2. 神ドラッカー
目の前に老人が座っていた。老人と言ったが、老師のような長い髭をつけてはいなかった。
たいていの場合、ここで女神が椅子にすわっていて「あなたは命を落としました。次の中から転生先を選んでください」と言うことがあるのだが、そうではなかった。そもそも、性別が男だったし、しかも老人だ。髭は生えていないが髪の毛が薄かった。皺が多い顔に黒縁の眼鏡をつけていて、不思議な服を着ていた。
老人が着ていたのはのちに言う「背広」なのだが、何が知るよしもない。そもそも何の生まれは西暦0年よりも前、キリストが生まれる前なのだ。何が敬愛する孫武も孫臏もBCということだ。アリストテレスと同じ時代だ。テルマエロマエの時代だったりする。何自身は、平たい顔属ではないが。いや、それは別の話。
何は思った。ここは死後の世界なのか?死後というのはこんなにも何もないところなのか。いや、老人がひとり椅子に座っている。私はというと、背中に痛みは...ない。着ているものは戦場のときの鎧のままだ。
老人は言った。
「君は死にました」
いや、それは解っている。多分わかっている。死にましたと言われなくても死ぬくらい痛い思いをしたので死んだんじゃないかな位はわかっているつもりだが、いきなり死にましたと言われてもなんとも応えようがない。
老人は言葉を続けた。
「君は死んだわけだが、とある世界では勇者・・・というかマネージャが足りなくてな、そのまま天国に行くか、マネージャを選べるんだが。どうだろう、別の世界でマネージャになってみないかね?」
なにを言っているのかわからん。その「マネージャ」というのは何だ?何は不思議な顔をした。漢字を当てれば「管理者」なのか?ちょっと違う気もする。
「天国に行くのもいいのだが、何もないぞ。安泰には過ごせるけども、何も愉しみがない。平和なところだ。あんな平和なところに行くよりも、ここはひとつマネージャになって世界を、いやプロジェクトを救ってみないかね?」
「・・・」
また不思議な言葉でてきた「プロジェクト」って何だ?始まりがあって終わりがあって一回性しかないものか?よくわからない。何が学んできたのは孫子の兵法だ。十三編あまりの竹簡を丹念に読み、解釈をし、学習所で同僚と議論をしてきた。たまには実践もした。故事を紐解き史記を読み温故知新に努める。その中に「プロジェクト」というものはでてこない。一体、この老人は何を言っているんだ?私に何をさせたいのだ?
「なるほど、要領を得ないという顔をしておるな。確かにな、何もわからないところに放り込まれるのは苦痛だろう。何もわからないところに、何の方法論も持たない状態で飛び込んでしまえば、荒波に揉まれて溺れてしまうようなものだ。そこには一片の藁もない。いや藁ぐらいでどうにかなるわけではないがな。せめて、アジャイルプロジェクトをドライビングできるだけの指標なり方針なりがないといけないわけだが」
「・・・」
何を言っているのかさっぱりわからない。「アジャイル」だの「ドライビング」だの「ピープルウェア」だの「ソフトウェア職人気質」だの、いやそんなことは言っていないが、ともかくこの老人の言っていることはさっぱりわからない。何もない空間。そして、おそらく私は死んでいる。死後の世界がこんな訳の分からないところとは思わなかった。すぐさま家に帰りたい。本を閉じてしまいたい。
「いや、ちょっとまて」老人は何の思考を遮った。テレパシーか?
「話が進み過ぎた。いやゆっくり話過ぎたと言ってもいいだろう。要は、つまりだな。転生して世界、じゃなくてプロジェクト、なんのだが、ええと、まあその民というか民衆というか困っている人を助けないか?という話しなのだ」
「ええ、ちょっと、訳がわからないのですが。失礼ですがお名前を先に頂戴できませんか?」
「ああ、そうか、名乗るのを忘れておったな。私の名前はピーター・ドラッカーだ」
「ピーター、ええと」
「ドラッカー」
「トラッカー?」
「ドラッカー」
「ドラック?」
「いや、それは不味い、ドラッカーだ」
「ドラッカーですね。ええと、老子、孔子のような?」
「ああ、そのあたりは私は詳しくないのだが(本当に詳しくなかったかどうかは筆者にはわからない)、まあ、そんなものだ」
「つまり、老師さまなのですね」
「ああ、そんな感じだ。いや、BMを追い出されたからそうでもないか」
「・・・」
「まあ、そんなことはどうでもよい。わしはマネジメントの神として、ここでお前を待っていたのだ」
「マネジメントの神?」
「そうだ、マネジメントというものを私は発見したのだ。だから神だ。創始者だ」
「その、マネジメントの神ということなのですが、生まれは何時なのでしょう?」
「そうさな、西暦1909年というところか」
「西暦?」
実に話はかみ合わない。孫武や孫臏が生きていた時代は、西暦前の300年位の話。そのころに何も生きていたのだ。いわば、ドラッカーのほうが年下ではあるのだが、ここでは二人には内緒にしておこう。
ドラッカーが言葉をつなげる。
「私のことはどうでもいい。それより君の話だ。君の物語はここから始まるのだ。そのまま天国に逝ってしまえば、この物語は始まることなく終わってしまうのだが、それでは詰まらない。そこでだ、君には転生して貰ってとあるプロジェクトを救ってもらう。いいかな」
「あの、いいとか悪いとかじゃなくて、そのプロジェクトってのが解らないのですが」
「何、簡単なことだ。大抵のプロジェクトは混沌としていて秩序だっていない。しかし、うまく始まりと終わりを決めればプロジェクトは計測可能になるのだ。計測すれば、チケット駆動とかバーンダウンチャートとかが書けるようになるぞ」
「いや、訳がわからないんですけど」
ドラッカーの神はトム・デマルコの言葉を引用しながら話を強引に続けた。
「では、よいかな転送の準備を始めるぞ」
「ちょっと、ちょっと待ってください。思い出したのですが、その武器とかお約束の勇者特有の能力とかはないんですか?」
「いや、そんなものはない」
「女神・・・いや、あなたを連れていくこととかはできないんですか?」
「いや、そんなことはできない」
「その、何か、詳しい説明とかはないのですか?」
「何を行っておる。プロジェクトは常に現場で変化しておるのだ。だから、現場に言って聴けばいいのだ」
「そんな、無茶な・・・」
「つべこべ言うな、持っていけるのはほれ、君の知識だけだ」
ドラッカーが、何の頭を指さす。
「兜・・・ですか?」と何。
「では、転送・・・」
スタートレックよろしく何は異世界に転送されたのであった。