信仰に出会う Ⅰ
がたごと音を立てながら、箱馬車が夜の平原を行く。
空には一面の黒い雲がかかり、空に浮かぶ月の光を遮っている。闇に覆われた草原の向こう側の地平線を目指して、馬は休まず歩みを進めていた。
しばらくすると、ぽつぽつ雨が降り始めた。御者はすぐに突き出た屋根の下に入り込み、雨粒から逃れる。
徐々に勢いを増していく雨粒は箱馬車の屋根をばたばたと叩く。まるで小さな動物たちが舞踏会をしているかのようだ、とレイシーは思った。
昼間なら賑やかだったのかもしれないが、今は夜である。眠りを妨げる、五月蠅いものに他ならない。
加えて、馬車に泊まるのは初めてだった。ブランケットを毛布代わりに身体にかけてはいるものの、床はベッドに比べるとはるかに堅い。騒音とあいまってこのごつごつ具合では到底眠れそうになかった。
結局、レイシーは寝ることを諦めて馬車の中を見渡してみた。
自分たちが乗るこの大型の四輪箱馬車はキャラバンと言うのだと、ヤーコブが昼間教えてくれた。天井こそ低いが市場に人や荷物を送り届けるものなだけあって、広さはそこそこだ。自分たちの他にはぱんぱんに膨らんだ背嚢を持った商人らしい男が書類に目を通していたり、不精髭を生やした酒臭い男がいびきをかいて熟睡していたりしていた。
「眠れないのですか?」
自分に声をかけてきたのはカールだった。夜でも彼は剣を手放さず、眠る兄妹と他の乗客の間にどっかり座っている。
月明かりも差し込まない中に薄ら見えるカールの強面は恐ろしい彫像のように見えて、少し肝が冷える心地がする。しかし、今の自分の話し相手は彼しかいない。ヤーコブの仲間なら多分大丈夫だろうと、レイシーは口を開いた。
「うん、床が固いのと、外が五月蠅くて……よく二人は眠っていられるね」
「長く旅をしていましたから。こういう場所での睡眠に慣れているのでしょうな」
ブランケットのかかったヤーコブとアリエッタは仲良く並んで、すーすーと穏やかな寝息を立てている。雨粒が舞踏会、隣の不精髭男のいびきが犬の唸り声なら、こちらは二羽の小鳥のさえずりのようだ。
「さあ、あなたも今日は眠るといいでしょう。いかなる場所でもきっちり眠って疲れを取る事こそが、よい旅人になる第一歩です」
「うーん、誰か子守唄でも歌ってくれないかなあ……」
「あいにく、歌は不得手でしてな。そうそう、この先に村がございますので明日はそこで休憩しましょう。馬車も停まると思います」
「休憩するの? 早く王都には行かないの? どうして?」
「このように雨が降っているでしょう。この道はまだ舗装もされていない土の道ですので、雨の後はぬかるみができてしまうのです。その道を通ると馬車が泥にはまって動けなくなることもあるのですよ。それ故に、道が乾くまで近くの村に馬車が停まることもこの辺りではよくあります」
「そうなんだ……」
見た目は怖いが、物知りなのは確からしい。レイシーはほんの少し、彼が頼もしいような気がした。
「そうそう、その村ではもうすぐ村祭りをするそうです。運が良ければ、何か面白いものが見られるかもしれませんね」
「お祭り? ほんと!?」
「おや、寝かすどころか逆に興奮させてしまいましたかな……失言でした」
ぎらりと光ったレイシーの目を見て、カールはため息をついた。
日が昇り村に到着すると、彼の言った通り馬車は村で休むことになった。
「着いたみたいだね。この様子だと旅程が一日延びるかな。まあ、のんびり行こう」
乗客が次々と村に降り立っていき、カールとヤーコブ、アリエッタも続いて降りていく。しかしレイシーの身体は重かった。
結局よく眠れなかった。昨夜の興奮はいずこ、何か重たいものを背負わされているかのような倦怠感とだるさが、レイシーの脳をぼんやりさせている。
「レイシー、大丈夫かい?」
「うまく眠れなかったのかもしれないわ。無理はしなくていいから、ゆっくり休んでいて」
「うーん……むにゃむにゃ……」
ちらりと馬車の前を見てみると、同じく寝ずに馬を操っていた御者が帽子を深く被ってぐっすりと眠りこんでいる。その光景が余計にレイシーの眠気を煽ってくるのだ。
もう一眠りしよう。レイシーは目をゆっくり閉じていく。
その時、瞼の隙間から外の村の様子が見えた。昨夜の雨が嘘のように外は晴れている。市場のものよりも小さな、木造の家屋がちらほらと並んでいる。
しかし何よりも注意を引いたのは、大きな白いオブジェと行き交う人々によって用意されていくごちそうだった。あれが祭りに使われるのだろうか。賑やかな雰囲気と好奇心によって、レイシーは睡魔の虜から抜け出した。
「あれって……ごめん、やっぱり行く!」
慌てて出てきたレイシーに、兄妹は笑いかける。
「よし、そうと決まれば楽しもう!」
「そうね。レイシーも旅は始めてなのでしょう? 楽しい思い出を、私達と一緒にたくさん作ってほしいわ」
「わたしもそうしたいな! ところで、あの白い大きなものは何だろう? 何かの形なのかな」
白いオブジェは球体を二つ重ねたようなひょうたんの形をしており、上に載っている球体の方にひし形の板が二枚、谷になるようについている。この疑問に答えてくれたのはカールだった。
「ああ、あれはうさぎのオブジェです。この辺りは白の教団の影響力が強い地域ですから。うさぎは彼らの重要なシンボルなのですよ」