前方への脱出とエンヴェー川の対陣
どうやら俺は、数時間ほど寝ていたらしい。
「起きたか」
俺は横になっていたソファから身を起こす。だんだんと、頭がはっきりとしていく。
「意外と縁起ってあるのかもしれない」
「起きて早々なんだいきなり」
思い起こせば、完全にフラグは立っていた。貴族に突き上げられるがまま出兵を決め、勝ってもないのに勝った後の会談の話をし、まだ終わっていないのに勝利を確信して独断専行を見逃した。
というか、あのドズラン侯が参加していない時点でもっと怪しむべきだった。完全に俺も油断してただろ、これ……。
あとカーマイン丘。俺……確かあの丘にそう名付けて、直後にガーフル騎兵の襲撃受けてなかったか。もはや呪われてるだろ、あの丘。
……まぁ、縁起の話は冗談だが。
俺としても、状況の整理がついた。そしてここからやるべきことも。
「ティモナ、宮中伯、状況は」
「この部隊は被害はありません。現状でも、我々は二万の兵を動かせます」
本隊の二万は最後尾をつけていた。だから背後で起きた反乱軍が、すぐに俺たちを攻撃しようと動いていれば、既に捕捉されていてもおかしくない。それがないということは……反乱軍はまだ蜂起しただけか。
「他は?」
俺はそのまま、宮中伯とティモナからの報告を受けていく。
まず左翼だが、旧摂政派貴族の多かったここは、反乱の知らせを受けた直後に多くの貴族が撤退を決め込んだらしい。一方で、マルドルサ侯など一部の貴族はその場で部隊を再編中だと思われる。
次に中央部隊だが、これは最悪の知らせである。突出した彼らは敵部隊の夜襲を受け、現在進行形で敗走しているらしい。ただし、ボキューズ子爵自身はまだ交戦中のようだ。
そして最後に右翼の状況だが……ここの指揮官はラミテッド侯ファビオだ。彼はガーフル共和国軍の攻撃を受け、既に敗走しているらしい……ただし、東へ。
「まさかガーフル共和国領へ逆に侵入するとはな」
テアーナベ連合東部の攻略を目標にしていた右翼は、なんと「北から」ガーフル騎兵に襲われたとのこと。そこでファビオは、そのまま右翼をまとめ上げ、東にあるガーフル共和国へ侵入したとのこと。そしてガーフル領を突っ切って帝国へ帰還するつもりとのことだ。
「それと、彼からの伝令で多くのことが分かりました。まず、我々の同盟国であったガユヒですが、ガーフル兵の力を借りた王族のクーデターにより、敵になったと見ていいでしょう。ガユヒの大公は、残念ながら既に亡くなっているようです」
「どうやら東への撤退はガーフル兵も予想外だったようだ。上手く引きつけ、戦いながら撤退していると書いてある……数日はこの本隊までガーフル軍は来ないだろうな」
そう言って、報告を引き継いだレイジーに、俺は聞き返す。
「書いてある?」
「暗号だよ、皇帝軍で採用することになった後、個人的に教えてくれと言われたから教えてたんだ。大量の伝令を放ち、届いたのは一人だけだったが……鍵は私しか知らないものだ。敵に解読されることはない」
そうか、暗号……さっそく役に立ったのか。
「相変わらずついていない男だと思ったが……成長しているな」
さて、これでおおよその情報が集まった。まず、背後の反乱軍はすぐに交戦となる距離にはいない。だが、撤退は厳しいだろう。一方で、正面の敵は不明だが、中央部隊と交戦中、東は十分に時間が稼げている……が、いつガーフル軍が引き返してくるか分からない以上東からの撤退は厳しい。
「西へ退くべきだろう」
「まぁ、普通に考えればそうだな」
そうだ、西は空いている。今から西進すれば、簡単に撤退できる……本当か? ならなぜ、左翼は撤退している?
俺が敵だったら、この一連の襲撃を描いた黒幕だったらどうするか……決まっている。罠に追い込んで皇帝を殺す。
「西は罠だろう」
俺が口を開く前に、ぺテル・パールがそう言った。
「やはりそう思うか」
「あぁ。誘われているようにしか思えん」
うん、俺も怪しいと思う。というか、そもそもこの状況、たぶん作り上げたのはテアーナベ連合じゃない。
かつてテアーナベ連合は、黄金羊商会の指揮のもと、帝国軍と戦わずに領内に引き込み、そして撤退させた。だがその時、領主であるテアーナベ連合の貴族たちはこの戦法に猛反発し、その結果、黄金羊商会はテアーナベ連合から追い出された。そんな連中が、自分たちが嫌った戦法をするだろうか……それもわざわざ、主力部隊を会戦で大敗させてまで。
俺がテアーナベ連合の指揮官なら、会戦前に反乱を起こさせる。その時点でも帝国は退路を塞がれることになっていたのだから。
「では、どちらに」
西は罠だとしたら論外。南の反乱は伯爵らがどれくらい準備し、何を目論んでいるか分からない以上、西よりも危険かもしれない。そして東は最悪ガーフル軍との全面戦争……大陸最強の一角といわれるガーフル軍に、事前準備もなく挑みたくはない。
そうなると、残る方角は一つしかない。
俺は居並ぶ面子を見回す。ぺテル・パール、サロモン、ヌンメヒト女伯、歴戦の勇士といっても過言ではないメンバー。これなら、いけるな。
「前へ……つまり、北だ」
正面突破だ。それで道を開く。
その後、北上した本隊二万は、ジェロウ市という都市を無血で攻略。そして接近していた敵部隊を迎撃すべく、エンヴェー川という川まで接近していた。
都市を無血で落とせたのは、オリエール=ラ・サント=ルジェでの『敵の壊滅』が、本当に比喩ではなく致命的な一撃だったからだ。この都市に抵抗するだけの戦力がないくらい、テアーナベ連合軍はあの戦いで壊滅していたらしい。
俺はもう、今回の出征における目標を変更することにした。どれだけテアーナベの兵力が瓦解していても、二万の兵力では全土の平定は無理だ。だったらもう、今回の遠征は失敗したものとして、別の目的に切り替えた方がいい。そこで俺は、二つの目標を立てた。
一つは「勝ったように見える負け方」だ。つまり、戦闘で負けて帝都に帰るのでも、なんの成果もなく逃げるのでもなく、野戦で勝ったり、都市を落としたりして、そういった成果を積み上げて秩序ある撤退を完遂する……これを目標にするのだ。
もう一つは、次のテアーナベ連合討伐が成功するような「仕込み」を行うこと。もう今回は平定が無理なら、次の平定の時に拠点となるような都市を確保して、それを成果として帰還したい。
つまり、今回の出征目的を「平定」から「攻撃」に切り替えるのだ。
「テアーナベ連合軍ではなく、傭兵か」
北へ進んだ結果、接敵した敵部隊……それを目視で確認できる距離まで近づいた俺たちは、行軍隊形を解き、戦闘隊形へと移行しているところだった。そこで俺たちは、ある男と合流していた。
「はい。そして彼らこそ、シュラン丘陵でラウル僭称公の代わりに部隊を指揮し、強固に抵抗させた傭兵部隊です」
そう話すのは、盲目の元聖職者……デフロット・ル・モアッサンである。彼は壊滅した中央軍の残存部隊、ボキューズ子爵率いるエタエク伯軍にいたようだ。そして戦闘の中で重傷を負った子爵を治療していたところ、接近する俺たちに気が付いたらしい。
「ボキューズ子爵の容態は」
「一先ず、一命を取りとめております。脈も安定しました」
俺たちは今、ジェロウ市に五千の兵を残し、一万五千の兵を引き連れている。この部隊で、正面に見える敵を撃破することが今の目標だ。
「そうか、なら都市へ撤退させよ」
部隊を突出させ、敵の攻撃で壊滅した。自業自得な部分もあるが、命がけで戦ったのも事実だ。それに、兵士に罪はない。彼らは都市まで撤退させ、少しでも休ませるべきだろう。
「陛下、確かに子爵は部隊を壊滅させる失敗を犯しました。しかしそれに見合うだけの収穫を得ております」
「収穫?」
「陛下、レイジー・クロームをお呼びください」
転生者です、と彼はいった。
「白龍傭兵団、彼らはそう名乗っております。その副団長が転生者です」
「副団長? 団長ではなくか」
はい、とデフロットははっきりと答える。確信を持ったこの感じ、本当に調べはついているらしい。
「名前はアウグスティーヌス・フォン・ヴァルケ。魔法使いです」
「ちょっと待て、名前まで分かるのか」
「はい、彼とボキューズ子爵は昨晩、一騎討ちを行いました。彼の傷はその戦いで負ったものです」
そういえば、皇国には一騎討ちで名乗る文化があったな。
なるほど、だから名前まで判明しているわけだ。
「それで? 『アインの語り部』は彼の殺害を許すのか」
「陛下のお命を最優先に、との指示が出ております」
最近見ていないと思ったら、どうやらデフロットは長いこと、シュラン丘陵で僭称公亡き後も敵が士気を保っていた理由を調査していたらしい。
「その正体が、転生者だと」
「おそらくは」
そしてデフロットは、敵軍の方を指差した。
「なるほど、確かに部隊の前面に、一人だけ突出している……あれが転生者か」
レイジー・クロームの言う通り、如何にも一騎討ちを所望してそうな男が一人、敵軍の先頭に立っていた。
「彼が得意とする魔法は【防壁魔法】です。薄く鋭いその魔法を刃物のように攻撃にも転用することで、不可視の斬撃として使用しています」
「そこまで分かるのか!?」
俺が思わず驚きの声を漏らすと、デフロットは閉じられたままの自身の目を指差した。
「私の義眼は、そういうのも見れます……疲れるので長い時間は使えませんが」
出鱈目な魔道具……オーパーツか。
「つまり、私にアレを一騎討ちで倒せと」
「えぇ……可能な限り、私が見た情報を教えます」
そうして俺たちが情報共有をしていると、今度はぺテル・パールが馬を走らせ駆け寄ってきた。
「どうだった」
俺たちが向かい合っている場所は、なだらかな平地になっていてほとんど敵の数や布陣が分からない。そこで俺は、近くの高台にアトゥールル族を走らせ、偵察してもらったのだ。
「今描く」
そう言うと、彼は矢筒から矢を一本取り出し、その場の地面に地形と敵の布陣を描いていく。
「川は半円状、敵の左右と背後を囲うようになっている。それと、先日の雨で川は増水していて渡れそうもない。しかし敵は、唯一の橋を自分たちの手で破壊している」
「背水の陣か。敵は死ぬ気で戦うつもりらしい……傭兵なのに見上げた根性だ」
レイジー・クロームのその言葉に、俺は何か引っかかった気がした。だがその違和感の正体を掴めぬまま、俺はぺテル・パールに尋ねる。
「敵兵数はどのくらいに見えた」
「最低五千、最大八千の範囲だと思う。それと、中核は傭兵らしかったが、テアーナベ兵の生き残りらしいのもかなりいたぞ」
「確かに、混成部隊なら背水の陣は意思統一がしやすそうだな」
レイジー・クロームの言葉も、間違っていない。撤退できず、戦うしかないなら指揮系統も何もいらない。
「デフロット! 昨夜の敵兵は?」
「一万近くはいたように感じましたが……八千かもしれません」
正面戦力は実際の敵兵数より少ない可能性がある……陽動か。そういえば本来の背水の陣もそういう戦法だったな。
まずい……既に戦闘隊形を組んでいるせいで、この場に動かせる指揮官がいない。皇帝軍を除けば一番兵力の多いヌンメヒト女伯の部隊は、最前列で既に敵と向かい合っている。デフロットは念のため置いておきたいし、ぺテル・パールか……いや、それこそ遊撃隊として手元に残したいな。
「……ティモナ、至急予備兵力三千を率いてジェロウ市へ向かえ。決して市内には入らず、敵の別働隊を撃破しろ」
仕方ないが、ここはティモナだな。護衛は近衛やサロモンがいて足りてるし、ティモナなら功を焦って余計なことを……なんてこともないだろう。
これで敵の狙いが都市ではなく、俺の首だった場合もアトゥールル騎兵を残しておくことでカバーできる。
だが、俺の言葉に対し、暫く待っても返事がなかった。
「……ティモナ?」
俺の命令が聞こえていなかったわけではないだろうと振り返ると、ティモナは冷ややかな目で俺を見ていた。
「陛下、私はシュラン丘陵での一件を思い起こしております」
「……え? お前まだアレ根に持っていたのかよ」
確かに俺は、夜襲の前に「私が近くにいる時は無茶して良いですよ」的なことを言われた後、シュラン丘陵での戦いの際はティモナのいないところで突撃したが……え、お前本当にまだ引きずってるの。
「小さい男はモテないぞ」
「嘘つきに言われたくありません」
……てぃ、ティ、ティモナが反論した!? これが反抗期ってやつか!
「なぜお前は感動しているのだ」
レイジー・クロームが引き気味に突っ込んでいる。
無理もない、こいつはティモナが反抗することの希少性が分かっていないんだ。
だがまぁ、今回は本当にティモナが必要な場面だ。俺が信用できる指揮官として、働いてもらわなくては。
だから俺は、笑顔でこう言った。
「思い出せ、ティモナ。俺はその時、否定も肯定もしてないぞ」
それから長い沈黙の後、ティモナは小さく頷いた。
「なるほど。では行って参ります」
「あぁ、頼んだ」
ティモナも、その場面を思い出したらしい。まぁ、あの時はシリアスな話してたからな。まさかそのどさくさに紛れて誤魔化されたとは思わなかったのだろう。
「別働隊か?」
ぺテル・パールの言葉に、俺は頷く。
「あぁ。実戦で使われた戦術としての背水の陣は、別働隊による敵背後にあった拠点の攻略とセットだった」
あの国士無双、韓信が井陘の戦いで使った戦術だ。確か敵より兵力が少数で、尚且つ練度も低かった韓信は、本隊には川を背にさせ退路を断って死力を尽くさせ、その隙に別働隊で敵の城を落としたんだ。……こんな戦いの名前まで覚えているのか、この記憶は。
まぁともかく、相手が転生者ならそこまでやってきておかしくない。
やがてティモナが本陣から離れると、レイジー・クロームが再び口を開いた。
「最低だな、お前」
「随分と不敬な物言いだな、ヌンメヒト女伯従者、クロームよ。罰としてあの如何にも一騎討ちを望んでいそうな魔法使い」
俺は、何やら遠くでこちらを挑発しているらしい転生者を指差す。
「奴を討ち、我らに勝利をもたらすがよい」
「ご命令とあらば」
※※※
その一騎討ちは、見応えのある戦いだったと思う。
空間魔法による防御と異空間から射出した剣を操作する攻撃、それに対する攻防一体の防壁魔法。
両者譲らず、目まぐるしく攻防が繰り返される。
「すさまじい」
近くにいたサロモンが呟く。転生者二人の魔法の応酬に、何やら感化されているようだった。
ただ、二人があまりに激しく戦うものだから、周りの兵士たちは交戦することなく、見ていることしかできない。もちろん、銃兵や弓兵で狙撃しようと思えばできるだろうが……それをやると、確実に自分たちの兵の士気が下がる。
敵としてはこの一騎討ちで勝って、背水の陣を敷いた兵の士気をさらに高めたいはず。こちらとしては、死に物狂いで戦うであろう敵と兵同士をぶつけると、手痛い損害を被りそうだし様子を見たい。
「陛下、二人の力量はどちらが上でしょうか」
まるで試合観戦でもするかのようなサロモンに、俺は思わず苦笑してしまう。まぁ、この男はやる時はやる人間だからいいのだが。
「まだ分からん。レイジー・クロームは全力ではないし、敵も奥の手を出していない」
どうせお互い、まだすべての手札を見せていない。転生者ってのは、俺含めて「奥の手」とか好きそうだし。
「ほう、まだ余裕があると!」
二人は派手な戦いを続ける。というか、敵の攻撃で地面がえぐれているから激しそうに見えるだけか、これ。
……敵の転生者が使っている魔法、一対一よりも一対多数向けの魔法じゃないか。一人を殺すためには、無駄が多いだろ、それ。
「敵はなんですぐに決着をつけに行かないか知らないが、レイジー・クロームはこっちのことを考えてくれているようだ」
俺がそうつぶやいたところで、敵の戦法に変化があったようだ。レイジー・クロームが負傷する。
「平気でしょうか」
さすがに観戦モードのサロモンも、味方の負傷には心配をするらしい。
「問題ないさ。むしろ今ので分かった。レイジー・クロームが勝つ」
敵は切り札を使ったが、レイジー・クロームは切り札を使わずにそれを捌いた。ならもう、レイジー・クロームが勝つ。
「ケガする必要はなかったと思うがな。ちょっと慢心したな」
まぁ、勝負の最中に油断してケガするとか、そういうところが懐かしさを覚えるんだけどな。
クロムラレイジ……その名前を聞いても別にピンとこないし、顔も覚えていない。いくら思い出そうとしても、ほぼ全て塗りつぶされてるかのような感覚だ。ただ懐かしさを覚える……うん、意識するようになって分かったが、やっぱりこの記憶はいじられてるな。思い出せないのではなく、記憶がないんだ。
あぁでも、おそらく俺の友人だったそいつは、確か近所の女の子と仲良くて……。
「陛下。伝令です」
宮中伯の声に、俺は現実に引き戻される。
「ティモナか」
「はい。敵別働隊二千と交戦状態に入ったと」
二千か……三千じゃ厳しいか?
……いや、大丈夫だろう。ティモナは勝つ必要がないことが分かっている。堅実に立ち回ってくれるはずだ。敵兵も、別にガーフル兵のように警戒するべき強さはないし。
ん? この感じは。
「そろそろ終わりますね」
サロモンの言葉に、俺は同意する。
「あぁ、魔力枯渇だ」
一筋の光線が走った。それが決着だった。




