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雨の日だけでも

作者: 杉並 優

 「この町は雨が降ると、声が聞こえなくなるんだね」



 梅雨、その少年は雨と共にやってきた。

 

  なんとも哀れな少年だ。こいつは自分の症状を認識していない。厄介な子供を姉さんから預かったものだ。

 受験に失敗し、浪人。予備校に通い、勉強漬けの毎日。よくある話だ。けれども彼は漬物生活に耐えられなくなったらしい。


 その結果、漬物は腐ってしまった。


 病名は「聴覚情報処理障害」簡潔に述べると、声を声として認識出来なくなる病気。全ての音が砂嵐のような音声に聞こえるという。


 漬物のストレスはそれだけに収まらず、急性一過性精神病性障害も発症した。簡単に言うと、頭がおかしくなる病気。

 姉さんは厄介者を追い出したかったのだろう。俺に多額の金とこいつを渡してきた。金が必要な俺は2つ返事で引き受けたが、思ったより彼の症状は深刻で、俺が何を言っても反応はするが声を発しない。


 そうこうしているうちに彼は現実逃避。俺の住んでいる町に設定ができてしまった。


 俺も腫れ物と関わる勇気は一切ない。だから俺は彼と食事を共にしない。ほとんど顔も合わさずに暮らそうと思っている。


 雨が降ると、雨以外の音は何も聞こえないという設定。付き合ってられない。

 まだ19歳と言うべきかもう19歳と言うべきか。ただの子供のわがままにも見えるし、馬鹿な男の現実逃避とも見える。

 「馬鹿だな…」

 彼の横でわざと呟く。

 リビングの俺の隣のソファーで原稿用紙の小説を読んでる。

 姉さんに勉強させろと言われたが、彼がしないのならどうしようも無い。

 この町に来てから小説を読んでばかり、学生時代に目指し、今もずるずると続けて、鳴かず飛ばずな俺の小説を。

 耳無し法一は実は小説好きだったのかも、目だけは見えるしな。


 この日が大雨だったのを覚えている。





 

 そんな彼に変化が訪れる。外に出るようになったのだ。といっても、何をするというわけでもなく、ただブラブラしているだけ。かなり不思議に思う。

 この頃から彼と会話できるようになった。

 「叔父さん、これは叔父さんの?」

 朝起きると唐突に聞いてきた。頷くと、

 「借りていい?」

 寝ぼけてた俺は一気に目を覚ました。

 火のついた煙草。

 火事でも起こす気かと、叱りつけるが無論聞こえていない。ただ彼は俺の頷きを待っている。火がついてしまったものは仕方ないと頷いた。

 彼のタバコを吸う様は格好がついていた。なるほど、姉夫婦がどれほど彼を束縛していたかがわかる。慣れているということはそういうことだ。

 とすればここは彼にとって楽園なのかもしれない、自由なのだから。

 頭はとち狂っているくせに身体には染み付いているんだな。その煙が服に染みつくのと一緒か…

 


 雨が降ると声が聞こえないという彼は梅雨が終わるとどうなるのだろうか。

 

 外の雨の音と、煙草の煙の匂いを感じながらふと思った。




 

 

 ある日、玄関で大荷物でずぶ濡れで、彼は立っていた。

 色々な本、ちなみに全て小説。を購入してきたらしい。彼の財布か、それともどっかから金を出したのか、それにしては買った量が多すぎる気がする。というかそんなことよりも何よりも、俺の小説じゃ満足出来なかったのが腹立たしかった。

 玄関からリビングに入る彼。

 「お前、なんなん。喧嘩売ってんの?」

 声が大きすぎたか、彼は俺の方を向く。勿論内容は分からない。それをいいことに俺は笑顔になって、

 「調子のんなよ、耳聞こえないくせに」

 すげえ面白かった。罵倒しても俺が笑顔なら彼も笑顔だった。

 その日は考えうる限りの暴言を彼に笑顔で浴びせた。ハマったけど一日で飽きた。


 早く雨止まねえかな、と珍しくそんなことを考えた。


 



 彼は外出しないようになった。

 その代わりに部屋にこもってゴソゴソ何かしている。シャーペンのノック音がかなりの頻度で聞こえた。


 雨の中でリズムを取るみたいに。

 




 梅雨も終わりかけのはずの頃


 「叔父さん、読んで」

 唐突に手渡されたのは分厚い原稿用紙。


 「書いてみた」


 今時紙媒体かよ。


 期待の目をする彼に頷いて俺は、部屋のゴミ箱にその小説を捨てた。




 今年の梅雨は長く、明日は大雨らしい。






 彼も読んでいた原稿用紙。

 結果は佳作。心機一転とやり直した気分で出した自信作だったのだが。

 評価も全然だった。設定から面白く無いらしい。ムカついて窓を開け、隣の部屋の壁を叩き 蹴った。ついでにゴミ箱も。するとその中から、


 バサっと紙の塊が滑り落ちた。

 彼が書いた原稿。


 自分より下でど素人の作品を読んでやろう。初めはそんな気分だった。



 

 雨になると声が聞こえなくなる男に話だった。

 男は最後まで声が聞こえず、雨の中で泣いていた。

 そんな話だった。





 最後まで読み終わるともう外は夜だった。

 俺は呆然として呟く。



 

 傑作だ。



 俺の心が真っ黒になった。

 

 嫉妬した、妬み、恨み、憎しみ、彼の隣の部屋を蹴って大声で叫ぶ。

 「死ねよ!」

 もう一度


 「死ねよ!」



 暫くすると、ノックの音がした。

 異変を感じたであろう彼が俺の部屋まで来たのだろう。

 そして俺はドアを蹴って開けた。

 「でてけよ!」

 出ていって欲しかった。けど彼は心底俺を心配していた。それは俺を哀れんでいるようにもとれた。

 「何かあったんですか?」

 それも

 「大丈夫ですか」

 これも呪いの言葉にしか聞こえない。


 そして思う。


 「………死ねよ」

 もう二度と

 「頼むから、死んでくれよ……」

 小説なんて書くものかと。

 「なあ、頼むよ…」


 半ベソになりながら彼の肩をがっしり掴む。爪が食い込んで痛がる彼。

 「頼むから……」


 せめて、せめて俺の声を。せめて





 「死んでくれ」



 



 雨の日だけでも自分の声が聞きたく無い。



























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