新章プロローグ
いろいろと忙しく、更新するだけになります。すみません。
代わりに今日は二話投稿します。これでどうにかお許しください。
遥か後方に聞こえる歓声……市民の期待に背中を押されるように、皇帝の軍勢は戦場に向け、街道を進んでいた。
かつて同じように歓声を受けた時はまだ五歳で、ただ馬車の中から眺めるだけだった。巡遊という形で初めて帝都から出た際は、貴族の兵に囲まれた傀儡に過ぎなかった。
それがようやく、誰にも支配されず、自らの意思で帝都を出たのだ。その上、指揮官は別にいるにしろ『皇帝軍』の総司令だ。これが感慨深くないと言えば嘘になる。
いつの間にか、帝都を出るまでの苛立ちも収まってきた。俺はこれから、戦場へ向かうのだ。思い通りにならないことなどいくらでもあるだろう。今回の件くらい、流せるようにならければと、自分に言い聞かせる。
過去に経験した戦場は巡遊の中での偶発的な物だった。こうして軍勢を率い、出陣するという経験は初めてだ。この世界に転生して十三年目で、ようやくである。
まぁ、生まれて十三年と聞けば短いと感じられるかもしれない。日本でいえば、小学生から中学生に上がるくらいの年齢だったか。それでも俺にとっては、それなりに長い人生に感じている。
何故なら俺は、生まれた時から記憶がある人間……いわゆる『転生者』であるからだ。
***
前世で日本人として生きていた俺は、この異世界にて二度目の生を受けた。名前はカーマイン・ドゥ・ラ・ガーデ=ブングダルト。東方大陸と呼ばれている大陸にある、ブングダルト帝国という国家……そこで生まれながらの皇帝として生を受けた。
生まれながらの皇帝……それは響きだけならいいかもしれない。
何せ皇帝だ。王よりも偉い存在、大国の絶対君主……それが本来の皇帝である。誰からも命令されず、貴族を顎で使い、贅を尽くし、豪華な食事に酒池肉林の毎日……そんなイメージがあるはずだ。
異世界に転生するなら、裕福な商人か貴族に生まれて、冒険したり出世したりして、ゆくゆくは王様になって、やがて国を大きくして皇帝に成る……そんな人生を思い描く人もいるだろう。俺だって、そういう人生が良かった。
だが残念なことに、俺の場合は「生まれながら」という言葉が入っている。
普通、子供が君主の座に就くことは無い。それが生まれたばかりの赤ん坊ならばなおさらだ。子供の頃は皇太子として育てられ、大人になってから先代から皇帝の座を譲られる……それが本来の流れである。
じゃあなぜ俺が生まれた時から皇帝なのかって? それは皇太子だった父親や先代の皇帝が、俺が生まれた時には既に殺されていたからだ。
だから生まれたばかりの俺が、その瞬間から皇帝になってしまったのだ。
確かに誰にも命令はされなかった。子供の命令も当たり前のように無視されたがね。
貴族を顎で使うことも、贅を尽くすこともやろうと思えばできただろう。やり過ぎれば邪魔と判断され殺されるからやらなかったけど。
豪華な食事は確かに出てきた。いつ毒を入れられるかも分からず、念入りな毒見の結果出てくる時には冷め切っていたが。
酒に女? ……子供の身体でどうしろと。
つまり、実力の伴わない玉座ほど危険で虚しいものもないという事だ。数少ない仕事が貴族を喜ばせることって、それピエロと変わらないのでは。
これが「生まれながら」皇帝だった人間の境遇だ。ちなみに、一説によると「余は生まれながらの将軍」と言ったらしい徳川幕府三代将軍家光だが、彼が生まれた時には祖父の家康は生きているし、父親の秀忠に関しては家光が将軍になってからもしばらく存命だった。正直代わって欲しい。
祖父や父が殺された理由? ……さぁね。だが一つだけ分かっていることがある。それは二人を殺した黒幕が、宰相と式部卿という二人の大貴族だったという事だ。
生まれながらの皇帝である俺は、生まれた瞬間からこの二人の傀儡だった。帝国の約三分の一を直接治め、この国を牛耳っていた宰相、カール・ドゥ・ヴァン=ラウル。同じく広大な領地を有し、俺の祖父として好き勝手振舞っていた式部卿、フィリップ・ドゥ・ガーデ=アキカール。二人の大貴族による政争は熾烈を極め、その妥協の産物として俺は生かされた。何も知らない赤子、便利な傀儡、軽い御輿……その気になればいつでも殺せるお飾りの皇帝として、俺は生きることを許されたのだった。
だから俺は、生き残る為に彼らに都合の良い人間を演じた。転生者であることを悟られないように暗愚なフリをし、何年もかけて少しずつ味方を増やした。
その間、帝国という国家は衰退し続けた。これはまぁ、当然のことだろう。何せ、国のトップが子供で、代わりに政治を執る貴族らは「帝国」ではなく「自分の領地」を優先したのだから。
そしてそんな状況をみかね、ついにワルン公爵が兵を挙げた。名目は「利用されている皇帝を救う為」である。これに動揺した宰相と式部卿は、それまでどちらが帝冠を被せるかで争っていた政争を止め、二人で載せることに妥協し、『即位の儀』を決行しようとした。ちなみに、これを争っていた理由は、この儀式で皇帝に冠を載せた者がその後見人……帝国の支配者であると、内外に示せるからである。
皇帝に二人で帝冠を載せようとする彼らは、油断していた。目の前の傀儡が、ずっとその時を待っていたなんて、思いもよらなかったのだろう。
俺は二人の隙をついて、自らの手で両者の首を落とすと、帝冠をその手で被った。
そして自ら政治を執り行うこと……皇帝による「親政」を宣言した。俺はついに、傀儡の身から解放されたのだった。
だがこれだけで全てが丸く収まるほど、話は単純じゃない。常に監視下にあった俺が、宰相と式部卿によって支配された盤面をひっくり返すには、即位の儀という『一瞬』で『二人まとめて』排除するしか方法は無かった。
しかしこの政変は仕方がなかったとはいえ、あまりに急すぎた。根回しの時間が十分には取れず、皇帝である俺が自力で支配下に置けたのは、帝都とその周辺の僅かな都市のみである。
宰相と式部卿の息子たちは、皇帝の決定に従わずに反旗を翻し、独立を宣言した。まぁ、これは当然だろう。自分の親を殺されて、その相手に素直に従う訳もない。
それ以外の貴族たちも、素直に皇帝の命令を聞くはずがなかった。何せ、それまで傀儡としか見られていなかった十三歳の子供が、いきなり自分で国家運営をすると言い出したのだ。従う者の方が少ないのも納得だろう。
ある貴族は宰相や式部卿の子供たちに味方し、ある貴族は自己保身の為に様子見に徹している。俺に従ってくれている貴族はごく一部だ。それも、全てが信用できる訳じゃない。特に帝都周辺都市の支配者である中小貴族は、宰相や式部卿の庇護を受けていた連中だ。今は距離的に帝都が近いから従っているだけで、俺の力が弱まれば裏切りかねない。
それに加えて、貴族の専横で傾いた帝国を立て直すという課題も残っている。全てはこれから……皇帝である俺がどうにかしなければいけない。
「気が遠くなるな」
……俺だって、「異世界を旅する王道ファンタジー」とか「最強の力を自由に振るう」とか「知識チートで成り上がり」とか、そういう人生の方が良かった。
それが現実ではどうだ? 皇帝に冒険する自由なんて無いし、力を好き勝手振るえば暗殺される恐れがある。成り上がり? むしろされる側の人間だ。生きるために、野心ある人間を蹴落とさなければいけない。
権力の座から転げ落ちた人間の末路は、いつだって悲惨なものだからな。禅譲した中華の皇帝が、次の皇帝に殺された例は枚挙に暇がない。
俺だって、宰相たちをこの手で殺したのだから。
「いかがしましたか、陛下」
「いや、何でもない」
……脳裏に思い浮かぶのは、断罪され市民の前に晒された宰相と式部卿の生首だ。俺の命令で行われたそれは、皇帝や皇太子を暗殺した犯人への刑として、慣習通りの処罰である。だが、彼らがその刑を執行されたのは、皇帝である俺に負けたからである。
これから向かうシュラン丘陵でラウル軍に負けたりすれば、次は俺がそうなるかもしれないのだ。「明日は我が身」ってやつだろうか。
そうならない為には、最善を尽くさなければならない。
それに加え、皇帝として生まれた俺は、生き残る為に『無能な皇帝』を演じてきた。今は平気だが、帝都市民に『無能』と判断されれば、どうなるか分かったものではない。最悪、フランス革命宜しく断頭台の露と消える可能性だってある。このマイナスイメージを払しょくするためにも、俺はなるべく『優秀な皇帝』を演じなければならない。
今回、帝都を出て軍を率いている理由の一つはそれだ。先帝は自ら戦場へ赴くタイプではなかったので、違いをアピールする為にも俺の出陣は必要だった。
もう傀儡にされないために、な。
ふと、そこで軍の隊列が止まった。気づけば、もう帝都の歓声が聞こえない所まで来ていた。馬上から見る限り、何か問題があった訳では無いらしい。
「何の停止だ?」
「給水です。歩きながらでは隊列が乱れかねませんので」
「早いな」
行軍においては、とにかく同じ動きをすることが重要らしい。だから笛の合図に合わせ、同じ歩幅で兵たちは歩いている。流石に、前世の軍事パレードで見るような「一糸乱れぬ行進」ではないがな。
「夏ですから」
即位の儀があったのが五月の末のこと。それから練兵や謀略、その他準備に費やしたのは、実のところ二か月程度だ。今は七月の末……流石に前世の日本ほどは暑くはないが、それでも夏は夏だ。しかも騎士階級や諸侯の兵には鎧を身に纏っている者も多い。暑さにバテるくらいならこまめに休憩を取った方がいいのだろう。
一方で、大多数の歩兵は防具に関してはかなり軽装だ。それも統一されておらず、革の防具を身につけている者もいれば、一切防具を身につけていない者もいる。どうやら、支給される武器とは違い、防具は各々が持参しているようだ。
どうも将軍たちの話によると、防具を支給すると戦場に着くまでに売ってしまう人間が続出するらしい。確かに、武器は無いと戦えないが、防具は無くても戦えるからな。もちろん、軍を指揮する側としてはそんなことされても困るので、一部の例外を除いて防具は自己責任っていうのが常識なようだ。
ちなみに、俺も鎧を身につけていたりする。いわゆる胸甲や胸当てと呼ばれるやつで、袖のない上半身だけの鎧だ。しかも俺が身につけているのは特注品らしく、防御性能は維持しつつ比較的軽くて薄い。感覚としては防弾ジョッキを着ている感じだな。流石は皇帝。
どうやら全身を覆う甲冑ではなく、こうした身体の一部だけを守る鎧が最近の流行らしい。火縄銃とはいえ、火器が普及しているこの世界において、重い鎧は自身の機動力を損うだけで、一部の例外を除いて逆効果だ。銃の弾丸は大抵の金属の鎧を貫通するからな。だから近接武器から最低限の部分だけ守り、動きやすさも重視した防具が一般的なようだ。
とはいえ、これは金属でできているし、その下に服も着ているし、暑さには気をつけるべきだろう。まぁ、俺はバレないように熱操作の魔法を使っているから、ひんやり快適なんだけど。
熱操作といえば、今の俺は実のところ、魔法での探知能力が激しく低下している。
色々と試行錯誤を経て、子供の頃からいくつもの魔法を習得しているのだが、その中の一つが【吸熱】の応用である『熱探知』だ。これは壁越しでも人を感知できる便利な魔法だったのだが……体温と空気の「温度差」で探知していたせいで、気温が高くなると精度が鈍るのだ。つまり俺にとって、夏は天敵らしい。
あと、こういう軍のような「大人数」の中ではより一層効きが悪いようだ。情報量が多すぎて整理しきれない。
だからいつ襲撃されても良いように、常に【防壁魔法】を展開している。これで銃弾を完全に防げるかどうかは怪しいが、威力は弱められるだろう。
ライフリング有りの銃とは異なり、ライフリングが無い火縄銃では遠距離からの狙撃は威力が低い。というか、ライフリング無しでは狙撃と言えるほどの命中率はまず無理だ。特に急所を狙う場合、確か前世の火縄銃だと三十メートルくらいまで近づく必要があったはず。この世界の銃は前世のそれと比べてやや性能が劣っているようだし、隊列の中にいる限り(その隊列にいる兵が裏切らない限り)は暗殺はないはずだ。
何より、仮に防ぎきれなかったとしても即死でさえなければ、治療魔法で一命は取り留められる。こう見えても皇帝なので、最優先で治療が受けられるのだ。
まぁ、高度な治療魔法が使える優秀な魔法使いは皆ラウルとアキカールに持っていかれたんだけどな!
「急がせますか?」
気を利かせたのか、近くにいたサロモン・ド・バルベトルテがそう尋ねてきた。
彼はこうして帝国軍に帯同しているが、そもそもはベルベー王国の王族である。皇帝である俺の婚約者、ロザリアの祖国ベルベー王国は小国でありながら、隣国と頻繁に交戦しなければならない状況にある。
「いいや。行軍については全てブルゴー=デュクドレー代将に一任している。それに、余は不満に思った訳ではない」
そんなベルベー王国からの支援の一環として従軍しているサロモンは、五〇名ほどのベルベー人魔法兵を率いている。五〇名という数だけを聞くと「たったのそれだけ」と思うかもしれないが、そもそも魔法使いの数が少ない中、五〇名もの部隊は決して少なくはない。しかも、彼が率いているのは精鋭中の精鋭。ただの「魔法が使える兵」ではなく「魔法を使いこなす部隊」だ。
その上、隣国との戦闘で実戦経験も豊富。指揮官であるサロモンと合わせて、貴重な戦力である。
とはいえ、彼ほどの指揮官に、それだけの指揮を委ねるのももったいないので、他にも追加で一五〇名ほど、シュラン丘陵についたら指揮してもらう予定である。こっちはシュラン丘陵での労働員として募集した人間や、募兵した際に応募してきた人たちの中に混ざっていた、「魔法が使える人間」である。彼らの大抵はそれほど強力な魔法を使えるわけではない為、単純な魔法をいくつか覚えてもらった。
まぁ、その訓練を指揮したのもサロモンなんだけど。ただ、この一五〇名はこの隊列の中にはいない。理由は、魔法を覚えさせることを優先させたため、行軍訓練を一切できなかったからだ。彼らの為に全体を遅らせる訳にもいかないので、隊列の最後尾に配置している。最悪、決戦の日までにシュラン丘陵に間に合えばいい。ちなみに、逃亡できない様に見張りは多めに配置してある。
「それに、卿がいなくなっては誰が余に防壁を張るのだ?」
あと、サロモンは俺が魔法を使えることを知っている。そして俺は、魔法が使えることやどれくらい使えるかなどを可能な限り隠したい。だからこの行軍中は、俺が使った魔法は全て彼が使ったということにしたいのだ。
隠したい理由? それは簡単だ。たとえば他国が魔法使いの暗殺者を送り込んでくるとして、俺が魔法を使えると知っていた場合、その力量を越えた人間を間違いなく送ってくるだろう。だが俺が魔法を使えると知らない場合、魔法が使えたとしても遥かに劣る力量の人間を送り込んでくるだろう。何故なら、高い力量を持った魔法使いというのは、育成に金も時間もかかるからだ。それが暗殺者であればより一層、な。
……ほんと、魔法兵なんて貴重な兵を送ってくれたベルベー王国には感謝している。
「動きます」
どうやら休憩も終わり、再び動き始めるらしい。徒歩で俺の馬を曳いている側仕人ティモナ・ル・ナンが、周りの近衛兵に合わせ歩き始めた。
皇帝である俺の周辺は、宮廷から引っ張り出してきた近衛兵で固めている。その数、僅か一〇〇名ほど。その指揮官であるバルタザール・シュヴィヤールは俺たちの前方で近衛の指揮を執っている。
本来、皇帝を守る存在であるはずの近衛……それがなぜ一〇〇名しかいないのか。これは俺がまだ傀儡の皇帝だった時代、その護衛役である近衛という役職も、一言でいえば腐っていたことに起因する。貴族の箔付けの道具として、ろくに人を守れない連中に売り渡されていた訳だ。ただ流石に皇帝の安全を守る役職、一人も万が一の時に動けないようでは大問題だろう……そう考えた宰相たちによって、優秀な兵も一部混ざっていた。
今回はその一部のみを連れてきている。だから数は少ないが、動きはそれほど悪くなさそうである。
それから俺たちは、何度か休憩を挟みながら行軍した。目的地はシュラン丘陵、そこでラウル公を僭称する宰相の息子の軍を迎え撃つ予定である。とはいえ、今日一日で丘陵まで走る訳ではなく、途中で何泊か野営をする予定になっている。その辺も、事前にどこに何人が泊まるかなど、計画が立てられているらしい。
この行軍の間、俺はただ馬の上に座っていた。何せ馬を動かすのも騎乗している俺ではなく、曳いているティモナ委ねている。俺は意識して何もしないようにしていた。というのも、今回丘陵までの行軍の指揮はジョエル・ド・ブルゴー=デュクドレーに任せているからな。
だがこの軍が「皇帝の軍」であることは間違いなく、俺が何か言えば彼は「配慮」して聞き入れてしまうだろう。それでは采配を任せている意味がない。古来より、皇族・王族が余計な口出しをして現場を混乱させた例は五万とある。だから俺は何もしないように努力しているという訳だ。
「陛下!」
そこで前方から一騎、騎馬に乗った男がこちらに向かってきた。
「バルタザール。指揮は良いのか」
「問題ありません、陛下。そのくらいの練度はあり……ございます」
乗っている馬を軽やかに操り、近衛の指揮官である『近衛大隊長』のバルタザールが俺の側までやってきた。
「何かあったか」
「この先の街道沿いに、農民たちが陛下を一目見ようと並んでいるそうです。排除しま……致しますか」
あぁ、なるほど。
「構わぬ。減るものでもない」
帝都の市民は、今のところは為政者として俺を歓迎してくれている。なら帝都周辺の農民も、全員が全員俺に殺意を持っている訳ではないだろう。数名の襲撃なら防げる……それに、十中八九物珍しくて見たがっているだけだろう。パンダくらいにはなってやる。
「はっ、承知いたしました。それでは御免」
ハキハキとした返事とともに、バルタザールは颯爽と踵を返していった。
「随分と元気になってないか」
バルタザールには聞こえない様、俺は足元にいるティモナに、そう小声で尋ねる。宮廷にいた頃のバルタザールは、気だるそうだったり、緊張していたり、余裕が無さそうだったり……とにかく窮屈そうにしていた。
「バルタザール殿は元々、従士として最前線で戦っておられましたから」
……つまり今回、血と硝煙香る戦場に戻れて喜んでいると。戦闘狂かな?
それからしばらく行軍すると、ぽつりぽつりと農民らしき人々が街道沿いにいるのが見えてきた。
皇帝を神のような存在と思っているのか本気で有難がっている人、目をつけられない様に平伏しながらチラチラと覗う者、親の背から隠れるようにして眺める子供。人によって、その反応もまちまちだ。まぁ、これが農民の素直な反応というものだろう。
募兵したばかりの新兵たちは、彼らが気になるのか、行軍が乱れているようだ。小隊長らしき指揮官の怒号が響く。まぁ、ほんの数週間前までただの市民だった人間なんてそんなもんだろう。「長槍の構え方を知っている素人」と「銃の扱い方が分かる素人」くらいにしかこっちも見ていない。ちなみに、この世界の銃とはいわゆる先込め式で滑腔式……つまりマスケット銃であり、中でも点火機構が火縄によるものだ。これは火縄銃とも呼ばれ、日本では戦国時代に普及したやつだな。
自動小銃とは異なり、これは発射する為に色々と手間が掛かる。まず、先込め式だから銃を立てて、銃口から火薬と弾丸を詰め込み棒で押し込む。横にしてもう一か所、火皿にも火薬を入れ、火のついた導火線……火縄をセット。標的に狙いを定める。
そして引き金を引くことで火縄が火薬に接触し着火。射撃が行われる。その後、銃口から棒を使って銃身内部を綺麗にする。これの繰り返しである。
ハッキリ言って面倒くさい。そして時間もかかる。何より、素人が使うと些細な事で暴発したりする。だからその辺の市民に銃を渡しても、全く戦力にはならない。
まぁ、これだけのことができるようにした上で、ある程度狙った的に当てられるよう訓練したからな。そこに加えて団体行動も……となると、完璧には無理だ。ボロが出るのも致し方なしだろう。
……こんな素人に毛が生えた程度の集団で戦闘の際使い物になるのかって? そりゃ平地で戦えば簡単に敗走してしまうかもしれない。実戦経験もない人たちばかりだしな。だが今回は逃げられないように丘陵に閉じ込めるからその心配はない。その為のシュラン丘陵だ。
それに、これでも募兵し訓練した新兵の中ではマシな方を連れてきてはいる。だからその数は二〇〇〇人しかいない。これを多いと見るか少ないとみるかは人による。ただまぁ、帝国という国家規模で見れば少ない方だ。
これについては、どうしようもない理由がある。傀儡として自分の軍を持っていなかった俺は、今回の募兵でゼロから軍を興した。兵の数は演説のお陰か確保できたし、武器についても黄金羊商会のお陰で確保できた。だが問題は、隊長クラスがとにかく足りなかったのである。
軍隊と言うのは、兵が集まればそれで終わりという訳では無い。全体の指揮を執る将軍がいて、その下に部隊の指揮を執る隊長と呼ばれる人間がいて、その下に兵がいる。
この隊長という役割は、いわば関節だ。上からの命令を遂行する為に、必要不可欠な存在である。指の関節が無ければ、人は物を掴めない。五本の指にそれぞれ複数の関節があって、初めて繊細な動きを実現できる。
つまり、軍において隊長というのは極めて重要な存在なのだ。というか、隊長のいない軍隊は、兵士というよりも武器を持ったただの暴徒だ。どれだけ兵の数・装備の質で勝っていようと、隊を指揮する人間がいなければ戦闘には勝てない。
んで、ゼロから兵を起こした皇帝軍には、この隊長クラスの人間が当然のことながら一人もいなかった訳だ。これについてはワルン公の軍から借りて来たり、ジョエル・ド・ブルゴー=デュクドレーの旧知の人間を呼び寄せたりと、色々と頑張ってようやく最低限の数が集めることができた。まぁ、普通は皇帝直轄領の男爵や子爵がこの役割を担うんだが……あいつら、ほとんどが元宰相派か元摂政派の人間で、とても信用できたものではないのだ。しかも、隊の指揮が執れるような優秀な人材は大貴族にとっくに引き抜かれている。
……宰相と式部卿は討てても、奴らが残した負債はそう易々とは消えないって訳だ。
ちなみに、帝国では隊長といえば「小隊長」である。これが指揮する兵数はだいたい一〇〇人とされている。他国では「百人隊長」や「百卒長」と呼ばれているらしいな。では二十人いれば二〇〇〇人を動かせるかと言えばそんなことは無い。小隊長に不測の事態(戦死・怪我・病気など)が起こった時、代わりに指揮を執る人間がいる。こうした、いわゆる「副隊長」も用意すれば、単純に倍の人数が必要である。
……まぁ、そっちは定員割れしてるんだけど。
つまり、この皇帝軍二〇〇〇というのも割と無理をした数字である。他に諸侯軍もいるとはいえ、こんなんで「精強」といわれるラウル軍を討たなきゃならないんだ。そりゃ色々と準備にも時間をかけるというものだ。




