第二話 人生の分岐点
転校生が来て何週間か過ぎた。当然のことではあるが、僕の日常が変化することはなかった。反対に、僕の心の中の悲鳴は日を増すごとに音量を上げ、今にも破裂してしまいそうになっていた。今までは、今が一番苦しい時期だと自分に言い聞かせて何とか耐えてきたが、最近では、ならばその苦しい時期を耐えた先には本当に僕が望む未来が待っているのだろうか? とか、そもそもこの出口の見えない地獄から解放される日は本当に来るのだろうか? というようなマイナスな考えばかりが先行してしまうようになった。そして次第に、
(僕が今生きている理由って何だろう……?)
と、答えのないとてつもなく難儀な壁にぶち当たり、その度に心が押しつぶされそうになる感覚に陥ってしまうのだった。
(今、自分が死んで悲しむ人間なんているのだろうか? いや、とてもそんな人間がいるようには思えない。それならばいっそここで死んでしまった方が幸せなんじゃないのだろうか)
これが、気弱な僕が出した精いっぱいの解決策であった。僕が、僕のことを散々苦しませてきたあいつらの目の前で自殺をすれば、あいつらはひょっとしたら僕にいじめをしていたことを後悔するかもしれない。僕からあいつらに対してのささやかな抵抗のつもりだった。
初めはちょっとした出来心からの考えだと思っていたのだが、考えれば考えるほど真剣さを増していく。それ程までに僕の心は壊れてしまっていたのかもしれない。
明日は12月1日、朝一番に全校集会のある日だ。そこで僕はこの全校集会という注目を浴びる場で、校舎の屋上から飛び降りてやろうと胸の奥で密かに決心していた。何より目立つことを嫌ってきた僕だったが、どうせ死ぬんだ、気にすることはない。そんなことより今は一刻も早くこの出口の見えない地獄のような日々から抜け出したかったのだ。
* * *
今日は全校集会の日、そして自分自身とのお別れの日だ。こういう日に限って目覚め良くきっぱり起きることができて自分でも笑ってしまいそうになる。いつもより少し興奮している。実際、微かな迷いが存在することも事実だ。ただ、それ以上に日常という呪縛から解放されるであろうことに強い喜びを感じている。人生最後の朝食を取ろうとするも、様々な感情が僕を邪魔して上手く喉を通らなかった。
今にも心から溢れ出しそうになる感情を何とか殺しながら、
「行ってきます」
と、力強く言って外に出た。
通い慣れた通学路を自転車で軽快に進む。風が心地いい。もう二度とこの道を通ることがないと思うと、急に普段通りの味気ない景色が名残惜しく感じてしまう。なんだか不思議な感覚だ。
(これまで色んなことがあったなあ……。ちゃんと頑張ってこれたのかなあ……)
周りの景色に目を配りながら自転車を進めていると、公園で1人佇んでいる水島有希奈さんの姿が目に映った。少し前に転校してきた子だ。彼女は決して目立つようなタイプではないが、途中から入ってきたわりにはクラスにうまく溶け込んでおり、勝手に似た者同士だと決めつけていた僕は何だか裏切られた気分だった。水島さんはほんの一瞬こちらに目を向けた後、何も見なかったかのように別のものに目を移した。
そういえば、やけに通学路で彼女の姿を目撃する機会が多いと感じていた。実は家が近かったのだろうか? とはいえ、これから死にゆく僕にとってはどうでもいいことだ。
学校に着くと、もうかなりの人数の生徒たちが運動場に集まっており、それぞれがグループを作って会話している様子だった。これから起きることを知りもしないで、呑気な奴らだ。
校舎に入って廊下を歩く。もう生徒たちは運動場に出ていったようで、どの教室も静まり返っている。誰もいない教室に入り、空のカバンを自分の机の上に置いた後、屋上へ続く階段まで静かに向かった。階段に近づくにつれて心臓の鼓動はボルテージを上げ、着いた時には校舎全体を揺るがすかの如く僕の心の中で鳴り響いていた。一歩階段に足をかけたところで、体が硬直してしまう。足が鉛のように重くなり、体が言うことを聞いてくれない。
(――ここまで来て何をやってるんだ僕は!! 自分で決めたことじゃないか……!)
そう自分自身に言い聞かせる。辛かったあの日々を記憶の奥底から掘り起こし、再び自分に問いかける。そうして重い重い足を一歩ずつ動かす。鼓動が早くなる。目に涙がにじむ。悔しい、悔しい…。
やっとの思いで屋上のドアの前まで来た。深く深呼吸をして、そっとドアノブに指をかけ、ゆっくりとドアを開く。屋上に着いた僕は、先程までの僕とは面白い程に対照的で、まるで誰かに操られているかのようにスタスタと前へ進み、生徒たちを上から見下ろす。
(ああ、何て良い景色なんだろう……)
僕に気づいた生徒が指をさして何かを喋っている。悲鳴のような声が聞こえる。もう何もかも遅いんだよ。そうおもむろに手すりから身を乗り出そうとした瞬間だった。背後から声が聞こえたのだ。