜか懐かしさを覚えるのも事実だ。記憶がないのに懐かしさというのもおかしな話だが、悪い気はしないのだからいいだろう。
それに現状、お嬢様にとってもっとも最適な主君がこの皇帝であることも事実だ。転生者故に、この世界の先入観……女性の貴族当主に対する忌避感がない。オレ個人の感傷とは別に、お嬢様のためにも、あの男に従うことに異存はない。
だから敵の転生者との一騎討ち、オレはこの命令を喜んで受けた。
「クローム卿、陛下より話は伺いました」
……しかし、お嬢様は思うところがあるらしい。
「はい、お嬢様。陛下より転生者を討てとのご命令です」
増水したエンヴェー川を背にした敵……傭兵とテアーナベ連合軍残党による連合部隊。それと最前列で向かい合っていたのは当家……ヌンメヒト女伯家の兵たちだ。
普通、皇帝の本隊の前に立つ部隊は、使い捨て同然の存在か信任されているかのどちらかだ。そして我々の場合は後者らしい。
「敵は自ら退路を断っているとのことです。白兵戦は極力避けられますよう」
「陛下からもそう命令は受けています。通さなければそれでいいと」
皇帝とお嬢様は、利害関係が一致している。お嬢様は自分の存在を認めてくれる皇帝が都合よく、皇帝にとっても他に女性当主を認める皇族や周辺国が出てこない限り、お嬢様は裏切る可能性が低い貴族だ。相対的に、他の貴族より信用できる。
お嬢様は、貴族の女子として生まれた。そしてこの世界では一般的に、貴族の女性は政略結婚で貴族の妻となり、そのまま一生を終える。そんな常識を批判するつもりはない。だが、そんな風に誰かに決められる人生を、お嬢様に生きて欲しくはなかった。
せっかく転生したのだから、今生では諦めない……それがオレとお嬢様の約束だからな。
「何を吹き込まれたのかは知りませんが、無理はしないでください」
本来、女性当主などという存在は暫定的に認められるに過ぎない。だから、お嬢様が「貴族の娘」や「貴族の妻」ではなく、「貴族」として確固たる地位を固められるかは正直言って賭けだった。
それでも、お嬢様と二人、兄弟らに悟られないよう少しずつ準備を進め、即位の儀を契機とした混乱に乗じて兵を挙げ、兄弟らを下して伯爵家を制圧して皇帝派についた。それまでも、そこからの戦いも、楽なものは一つもなかった。
そしてお嬢様は賭けに勝った。皇帝はお嬢様の存在を認めた。ここまで、本当に長かった。
……そうやって少し油断していたところに、今回の友軍総崩れだ。そして敵の転生者、さらに背水の陣……本当に厄介だな、転生者というものは。
だが、お嬢様の安寧を脅かしうる芽を先に摘む戦いと考えれば、俄然やる気もわいてくる。
「ご安心ください、お嬢様。少し発破をかけられただけです」
皇帝はオレをヌンメヒト女伯の従者と呼んだ。そう呼ばれた以上、オレは負けられないしかっこ悪いところも見せられない。
……そこまで分かってて言ってそうな辺り、あの男はズルいな。そしてそういう人間を、前世のオレは知っていた気がする。
「ちゃんと帰ってきてね」
「お嬢様、ここは表です……ですが、分かっています。私はお嬢様の従者ですから」
※※※
銃の射程が届かない距離で見合う両軍……その中央で、オレは例の転生者と対峙することになった。
「遅かったですね。ですが……帝国には碌な兵がいないと煽ったこと、まずはこれを謝罪いたしましょう」
そう聖一語で話しかけてきたこの男は、そうやってさっきまで帝国軍を挑発していたらしい。しかしこれだけ距離が離れていれば、何を言っているかなど聞き取れない。無駄なことをしていたものだ。
「我は皇国騎士、『一騎当千のヴァルケ』。アウグスティーヌス・フォン・ヴァルケである」
……戦う前に、一度整理だ。
我々は今、敵には別働隊がいると考え、それを先に潰すために動いている。そして眼前の敵は退路を自ら断った……退路のない敵は戦う以外の選択肢がなく、死に物狂いで抵抗するだろう。
対してこちらは敵地での戦闘、少しでも兵の消耗は抑えたい。
「神よ、エーチよ! ご照覧あれ!!」
つまり最善手は敵の別働隊を撃破し、その情報で敵軍を動揺させてから叩く……これだな。
だとすると、敵の抵抗手段を減らすためにも魔力は枯らしてしまった方が良い、か。
「さぁ、あなたの名乗りを」
ヴァルケとかいう転生者の言葉に、オレは簡潔に答える。
「名乗りはいらない。面倒だ」
そもそも、帝国式の一騎討ちの作法は詳しく知らないからな。それに……。
──あぁ、それと。向こうは一騎討ちをご所望らしいが……余の命令は「アレを討て」のみだ。
皇帝からの命令は目の前の転生者の殺害、そして軍全体での勝利。そのためには、友軍の士気が下がらない範囲で卑怯な手を使ってもいい、そういう指示だからな。
……よし、勝ち方は決めた。一騎討ちには乗ってやるが、個人の戦いに名誉はいらない。
「いくぞ、傭兵。戦闘開始だ」
「【愚者の迷宮】」
オレは空中にワープホールを展開し、その先に用意してあった大量の剣を敵に降らせる。
上空から降り注ぐ剣に、相手は防壁魔法を展開した。
「なんかどっかで見た攻撃だな!」
何度か皇帝に「ズルい」と言われたオレの空間魔法。だが実のところ、この魔法にはそれほど自由度はない。オレが使える空間魔法はたった二つだ。事前にマーキングした位置とのワープホールを繋ぐ魔法【愚者の迷宮】と、どこに繋がっているか分からない出鱈目な空間に繋ぐワープホールを作る魔法【賢者の牢獄】、空間魔法はこれしかない。
正確にはマーキングした座標と繋げば【愚者の迷宮】に、座標を参照しなければ【賢者の牢獄】になる。正直言って、移動用に使うのがメインの欠陥魔法だ。座標の設定にも魔法を使い時間がかかる点、自分がワープホールの向こう側に行けば維持できずに消滅してしまう点、さらに長時間の維持には膨大な魔力を消費する点……他にも色々と欠点の多い魔法だ。
それをどうにか攻撃用に転用したのがこの攻撃だ。結局のところ、大した攻撃ではない。
「大した速度もなく、剣も安物か。こんなものかい?」
当たり前だ。そう何本も高価な剣を揃える金が有ったら、お嬢様の鎧や武器の強化に回している。
剣の速度も、何も手を加えなければ自由落下任せだしな。
「だがお前の魔法を観測することはできる。物理耐性にも振った防壁魔法か」
オレはまるで、初めて知ったかのように言葉を投げかける。
「あぁ、そうさ。『一騎当千』の『鉄壁』と『不可視の斬撃』……僕に挑むからにはそのくらいの情報、あって当然だと思うけど」
……別にこの転生者の存在は知らなかったが、どうやらコイツは自分の知名度に自信があるらしい。
実際は、コイツの魔法について語り部の犬から情報を得ている。まるで二つ得意魔法があるかのように言っているが、コイツの得意魔法は【防壁魔法】だけだ。
この【防壁魔法】というものは、魔法使いにとってもっとも基本的な魔法であり、同時に色々と応用が利く便利な魔法だ。それ故に、術者によって千差万別といっていいほど違いが生まれる。
不可視の障壁を作る人もいれば、実際の盾を模した障壁を作る者もいる。魔法しか防げない物もあれば、ある程度剣などの物理攻撃も防げる物もある。そういった性質ごとに別の魔法として区分する人間もいるらしいが、その定義は未だ曖昧だ。
共通するのは、「攻撃を防ぐ壁を生み出す魔法」であるという一点のみ。だから色、厚さ、大きさ、性質……それらが全て共通することの方が少ない。
イメージによって魔法を生み出す魔法使いにとって、その術者が咄嗟に思い浮かべる「防壁」のイメージは、「【防壁魔法】を見れば術者の魔法の傾向が分かる」と言われるくらいに分かりやすい。
だから、咄嗟に別種の【防壁魔法】を使い分けられる変態は、実のところそれほど多くない。そしてこの敵は、そういった変態の類ではないらしい。
「いや、私が戦場に出るようになってから、そんな傭兵は聞いたことがないな。ひょっとして、ここ十年くらい活動を休んでいたのか? だとしたら聞き覚えがないのも納得できる」
敵の情報はある。だが、オレはそれを知らないふりをした。するとヴァルケはオレの挑発にあっさりと乗り、例の『不可視の斬撃』を放った。
「へぇ、なら今日から知ることになるよ。ま、君以外はね!」
「【賢者の牢獄】」
オレは敵の攻撃に合わせ、もう一つの空間魔法を放つ。
こっちは未知の異空間へと繋げる魔法だ。その先の空間は、オレには制御できるものではない。空気もなく、魔力もない……そんな空間だ。何度か自分なりに検証してみたが、その広さも強度も底が見えない。少なくとも、どれだけの魔法を叩き込んでもダメージが入っているようには見えなかったし、広さについては……無限ではないかと思えるくらいかもしれない。あと、魔力がないからこれで取り込んだ魔法は、この異空間の中で魔力不足により急速に消滅する。
さらに、どうやら異空間側のワープホールは毎回同じ場所にできるわけではないらしい。少なくともこれまで、異空間に取り込んだ物と再びお目にかかれた経験はない。
「これで死ぬから、と言いたかったのか。空気を読めずにすまないな」
敵の『不可視の斬撃』……事前の情報通り透明な防壁魔法による攻撃だったそれは、開かれたワープホールへと吸い込まれていく。
「薄い防壁魔法を刃物のようにして飛ばすだけの攻撃か。こんなものか?」
オレが挑発すると、ヴァルケはまたすぐに反応した。
今度は、防壁魔法の飛んでくる軌道が【賢者の牢獄】を避けるように曲がって飛んでくる。
……こういう軌道の変化球、なんて名前だったかな。
「曲げるために速度を犠牲にしたら意味ないんじゃないか? 避けられるぞ」
もっとも、これすらも事前情報で得られているのだが。
デフロットの義眼は、オレも詳しくは知らないが……おそらく、見るだけで魔法やその痕跡から魔法の規模や性質を読み取るものだろう。ボキューズ子爵が先に一騎討ちをした際に得られた情報は、ほぼ相手の技量を丸裸にしていると言っていい。
……なら自分で戦えとも思うが、アレはそういう奴だ。自分たちは安全な場所に居たがる、クソったれが『アインの語り部』だ。
そんな事前情報を踏まえ、何度か自分でも魔法を受けてみた感想として、ヴァルケの攻撃には粗が多いように思える。軌道に変化を加える場合は速度が落ちるし、その発射位置も自分の近く……というより、本来防御用に展開する位置にしか展開できないようだ。
まっすぐに飛んでくる場合も、その速度は目を凝らせば避けられる範囲だ。さらに、透明とはいえど反射や歪みで、目を凝らせば飛んでくる防壁には気が付ける。
本来防御用の魔法を無理やり攻撃に転用しているからか、その攻撃には、あまりに弱点が多い。
「そういうあなたこそ、安物の剣を降らせるだけですか。攻撃にすらなっていませんよ」
今度は余裕を見せつけるかのようにヴァルケはそう言い放つ。
実際、攻撃については弱点が多いこのヴァルケという男だが、一方で防御能力については確かに優秀な魔法使いだ。
魔法攻撃・物理攻撃にも対応した強固な防壁を、幾重にも展開する……話によると、その防壁魔法は、至近距離からの銃撃も斬撃も防いだという。
それが事実ならかなりの強度だ。はっきり言って、この守りを抜くのは骨が折れる。
「攻撃ではないからな。【愚者の迷宮】」
「そう何度も……んなっ!」
オレは頭上から剣を降らせると同時に、地面に転がっていた無数の剣を一斉に操作して飛ばす。
魔法はイメージによって個人差が生まれる。よって、特定の魔法の得意不得意は、その魔法使いの力量には直結しない。あの男は自分の魔法以外を魔力で『操作』する魔法は全般的に苦手だと言っていた。物を持ち上げる、物を動かすといったシンプルなことができないらしい。一方で、もうすぐあの男の妃になるヴェラ=シルヴィ嬢は大砲すら容易く持ち上げる。
オレの場合は、二人の間くらいといっていいだろう。皇帝よりは得意だが、ヴェラ=シルヴィ嬢には到底及ばない……正確に言えば、一度手で触り、その構造を理解している物の操作は苦ではない。そして剣は、全てお嬢様に頂いた屋敷に置かれた、オレの私有物。
上空からの攻撃に気を取られていたのか、地を這うように飛んで行った剣は、ヴァルケが周囲に展開していた防壁魔法に深々と突き刺さった。
……いや、これは奥にあるもう一枚に阻まれたのか。やはり多重構造だな。
「どうした、そんな表情を浮かべて……まさか、この程度で焦ったのか」
再び挑発すると、目の色を変えてヴァルケは攻撃をしてきた。
※※※
それから何度か、斬撃は飛んできた。俺はそれを適度に防いだり避けたりしつつ、時折反撃をする。
なるほど、確かに防御と攻撃を同時にやっている辺り、一度に展開している防壁の数はかなりのものだ。その時点で、魔法使いとしての力量はかなり高いのだろう。
だが、工夫はそれほどしていないようだ。防壁については、鋭利な刃物のようにはなっているが、サイズの変化は見られない。どれも同じサイズだから、予測で躱しやすい。
実際、この世界の魔法はサイズを大きくするのにも、小さくするのにも追加で魔法を制御する必要がある。それを咄嗟にできる人間はそうはいない。
つまり、この男は現状でもそれほど余裕がないということだ。……底が見えるというだけで、まったく恐怖はないな。
とはいえ、こちらも決定打は与えられそうにないし、向こうの攻撃もそうはなり得ない。しかし表情から見るに、こちらとは違い向こうは本気で殺そうと攻撃しているらしい。
転生者は優秀な魔法使いが多いというが、それでもこの程度か。
「やはり、私が弱いのではなくあの男が異常なだけだったか」
かつてオレは、皇帝を殺そうとしてものの見事に返り討ちにあった。それも、相手は最初っからこちらを説得するための、威嚇としての攻撃……それに完封された。
底が見えなかった。おそらくだが……あの男は転生してから、まだ本当の意味で魔法を全力で使ったことはない。
あの男の魔法に対する才能は、彼の前世が関係するものではない。魂や精神によるものではなく、あの肉体の方に眠っていた才能だ。それはこの世界に転生して、歴史を少し学べば理解できる。
支配者層である戦士階級の大半が魔法使いだった時代より、魔法の才能とは力の象徴であり、権威そのものだった。魔法使いを支配するために、君主は彼らより強い魔法使いになる必要があった。
そして魔法使いの才能は遺伝する。だから君主たちは我が子がより強い魔法使いになるよう、優秀な魔法使いを積極的に伴侶へと迎え入れてきた。
養子・養女の制度も、優秀な平民が騎士として準貴族の地位に迎え入れられるのも、元は優秀な魔法使いの血統を支配者層が取り込むための制度だ。
そしてあの男は、皇帝だ。何度か断絶している皇国とは違い、ロタール時代から続く皇帝の一族は、何十世代と重ねてきた魔法使いの血統だ。つまり、皇帝の肉体には偉大な魔法使いになり得るポテンシャルが秘められていた。ただ、直近の数世代はそのポテンシャルを発揮する機会がなかった。
だが当代の皇帝は転生者だ。そして転生者は、その肉体が魔法を知覚できるのであれば、前世との感覚の差から魔力の存在に気が付ける。転生者のほとんどが魔法使いである理由はおそらくそこにある。
それこそ聖一教が伝来する以前に生まれていたら、その魔法の才だけで国を支配できただろう。だが「戦士」が「貴族」になり、魔法の才よりも血統の「貴さ」が重視される現代では、魔法の才だけでは支配できない。
そういう意味ではあの男、生まれる時代を間違えているな。
「一騎討ちの間に考え事とか、舐めてんのかって」
「そうだが?」
実際はそこまでではないが、さらに挑発を重ねる。そうすると、あまりにあっさりと乗ってくる……このヴァルケとかいう転生者、薄々感じていたが精神年齢が低そうだ。まるで子供の癇癪のような攻撃……もしかすると、前世では若くして亡くなった転生者かもしれない。だとしても、ここで殺すことには変わらないが。
「さっきから避けてばかりだなぁ!」
魔法は普通、空気中の魔力を消費して発動させる。よって魔法使いの優劣の差は、大きく分けて出力と制御の二点で決まる。
出力はどんな魔法を生み出せるか。これは得意魔法が人それぞれ違う以上、簡単には比較できない。一方で、制御については比較がしやすい。魔法を発動するまでの時間、魔法のコントロールなど……そしてこのヴァルケという男、制御についてかなり拙いのは間違いない。
自身の周りに展開した防壁魔法……これが必要な時に展開するのではなく、常に展開状態で維持しているのは、その展開速度と正確性に自信がないからだろう。
攻撃に転用している防壁の軌道も、八パターンくらいが限界。それも、軌道を曲げる場合、複数の防壁を同時に飛ばすと、定期的に制御に失敗し、空中で防壁同士が衝突している……その失敗を誤魔化すためか、むきになって攻撃してくるから分かりやすい。
「総じて不器用だな」
思わず漏れた言葉が、どうやら相手にとっての地雷に等しいものだったらしい。
「死ね」
そして飛んできた防壁魔法は空中で無数に分裂した。
「当たっちゃったねぇ」
細かく分裂した防壁、その全てを捌き切ることができず、体中に被弾する。だが一つ一つが小さくなっているおかげで、傷はどれも浅い。
なるほど、これは事前情報にもなかった魔法だ。
「避けなかったの? 避けられなかったの?」
「こんな浅い傷で喜べるのか。幸せだな」
なるほど、これは確かに良い魔法だな。出血すれば人間のパフォーマンスは明確に落ちる。治療せずに放置すれば出血多量で死ぬかもしれない。だから即死させるより、むしろこの魔法の方が多くの敵を戦場から離脱させられるだろう。
即死させるより治療ができそうなくらいの重傷の方が、敵への攻撃としては効果的だ。
だが……やはりこれが奥の手だとすれば、どうしても違和感が拭えない。
「もういっちょ!」
確かにコイツは手数が多く、守りも堅い。だが、それだけだ。オレはごく小さな防壁魔法をいくつも正確に制御し、光線を完璧に反射させ続ける変態と戦ったことがあるのだから。やはり脅威には思えない。
「【賢者の牢獄】!」
というより、明らかに一騎討ちに向いた魔法ではない。その見えづらい攻撃という性質を生かすなら相手の不意を衝く奇襲向けの魔法だ。あるいは、敵隊列に対する範囲攻撃向きだろう。
それも、一昔前の重装騎兵の時代には通用しなかった可能性が高い。銃火器の登場により、機動力を重視し、防具が軽くなったこの時代だから活躍できる魔法だ。
……あぁ、そういえばこの男、自分で『一騎当千』と名乗っていた。確かに、対抗手段のない一般兵相手なら、千人くらいは戦線離脱させられそうな魔法だ。
だとすると、なぜコイツはここで一騎討ちなんかやっている? ただの人選ミスならいいが……。
※※※
「あれ、もう魔力切れ?」
しばらく攻撃を捌いていると、ようやく魔力が枯渇しつつあることに気が付いたらしい。
オレたちは空気中の魔力を使い魔法を使う。そして魔法を使い過ぎると空気中の魔力が低下し、魔法が使えなくなる。それがこれまでの、この世界の常識だった。
「全く、途中から防戦一方だったね、君」
「【賢者の牢獄】を維持し続けていたからな」
魔力は、均一の濃度を保とうとする性質がある。だから魔力の多い空間と少ない空間がつながった時、多い方から少ない方へ魔力が急速に流れ込む。そして俺の【賢者の牢獄】で繋がる異空間は、魔力すら存在しない空間だ。つまり、開くだけ周囲の魔力を大量に取り込んでしまう。
その取り込んだ魔力はすぐに霧散する。異空間が広すぎる故に、知覚できないほど濃度が低くなってしまう。自分で再利用できない以上、めったに役に立つ特性ではない……だがその場の魔力を早く枯らしたい時には便利な魔法だ。
「【愚者の迷宮】」
オレは最後の魔力で、手元に小さなワープホールを空ける。取り出したのは、起動中の魔道具だ。
「見誤ったね。僕はずっと防御しながら攻撃していた。だから上手く攻撃できなかったのさ。けど、守りがいらないなら!」
オレは大きく下がり、ヴァルケから一気に距離を空ける。
「逃がすか! 全部ぶち込んでやるよ!」
魔力が枯渇すれば魔法は維持できない。そうなれば、防壁を維持できない。そしていっそ消えるなら、その『防御』を『攻撃』に回す……ごく普通の思考だ。
「普通が相手で良かった……『結界解除』」
本当によかった。空気中の魔力がなくなったら代わりに体内の魔力を放出するなんて、そんな芸当ができる人間が相手なら、オレに勝ち目はなかっただろう。
「全部ぶち込んでやるよ!」
防御に秀でた相手だ……半端な傷では逃げられる。だが皇帝の命令は「討て」だった。だから、確実に殺すために……その防御がなくなるこの瞬間を待っていた。
「いけぇっ!」
解除された『封魔結界』から流れ出る魔力で、魔法を練る。相手の攻撃より後に出しても、先に相手に届く……そんな出鱈目な魔法を。
感覚で使っている本人は知らないだろう。そして余計な情報を与えるとイメージが変化して威力が下がる可能性があるから言わないが……これは「『火属性』の概念を付与した『熱エネルギー』の圧縮投射」なんて生易しいものじゃない。
本人にとっては『火属性』のつもりだろうけど、オレには全く違うものに見える。あれはもはや『融解』だ。物体を熱で溶かす、『融解』の概念を光速で叩きつける……そんな出鱈目な魔法にしか見えない。
それを模倣しても、威力は遥かに届かない。鎧を一瞬で溶かすことはできない……それでも、無防備な首辺りなら蒸発させられる。
「『皇帝灼光』」
「え」
光が貫いた。そして飛来していた防壁魔法は制御を失い、消滅した。
……まったく。いったい、何万度をイメージしたらあんな威力になるんだろうな。
背後で、大地が割れんばかりの歓声が沸き上がる。一騎討ちに勝ったということになるのか、これは。
……やったことは騙し討ちに近かったが、友軍にはこの距離からでは分からないか。
「ここまで士気が上がれば、そう簡単には崩れないだろう」
味方の指揮は上がり、敵の指揮は下がる。十分に時間は稼いだし、あとは楽な戦いになるはずだ。
「俺たちの勝ちだ」




