近づく足音
本日3話目
その後、ほとんど抵抗もなくレイドラは降伏した。兵力的に圧倒的不利で、城壁にも穴が空いているのだ。誰だってそうするだろう。
レイドラとの講和は、速やかにまとまった。こちらからの条件は城壁の全廃のみ。レイドラを治めていた子爵も、その住民に対しても、一切のお咎めなしというものにした。
皇帝に逆らった都市に対しての処理としては、比較的寛大なものになった。ただ、城壁の全廃に関してだけは譲らなかった。これについては、城主である子爵は不服そうな顔をしていたが、もう一案として賠償金と食料の供出、そして子爵位の没収を突きつけたら、すんなりと城壁の放棄で講和となった。
その交渉、わずか一時間のみ。
まぁ、敵主力が来たら明け渡すのだから、戦術的には井戸に毒を入れるとか、食料を奪うとかするべきなんだろうが……それは政治的には下策だろう。
兵糧についてもそうだ。ラウル僭称公の軍勢は、皇帝直轄領では平気で略奪をするかもしれない。それは向こうの政治的目的地が「所領安堵」と「爵位の継承」であり、「皇帝直轄領の併合」ではないからだ。直轄領の住民に恨まれても、統治する予定は無いから向こうにとっては痛手ではない。
だが俺の目的は帝国の統一……少なくとも、住民に俺が憎まれるのは今後の統治に響く。だからこちらは「刈田狼藉」などできない。しかし向こうはしてくるかもしれない。皇帝派勢力圏の最前線に防御陣地を作ったのは、そういった理由もある。
その後、城壁に向けての大砲の試射は続いた。城壁を無くす許可は貰ったし、どう壊すかまでは言わなかったからな。騒音問題はあっただろうけど、負けたのに殺されないってだけで「極めて寛大な処置」なのがこの世界だから。
結局、その後火薬の量を減らしたフロッキ砲は、城壁は崩せないものの、角度をつけることでギリギリ届いた。熱量も抑えられたし、何より撃ち出された石は、僅かに遅いくらいだった。これだけの速さが出せれば十分だろう。
それと耐久性についてだが、フロッキ砲は翌日に、カーヴォ砲は二日後に砲身の亀裂が広がり、危険と判断され放棄となった。大砲自体は、不測の事態に備えて予備も丘陵に運び込まれている。それぞれ一門ずつ捨てるくらいは惜しくない。
かなり亀裂が広がっていたので、敵の手に渡っても再利用されなさそうではあったが、念には念を入れてバラバラにして放棄することにした。フロッキ砲の解体を任せたベルベー魔法兵たちは、熱で鉄を溶かしたり歪めたりしていたが、原型を留めないくらいにするのにかなりの時間を要していた。
俺はそれを尻目に、密かにカーヴォ砲の解体をした。【炎の光線】を使ったが、バターのようにすんなりと切断できた。この魔法は遠隔操作した複数の『基点』から撃てるので、ほんの数秒で完全に破壊できた。やはりこの魔法、金属には滅法強い。
弱点は『光線』だから霧や水、鏡に弱いんだよな……特に霧は致命的だ。戦場が霧に包まれることなんて少なくないのだし。
ちなみにこの破壊は、表向きはヴェラ=シルヴィがやったことになる。最近の彼女であれば、誰も疑問には思うまい。
大砲で壊しきれなかった城壁は、そこからは人力で崩すことになる。とはいえ、基本的には魔法兵による土木工事だ。ここでもヴェラ=シルヴィが無双していた。彼女が魔法を使っている姿は、子供が積み木を崩して遊んでいるかのような無邪気さがある……それで次々と城壁が崩壊していくのは、ちょっとした恐ろしさを感じる。
この城壁の残骸は、ここに残して敵に再利用されるくらいならと、丘陵に運び込むことにした。
やはり、魔法兵は強力な兵科だと改めて思う。ベルベーの魔法兵も、城壁の下にあたる地面を崩すことで次々に城壁を崩していく。付近の魔力が枯渇しない限り、地球の現代技術に引けを取らない作業効率である。
ただまぁ、これは実戦ではそうそう見ない光景でもあるだろう。遠い位置から強力な魔法を撃つと、それだけ魔力の消費は激しくなる。今は攻撃ではなく作業……城壁のすぐ近くで魔法を使えるから効率よく城壁を崩せる。
実際の戦闘では、城壁の上や城壁に空いた穴から反撃が飛んでくる。だから魔法兵は歩兵の後ろで守られるのが基本戦術となっている。こうして効率よく城壁を崩せる機会はそうそうない。だから大砲は発達しつつあるのだ。
ちなみに、魔法兵というのはこういう「破壊」の方が「創造」よりも得意だったりする。ゴーレムだって、魔力が無くなれば土に戻ってしまう。俺が今回、シュラン丘陵の土木工事に魔法兵を使わなかった理由だ。もちろん、魔力が切れても崩れない土壁を作れる魔法兵もいるだろう。だが、魔力が切れると崩れる土壁しか作れない魔法使いもいる。強力だが制約も多い……それが魔法兵である。
閑話休題、レイドラを丸裸にする作業は引き続き行われているが、ついにマルドルサ侯軍とエタエク伯軍の軍勢が合流した。
マルドルサ侯は、宮中伯がやけに警戒している相手である。元々宰相派だった彼は、派閥において宰相の次に実力を持った貴族だった。彼の領地は帝都のあるピルディー伯領の西に広がっており、この立地から帝都は東西を宰相派に挟まれる形となり、これが宰相の権力を上手く補強したと言えるだろう。
しかし『即位の儀』で宰相が討たれ、マルドルサ侯領が皇帝直轄領とニュンバル伯領に半包囲される形となった。そこで彼は、ラウル僭称公を見限り、皇帝派に降ったのである。実際彼は、今のところは不審な行動を見せたりしていない。率いて来たのは総勢三五〇〇の軍勢だ。
そしてエタエク伯軍だが、事前に伝えられていた通り、幼い当主は来なかった。総勢二〇〇〇の軍勢。同格のニュンバル伯が一〇〇〇派遣するのが限界なのに、二〇〇〇も派遣してきたところは誠意と見て良いだろう。そして伯爵の代理として二人の貴族が派遣されてきた。トリスタン・ル・フールドラン子爵と、サミュエル・ル・ボキューズ男爵である。
トリスタン・ル・フールドランは、伯爵の後見人として、領内の内政を取り仕切っているのだという。武官ではなく文官が来るとは思っていなかったので驚いた。雰囲気はニュンバル伯とシャルル・ド・アキカールを足して二で割った感じだ。冷静そうで不健康そうなのだ。
彼は皇帝に対する「誠意」としてやって来たらしい。しかし彼自身は部隊を率いたことが無いらしく、「いても邪魔になる」と自分で言っていた。この後はキアマ市に入る予定だという。どうやら彼、エタエク伯家でも内政を主にしていたらしい。キアマ市でナディーヌの補佐に回ってくれるという。これは正直ありがたい。
もう一人のサミュエル・ル・ボキューズはれっきとした武官……それも、貴族の中では有名な人間らしい。中でも、古くから軍務経験のあるジョエル・ド・ブルゴー=デュクドレーや、エルヴェ・ド・セドラン、あと意外なところでバルタザールも彼のことを知っていた。彼ら曰く、『博打男』らしい。つまり、彼が戦闘を指揮すると、大勝するか大敗するかなんだそう。
……それ、いいのか? ただ、命令を聞かないというわけではなく、自由を与えるとリスキーな選択を簡単に選んでしまうとようだ。だから自由に動けないよう事細かなに命令をすれば、毒にも薬にもならない指揮官らしい。
ちなみに、彼ら曰くエタエク伯は俺に憧れ、会いたがっているそうだ。だが領地にいる貴族たちが合わせたがらないらしい。箱入り娘か何かかな?
こうして五〇〇〇の兵を加えた我々は、二万五〇〇〇近い兵力になった。今のところ、新兵である皇帝軍も、労働者として丘陵にいる市民も、不安そうな顔はしていない。むしろレイドラを落としたことで気楽な雰囲気すらある。
だが軍議のため諸侯の集ったテントの中は、その正反対の重苦しい空気に満ちていた。
※※※
「五万!? 五万だと!?」
諸侯が並ぶ天幕で、俺は思わず驚きの声をあげてしまう。無理もないだろう、これではこちらの倍の兵力である。
この報告を持ってきたのはアトゥールル族長、ペテル・パールと、ヴォデッド宮中伯の二人だ。ペテル・パールは、捕えた敵騎士の口から、そしてヴォデッド宮中伯は密偵の観測結果としてである。残念なことに、情報源が二つある以上、この情報の信憑性は高い。
「事前情報では……敵が動員した兵力は二万……それが五万とは」
「民を徴収しているとは聞いていました。しかし、三万ですか」
アルヌール・ド・ニュンバル、ラミテッド侯ファビオが驚きの声をあげる。それもそうだろう、この数は普通じゃない。
ちなみに異教徒であるペテル・パールについてだが、これまでは諸侯が軍議に参加することを不満に思うかもしれないと思い、含めていなかった。だが本格的に布陣等を考えなければいけないこのタイミングで、二〇〇〇もの騎兵を指揮する男を、参加させない方が却って不都合が生じる。
それに、敵地への偵察から敵補給路の襲撃まで便利に使っているのだ。文句を言える貴族はいないだろう。
「ラウル公領は兵器の生産力が高い領地です。彼らであれば、三万人分の武器・装備は用意できるでしょう。しかし兵糧はそれほど余裕もないかと」
ヴォデッド宮中伯の分析に俺は頷く。元々兵士のレベルが高いと言われていた上、資金面でも恵まれていたラウル公領だ。武器等には余裕があっておかしくない。しかし、五万もの人間を食べさせるための食料は、それほど準備できていないはずである。
「つまり、短期決戦か」
問題はこの三万もの民兵を、どう使うつもりなのか。
「地図を」
俺は改めて、丘陵周辺の地図を広げる。まず、こちらの作戦はこのシュラン丘陵に敵主力を誘き出して殲滅することだ。その為に、敵が街道を抑えたがると踏んで、丘陵南側に罠を仕掛けている。
では、敵の作戦は何だろうか。可能性として考えうるのは……丘陵での決戦を避ける場合のものが二つ、丘陵の攻略を狙う場合のものが二つ、計四パターンだ。
丘陵での決戦を避ける場合、敵が狙うのはシュラン丘陵にとって補給拠点になっている都市キアマの攻略、あるいは帝都カーディナルの直接占拠だ。俺の支持基盤である帝都の陥落は、俺が権力を失うに等しい。ただこれはどちらを選ぶにしろ、シュラン丘陵にいる皇帝派連合軍に対し、最低でも同数の『抑え』の兵力は置かなければならない。そうしないと、こちらに背後を突かれるからな。つまり、この二つは敵が絶対に兵力を二分する。
次にシュラン丘陵を攻略しようとする場合、敵側が採ってくる可能性のある作戦は二つ。一つは『強攻策』……つまり戦闘によって無理やり攻略するパターン。あるいは『包囲策』……つまり兵糧攻めにするパターン、このどちらかである。
……だが、三万もの民兵というのは大きなヒントになる。民兵を除いてもこちらには一万五〇〇〇の兵がいる。部隊を分けて「丘陵と睨み合う部隊」と「別動隊」に分ける場合の配分は……正規兵だけなら最低でも二万は丘陵の抑えとしておきたいはず。
そして、無理やり連れてこられたせいで士気も低く、いつ逃げるか分からない民兵は、それを抑える為にも正規兵と合わせて運用したいはず。となると、丘陵の抑えに正規兵一万、民兵二万が最低条件だろうか。つまり、敵が別動隊で動かせるのは正規兵一万、民兵一万程度。この軍勢で敵は、短期間で帝都を落とさなければならない。それは兵糧の問題、そして自領の中枢都市にゴティロワ族が迫っているからだ。
可能だろうか……いや、無理だな。ワルン公がいるというのもあるが、帝都が広すぎる。『侵入』はできても『攻略』は不可能だ。
一方、ほとんど守備戦力を置いていないキアマ市であれば、その二万でも十分に攻略可能である。
そしてシュラン丘陵を攻略しようとする場合……やはりレイドラを補給拠点として信用しきれないラウル軍にとって、シュラン丘陵を兵糧攻めにするというのは、あまりにリスクが大きい。その場合、兵糧攻めと見せかけて別働隊でキアマ市を落とすくらいの方がまだ現実的だろう。
……つまり、予測される敵の動きは二つ。
「キアマ市の攻略か、シュラン丘陵の攻略か。どちらも短時間での攻略を狙ってくる」
そう考えると、やはり敵の採れる作戦は少ない。そしてこちらの作戦は、最初から「キアマ市へ向かわせないようにシュラン丘陵で決戦」だ。
「基本的には元の作戦に変更はない」
「丘陵南側で決戦ですね?」
ほぼ全方向を囲われているバイナ丘の防御機構だが、南側の一部のみわざと造っていない。これはバイナ丘の内外を出入りできる唯一の地点でもあり、そしていざとなったら出撃できる地点だ。敵が狙うとしたらこの地点だし、こちらの罠でもある。
「ここから民兵を逃さないよう、諸侯軍を丘陵の南に展開させる」
「籠城は考えない方針、ですね?」
セドラン子爵の言葉に、俺は頷く。
「あぁ、丘陵内部に全軍を収容するつもりは無い」
敵がキアマ攻略を狙うなら、それを阻止するためにも部隊は丘陵外に展開しておく必要がある。敵が丘陵攻略を狙ってくるなら、やはり南側の防衛は必須である。
「だが、南側だけを守ればいいという事でもなくなった。ミフ丘だ」
俺は三つの丘陵の内一つを指さす。責任を感じているのか、ファビオが下を向くのが、視界の端に映った。
「ここに敵の大砲を運び込まれたら、我々は敗北する」
敵は攻城砲であるカーヴォ砲はまず持ち込めないと思われる。それは敵の進軍速度が速すぎるからだ。俺たちですら、そういった大型砲は運搬に時間がかかるから事前に運び込んだのだ。現在の敵の進軍速度では、まず持ってくることは無理である。
もちろん、長期戦になれば援軍としてくるかもしれない。だが、敵の兵糧事情的にその可能性は低くはある。だからこれは後回しにして考えるとしよう。
問題は、ラウル軍は『ポト砲』と呼ばれる野戦砲を運用しているということだ。
ポト砲は、ラウル軍が採用している小型の射石砲である。口径が小さく、射出する砲弾も小さい。その為、城壁などは討ち抜けない。だが大砲の問題点である冷却時間や、命中率、持ち運びなどは改良されており、馬車に曳かせることで、軍隊の行軍速度についていけるようになっている。そしてこの大砲の特徴は、密集した敵の軍勢……つまり、敵兵に向けて撃つことを主軸としていることだ。顔くらいのサイズの石でも、目で追えない速さで飛んでくれば、人は死ぬのだ。
無論、ポト砲が出てくることは分かっていたので、対策として土壁と塹壕を整備している。仮に平地からの砲撃なら、これで耐えられただろう。それこそ、攻城砲であるカーヴォ砲であれば土壁ごとぶち抜かれたかもしれないが、ポト砲なら耐えられる設計だ。敵の砲弾も無限ではないし、反撃も可能なように兵の陣地も調整していた。
問題は、ミフ丘の工事が間違いなく間に合わないことである。
「ミフ丘の頂上付近は、バイナ丘北側の稜線よりも高所にある。つまり、撃ちおろされる格好になる。小型の砲弾でも民兵の頭上に降りそそげば被害は大きく、彼らは恐慌状態に陥るだろう……つまり、ここにポト砲が運び込まれた時点で『詰み』だ」
下からの砲撃は防げるようになっていても、より高所からの砲撃には耐えられないと思われる。しかも、今から対策しようにも間に合わない。
逃げやすい民兵を、無理矢理戦力化するための「逃がさない陣地」。それが敵の砲撃を一方的に受けるだけの「死地」に変わってしまう。
まるで将棋の穴熊みたいだ。
「ギーノ丘の標高とミフ丘の標高は同じくらいですか。では……我が軍がギーノ丘は死守してみせましょう。一方的に耐えるなんて性に合いませんが」
エタエク伯軍の指揮を執るボキューズ男爵がそう言った。爵位としてはこの場で最も低いのだが、髭を弄りながら自信あり気にそう述べる。正直不安だ。
「仮にミフ丘に置かれたら……バイナ丘は……北側を放棄するしか」
「そうなればギーノ丘との連携は不可能でしょうな。これを見捨てることになりかねません」
アルヌール・ド・ニュンバルとブルゴー=デュクドレー代将が、それぞれ意見を述べる。そう、結局のところギーノ丘を死守出来たところで、バイナ丘の北側は潰されるのだ。
そこで俺はティモナに工事の進捗を訊ねる。
「そもそも、ギーノ丘の陣地は間に合いそうか」
「ギリギリです。ですが、彼我の戦力差からして間に合わせない訳にはいかないのでは?」
冷静な声で、ティモナがもっともなことを言う。案外、ティモナが一番落ち着いてるように見える。意外と指揮官の才能、あるんじゃないだろうか。
「俺が出ても良い」
そこで名乗りを上げたペテル・パールが、さらに続ける。
「街に籠られなければ、時間は稼げる」
アトゥールル騎兵の特徴は、引き撃ちで一方的に攻撃できる点にある。敵軍に接近し、馬上から弓を一斉に放ち、また距離を取る。この繰り返しが彼らの基本戦術である。
しかし、これが強い。俺が知る限りあらゆる騎兵より早い彼らは、騎兵相手には一歩的に攻撃できる。槍兵相手にもそうだ。
問題は銃兵・弓兵・砲兵・魔法兵相手の場合だが、そもそもラウル軍にはろくな弓はいなかったはず。残る三種の兵を相手にするとなると、損害も出るはずだ。それを分かった上で、自分たちが時間を稼ぐと言っているのだろう。
「ならば……いえ、何でもありません」
ファビオが口を挟もうとして、途中で止めた。たぶん、罪を贖う機会だからと名乗り出たかったのだろうが、彼らには工事の監督役を続けさせているから無理だ。
ミスを犯した彼らから、その役割を取っても良かった。だが今さら、いきなり引継ぎをさせれば現場は混乱するし、何よりラミテッド侯軍の士気が下がる方が問題だった。その後の作業を見るに、反省はしているようだしな。
「であれば、ギーノ丘は間に合う前提で考える」
だとしても苦しいものは苦しいが。
「当初は三つの丘に民兵を、その南に諸公の軍を置く予定だった」
街道沿いに置くことで、敵のキアマ市攻略を阻止し、また同時に敵を罠に誘引する予定だった。そして北側に関しては、三つの丘が相互に連携し守るのである。
敵が丘陵北部からの迂回を企図する場合、ミフ丘の近くを進めば一方的に攻撃されることになる。だから敵は、安全な距離を大きく迂回せねばならない。その時間があれば、丘陵南側の主戦場は片が付く。その予定だった。
だが現状では、ミフ丘を除いた『線』で守らなければいけない。北側も備える必要が出てきたのだ。
「最悪、堀も土壁も無いミフ丘を、諸公の誰かに守ってもらわねば」
勿論、民兵には無理だ。すぐに逃げ出す。
「それはどうでしょうな。確かにミフ丘を奪われれば厳しいですが、こちらの兵力に余裕が無いのも事実。遊兵化を避ける為により前面での防衛……つまり、積極的な迎撃を図るべきかと」
なるほど、ジョエル代将の意見も一理ある。つまり、ギーノ丘の陣地から援護できる位置で迎撃した方が、戦力を集中できると言いたいのだな。
しかしこれ、どう考えても……。
「将が足りない……」
誰かが小さく呟いた。
「あぁ。兵の不足は防御施設や『切り札』で返せる。しかし指揮官……特に部隊指揮官の不安は残る」
戦力差が五分ならば、諸侯の誰かを丘陵の中に入れ、部隊を再編して民兵の指揮を執ってもらうつもりだった。しかし戦力上の余裕が無い以上、諸侯の軍は基本的には丘陵の外で戦ってもらわなければならない。
「許容せざるを得ない、でしょう。それにその点は敵も同じ状況、かもしれません」
セドラン子爵の言う通り、三万の民兵ともなればそれを「戦わせる」為の人員も必要になって来る。丘陵に「閉じ込める」ことで戦わざるを得ない状況に追い込むこちらとは違い、敵は平地……逃げだそうとする民兵を「阻止」するのは、小隊長などの役目になるだろう。ちなみに、ここでいう阻止とはつまり、殺害である。逃亡兵を殺し、見せしめにして他の民兵の逃亡を恐怖で抑制する……これがこの世界の当たり前である。
そう考えると、確かに敵も部隊長クラスは不足しそうなものだが。というか……。
「そもそも、敵はなぜ三万もの民兵を徴兵した?」
兵力は、多ければ多いほど良いというものでも無い。兵糧を圧迫するし、全体の動きも遅くなる。戦力として数えるには民兵は弱すぎるし、彼らが動揺し一斉に逃げ出せば、それを処理……じゃなかった、「阻止」するのにも時間がかかる。
そんな俺の疑問に対し、ティモナが一つの可能性を提示した。
「敵は、『要塞』に対する強攻を想定しているのではないでしょうか」
確かに、俺はここを『要塞建築』と銘打って民衆を集めた。戦略上の要衝を『防衛』する為の要塞は、堅牢かつ長期戦にも耐えられるような造りをしている。
「ヴォデッド宮中伯、敵の偵察などはどのくらい『狩れ』ているか」
「最優先で取り組んでおります」
するとヴォデッド宮中伯に続いて、ペテル・パールも答える。
「俺たちも見つけ次第狩っていた。ここに来てから、やることもそれほど多くなかったからな」
実際は、この丘陵は要塞と呼べるほど長期戦には対応していない。井戸はあるし、ある程度の食料も入れているが、長くはもたない。
実際今も、キアマ市からの補給があってこそだ。俺やヴェラ=シルヴィとナディーヌ、それとこの場にいる諸侯には、寝泊まりできる小屋が与えられている。だがそれ以外の人間は全員テント生活だ。そもそも、作業の邪魔になるから労働者の一部は丘陵の外で寝泊まりさせていたしな。
しかし、それを敵が知らない場合……敵が集めた民兵三万の意味が理解できる。
「肉の盾、ですか」
「あぁ。自分たちの正規軍……ラウル軍主力の損耗を抑えるための、弾避けだ」
魔法兵の召喚魔法と同じ考え方だ。どうやら敵も、この戦いで負ければ後が無いと分かっているらしい。三万の自領の民が死んでも、皇帝を捕えるなり首を獲るなりすればいい……そう考えているのだろう。
有効かもしれないが、嫌な戦術だ。平民を人と思っていない……いや、それが貴族の考え方か。
「敵はこの丘陵での戦いに勝利した後のことも考えている。正規兵の消耗を少しでも減らしたいはずだ」
しかし弾避けぐらいにしか見ていなくても、その三万の盾は武器を構えている……士気は低くとも、戦う力が無いわけではないのだ。無視はできない……厄介だ。
「ヴォデッド宮中伯、引き続き防諜と情報収集を」
「お任せを。それと、ドズラン軍の動きについてご報告です」
報告によると、ドズラン軍五〇〇〇が、極めてゆっくりとした行軍速度で、徐々にこのシュラン丘陵に迫ってきているらしい。そして何より問題なのは、連中、ヴォッディ伯領を通ってきているらしいのだ。
ヴォッディ伯ゴーティエは、宮内長官の職にあった貴族である。先帝の暗殺関連で証言した為、釈放となった。元々宰相派だった彼は、領地に戻るとすぐにラウル僭称公に臣従し、合流した。つまり、完全なラウルの勢力圏である。
そこを通過していながら、ドズラン軍には一切、戦闘が発生していないという。
……もう敵と見なしていいんじゃないかな。
「最悪、敵が五〇〇〇増えますな」
「それについては、余も諸公も織り込み済みだろう。問題は、民兵が動揺するかどうかだ……」
その後も色々な可能性を検討し、作戦について見直したり、部隊配置について考案したりした。
だが結論でいえば、それらは全て、敵であるラウル軍の動き次第になってしまうだろう。
これほど策を講じて、色々と準備を重ねて、それですらこうなるとはな。何もせずにすぐにラウル討伐の軍を興していたら、どうなっていたことか。




