平穏に別れを告げる Ⅲ
帰宅したレイシーが夕食を作ることを提案すると、オーマーは好きにおし、と簡単に承諾してくれた。
レイシーはキッチンに立つ。ちょうどいい大きさのエプロンとバンダナがあったので、それらを借りて身につけた。
下の戸棚からあの小さな鍋を取り出す。水で埃を洗い流すと、まるで使われるときを待っていたかのようにきれいになり、レイシーの手の大きさによく馴染んだ。
さっそく鍋に水を溜め、薪に火をつけて加熱していく。この間にスパイスと食材を並べ、すぐに手に取れる位置に置いた。
次は食材を切る段階だ。今回切るのはじゃがいもで、食べやすいように四角く整えていく。教わった通りのナイフの使い方ができるよう、レイシーは慎重にひとつひとつに向き合った。
「わっ!? まな板が切れちゃったー! 力を入れすぎちゃダメだよー!」
「こう、自分の方向に引くみたいにして切ればいいよー!」
オーネのくれたアドバイスを脳裏に浮かべながら、レイシーは食材を切り終えた。かくかくとした四角いじゃがいもは、まるでサイコロがたくさん並べられているかのようだ。出来栄えに満足したレイシーだったが、そのまま他の食材である豆と玉ねぎの皮むきを行う。そうして、熱した湯に具材とスパイスを入れると、いきわたるようにじっくりとかき混ぜて煮込んだ。
「目を離しちゃダメだよー! 食材は常に変わってるんだから、ちゃんと変化を見届けないとー!」
「もっと思い切って塩を入れなよ! 気持ちは料理に現れるよー?」
さすがに本職なだけあって、彼女の指導は細かかった。しかし厳しいというわけではなく、持ち前の明るさと元気で終始楽しく料理をすることが出来た。その成果か隣にオーネが立って教えてくれているかと思えるほど、滞りなくレイシーは料理を進めていくことができた。
「おまたせ」
手袋をしたレイシーは、出来上がったスープを運んで行った。
狐色をしたスープはほかほかとおいしそうな息をしており、自分の顔にかかってくる。その中には透明な玉ねぎや四角いじゃがいも、丸っこい豆がたくさん島のように浮かんでおり、具のボリュームは十分だった。オーネによると、このスープはこの地域でよく作られている献立の一つであるそうだ。
「こ、これは……」
オーマーは一瞬こちらの服装に目をやった後、驚きの声を上げた。久しぶりに彼女の感情のこもった声を聞いた気がした。
「召し上がれ」
彼女の前に、ことん、と椀を置くと、買ってきておいたパンと一緒に並べた。
震える手でオーマーはスプーンを取ると、一口啜った。
「おいしい?」
「……おいしいよ」
「よかった」
オーマーは少し表情を和らげた。しかし、ここで前に踏み出さなくてはいけない。レイシーは意を決して口を開いた。
「ねえ。わたしが王都に行くこと、本当はどう思ってるの?」
「……勝手にすればいいと思ってるよ」
「嘘、ついてるよね。本当は、わたしにどこにも行ってほしくないって思ってる。わたしを、孫娘さんの代わりだと思ってる。そうでしょう?」
全てを見透かしたレイシーの物言いに、オーマーは観念したようだった。
「……誰が喋ったんだろうね。そうさ。私はあんたを孫娘の代わりにしようと思って泊めたんだ。だけど家族として愛されて、お前さんも嬉しかっただろう? ずっと一緒に居たいと思ってはくれなかったのかい?」
「嬉しかったよ。だけど、だからこそ、わたしはその孫娘さんの代わりにはなれないって思う」
「……だったら、どうしろって言うんだい!」
がちゃん、とオーマーは突然立ち上がった。勢いよく立ちあがったのでスープの椀が危うく倒れそうになる。
「みんなみんな言ったさ、もう忘れて未来を見ろって! 不幸なことはいつまでも引きずるなって! わかってるさ、悲しんでばかりで何もしないのがいけないことなのは! だけど、だけど…そんな風にはいそうですかって切り替えるなんて…できるわけないじゃないか……!」
彼女は未だに水面が震えているスープをちらりと見た。
「このスープだって、あの子がこの鍋で良く作ってくれたんだ……忘れられるわけないじゃないか……」
「だったら、忘れなくていいと思う」
レイシーは微笑んだ。沈んでいたオーマーの目がこちらへ向いた。
「わたしも家族を亡くしたんだ。もちろん、とても悲しかった。だけど忘れたい、忘れなきゃって思ったことは一回もないよ。むしろ、いい事も悪いことも、一緒に過ごした思い出をずっと覚えていてあげようって思うんだ。そういう積み重ねがあって、今のわたしがいるのだから」
悲しいことを背負っていくのは、決して悪いだけのことではない。それは家族の死を受け入れて前に進んだ自分にも言い聞かせる言葉だった。
「だから、きっとその思い出は孫娘さんだけとの思い出だよ。わたしがそれに取って代わるのは、できないと思うんだ。だからね、その孫娘さんとの大事な思い出も、どうか忘れないであげてほしい」
「……一人にしないでおくれ……行かないでおくれ……」
「……寂しい思いをさせてごめん。でも、王都に行くのがわたしの夢なんだ。だから、ね。待っていてもらってもいいかな。わたし、絶対に帰ってくる。帰って、いっぱい面白いお話をして、またスープも作ってあげる。ここは、わたしの新しい家だから」
この想いはおそらく自分勝手なものなのだろう。しかし、これが今のレイシーのやりたい事なのだ。すっきりと頭が冴えたように、迷いはなかった。
「だからね、それまでどうか元気でいてね。おばあちゃん」
オーマーの目に、感情が戻っていく。驚きと、涙を浮かべた目だった。
「お前さんも、私をそう呼んでくれるのかい……!」
レイシーは頷いた。
「おおお……」
オーマーはよろめきながら近寄ってくると、レイシーの小さな身体を抱きしめて嗚咽を漏らした。彼女の年老いた手は骨ばってはいたが、温もりがちゃんと伝わってきた。
レイシーは彼女が泣き止むまで、優しく背中を撫で続けた。