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誰が為の転生


 ゴティロワ族の歓待を受けた数日後、彼らは兵五百を残し引き上げていった。

 ちなみに、彼らへの補給……つまり食事代が帝国持ちになっていると気付いたのは、ゲーナディエッフェが帰った後の事だった。してやられたが、まぁこのくらいは許そう。持ちつ持たれつだ……あの野郎。


 その後も都市の平定(降伏を受け入れるだけ)と、略奪に走った馬鹿の粛清を繰り返し、やがて冬が来る前に完全に旧ラウル公領を平定することに成功した。

 ラウル家が断絶したことで、抵抗の音頭を取る者がいなかったのだろう。ちなみに、シュラン丘陵での戦いで、ラウル僭称公に成り代わって指揮を執っていた人間は、既にガーフル共和国に逃れたという。

 そしてこれは非常に驚くべきことなのだが、なんとそいつはラウル家の股肱の臣どころか貴族ですらなく、一介の傭兵に過ぎなかったらしい。さらに言うと、その傭兵団はどうやら天届山脈の東側から来た連中らしい。

 そりゃガーフル共和国にも簡単に入れるだろうな……下手したら既に現地で雇われているかもしれない。

 それにしても……なぜただの傭兵がラウル僭称公のフリをして指揮できたんだ。しかも、降伏した兵たちはみんな最後まで僭称公が指揮を執っていたと信じ込んでいた。

 謎は深まるばかりである。


 それはさておき、降伏した中小貴族……子爵や男爵家の連中は、ひとまず寛大な処分を下していった。彼らは上司に従っただけだからな。それを責めていったらキリがない。

 あと、宰相が優秀な人材を大量に引き抜いていただけあって、ちゃんとした貴族が多いんだよね。皇帝直轄領の下級貴族よりもまともで真面目で優秀で……なんだか悲しくなってきた。

 他にも、ラウル僭称公を支持していた西方派聖職者も拘束した。彼らの処分に関しては面倒なので西方派に丸投げすることにした。今は俺が口出すと反発されそうだし、恩も売れるからな。


 最後にもっとも重要なことだが……ラウル領を平定したことで、金貨の造幣関連の諸々を完全に差し押さえることに成功した。具体的には金貨の造幣所と、技術者だ。特に技術者に関しては、近衛の半分を差し向けて完全に軟禁している。

 まぁ、鋳型とか持ち出されて勝手に貨幣作られたら、本当に国が崩壊するからな。貴族が造らせた貨幣ですら崩壊寸前まで追いやってるのに。

 だからいつの時代も、金貨や銀貨を作る人間は、親族に至るまで極めて厳しい監視下に置かれる。そして少しでも怪しい動きを見せたら即拘束……ひどい国だと即処刑である。その代わり、平民に比べて裕福な暮らしができる。

 その辺の常識は僭称公にもあったようで、問題なく拘束できた……というか、彼らを監視していたラウル兵も一緒に降伏した。もちろん、職務を全うした兵には寛大な処分を下す。


 こうして俺は、金貨の造幣能力を確保したのである。ついでに、ラウル領内にあった金鉱脈は全て確保した。これで帝国として金貨を発行することが可能になった。


 ……まぁ、帝国金貨の鋳型はなんとすでに消失していたのだが。

 正確には持ち出しを防ぐために、六代皇帝の時代に処分したそう。だからこれから先、新しい金貨の鋳型を造るか、あるいは悪名高いラウル金貨をそのまま造るかの二択しかない。



 さて、こうしてラウル領を完全に平定した俺は、すぐに帝都へ帰還……という訳にもいかず、ラウル地方の統治に邁進していた。

 ちなみに引継ぎに関してはこれまたほとんどすんなりといっている。それは僭称公が急死……本人が死ぬとは思わないうちに殺せたことで、書類の破棄などをされなくて済んだことと、下級貴族の大半を許したことで引継ぎ自体がそれほど発生しなかった事が大きいだろう。

 ただそれでも、やはり問題はところどころに発生していた。その最たるものが、お金の話である。


 これまで、ラウル公の支援を受けていた職人や商人、そして研究者たち……彼らはラウル公が死んだことで、早い話来年の資金源がなくなったのである。もちろん、絶対に必要なものに対しては金銭支援の継続を約束するが、ただでさえ借金まみれの帝国に、これ以上無駄な出費は許されない。

 というか、俺が財務卿からまたネチネチ言われたくないので、厳しめに仕分ける。


 が、当然納得できない連中が直談判しに来るのである。

 ……これ、絶対俺の仕事じゃなくて財務卿の仕事だろうと思うのだが、忙しいので無理と言われた。もっと皇帝を労わるべきだと思う。

「この調子だと、冬はここで越すことになる」

 俺がため息と共に、思わず愚痴をこぼす。まぁ、事業仕分けみたいなこの作業と、直談判を論破してお帰りいただくだけじゃなく、他にも仕事はあるからなぁ。

 前支配者からの引継ぎは、ほとんど上手くいっている。だが一部、色々と精査が必要なものも存在した。


 そう、賄賂や汚職により意図的に隠蔽された書類の復元である。

 ちなみにこの作業で見えてきたのは、僭称公が賄賂好きな小者だったということである。あと隠蔽が甘い。

 一方で、先代のラウル公……宰相が関わっていたらしき書類についてはかなり難航している。数十年間ずっと偽装を続けると、ここまで巧妙になるんだな。

 これについては、ナディーヌから「その道のプロがエタエク伯爵家にいる」と手紙で紹介を受けた……のだが、連れてこいといったら「既に財務卿に連れていかれた」と返ってきた。

 おのれ財務卿、出世させてさらに仕事増やすから覚悟しておけ。


「陛下、また直談判にきた人間です……研究者とのことです」

「……もう今日だけで十人と面会してますよ、陛下」

 ティモナの報告を聞き、毎回警護するこっちの身になれとでも言いたげなバルタザールが不満を漏らす。

 まぁ、バリーの言いたいことも分かるよ。毎度毎度粘られるから、最終的には近衛たちに引きずりだしてもらってるからね。

 だがこの仕事を別の人間に回すと、そいつが直談判しに来た人間への対応に迷った時、結局俺のもとまでお伺いが上がってくる。ならいっそ、俺が直接会った方が早い。

 あと、俺が貴族として信用できる人間で、判断力に信頼を置ける人間があまりに少ないというのもある。何度も言うが、深刻な人材不足だ。


 するとそこで、ドアをノックする音がする。

「来られたようです。ご案内しても?」

 ティモナの言葉に俺は頷く……さて、今回はどんな奴が来ることやら。せめて面白いといいんだが。



※※※



 俺が接収した館に置いた、仮の執務室……そこに現れたのは、珍しいことに女性だった。


 一見、背丈といい顔といい十代前半に見える。そして修道女みたいな服装に、修道女によくいるショートヘアに、修道女がよく身に着ける『聖なる横帆』のレリーフ……なのに絶望的なまでに聖職者っぽくないのはなぜだろうか。

 横にいたティモナから手渡された情報によると、彼女の名前はヴァレンリール・ド・ネルヴァル。父は生前子爵で、彼女自身は魔法の研究者……っていうか、この見た目で三十代越えてんのかよ。

 まぁ、同じく実年齢より十歳以上幼く見えるヴェラ=シルヴィを知っているから、そこまで驚きはしないが。


「それで、どんな用件でここに?」

「はい、陛下……」

 なんかやけに猫なで声な気がするが、最低限の情報は得ているようだ。

 どうも直談判しに来る奴、半分近くは俺が皇帝だと思わずに話し出すんだよね。そういう奴は、その時点でバルタザールを呼んで叩き出している。

 そもそも帝国にとって明らかに必要な研究や事業には最初から金出しているし、その程度の情報もなく殴り込んでくる馬鹿に用はないからな。というか、十三の子供が対応してる時点で何かおかしいと気付くべきだろう。

「私、魔法の研究者でしてぇ……来年のお金がどうしても必要でぇ……もしいただけたら、この身体、陛下のお好きになさって構いませんのでぇ」

 そう言って、女は下手くそな流し目をしながら服の首元に指をかけた。



 まさかの、色仕掛けだと。

 ……色仕掛けだよな? あまりに下手過ぎて、どちらかというとバカにされてる気がしてくるんだが。

 これは初めてのパターンだ。そもそもその幼児体型で色仕掛けは無理……いや、俺もまだ子供だったわ。むしろだからこそか、なるほどね。

 ……いや、おかしいだろ。頭のネジぶっ飛んでんじゃないのか、こいつ。

「研究成果、持ってきてるなら出すがよい。ないなら帰れ」


 俺の反応が薄いと気が付いた女は、渋々レポートらしき紙の束を差し出してきた。ちなみに羊皮紙ではなく上等な植物繊維の紙だ。前世の紙と同じくらい上質な紙をこれだけ多く使えるのは、それだけラウル領が裕福だったからである。だから多くの研究者が帝都から流出しラウル地方にいたのだが。


 俺は出された資料に目を通す。内容は……より高威力な爆発魔法の研究? うわぁ、凡庸だな。

 ぶっちゃけ、この手の研究は腐るほど見てきた。現場ではほとんど使わないのに、貴族で魔法使いの研究者は、なぜかこういう威力重視の魔法ばかり研究するんだよな。しかも爆発魔法って、近い将来火薬で代替可能になる魔法だし。

 それこそ、気化爆弾ぐらいの威力があれば金出すだろうが……あぁ、でもダイナマイトくらいの威力はありそうだな。坑道でなら出番あるか?


 と、軽く目を通しながらページを捲っていたのだが……あるページで俺の手は思わず止まった。


 そのページにはなんと、飲み物を零した痕と思わしきシミが、これでもかと広がっていた。

 ……なめてんのか、こいつ。よし、叩き出そう。


 俺がそう決めてバルタザールに声をかけようとした時、部屋のドアがノックされた。



 部屋に入ってきたのは『アインの語り部』のダニエル・ド・ピエルスだった。まぁ、取り込み中に外にいる近衛に止められない人間は、かなり限られてるんだけど。

「卿は帝都にいたのでは……まぁいい。今は取り込み中なんだが」

「えぇ、陛下。陛下であれば色眼鏡抜きに判断してくださると思いましたので、この場に立ち会いたく参上いたしました」

 いや、俺の質問の答えになってないし、まったく話が見えないな。というか……色仕掛けに惑わされる心配ではなく、色眼鏡抜き?


「もうしばらくお待ちください」

 老エルフがそう言ったちょうどその時、再びドアが開いた。

「私も暇ではないから、そう何度も呼び出さないでもらい……っと、なんだこの状況は」

 文句を垂れながら入ってきたのは、レイジー・クロームだった。


 なるほど、もしかしなくてもそういうことか。

「ティモナ、バリー、ここはいい。部屋の外で待っていてくれ」

 これ、転生者案件だな。



 二人が部屋から出ると、先ほどまでの媚びるかのような表情から一転、何を考えているか分からない無表情を浮かべたヴァレンリール・ド・ネルヴァルが、人差し指でこめかみを叩いていた。

「あーはい、なるほど。分かりました」

 そして彼女は、能面のような動かぬ表情で、抑揚のない声で、その指を俺に向けた。

「申し訳ありません、陛下。どうしても好奇心が抑えられず……無礼を承知でお尋ねします。『陛下は、転生者ですか?』」


 それは日本語だった。懐かしい……いや、質問内容よりもその指が失礼だと思うんだがな。あと、口調もキャラもなんか変わってるし……まぁ、こっちが素なんだろうが。

「ということは、君も?」

「いいえ、陛下」

 そこで返ってきたのは、俺としても想定外の回答だった。

「転生者は私の父です。私は転生者の教育を受けた、ただの研究者です」


 部屋が静まりかえる。気づけば、重苦しい空気が流れていた。

「なんですかその『鳩が豆鉄砲を食ったよう』な顔は。本当は見たくないツラを見て最悪な気分ですが、その顔に免じて許してあげます。んふふふふ」

 ……俺もそんな笑い方、リアルでしてるやつ初めて見たよ。

 というか……教育か。言われてみれば、転生者アインの言葉から聖一教が生まれているのだ。転生者の教育を受け、地球の知識を継いだこの世界の人間だって、いてもおかしくはない。

「資料によると、その父親は亡くなっているそうだが」

 ヴァレンリールは俺の問いには答えず、今度はレイジー・クロームの方を指差した。

「そちらの男も同類ですか」


 彼女の言葉に答えたのは、ダニエルだった。

「えぇ……レイジー・クローム、転生者です。話しても問題ありませんよ」

「んふふふふ、この部屋は腐熟した堆肥の匂いがしますね。もしかしてエルフがいます?」

 なるほど、見たくないツラとはダニエルのことか。


「私と兄弟たちは転生者である父の教育を受けました。簡易的な数学、物理、化学。宇宙のかたち、人権、進化論……そして魔法」

 語りだしたヴァレンリールの視線は、先ほど俺に手渡したレポートの方に向けられていた。

「特に父は、自分の世界になかった魔法にのめり込みました。だから私の専門もそちら側です」

 その割には、飲み物のシミを放置していたようだが……?

 そんな疑問も、口にすることはできなかった。ヴァレンリールの声が、初めて震えたからだ。

「だから『語り部』とか名乗る連中に見捨てられたんでしょうね」


 ヴァレンリールは、目立つ大きさのネックレスに触れた。

「父は殺されました。異端審問を受け、火あぶりにされて……あの人にとって、この世界はいつまで経っても異世界でした。あの人はなぜか宗教を軽視し、聖一教にとって不都合な話も『正しい知識』として教育した……だから異端審問にかけられた。母も私も、兄弟たちも」

 俺はナン男爵のことを思い出した。ティモナの父……彼もまた俺に行った教育が西方派の心証を害し、異端審問を受けたのだった。

「みんな灰になりました」

 そして彼女は、身に着けていたネックレス……『聖なる横帆』のレリーフを、まるで()()()()()()()()に親指と人差し指でつまみ上げた。

「私は一番下でした。もっとも幼く、そして敬虔な聖一教徒として振る舞った私だけが生き残りました」

 修道女みたいな服装なのに、修道女らしくないのも当たり前だ。彼女はたぶん、聖一教を憎んですらいる。


「それで、その際に『アインの語り部』の助けがなかったと?」

「苦渋の決断でした。我々にはまだ、それを止められる力がありませんでしたから」

 過去を悔いるように、酷く残念そうな声色でダニエルはそう言った。それに対し、ヴァレンリールは再び無機質な声色で反論する。

「エルフ共は『損切り』をしただけです。私の父はいらない転生者だった」

 どこか余裕そうなダニエル、何か心当たりがあるらしく鋭い視線をダニエルに向けるレイジー。そして怒りを抑えるためか、無表情で声の抑揚も少ないヴァレンリール。

 場の空気は、致命的なまでに凍り付いている。


「陛下は『アインの語り部』がどういった存在だと?」

 彼女の言葉に、俺はかつて受けた説明を思い出す。

 たしか……彼らの目的は世界の針を進めることだ。『進んだ異世界の、失敗も過ちも知る転生者ならば、世界をより良い方向へと導けるのではないか』という考えを元に、転生者の保護を行っている。

 そして彼らは、ある意味もっとも利害の一致した『授聖者アイン』の協力者だった。だからアインの言葉を自分たちに都合よく歪めることなく、現代に伝えている……アインも転生者だったのだから、彼の言葉を正しく残すのは自然なことだ。

 だから異端審問について俺が停止する決定をしてもダニエル・ド・ピエルスは全く反対しなかった。それはアインが定めた制度ではないからな。


「そういえば、自分たちは『転生者教』だとか言っていたな」

「んふふふふ。どの口が言いますか」

 ヴァレンリールの声が大きくなった。相当、許せないようだ。するとそこで、ここまで静かだったレイジーが口を開く。

「『アインの語り部』は、『白紙戦争』以降の停滞した文明から世界を発展させるために、『転生者』の知識を欲している。逆に言えば、世界を『進める』つもりのない転生者や、自分たちが欲する知識を持っていない転生者についての関心はない。そして自分たちに都合の悪い転生者は、消えても良いと思っている……私も殺されかけたからな、身にしみて分かっている」

「保護するのは自分たちが欲しい転生者だけ。日本語の知識ばかり残っていた男なんて、『語り部』直々に殺されました。そんな連中が『転生者教』? 笑える……」

 ヴァレンリールも追従する……一方でダニエルは涼しい顔だ。まぁこの男の事だ。こうして責められることも想定内なのだろう。

「科学による発展、そのための転生者です。アインの教えを利用する聖一教と、転生者を利用する我々。本質は同じでしょう」

 その聖一教西方派の聖職者なんだけどな、お前。

「それと、同胞の名誉のために申し上げますが、その男を殺したのは他の転生者を守るためです」

 つまり、見捨てた件については事実だと。


 まぁ、大体の話は分かった。『アインの語り部』にとって、転生者は手段であって目的ではない。世界が魔法文明を発展させた結果崩壊したこと、その後発展を止め停滞したことを反省し、科学による世界の発展を目論んでいる……それが語り部だ。

 二人はそんな『アインの語り部』が信用できないと。まぁ気持ちは分かる。

「ヴァレンリール……余は卿の話に同情する。だからといって、余は『アインの語り部』を敵視することも、猜疑心を抱くこともない」

 むしろ『アインの語り部』は行動方針や理念がはっきりしていて分かりやすい。そして転生者である俺が国を動かす立場である限り、こいつらは積極的に俺に協力するだろう……俺たちは利害が一致しているからだ。

 転生者の貴族であれば、前世の知識を広めるためには時間がかかるし、国に認めさせるためには君主に上奏して説得しなければならない。だが君主が転生者なら、説得の手間がいらない。

 そして俺としても、帝国を発展させることには大賛成だ。なぜなら俺は、皇帝だから。帝国が最先端で世界の針を進められるなら、これほど都合のいいこともない。


「もとより『アインの語り部』が危険な存在であることなど知っているしな」

 そう、これは別に俺にとって、ショッキングな話ではないのだ。なぜなら……。

「そもそも余は、この男の利益のために子供三人でガーフル騎兵から逃れ、見知らぬ異民族の王たちと交渉するハメになったのだ。自分たちの都合のために他人の命すら駒とする連中であることくらい、初めて会う前から知っているとも」

 だからこそ、皇帝として実権を握っている今の俺は、彼らにとって守る価値のある存在だ。利害が一致している間は信用できる。

「ところで卿は、先ほど『日本語の知識ばかり残っていた男』と申したな……どういう意味だ」


 俺の質問に、気持ちを切り替えるかのようにヴァレンリールは大きく息を吐きだした。

「えぇ。私の研究分野は三つあります。その内の一つは転生者についてです……私は過去に八人の転生者と会いました。あなた方でちょうど十人になります」

 それはまた、ずいぶん多いな。


「えー、陛下。前世の自分の名前や家族の名前は?」

 ヴァレンリールの質問の意図は分からなかったが、俺は素直に答える。

「覚えていないが?」

 これは転生した時からずっとそうだ。俺は前世の自分の名前を覚えていない。


 ……俺はてっきり、そういうものだと思い込んでいた。

「……なんだと」

 レイジーの驚いた表情を見て、俺は自分がずっと勘違いしていたことに気が付いた。

「では、あなたは?」

「クロムラ、レイジ……父はコウジで母はコトミ」

 そうか、レイジー・クロームって前世の名前をもじって自分でつけたのか。そういえば彼は、本来は貴族の前に立てない平民……おそらくスラムの出身だ。この世界での親の苗字なんて知らないのかもしれない。

「なんと、両親の名前まで覚えているんですか。これは珍しいですね」


 あとでメモしましょう、とヴァレンリールは興味深そうに言った。少しだけ、彼女の表情は明るくなっていた……その分、レイジーと俺が驚きの表情を浮かべているのだろう。

 レイジー・クローム……言われてみればこの世界で見かけない不思議な名前かもしれない。いや、それだけで気が付くのは無理だと思うが。


「しかしまぁ、名前の記憶容量など大したものではありませんから、誤差の範囲でしょう」

 そしてヴァレンリールは、少し早口で一気にまくし立てた。

「私の仮説ですが、貴方たち『転生者』は異世界の魂がそのまま『転生』した存在ではありません。神あるいはそれに類する存在によって、記憶はいじられているはずです。その『選択』あるいは『選別』がどこまで意図的に行われているか分かりませんが。ある者は日本語学、ある者は医学知識、そしてある者は数学……特定の知識をより『鮮明に』残されている。その代償として、それ以外の記憶は激しく欠損している……失礼、一度に話し過ぎました。私の悪い癖です」



 そうか……そうなのか。そういうことか。自分の記憶だから全く気が付かなった。言われてみればそうだ。

 俺の記憶には確かに違和感がある。二次方程式の解き方どころか、二次方程式がなんなのかすら怪しい俺が、なんで幼く死んだ君主……フランス王ジャン一世や後漢の殤帝劉隆のことを覚えているのか。英単語などろくに覚えていない俺が、なんで火縄銃の使い方を覚えているのか。


 俺は自分の名前すらも忘れさせられた代わりに、歴史やそれに付随する知識を重点的に残されたのか。

「二人ともそんなに目を見開いて……痛くないんですか」

 ヴァレンリールは、本当に愉快そうな声をあげた。


「おい……『総理大臣』の名前、何人言える? 私は一人も覚えていないことに今気が付いた」

「俺も似たようなものだ……そうか、『忘れた』のではなく『消されていた』のか」



 いや待て、そもそも俺の知識は、本当に俺の記憶か? 俺は確かに前世で、歴史が好きだった。だが個人の名前や事績など、そんな細かいところまで、鮮明に覚えていただろうか。分からない……結局、記憶がないのだから確かめようがない。

 だが一つだけ決定的なことが分かった。それは自分自身の記憶が、絶対的に信頼できるものではないということだ。

「……私たちの記憶は、どこまで介入を受けている」

「さぁ? 残る記憶についてはまだ法則が不明ですし、ランダムかもしれません。たかが十人程度のサンプルでは結論までは至らないでしょう。それに、人によってはほとんど知識が残らず、自分が転生者だという自覚すらない者だっていました」

 記憶の欠損が激しい場合、自分には前世の記憶があるという認識にまで至らない……あるいは、転生する人間に法則性がない場合、例えば地球で赤ん坊の段階で死んで転生する可能性だってある。そう考えると、前世の記憶がない転生者も意外と多いのかもしれない。果たしてそれを転生者と呼んでいいかは別として。


「ですが、意図的な介入は確実に受けています」

 俺は、ヴァレンリールが怖いと思った。転生者でもないのに、転生者以上に転生者のことを知っている……そんな彼女が。

「だって……あなたたち転生者は、『転生』……つまり前世で死んでいるはずなのに、その記憶だけが共通してないんですから」


 あぁ、本当に気味が悪い。まるで、天から覗かれてるような、そんな錯覚に陥る。

 俺たちはいったい、転生者とはいったい……。

「その理由は、分かるのか」

 そう尋ねたレイジーの声は、かすれていた。俺も正直に言えば、衝撃と情報量の多さに頭がくらくらする。

「それはきっと、神がその方が良いと判断したからでは? それこそ、人智では理解できない理由かもしれません。事実、転生なんて奇跡が起こっているのですから……何が起こったっておかしくはないでしょう?」

 神のみぞ知るってか。



 ……まぁいい。自分が何者だったかより、大事なのは今、自分が何者かだ。

 俺は皇帝カーマイン。それ以上でもそれ以下でもない。もう自分の記憶については利用するぐらいの感覚でいい。もう俺は帝国の皇帝として生きることに折り合いをつけているんだ。


 だから帝国の皇帝として、転生者という存在について、聞きたいことがある。

「ヴァレンリール、卿は先ほど余を含めて十人の転生者と会ったと申したな? 卿の年齢が詐称でないならば、随分と多いように感じるのだが?」

「それは私が一時期、皇国にいたからです。転生者がアインの子孫に誕生することはご存じですね? そのアインが亡くなったのは現皇国領です」


 ……おいおい、まさかとは思うが。

「天届山脈の東側には、こちら側よりも転生者が多いのか」

「えぇ、()()()()


 クソ……皇帝としては何よりも最悪な情報だ。個人差はあれど、転生者の知識はこの世界に発展と技術革新をもたらすだろう。そして帝国と同等の規模の国家が、大量の転生者を抱えている……?

 心のどこかで、転生者の数はそんなにいないと油断していた。そんなのありかよ。


 ……もしかして、俺はこの先、他の転生者たちと戦わなきゃいけないのか。


 現時点で、皇国に圧倒的な技術差をつけられていないのが奇跡みたいだ。数十年後には差をつけられているかもしれない。

 帝国としては、そうなる前に皇国にダメージを与えて、足を引っ張らないと手遅れになる。やはり一度、皇国に侵攻しないとダメなのか……でもその場合、転生者と戦うのか。


 転生者相手の知恵比べとか、普通に気が滅入るんだが。どうしてこう、次から次へと頭が痛くなるような事案が出てくるんだろうか。


 俺が思わず黙っていると、今度は、レイジーが口を開いた。

「それで、アンタはこの話を知っていたのか? 語り部のダニエル」

「我々を嫌っている彼女が話してくださるとでも? 初耳の話ばかりですよ」

 そう言いながら、ダニエル・ド・ピエルスには全く動揺する様子が見られない。まぁ、それも当たり前か……こいつにとっては、本当に他人事だからな。欲しいのは転生者の知識であって、それが本人の記憶なのか、神に与えられたものなのかなんて、どうでもいいんだ、こいつは。

「なら、なぜここに?」

「それは彼女が研究するもう一つの知識が必要だからです。我々にとっても、そして陛下にとっても」


 まさか、ここまでが前座だっていうのか……本当に頭が痛い。



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― 新着の感想 ―
転生ものあるあるの、「なぜ普通に生きていたらそれほど詳細に知っているわけではない知識を実現可能レベルで有しているのかという問題」について、鮮やかに説明されていて、すごく納得できました。本当におもしろく…
[気になる点] 転生者だらけという事が分かって一気に冷めた。
[一言] 転生じゃなくて転写じゃないのかなあ? あと転生者って言葉当たり前に使ってるけど気持ち悪いよね。
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