野営地にて
本日一話目
その後、サロモンと入れ替わりでヴェラ=シルヴィは街へ向かった。彼女は野営組では無いからな。
こういった行軍の時、貴族や皇帝は村や都市、近くの教会などに泊まることも多い。このアフォロア公領にも、各街を治める貴族である子爵や男爵がいる。当然、彼らに館を提供させることもできる。ヴェラ=シルヴィやナディーヌなんかは野営ではなく、貴族の街で寝泊まりすることになっている。
街であれば、トイレも水道も厨房もあるし、そして何よりベッドの上で寝ることができる。だから野営に慣れていない彼女たちは、少しでも余計な疲労を溜めない為にも、街の中で寝泊まりした方が良い。
俺? 俺はそれを断りテントに泊まることにしたよ。こう見えて、巡遊の時に野営は何度か経験しているし。まぁ、あの時は簡易的なベッドを運び込んだり、厨房と言っても過言ではないような調理設備を持ち込んだりしてたんだけど。
貴族主導で、金も掛かっていたからな……あの巡遊は。それでも、不便なことは多かった。なのに、テントにまで付いて来たロザリアってやっぱり凄かったな。
ちなみに、今回はベッドや調理設備は持ってきていない。行軍の邪魔になるし、そんなもの持ってくるくらいなら素直に館に泊まった方が効率的だ。だから俺は、基本的に兵たちと同じ生活をする。
ベッドではなく適当な布の上で寝るし、食事も簡易的なもので済ませることになる。飲み水は近くの川の水を軽くろ過して沸騰させたもの……つまり貴重なので、飲める量も決まっている。そしてトイレもないから穴を掘って……だ。
それでも野営を選んだ理由? そりゃ貴族たちが信用できないからさ。つい二か月前まで宰相とずぶずぶの関係だった連中の館に泊まれとか、冗談じゃない。ヴェラ=シルヴィやナディーヌも、貴族の館ではなく、街の中にある宿屋を借り受けることになっている。
だがそいつらは、表向きは皇帝である俺に帰参した連中だ。……皇帝直轄領の貴族が皇帝に帰参っていうのもおかしな話だがな。
そんな訳で、門前払いにはできない。だから俺は、そのくだらない御機嫌取りにも付き合わなくてはいけない。
「陛下、何もこのようなところにお泊りにならずとも。我が館にお越し下さい。宮廷料理には遠く届かずとも、我が一族、総力を挙げて歓待させていただきたく」
「館が気に食わないと言うなら私の教会はいかがでしょう。気に入るかは分かりませぬが、修道女に言って食事以外もご用意させましょう」
こいつらは皇帝直轄領の貴族でありながら宰相派に属していた小役人と、同じく処刑された前西方派トップ、ゲオルグ五世のご機嫌取りで出世した俗物だ。名前を覚える気もない。
というか、導司に関してはまるで教会を私物化している発言だ。しかも食事以外って……女を用意するってことだろうな。後でダニエル・ド・ピエルスに通報しておこう。
「見ての通り」
俺は彼らに向け、断り文句を繰り返す。
「我が軍には銃を携帯している兵も多い。屋根のある家屋には彼らを優先して泊まらせたかったのだ。卿らの街や教会に、七〇〇〇もの兵は泊まれまい」
火縄銃だから、湿気には弱い。実際、この貴族の街に一部の兵は泊まらせている。まぁ、館に入れるのは拒否られたがな。
ちなみに、教会の方も兵の寝泊まりは断られた。というか、こっちは皇帝以外お断りって態度だった。どうやらこいつは、未だに自分の立場を理解していないらしい。
まぁ、それに関しては仕方がない部分もあるのかもしれない。旧ゲオルグ派の生き残りは、現状維持で放置されている……何せ西方派は、その後継者を巡って激しく争っているからな。
聖一教西方派のトップは『真聖大導者』で、これに次ぐ役職が『司典礼大導者』、『司記大導者』、そして『司聖堂大導者』の三席になっていた。このうち、『アインの語り部』のダニエル・ド・ピエルスは『司聖堂大導者』の席についている。
……厳密には西方派を信仰していない『アインの語り部』がそんな高位に入り込めるとか、ざる過ぎないだろうか。
そのくせ、権力には一丁前に執着するのが西方派の聖職者だ。『真聖大導者』ゲオルグ5世が処刑されたことで、この座……つまり聖一教西方派のトップが、現在空位となっている。この席を巡って『司典礼大導者』と『司記大導者』の二人が激しく争っている最中だ。んで、ダニエルは中立の立場でこれを焚きつけている……俺の命令でな。
政治力を持った宗教勢力は厄介だ。特に、俗にまみれた連中は。確かに、彼らは即位式の後速やかに俺に従ったが……所詮、利権に群がるだけのハイエナだ。できるだけ力を削ぎたい。だから今は、好きなだけ争っていればいい。弱ったところで両方を潰すから。
なんやかんやで口煩い貴族と聖職者を退かせた俺は、小隊長たちの食事に混ざり、同じものを食べた。もちろん、相変わらず毒見役を買って出るティモナも一緒にだ。本当は一般兵の輪に入っても良かったんだが、流石に彼らが緊張してしまうだろうからな。
彼ら小隊長たちの心情は分からないが、割と感触は良かったと思う。これから俺は、彼らに命令をすることもあるだろう。知らない人間よりも、知っている人間の指示の方が聞きやすいはずだ。
ただ、これが許せない人間もいたらしい。
「あの導司、『神の教えに反してる』って喚いていたわ。正直、迷惑よ」
一番大きなテントにやって来て早々、俺にそう愚痴をこぼしたのはナディーヌだった。ここは諸侯を話し合うために用意された会議室であり、簡易的な机や椅子が並べられている。
「テントの前まで抗議に来ていましたね。その行動力があるなら他にすべきことがあるでしょうに」
サロモンも、俗物導司を見かけたらしい。帰ったりまた来たり、忙しない奴である。ちなみに、そいつは近衛たちによって既に引き離された後らしい。いい仕事するじゃないか。
なぜ自分の権力以外興味無さそうな聖職者が抗議に来たかと言うと、それは聖一教の教義にかかわって来る。
中世ヨーロッパではスプーンやフォークは扱わず、手づかみで食べていたという。それどころか、食器の代わりにパンを乾燥させて皿として使っていた……らしい。なぜそんなことになっていたかと言うと、当時の聖職者が「食べ物に触れて良いのは人の手のみで、道具を使うことは神への冒涜」と考えたから……なんて話をどこかで聞いた気がする。正直、前世の記憶だから忘れつつあるが。
俺はクリスチャンではなかったのでその辺、理解できない考えだが……食べ物も人間も神様が創ったものだから触れていいが、人間が創った食器で神様が創った食べ物に触れるのは良くない……という解釈で合ってるだろうか。
まぁ、残念なことに今の俺には真相なんて調べようもないんだが。
だがこの世界ではスプーンもフォークも、皿だってちゃんと使う。この辺は転生したばかりの頃、「異世界だから」で納得していたんだが……どうやら聖一教の影響らしい。食器を使うことや食事の前の手洗い、あとは基本的なテーブルマナーも、授聖者アインが「正しい行い」として明確に定めたから広まっているようだ。
だからこの世界では、肉の取り合いでナイフを手に刺される心配はしなくていいし、七人以上で食事しても殺人は殺人として罪に問われる。
水洗式のトイレや入浴だって、聖一教によって推奨されているから広まっている。その辺は偉大なる先達に感謝だ。同時に、『宗教』が持つ力が恐ろしくもあるけど。
さて、話を戻そう。このように、聖一教では「食器を使うこと」「手づかみで食べないこと」「大皿の料理は自分の皿に取り分けてから食べること」が『正しい行い』として認められている。逆に言えば、「手づかみで食事をするなんて神の教えに反している!」とも考えられる訳だ。そしてこれが西方派の見解であるらしい。
だが、軍隊ではそのような余裕は全くない。兵士全員分の食器なんか用意できるはずもないからな。彼らは手づかみで食事を摂るし、汁物は一つの杓子で回し飲みだ。
まぁ、流石に汁物に関しては俺の分は容器も匙もあったんだけど。
いつだったか、巡遊で農民の粥を口にした時は、「穢れる」とは言われたが、「不信仰」とは言われなかった。それは、ちゃんと食器があり、それを使って食べていたからだ。しかし今回は、食器が無いから「神の教えに反した」ということらしい。
俗物の癖にちゃんと教義は守っているらしい。……もちろん皮肉だ。
しかし融通の利かない奴である。まぁ、十中八九遠ざけられた腹いせが含まれているんだろうけど。
「元枢導卿の見解は?」
俺はそう言って、いつの間にか合流してきた男……デフロット・ル・モアッサンに話を振った。彼は西方派の元聖職者だからな。
西方派の聖職者は、実ははっきりと階級序列が決まっている縦社会である。上からざっくりと「大導者」「導輔」「聖輔」「礼輔」「導司」「礼司」である。その中でも細かく上下か定められていたり、序列と実際の権力が逆転している部分があったりもするんだけど。前者は『真聖大導者』と他の大導者の関係などで、後者は「聖輔」と「礼輔」などだな。
地方のお偉いさんである礼輔の方が、中央の下働きである聖輔よりも美味しい思いできるから、みんな昇進したがらないらしいよ。だから最近では、この二つが同列になりつつあり、合わせて「枢導卿」と呼ばれたりもする。
デフロットは、『司聖堂大導者』ダニエル・ド・ピエルスの手足として働いていたことからも分かるように、聖輔の方である。
「『家族を守る為ならば』……つまり、戦争のようなやむを得ない場合は許されるというのが、各宗派共通の解釈です。何も問題ありません」
この男、帝都とのつなぎ役としてこれまでゴティロワ族領にいたのだが、どうやら俺が動いたので戻って来たらしい。
ちなみに、ヴォデッド宮中伯はこの場にはいない。まぁ、彼は密偵長だ。こういうことはよくある。
というか、その隙をみてやって来たように感じるのは、俺の気のせいだろうか? 本人は否定しているが、あからさまに実の父親を避けていると思う。
「矛先がこっちにまで向いて、大変だったわ!」
まぁ、男尊女卑が強そうだったからな、あの導司。俺の代わりにナディーヌに当たり散らしたのだろう。西方派の持ち物である地方の教会を、自分の物だと勘違いしてしまう導司は多いのだ。
それにしても公爵の娘に当たるとか、馬鹿というか怖いもの知らずというか……ナディーヌは我慢してくれたんだろうな。
「すまない、ナディーヌ。苦労を掛ける」
「……べつにいいけど」
聖一教は、転生者であるアインが教祖の宗教だ。理想論だけでなく、戦争などの非日常の際は例外という考えを設けるなど、かなり現実に即していると思う。他にも、衛生に気を配ったり、差別や偏見をなるべくなくそうとしたりしている。個人的には良い宗教だとは思う。
ただ、それを守るべき聖職者がねぇ。教祖が素晴らしいのにその後が腐敗するとか、そんなとこまで似なくて良いんじゃないだろうか。
「いかがでしたか? 兵の食事は」
ふと、デフロットが話を振って来た。今日の食事は保存用のパンに、比較的新鮮な肉だった。小隊長たち曰く、日が経つにつれ保存用の干し肉などが増え、食料が減れば「粥」も増えるらしい。ただ、そういうのは補給が困難な国外遠征時が多い。何より今回は、比較的近場の丘陵への行軍である。そこまで食糧事情で追い込まれることは無い。
「素晴らしいものだったよ」
「おや、やはりお口には合いませんでしたか」
素直な感想を答えたのだが、どうやら皮肉として受け取られてしまったらしい。
「いいや、存外悪くはなかったよ。味も予想より遥かに良い」
「いえ、それも陛下の采配によるものでしょう」
「余の?」
デフロットはえぇ、と答える。
「随分と『女狐』……ならぬ『女羊』共に気に入られたようで。胡椒の供給が潤沢なおかげで、むしろ諸侯兵の方が大喜びでしたよ……彼らは『無い』時を知っておりますから。いっそ陛下からの恩寵として振舞った方がよろしかったのでは?」
あぁ、なるほど。普段も口にしていたから気づかなかったが、確かに味付けに胡椒が使われていた。これも、黄金羊商会から俺に対する『貸し』になるのか。
まだ「缶詰」が発明されていない世界では、食料の保存方法とはすなわち塩漬けである。ただ、それは肉の腐敗を遅らせるものであって、完全に止められる訳ではない。時間が経てば腐ってしまう。だが胡椒は、その腐敗した肉の味を誤魔化せる……だから人気なのだ。この辺は、どこの世界でも同じらしい。
「丘陵につけば酒を振舞う予定だ。とりあえずはそれでいい」
「遅れました」
俺が答えたところで、最後の諸侯がようやくやって来た。
「よし……では、軍議を行う」




