側室になってくれますか
「それで、陛下。側室の件なのですが……まずはナディーヌ様とヴェラ=シルヴィ様を娶られてはいかがでしょうか」
……俺今、いい感じにすれ違いが解消できて、結婚しようって話になってたよな。
「この雰囲気でその話をするのか」
「それはそれ、これはこれですわ陛下」
なんだろう、今さっきプロポーズじみた言葉を言ったはずなのにな。
「別に側室はいらないんじゃ……」
「ダメですわ」
……解せぬ。
「いいですか、陛下。陛下が側室をお迎えくださらないと、私が大変なのですわ。今の帝国は男性の皇族がほとんどおりません。一人でも多く皇族が生まれることを諸侯が望んでいる状況で、陛下の寵愛を一人が受けたら諸侯はどう思われるでしょうか。ただでさえ私は他国の女なのですから……」
「……はい」
なんで説教受けてるんだろう、俺。
いや、政治的には側室が必要なのは分かるし、シュラン丘陵に出征した頃からロザリアがその二人を側室にしようとしてたことは分かってたけどさ。それにしてもこう、なんというか。最初の数年ぐらい、正妻だけの期間があってもいいと思うんですよ。
「そんな余裕があったら、陛下は生まれながらに皇帝になっていませんわね?」
「……はい、おっしゃる通りです」
数少ない親族、俺が殺しちゃったしね。もしかして自業自得か。
なんだろうね、この感じ。諸侯からもロザリアからも、遠まわしに「働け種馬」って言われてる気がする……だから結婚って言われた時、無意識に逃げようとしたんだろうな。
俺、前世でたぶん結婚することなく死んだと思うんだ。それがいきなり「妻は三人からスタートです」って言われても、躊躇するのも当たり前だと思うんだ。
「……ロザリア、もしかしてなんだが。既にワルン公とチャムノ伯とは話し合いが済んでいるのだろうか」
「もちろんですわ。お二人に限らず、重臣の皆様に既に根回しは済んでおりますわ」
あぁ、やっぱり。この部屋に送り出されたのは、そこまで済んだ上でか。
……いや、待てよ。その時点ではロザリアは俺からどう思われているのか、分っていなかったよな。
「その時と今では心境の変化があったり……」
「……分かってないみたいですわね」
俺はその日、ロザリアが本気で怒ったところを初めて見た。
とってもすごく理詰めでした。
要約すると、これは感情がどうとかっていう問題じゃないと。本当に国が傾きかねない話題だから、まずその二人を娶れと。それがスタートラインだと。そうしないとまた内乱になるとまで言われた。
その上で、最初の数年で子供ができなければどんどん妻は増えていくと言われた。これは決定らしい。……それは嫌だなぁ。
あと、ナディーヌとヴェラ=シルヴィを側室にしようとしているのは、ワルン公とチャムノ伯の貴族としての力に配慮しただけでなく、ロザリアなりのちゃんとした理由もあるらしい。
まずナディーヌについては、俺に対していざとなれば物怖じせずに意見を言える点をロザリアは評価しているらしい。ロザリア曰く、自分は俺が本物の愚帝に……つまり悪政を敷いたり、私欲で帝国の民を虐殺したりしても、なんだかんだ止められず見捨てられないだろうと。だからナディーヌのように、間違ってると思ったら正面から皇帝相手に批判できる人間は妻に一人必要だと。
次にヴェラ=シルヴィについては、数年間塔に幽閉されても耐えた忍耐力、人の本質を見抜く力、そして人望を評価しているようだ。特に人望は自分以上にあると言っていた。形式上は俺の父親の側室になった身であり、そういう女性がその息子の妻になるのは、普通反対されたり忌避されたりするのだが、そう言った声が一切上がらないのが、彼女の人望の証であると。
この二人は得難い女性だから妻に迎えなさいとのことだ。それも、自分から妻になってくれるよう頼みに行くべきだとまで言われた。
これはまぁ、それもそうだと思った。これから側室になってもらうのに、受け身なのは確かに良くない。
……もう側室を迎えないなんて言えない。それくらい怖かった。
「そうと決まれば、今日中に行くべきですわ」
お説教が終わり、ようやく落ち着いたロザリアに俺は言った。
「はい、行ってきます」
……別に恐怖だけで従っている訳ではない。ちゃんとロザリアの言葉にも一理あると思ったのだ。
あと、二人がダメだったら面識ない令嬢を側室に入れるという脅し文句も付いていた。正妻の旦那に対する脅し文句が側室増やすぞっていうのは本当に前代未聞だと思う。
ハーレムだって喜べるタイプだったら楽だったんだけどなぁ……。親の顔を思い浮かべると、全く喜べない。絶対、気苦労とか考えることとか多そうだよな。
「そうだ。最近陛下が連れてきたヴァレンリール様や、イレール・フェシュネール様も相応しいかお話させていただいても」
「ごめんなさいあの二人だけは勘弁してください本当に胃に穴が空きます」
その二人が側室になったら食われかねない……この国が。
※※※
俺はまず、ナディーヌのもとを訪れた。
ナディーヌ・ドゥ・ヴァン=ワルン。ワルン公の娘にして、茨公女と揶揄される少女。その兄弟の誰よりも、ワルン公の性格を色濃く受け継いでいるのではないかと言われている彼女は、あまり着慣れないふわふわのドレスを着て、窮屈そうに人を待っていた。
「……何よ」
いったい、なんて言ったんだロザリアは……その、相手を完全に意識した格好で、上目遣いに睨まれても反応に困る。
「かわいいな、似合っている」
「馬鹿にしてるの!?」
うーむ。ナディーヌは素直に褒めてもダメなのかもしれない。
「失礼、舞い上がってしまいまして……普段の快活そうな装いも良いですが、今日は妖精が迷い込んだのかと思いましたよ」
「……まだまだね。精進なさい」
と言いつつ感触は悪くない。なるほど、ナディーヌはこっちか。
「それで、お姉さまのところへは行ってきたの」
「あぁ」
ナディーヌはロザリアを『姉』と呼び慕っている。まぁ、敵対されて喧嘩されるよりは比べるまでもなく良いし、これから妻になる二人の間で円滑なコミュニケーションが維持されることは嬉しいんだが……根回しが行き過ぎて怖い。
俺は改めて、ナディーヌを見る。本当に、この数年でよく成長したと思う。それは身体的だけでなく、精神的にもだ。
……ちなみに、俺より一つ年下のナディーヌは今が正に成長期だ。会うたびに背は伸びている気がする。まぁ、俺も成長期だから背が抜かれることはなさそうだが。
それにしても、お世辞ではなくこの格好も似合っているな。戦場では甲冑姿も似合っていたが、こっちもこれで……あ、よく見たら口紅塗ってる。そうか……もうそんな年頃か。
「……何よ」
少し見過ぎたようで、ナディーヌにじろりと睨まれる。
なまじ昔から知っているせいで、俺の中でのナディーヌは、どこか妹っぽさのある相手だった。目の離せない、世話の焼ける子って感じだ。
だがまぁ、ここに来るまでに自分の心の中で区切りはついている。俺はナディーヌのことを妹っぽいと思ったことはあっても、妹だと思ったことはない。だから、妻として見ることはできる。
「ナディーヌ、皇帝の側室になるつもりは……覚悟はもうできているのか」
問題は、彼女を側室にすることに、俺は少し躊躇してしまっていることだろうか。
俺は結婚自体経験がない。ましてや側室なんて初めて持つ。だからきっと、色々と至らぬ点もあるだろうし、たくさんの苦労を掛けるだろう。
俺はナディーヌを側室にしたら、たぶんたくさん苦しませる。それはきっと、彼女にとって不幸なことだ。
「何よその無責任な態度は。皇帝なら『側室になれ』と命じなさい」
俺の躊躇を感じたのか、ナディーヌは腰に手を当てて少し怒ったようにそう言った。
そうか、これは無責任なのか。
「俺は皇帝だ。だからナディーヌのこと、幸せにはできないかもしれない」
俺は生まれながらの皇帝で、いつか誰かに後を託すまで、俺は皇帝であり続ける。言ってしまえば、俺は私生活よりも仕事を優先する人間だ。ましてや側室は、正室よりも優先度が下がる。
もちろん、為政者としてはそれが正しい。女におぼれて、国を滅ぼした愚帝はいくらでもいるからな。だが一人の人間としては、仕事を優先する男の妻になるというのは、不幸なことではないだろうか。しかも、側室なんて……。
「何よそれ。あんたがしなくても私が勝手になるわよ」
ナディーヌは堂々と、まるで当然だと言わんばかりにそう言い切った。
……なるほど、そうか。勝手に幸せになる、か……それなら、確かに彼女は側室になってもやっていけるかもしれない。
「ならばブングダルト帝国八代皇帝カーマインが命ずる。余の側室となれ、ナディーヌ」
「えぇ、いいわ。その覚悟は、とっくの昔にできているもの」
そう言い切ったナディーヌの笑顔は、眩しいくらいに輝いていた。
そうか、これが貴族の娘として当たり前の価値観か。それが不幸かどうかなんて、前世の基準で考える方が野暮か……生まれた時から、そうやって育てられたんだもんな。
……それでも、せめて不幸にしないよう努力はしないとな。
「それで私の役目なのだけど……お父様との橋渡し、だけかしら。それとも帝国貴族全体かしら」
先ほどまでの威勢とは打って変わり、どこか不安げなナディーヌ……なんというか、こういうところは生真面目というか、一生懸命過ぎるよな。
「勘違いしているようだが……仮にワルン公が反乱を起こしても、関わっていないならナディーヌは余の側室のままだぞ」
たぶんナディーヌは、貴族の娘……それもあのワルン公に育てられた女性だ。言動が貴族令嬢としては珍しい、きつい発言ばかりだが、その思考自体は貴族の観念に囚われている。
「……え?」
「余とナディーヌの結婚に政治的意味を見出すのは周りの人間たちだ。だから別に、余に媚びなくていいし、余に気を使わなくていい。むしろそのままでいてくれ」
これはナディーヌに限らず、俺が一方的に決めたことだ。
確かに、妻の実家が敵対した際、離縁したり幽閉したり……場合によっては自害させた皇帝も過去にはいた。だが俺個人の考えとしては、本人と実家は別物だと思う。結婚した後も家族の行動に人生を左右されるのはかわいそうだ。
まぁ、この考えはこの時代では主流じゃないから、その時は批判されるかもしれない。それでも妻になってもらうからには、最低限これくらいは守りたいからな。
「そうだ、一つだけ命じたいことがあった。もし、余が帝国の民の敵になりそうだったら、その前に止めてくれ。……俺が悪魔になる前に止める……それがナディーヌの、もっとも重要な役割だ」
俺は少し冗談めかして、ナディーヌに仕事を頼んだ。
もちろん、そうならないように常に自分を律していきたいとは思っているが、権力は人間を歪めるからなぁ。
自分が力におぼれて変わってしまうのではないかという恐怖は、俺は転生してからずっと自分の中に抱えてきた。
冗談めかしても、ちゃんと頼み事は彼女に伝わったようだ。ナディーヌは、どこか覚悟を決めた様子で言った。
「私、あんたより剣の扱いは上手い自信があるわ」
……それは全く否定できない。
俺も剣の訓練はしてるんだけど、一向に上手くならないんだよなぁ。シュラン丘陵での戦いの時も、ほとんど旗を振ってただけだしな。
※※※
最後に俺は、ヴェラ=シルヴィのもとを訪れた。
彼女はナディーヌと正反対に、普段と変わらぬ恰好で本を読んでいた。
とはいえ、俺が来ることは分かっていたらしい。特に慌てる様子はない。しかし俺が正面に座ると、どこか浮かなそうな顔で俯いてしまった。
「ヴェラ=シルヴィ……余の側室になってくれないか」
俺は単当直入に、彼女に本題を話した。
小さく縮こまったヴェラ=シルヴィは、しばらく無言で俯いていた。しばらくして、話し始めた彼女の声は震えていた。
「あの、ね」
俺は彼女を落ち着かせるように、握りしめられた拳を手で包む。
「あぁ」
「籠の中の、鳥は、もういや、だよ?」
……なるほど。彼女が躊躇するのも当たり前か。
ヴェラ=シルヴィはかつて、父上の側室として迎え入れられた……だが、その直後に彼は死亡し、遺された彼女は正室によって幽閉された。
彼女は側室になったが故に、人生でもっともつらく苦しい経験をしたのだから。
「ヴェラ、それは側室になったからではない。父上が亡くなったからだ。側室だから幽閉されたんじゃない、未亡人になったから幽閉されたんだ」
それでも、頭ごなしに拒絶されてはいないということは、脈なしではないということだ。
「それに帝国には便利な魔道具があるから、誰の子供か簡単に調べられてな……俺はそれのおかげで、浮気者の母を持ちながら皇帝になった」
「うん?」
なんの話かと首をかしげるヴェラに俺は問いかける。
「別に妻が宮廷から出られない規則はない……子供は別だけど。ヴェラはどうしたい」
まぁ、皇帝によっては宮廷から出さないタイプもいるらしいが……俺はヴェラ=シルヴィを信用している。それに、束縛する趣味も別にないからな。
俺は彼女たちを縛り付けたい訳じゃない。これからも支えてほしいと思ったから、妻になってほしいのだ。
「少しだけ、外を見たい。もう少しだけ、見て回りたい」
……いけるな。何か仕事か役割を任せれば、外出自体は問題なく許されるだろう。問題は護衛だが……ヴェラ=シルヴィに対しては宮中伯の評価も高いし、密偵に護衛を任せられるだろう。
「もちろん。それに魔法が使えるヴェラは、あの時とはもう違うだろ。もしまた塔に囚われても、今度は自分の足で出られるはずだ」
もうあの塔で、悲しげに歌い嘆くだけのヴェラはいない。今の彼女には力がある。
しかしまぁ、俺が言うのもなんだが、ヴェラ=シルヴィはかなりの箱入り娘だからな。彼女が外に出るというのは……正直不安でしかない。それでも、それも合わせての社会経験と思えば……まぁアリだろう、たぶん。
「うん、ありがとう……でも、本当にいいの? もうおばさん、だよ?」
そういって小首をかしげるヴェラ=シルヴィは、確かにもうすぐ三十になる。
にもかかわらず、彼女はいつまでも若々しい……というか、幼いままだ。
……普通に三十代に見えるなら、もう少し安心して送り出せる。
「俺より年下に見えるけどな」
背は既に俺の方が抜いているくらいだ。
ただまぁ、これでもマシになった方だ。初めて塔であった時は病的な幼さだった。今ではまぁ、健康的な幼さと言っても過言ではないんじゃないだろうか。
顔にしわやシミなんて当然なく、十代前半の若さを保っている。だからこそ、外に出すのが少しだけ不安なんだが……これでおばさんとか言ってたら、世の二十代後半が泣くぞ。
「ほんと?」
「あぁ、本当だ」
俺の言葉に、ヴェラ=シルヴィは、嬉しそうな表情を浮かべた。……なぜ幼いと言われて喜ぶのか。若いと幼いは別物だぞ、ヴェラよ。
まぁいいか。……本当に、よく笑うようになった。あと俺相手だと、話すのもかなり慣れた様子だ。とはいえ、未だに関わりの少ない男性相手には口籠るのだが。
「改めて……余の側室になってくれ、ヴェラ」
「うん。いい、よ!」
ヴェラ=シルヴィの言葉と共に、近くの花瓶に飾ってあった花の蕾が一斉に花開いた。
今度はあっさりとした快諾だが、心から受け入れてくれたようだ。
……いや、ここ宮中の一室だから、封魔結界の範囲内なんだがな? 今、歌すら必要なく、固定化された魔力を無理やり使って魔法を発動させた?
……彼女を外に出すの、違う意味で不安になってきた。




