両軍、布陣ス
本日二話目
やがて日が昇り、状況が明らかになった。
俺たちが行った夜襲は、完璧な成功を収めた。目標だった大砲を、全て破壊したのである。もちろん、行方不明になった者や、負傷者もいる。それでも、こちらの損害と比べれば、敵に与えたダメージは圧倒的なはずだ。
俺たちの脅威の一つであった野戦砲を無力化したことで、こちらの選べる戦術の幅は遥かに増えた。そして嬉しい副作用というべきか、この報せを受けた兵たちや労働者たちの士気が、目に見えて向上したのである。
それと、密偵の服に細工し俺たちの位置を把握していたにもかかわらず、自分では迎えに来ずにヴェラ=シルヴィを迎えに行かせた宮中伯。彼がそうした理由は、丘陵に帰ってから分かった。
「皇国で宮宰として権勢を誇っていたジークベルト・ヴェンデーリン・フォン・フレンツェン=オレンガウですが、暗殺されたようです。これにより、各貴族が蠢動をしはじめ、ラウル僭称公は皇国から受けていた資金援助を停止されることになった……これが、敵の動きが予想以上に早かった理由のようです」
敵の魔法兵部隊を襲撃した際、どうやら援軍に来た皇国軍兵士を拉致してきたらしい。そして無理矢理聞き出したと。
……正直、外交問題にされかねないから拷問は……と諫めようとしたのだが、返って来た答えは「もう土の中です」だった。
良かったね、国際法とか無くて。
「つまり、思い切りが良くなったのではなく、追い込まれていたと」
俺たちが「いきなり思い切り良くなった」と思っていた敵の動きは、実際は皇国から支援を受けていて、その皇国で政変が起きて支援が得られなくなるから焦っていただけだったと。
「もう皇国で……思ってたより早いな」
つい昨日、皇国で何かしら事件が起こるとティモナに予想を言ったばかりだ。昨日の今日とはまさにこの事だろう。
「密偵は詳細な情報、拾えるのか?」
「情報収集は可能です。しかし、時間はかかります」
まぁ、そうだろうな。こればっかりは仕方ない。現皇王は、かつての『皇王出家事件』でも、自分の基盤を強化しなかった男だ。何となくこの後の展開は読めるが……まぁ、今は関係ない話だ。
ただ、これで敵も追い込まれていることが分かった。一刻の猶予もない敵は、全力で攻撃してくるだろう……俺を殺すか、捕虜に取る為に。つまり、敵は悠長に包囲してくる可能性が低い。
あともう一つ、この数日間で内戦全体の戦況も少し変化が起こった。
まず、ラウル派貴族の包囲を受けていたアーンダル侯だが、どうやら徹底抗戦を選択した様だ。情報によると戦力差は絶望的で、もしかしたら既に陥落しているかもしれないとのことだ。それを理解しているのか、彼は事前に自分の子供たちをこの丘陵に向けて脱出させていたらしい。今は道中のヌンメヒト伯領で保護を受けているようだ。
そのヌンメヒト伯領だが、長女が兄たちを倒し、領内の主要都市はあらかた抑えたようだ。彼女が『お嬢様』で間違いない。ただヌンメヒト伯領の領地は、主要都市が北側に集中しており、さらに東西をラウル派に挟まれている為、この丘陵の戦いに間に合うかどうか……。数百でもいいから、送ってほしい所である。そうしないと、戦後優遇するのが難しい。
あとアキカールについては、最早情報が錯綜している。そのレベルで乱戦だという訳だ。
ただ、この戦闘はチャムノ伯領以南が三つ巴の乱戦となっており、一方でチャムノ伯領以北は貴族同士のにらみ合いとなっており、直接戦闘は少ないようだ。やはり、ラウルやアキカール以外の貴族は本音でいえば戦闘は避けたいのだろう。
あとドズラン軍の方も、かなり接近してきている。おそらくラウル軍が丘陵に到着するのと同じタイミングでやって来そうな位置……というか、それを狙っているな。本当にろくでもない連中だ。
***
そして俺たちは、この現状を踏まえて再び軍議を開いた。
「こちらの布陣はこのようにすべきかと」
ブルゴー=デュクドレーの提案で、こちらのおおよその布陣が展開される。
基本的に、軍の配置は防衛側のこちらが先に完了させ、それに合わせて敵も布陣してくる形になるだろう。これが逆だと、布陣を完了させ攻撃態勢の整った敵前で、こちらは部隊を展開させることになる。これは隙を晒すことになる。
逆に相手としては、皇帝派の軍は防衛側である以上、布陣の最中に仕掛けてくる可能性は低い……と考えているのかもしれない。まぁ、一部はその通りなんだが。
「アトゥールル騎兵は北に置き、敵主力が南ではなく北に寄った場合、彼らの機動で時間を稼ぎます。その間に、こちらの主力で敵左翼を突破すればいい」
こちらは東側を正面に、南側を右翼、北側を左翼としている。敵はその逆になる訳だ。そしてこちらの主力とは、言うまでもなく諸侯軍である。彼らは丘陵の南、こちらの右翼を担当する。
そして問題は、敵が右翼・左翼。あるいは中央……どこに主力と呼ばれる「最も強い部隊」を布陣させるかだ。
基本としては、敵左翼に主力が出てくるはずだ。こちらの主力に敵も主力をぶつける、それが戦闘の基本だからな。だが、敵が基本通りを選ぶかは……俺たちには分からないのだ。
当初の作戦通り、基本的には敵部隊を南側に誘い出すか、仮に敵がその誘いに乗らずこちらの左翼……丘陵北側に主力を集中させるのであれば、アトゥールル騎兵の引き撃ちで時間を稼ぎ、その間にこちらの右翼で積極的に攻勢を行う……か。
後者のパターンを引くと、単純な兵力差的にかなり厳しいが。
「確かに十分な平地があれば彼らには可能、ではありましょう。しかし今回はミフ丘という地形上の制限があり、ここを敵に取らせたくない以上は彼らだけでは厳しい、と思いますが?」
セドラン子爵の意見に対し、解決案を提示したのはサロモン・ド・バルベトルテだった。
「ではニュンバル伯軍を丘陵北側に配置するのはどうでしょう」
彼はベルベー人ではあるが、客将として積極的に軍議に参加している。
「ニュンバル伯軍……弓兵、ですか」
アルヌール・ド・ニュンバル率いるニュンバル伯軍は、数にすると一〇〇〇しかいない。しかし、そのほとんどが弓兵で構成された、特徴的な部隊である。文官の家系である彼らは、騎兵や槍兵の練度は低い代わりに、弓兵に特化しているそうだ。
弓は銃の下位互換だと思う人もいるかもしれないが、この世界ではそうは考えられていない。何故なら、銃には明確な弱点があるからだ。
まず、スドゥーム銃と弓兵の弓は有効射程がほぼ同じである。これは照準した敵に命中し、尚且つ相手にダメージを与えられる最大の距離だな。前世の火縄銃は、有効射程が確か二〇〇メートルくらいだったと思うが、スドゥーム銃はそれよりたぶん性能が低い。これはここ数日、この目で見て確信した。
長さの単位が違うから正確な数値は出せないが、一五〇メートルくらいだと思われる。つまり、一五〇メートル以上離れた距離で撃っても、有効な攻撃にはならない訳だ。これでも、改良によって飛ぶようになった方らしいがな。一つ前の世代の銃は、弓よりも明らかに有効射程が短かったらしいし。
あと、より改良された銃はもっと射程が伸びている。しかしそういうのは高価だから、帝国で正式採用するのは当分無理だろう。
まぁ、単純に弾を飛ばすだけなら、スドゥーム銃は有効射程の三倍近く飛ばせるんだが。こっちは「最大射程」ってやつだな。
とはいえ、これは「有効」なだけであり、「必殺」ではない。そして何より、スドゥーム銃を含む火縄銃の最大のデメリットは、連射が効かないことである。
それを補うために、銃兵の基本戦術は「一斉射撃」になっている。小隊単位で斉射し、そして次弾を装填するまでの間、槍兵の部隊に前に出てもらい稼いでもらうのだ。だから平地で戦う場合、ちゃんと敵の攻撃に耐えられる槍兵がいないと、その真価は発揮できない。
一方で弓兵は連射が可能である。しかも曲射という性質上、高所から撃てば有効射程はさらに伸ばせ、それはスドゥーム銃の有効射程を上回る。重力のお陰で、威力もそれほど落ちないしな。
だから「弓兵の方が銃兵より優れている」と考えている人間も多かったりする。では何故、銃が普及しているかというと、それは練度の問題である。銃兵より弓兵の方が、武器として扱いが難しく、練兵に時間がかかるのだ。それはもう、比べものにならないくらいに。
魔法兵、騎兵に次ぐ専門兵科が弓兵なのだ。
ちなみに、同じく遠距離武器であるクロスボウは、これらより圧倒的に扱いが簡単な代わりに有効射程が短い。だからこの世界でのイメージは、射程は「弓>銃>クロスボウ」で扱いやすさは「クロスボウ>銃>弓」である。
閑話休題、つまり弓兵部隊というのは「貴重で高価」な部隊だ。そして弓の強さを活かせる高所からの撃ち下ろし……一考する価値はある。
「ニュンバルの魔弓部隊といえば、ベルベーにいた頃の私も聞いたことがあります。我々とは違う方法で『個』を『群』にした部隊です」
サロモン曰く、彼らは魔法により弓の射程と威力を高めるのだという。この魔法は「風を吹かせる魔法」だったり、「矢じりを固くする魔法」だったり、あるいは俺も愛用している「属性付与」だったり、各々が得意とする魔法を使うらしい。だがそれらは全て、「弓の威力を強化する」という同じ結果をもたらす。
確かに、得意な魔法ごとに部隊を分けるサロモンとは違うアプローチで魔法を「戦闘力」に変換している。だから興味があるということなのだろう。
まぁ、この『魔弓部隊』は彼らが連れてきた弓兵の中でも、ほんの一部だ。それでも、敵が「射程外」だと思う場所に攻撃できるのは確かに強力だろう。
「しかし魔法は……いや、そうか」
「はい。先日の試射結果と、作戦を照らし合わせ……『例の魔道具』を使い果たすよりも砲身が壊れる方が早いと判断いたしました。その余剰分を使えば、十全に能力を発動できます」
「良いだろう」
サロモンの言葉に、俺は頷く。そしてもう一つ、重要な懸念点を言葉にする。
「それで、バイナ=ギーノ間はどうする」
シュラン丘陵のバイナ丘とギーノ丘の間には谷がある。だからこの地点は堀と馬防柵は用意したものの、土壁や塹壕などは存在しない。
しかしこの谷は幅が極めて狭く、両脇の丘から撃ち下ろされるし、敵も展開できる兵力は少ないはずだ。また、突破したところでその先は周囲を丘陵に囲まれた場所で出るだけだ。
敵にとっては攻撃しにくいし、したところでその先にどのくらい敵がいるか不明なのだ。そこで包囲される可能性だってある以上、この地点はそれほど重点的に攻められはしないはずだ。
……まぁ、実は俺たちにとっての弱点なんだがな。ここを突破された場合、他に止められる兵力がいない。丘陵外に置ける予備兵力がないのだ。
だからそのまま抜けられると、敵は丘陵外に展開する諸侯軍の背後まで迂回できてしまう。諸侯軍が挟撃されれば敗北は必至な以上、兵を置かない訳にもいかない。
「傭兵部隊、はどうでしょうか。持ち場を守るくらいできる、はずです」
傭兵部隊? 確か兵力不足のファビオが、ラミテッド侯軍の戦力を補うために一〇〇〇人の傭兵を雇っていたはずだ。とはいえ、これは一〇〇〇を率いる傭兵団ではなく、いくつかの傭兵団を合わせて一〇〇〇だ。つまり、指揮が統一しづらい。その上、傭兵は「ピンきり」という言葉がよく似合う。
不安だが……諸侯の部隊は敵が来るか分からない所に置くより、確実に戦う所に置きたい。仕方ないか。
「南部に敵は誘い込めそうか」
「展開する予定の諸侯軍は総勢八〇〇〇。敵としては主力をぶつけたいはずです。それに、ドズランに対応する為にもこれが限界かと」
ドズラン軍は南から来ている。それが敵になるか味方になるか分からないが、警戒しない訳にはいかない。実に厄介だ。
だがもし、敵もドズランの動向に対し同じ見方をしているのであれば、隙を見せないために南側に主力を配置しそうではある。
「よし、ならば布陣はこれでいこう。余は諸公を頼りにしている。我らに勝利を」
「「帝国に勝利を。皇帝陛下に勝利を」」
諸侯の宣誓を以て、皇帝派連合軍の布陣が決定した。その二日後、夜明けとともにラウル軍も着陣した。
ラウル軍の布陣は北から正規兵五〇〇〇、民兵三万、その更に南に一万五〇〇〇の正規兵。そして皇国の傭兵というか義勇兵約三〇〇〇が、敵民兵の奥に見える。また、敵の魔法兵は集中運用せず、敵民兵集団の中に布陣しているようだ。
つまり、敵はラウル軍主力を左翼に集めており、こちらの狙い通りに布陣してくれたという事だ。
まぁ敵としては、短時間で勝利を得るためには、バイナ丘の南側から丘陵内部に浸透し、俺を狙うしかない。敵にとっては幸いなことに、この丘陵は中からも外に出にくい構造になっているからな。皇帝を追い込むにちょうどいい。
ただ敵がこの布陣にしたのは、もう一つ要因がある。というのも、丘陵北側に布陣したペテル・パールのアトゥールル騎兵が、展開しつつ接近してくるラウル軍に得意の一撃離脱戦法で嫌がらせをしていたのだ。その引き撃ちが恐らく、敵には「罠に誘っているよう」に見えたはずだ。だからそちらの戦力は薄くし、反対側に集中させた。
……味方としてとんでもなく頼りになる。恐ろしいくらいに。
こうして交戦距離すれすれまで近づいた両軍は、皇帝派連合軍、総勢二万四三〇〇。ラウル軍、推定五万三〇〇〇。
つまり我々はこれから、倍の敵と戦うことになる。
この戦場に両軍合わせ七万以上の兵力が集まっている。これは、この世界の『内戦』としては異常な規模である。ただ、帝国として見ればそう違和感のない兵数である。まぁ、うち四万は民兵なんだけどな。
正直、圧巻の光景ではある。能天気に喜べる立場ではないから、むしろ胃が痛いくらいだが。
丘陵内の民兵には、クロスボウを与え、『丘陵の外より中の方が安全である』として外出を禁じた。非情な手段ではあるが、実際に今から外に出るより、丘陵の内にいる方が生き残れる可能性は高い……それは土壁から塹壕まで自分たちの手で築いて来た彼らにはよく理解できるはずだ。
そんな彼らを、薄く長く丘陵内の塹壕に配置している。バイナ丘に八〇〇〇、ギーノ丘に二〇〇〇だ。
本当に、ギーノ丘の工事が間に合ってよかった。
そして彼らの指揮についてだが、皇帝軍の新兵を指揮している小隊長たちに任せることになった。
明らかに限界以上の兵力の指揮を押し付けることになるのだが、かといって諸侯軍から指揮官を抜いて弱体化する訳にはいかないので、苦肉の策である。その為、こちらの皇帝直属軍は各地点に満遍なく配置することになった。ギーノ丘に五〇〇、バイナ丘の北部に五〇〇、南部に五〇〇、そして本陣間際に五〇〇である。新兵によって構成されたこの直轄軍は、基本的にはスドゥーム銃を持たせ、一部の部隊には槍も配備した。
彼らには槍の「構え方」は教えているが、「槍兵としての修練」は積ませていない。何故なら俺は最初から、彼らをシュラン丘陵の野戦陣地の中で戦わせるつもりだったからだ。それでも槍兵としての「基礎」くらいは教えてある。敵兵の突撃は防げなくても、敵に部隊として突撃するくらいはできる……ってくらいの練度である。
ちなみに、俺たちのいる地点……つまり本陣は、バイナ丘南東部、シュラン丘陵全体で最も高い地点に置かれている。
そしてこちらの指揮系統についてだが、表向きは全軍の総司令官は皇帝である俺、カーマイン。実際に指揮を執るのは『双璧に並ぶ』ブルゴー=デュクドレー代将である。ただ、隔離されたバイナ丘からギーノ丘や右翼諸侯軍に伝令を派遣するのは難しいため、本陣からは狼煙によって簡単な命令しか出せない。
どのくらい簡単なものかというと、『通常戦闘』か『突撃』、そして勝利後に上げる『追撃』の三種類のみである。本当は『撤退』の狼煙も設定しておくべきなんだけど、これは設定していない。だって、この戦いで負けたら俺ら終わりだし。
そんな状況の為、それぞれの部隊は現場の将が指揮することになっている。アトゥールル騎兵はそのままペテル・パールに自由に動く許可を与え、ギーノ丘の兵三五〇〇はアルヌール・ド・ニュンバルを指揮官に。バイナ丘の指揮をブルゴー=デュクドレー代将に任せている。
そして右翼諸侯軍はセドラン子爵を司令としている。彼の軍監権限で指揮ができるのだ。その布陣は北からワルン公軍三〇〇〇、マルドルサ侯軍二〇〇〇、ラミテッド侯軍一〇〇〇、エタエク伯軍二〇〇〇だ。
これまで、一切不審な動きを見せていないが、マルドルサ侯とエタエク伯軍は新参だ。だから間に信用しているファビオを置いた。問題はラミテッド軍、それほど練度が高くないと思われる点だろうか。
再興したばかりの家だからな。部隊長クラスは旧ラミテッド家の遺臣を取り込めているが、兵は徴兵したばかりの者も多い。つまり内情は皇帝軍とさほど変わらない。
そういった不安材料もあるが、それでもやるしかない。できる限りのことはやって来た。あとはもう、勝つか負けるかだ。
……いや、ぶっちゃけものすごく不安だ。この戦いで負けたら、俺は無能な皇帝の烙印を押され、殺されるだろう。だから万全の準備を重ねてきた、ベストを尽くしてきたつもりなのに……勝利までの道筋は整えたのに、後は俺以外の兵や貴族次第っていうのが恐ろしくてたまらない。
俺は本陣で、息の詰まる思いで戦場を見下ろしていた。……だと言うのに。
「いやはや、心躍りますなぁ陛下」
能天気な声に、俺は思わず怒鳴りそうになる。
この馬鹿はキアマ市の貴族、オーロン子爵である。皇帝直轄領の重要都市を任されながら宰相に靡き、俺が帝都を掌握した後は皇帝に媚びる無能である。
なぜこの男が最前線にいるのかって? そりゃキアマにいる兵数よりも、ここにいる兵数の方が多いからな。後、キアマ市にはマルドルサ軍やワルン軍など、自分ではどうしようもない兵が詰めており、自分より格上のワルン公女ナディーヌが貴族や商人の対応をしている。それが面白くなかったから、皇帝の元に「馳せ参じた」という既成事実を作ったんだと。
この辺の事情はナディーヌから手紙で平謝りされた。関係ない話だが、彼女は普段、語気が強い癖に、手紙だと上流階級特有の綺麗な文章を書く。
ちなみに都市の運営は元から部下がやっていたから、子爵はいなくても問題ないらしい。それどころか、余計な口出しをする人間がいなくなったお陰で、今の方がキアマ市からの補給は効率が良くなっている。
そんな利敵行為をしているのに、密偵の調査によると敵と通じている訳ではないらしい。ちょっと信じがたい話である。まぁ、無能だからこそ宰相や式部卿に引き抜かれもせずに、皇帝直轄領にいたんだろうが。
……こいつ、俺が何でキアマ市に立ち寄らず、直接シュラン丘陵まで来たのか、理由を理解できていないらしい。
あるいは、コイツが自発的に数人でもいいから傭兵を雇ってきたなら、「馳せ参じた」として褒めてやっても良かった。なのにコイツは、お供一人連れてスポーツ観戦気分だぞ。
何より、本当に気が滅入ることに、こういう奴が何人もこの本陣に詰め掛けやがったのだ。帝国には領地を持たない騎士や、売官で買った名ばかりの男爵も多い。そういう連中が、特に兵も連れてこず、「皇帝の本陣に参陣した」という既成事実だけ作ってあとは観戦気分でここにいるのだ。
というか、宮中伯が言うにはラウル軍に加わろうとして追い返された連中が大半らしい。正直叩き出してやろうかと思ったが、変なところをうろつかれて兵の士気に影響が出るくらいなら、近衛と他数名しかいない本陣に押し込んだ方がマシだと思い同席を許可した。
「もうそろそろラウル公の魔法兵が見られるのではないか?」
「派手な火球を撃つと聞きますからなぁ」
結果、俺のストレスになっている。本当に失敗した。
……よし、決めた。内乱が終わったら下級貴族の数を「減らす」……絶対にだ。
ただまぁ、こいつらがここまで能天気なのも理由がある。何せ、普通は内乱・内戦というと同じ国の者同士、そこまで激しい戦闘になることは滅多にないのだ。ぶつかり合って、優劣が付いたらそれを元に講和。それがこの世界の常識である。
俺が泥沼の戦いと表現したアキカールの戦いだって、激しいのはアキカール家同士の家督争いであって、貴族の方は睨み合いで留まっている。
そう、つまりこいつらは何も知らないのである。俺がラウル僭称公を本気で殺すために様々な手を打ってきたことも、彼が本当に追いつめられて、全力で皇帝の身柄を狙って来ていることも。
そうしてついに、戦いがはじまった。この腐敗した帝国を叩き直す為の第一歩が。




