青き瞳の婚約者
ようやく登場するヒロイン
いつだったか可能性に挙げていた「忌み名」文化だが、どうやら無さそうだ。
初めは官職を名乗る貴族も名前を聞けばすぐに答える。
たぶん、子供には名前より官職の方が短くて覚えやすいから、という簡単な理由で名乗るのだろう。実際、ほとんどの名前は覚えられていない。
だがその中でも、中立派らしき人物はしっかりと覚えた。
ここから逃げ出すまでの間とはいえ、可能な限り中立派とは仲良くしておきたいからな。
まず一人目は財務卿、ニュンバル伯ジェフロワ・ド・ニュンバル。
実年齢以上に老けて見え、頭は禿げ上がり、常に顔色が悪く、よく胃のあたりを押さえている。滅亡ルートまっしぐらの帝国の、年々悪化の一途を辿る財政を何とか持たせている人物だ。
一番中立派であることに納得出来る立ち位置でもある。
この世界でもやはり、何をするにも金が必要だ。政治も例外ではない。その財政を司る人物がどちらかの派閥に付けば、パワーバランスは完全に傾くだろう。
とはいえ、宰相・摂政両派の突き上げは相当厳しいようだ。その不健康そうな見た目は、哀愁すら漂う。
二人目はワルン公リヒター・ドゥ・ヴァン=ワルン。
俺が生まれる直前にあった戦争において、軍事指揮官の中で最高位である元帥の地位を任され、帝国を優勢にしていた。が、皇太子であった父上が戦死した為、責任を取らされ元帥号は剥奪されたらしい。
戦傷により隻眼になっており、片目は眼帯で隠れている。どうでもいいが、顔の傷といい、その武人らしい風貌といい、間違いなくモテるタイプだ。
会う時は娘を連れてくる。名前はナディーヌ……だったか。
最近痩せたおかげか、諸侯が連れてくる娘も肉食獣みたいな目で見てくるんだが、この娘だけは相変わらず蔑んだ目で見てくる。ってか、いちいちマウントを取ってくる。
んで、それを馬鹿なフリしながら揶揄うのが密かなマイブーム。ちなみにファザコン。さもありなん。
そして三人目。ヴォデッド宮中伯アルフレッド・ル・ヴォデッド。「即位式で皇帝に帝冠を載せた者に味方する」と宣言しているらしい。
官職については、本人は言わなかった。が、他の人間から聞いた話によると……密偵長。
つまりこの男こそ、おそらく……屋根裏の者らの主である。
だがそんなこと、侍女や家令のいる前で聞けるわけが無い。
だからそれとなく探ろうと思ったのだが……この男はなかなか手強い。別に無表情だとかそういう訳では無い。ただ、常に掴みどころがないと言うべき男だ。
だから別のアプローチを掛けてみることにした。まず、官職を名乗らなかったことを理由に「さてはおぬし、しごとがないのだな!」と諸侯がいる前で言い放った。思いっきり馬鹿にした罵倒だし、面子も丸潰れであろう。
怖くないのかって? めちゃめちゃ怖いよ、暗殺が。だがこの男は初め驚いた表情をしたものの、「仕事はございますよ」とだけ答え、笑顔すら浮かべた。本当に白黒つかない反応だった。
さすがは帝国の諜報部門のトップと言うべきか。
だが、その日から屋根裏の人間の気配が変わった。日によってやる気が感じられない日もあれば、殺気を感じる日もある。いや、一丁前に殺気が分かるようになった自分に驚いたが。
まぁ、この反応からしてヴォデッド宮中伯が彼らの主で間違いない。
その役割は監視兼護衛と言ったところだろうか。
逃げるのであれば、彼らの目を欺かなければならないが……今はいいだろう。
***
その日、俺は初めて応接室に連れてこられた。
今まで諸侯と面会する際も自室でしてたからな。絵画や陶器が置かれたこの部屋を使うということは、今日来るのは恐らく、外国の使者だろう。
ついに外交デビューだ。
少し楽しみにしながら待っていると、現れたのは年の離れていない少女だった。
守銭奴家令のヘルク・ル・ディッフェに案内されてきたらしい彼女は、部屋に入ってくるなり完成された笑顔を浮かべた。それは確かに完璧な笑顔だったが、あまりに完璧すぎた。作り笑顔だとすぐに分かる。どうやら、かなり緊張しているらしい。
「陛下。ベルべー王国第一王女、ロザリア・ヴァン=シャロンジェ=クリュヴェイエ様にございます」
ヘルクに紹介された少女は、この世界における挨拶(カーテシーに似ている。ただし、両手は必ず相手に見えるようお腹の前で重ねる)をする。
縦ロール……とまではいかないくらい緩く巻かれた金髪と、水色のドレスが似合っていた。
「お初にお目にかかります、陛下。ロザリア・ヴァン=シャロンジェ=クリュヴェイエにございます」
透き通ったその声の主が顔を上げた。サファイアのように綺麗な瞳が、不安げに揺れている。
一言で言えば美少女だ。そんな美人さんに恐れられてるって、素直に凹むな。
……そもそもベルべー王国がどこにあって、どのくらいの国力で、帝国とどんな関係なのか、俺は知らされていないんだが。
ははーん。まともな対応は期待していないということだな? そりゃ、ちゃんとした外交官の対応は宰相たちがするだろうしね。
となると、そもそもなぜ同い年くらいの王女がここに送り込まれた?
自慢ではないが、俺の評判はさほど良くないはずだ。貴族の言いなりになっているのだからな。
そんな俺の元に王女……しかも第一王女を送り込むとは、何が目的だ。婚約狙いか? それとも俺の対応を外交問題に発展させるつもりか?
うーん、わからん。そもそもここまで通した宰相らの思惑とベルべー王国側の思惑が違うかもしれないしな。
それに、彼女の恐れが俺に対してなのか、宰相らに対してなのかも分からない。
ふむ。ここは一つ、カマをかけてみるか。
「おぬし、気にいった! 余のつまとなれ!」
俺の言葉に、室内にいた家令も、少女も、侍女たちもみんな唖然としている。
……いいな、この反応。癖になりそう。
一番早く復帰したのはヘルクだった。
「は? ……いえ、陛下。陛下の年齢ですと御結婚は不可能で……」
「ならばアレでよい。ほれ、似たようなのがあったであろう」
「婚約……ですか?」
今度はロザリアが口を開く。驚きのあまり、緊張や恐れは和らいでいるようだ。
うん。こっちの方が作り笑顔より余程いい。あんな固まった笑顔じゃ、せっかくの美人が台無しだ。
「おお、そうじゃ。おぬし、あたまも良さそうじゃの。 ……なんじゃヘルク、それもダメともうすのか」
そう言って俺は露骨に不機嫌なフリをする。こういう小芝居が恥ずかしげもなくできてしまうんだな、今の俺は。
「いえ、それは聞いてみませんと……」
「ならば早うきいてこい! なにをしておるのじゃ!」
「は、はっ! 申し訳ございません。今すぐ!」
慌ててヘルクが部屋を出る。
……どうやら今の反応を見るに、宰相派としては婚約は想定外だったらしいな。
あと、今日の侍女は摂政派なんだが、ヘルクが飛び出した後、一人部屋を出た。式部卿か摂政に報告しに行っているんだろう。こちらも同じか。
これが許可されるのか分からないし、そもそもベルべー王国がどんな目的だったのかも分からないが、所詮婚約だしな。通ったとしても、破棄しようと思えば破棄できるだろう。
それに諸侯が娘を売り込んでくるの面倒臭いんだよね。これで減るのかは知らないけど。やらないよりはマシだろう。
あとぶっちゃけ、脱走するまでの間とはいえ美少女と仲良くなれるの役得だしな。
いや、ロリコンじゃないよ。
彼女、大人になったらもっと美人になりそうだし、むしろ青田買い? これが何かのフラグになるかもしれないしな。
「それで、ベルべーおうこくとはどんなとこじゃ」
俺がロザリアに尋ねると、彼女はその透き通る瞳を見開いて、それから可憐な微笑みを浮かべた。
「はい、陛下。私の祖国は……」
うん。女の子はやっぱり、そういう自然な笑顔の方がいい。
まるでひと仕事終えたとばかりに、満足気に彼女の話を聞く俺は気づいていなかった。
彼女が既に「私の国」と言わず、「祖国」と言っている意味に。……その覚悟に。
この二週間後、俺とベルべー王国第一王女、ロザリア・ヴァン=シャロンジェ=クリュヴェイエの婚約が発表された。