第六話 廃れてしまった終着点
転換期…!!><
何も考えず僕は家を大急ぎで飛び出した。空が異様に赤い。体を投げ出すかの如く自転車へ飛び乗り、今出せる全ての力を振り絞り学校へと急ぐ。その道中、僕の頭の中で次々と浮かび上がる良からぬ憶測が、僕の体をその限界を超えて動かしていく。若菜さんがこの時間になぜ僕を呼び出したのか意図は読めなかったが、電話越しに聞いた声からふざけた目的ではないことは分かっていた。
自転車をこぎ続ける中で、僕はとある違和感を覚えた。周りから自分から発せられる以外の音が聞こえてこないのだ。そういえば外を出てから人を一切見かけておらず、道路を走る自動車一つとして見当たらなかったのだ。僕が住んでいる地域は都会で交通量も多いため、いくら早朝の時間帯だからと言って人気が全くないというのがあり得るのだろうか? 不自然に閑散とし過ぎた街並みを見て、僕はこの世界にたった一人取り残されてしまったような錯覚を覚えた。信号機は不気味に青色を示したまま動かず、それがますます僕を学校へと急かすのだった。
学校についた僕はまず校舎の異様な光景に目を奪われた。なぜか全ての教室の電気がついており、薄暗い辺りを不気味に照らし続けていたのだった。通常では閉まっているはずの校門が当然のように開いていたため容易に学校内へ入り込むことができたのだが、先生たちが普段使っている駐車場や、生徒たちが使う駐輪場を見ても誰かが先に来ている様子ではなかった。ただ今の僕に余計なことを考える余裕はあまりなく、適当な場所に自転車を投げ出し、全速力で校舎へと向かった。
廊下を歩く僕はあまりの空気の冷たさに身を震わせながら、とりあえず自分の教室を目指すことにした。自分の足音が空しく廊下に響き渡り、非日常的な感覚に苛まれていた。
(今日は朝から不思議なことが続いてるな……。何か嫌なことが起こり始めていることは確かだ。さて、若菜さんはどこにいるんだろうか……)
未だに僕のことを学校へ呼んだ理由が全く分からず、僕としても心にモヤがかかったような状態だった。小走り気味で廊下を進んでいた僕だったが、かすかに聞こえた不気味な音に思わず足を止めた。まるで古くなった木の床がきしんだ時のような、ギギギといった不気味な音が静まり返った廊下に響いていた。僕の体に強い恐怖感が駆け巡り、思わず身震いした。全神経を耳に集中させ、どうやらその音が今いる場所のちょうど真上の辺りから発せられていることに気づいた。
(この上はまさか……ちょうど僕の教室がある位置じゃないか……?)
――――若菜さんだ……。
僕は好奇心に煽られ、教室へと全速力で駆け出した。教室の目の前まで来て呼吸を整えていると、教室の中から先ほどまで聞こえていた不気味な音をより強く鮮明に聞くことができた。その音のせいだろうか、なぜだか途端に大きな緊張の波が僕を襲い、汗が噴き出した。一度大きく深呼吸をした後、僕は勢いよくドア開けた。
「若菜さ―――」
言いかけた途端、僕は口を開けたまま動けなくなった。目に飛び込んだ最悪の光景が僕の動きを止めたのだ。
―――――そこには首を吊っている若菜さんの姿があった……。
……若菜さんの首に吊るされた縄が天井を強く引っ張り、ギギギ、ギギギと不気味な音を立てていた。若菜さんは下を向いたままピクリとも動かず、顔は髪で隠れて見えない。
「あ……ああ……………」
僕は弱々しくくぐもった涙声を出し、腰が抜けてその場にへたり込んだ。
* * *
気が付くと僕はベッドの上にいた。部屋の雰囲気からしてここはどこかの病院なのだろうか? まだ頭が回らず、なぜ僕がここで寝ているのか瞬時に理解することができなかった。どうやら気を失っていたようで、少し前まで自分が何をしていたのか思い出そうとすると頭が痛む。
(ここは……?)
部屋にかけられていた時計を見ると18時を回ろうかとしているところだった。少しずつ記憶を辿っていくことにした。
(確か、僕はセカンドワールドで人生をやり直してて……)
ぼんやりと考えながら辺りに目を向けてみたところ、少し離れたところに座っていた水島さんと目が合った。水島さんは僕と目が合うや否やにっこりと優しく微笑み、柔らかな口調で語りかけてきた。
「おはよう観月くん。気分はどう?」
「……うーん、まだ頭がぼーっとしてて」
そんなことを言いながら水島さんを見ていたらふと、ある疑問が頭をよぎった。
(あれ? おかしい。どうして彼女がここにいるんだ?)
水島さんの説明では、セカンドワールドとは人生の転機に戻りやり直せるという世界だったはずだ。僕の選択次第で結果が変わる可能性はあるが、基本的にセカンドワールドは現実世界と同じように進んでいくのだと解釈していた。だとしたら、水島さんが同じ学校へ転校してくるのはまだ少し先のはずだ。僕の記憶が正しければ、それは僕がいじめられるようになってからの出来事なのだから。
(いや、僕自身彼女について把握できていないことが多すぎる。この際彼女がどうしてここにいるのかはどうだっていい)
少しずつ頭が回るようになってきた。でもまだ大事な何かがぽっかり抜けている気がする。
「聞きたいんだけど、ここはどこ? どうして僕はここにいるの?」
そう彼女に質問したところ、彼女は少しばかり暗い表情を見せて下を向いた。
「矢井田若菜さんのことなんだけど───」
彼女がそう言いかけたところで僕の頭の中に鋭い衝撃が走り、フラッシュバックのように気を失う直前の残酷な記憶が駆け巡る。突きつけられた現実があまりにも大きすぎてどう整理したらいいのか分からなかった。
「僕のせいだ……」
僕は弱々しく独り言のようにつぶやく。水島さんにも聞こえたと思ったのだが、反応はない。おそらく僕にどんな言葉をかけたらいいのか分からず、悩んでいるんだろう。僕は次々と溢れ出てくる純粋な思いを口に出してみることにした。
「若菜さんがあんな選択を取った原因は間違いなく僕だ……。僕が彼女の運命を変えてしまった。……水島さん、僕はこの先いったいどうやって生きていったらいいんだ……」
失ったものを取り戻すことはできない。過去の数多の選択が重なり合い、線となった今を僕たちは歩き続けている。その選択の一つ一つが深く今に結びついており、たった一つでもそれを狂わせたのなら描かれるはずの未来が180度変わってしまうのだ。……分かっていたはずだった。何かを変えるためには代償となる何かを払わなくてはならない。結果的に僕は自分自身を守るために若菜さんを犠牲にしてしまったということなのだろうか……。
「……私には分からない。観月くんも若菜さんもどっちも被害者のはずなのに……」
彼女はとても悲しそうな表情でぽつりとつぶやいた。そして、顔を上げると一転して表情を変え真剣な顔つきで僕を見つめた。直感的に僕は、彼女が何か大きな選択を迫ろうとしていることに気付いた。
「それでも、この選択は君が望んだことだ。観月くん、君はこれからもう一度大きな選択をしなければいけない。この世界に残って全てを受け入れて生活を続けるのか……、それとももう一度逃げ場のない苦しい現実に戻るのか……。君が決めるんだ。だけど、よく考えてほしい。君がこの世界に来たことで気づけたことが何なのかをね」
「僕は………」
「すぐに答えを出さなくても大丈夫。とりあえず今日一日は今後のことについてゆっくり考えてみるのがいいんじゃないかな。じゃあまた明日、来るからね」
そう言い終えた後、水島さんは優しくこちらに微笑みかけ部屋から出て行った。