平穏に別れを告げる Ⅱ
それから数日、気まずい日々が続いた。
前のようにオーマーが褒めてくれることはほとんどなくなった。朝や夜の挨拶こそ交わすものの、そこから先は互いに沈黙したままという状況が続いた。
レイシーはずっと考えていた。自分はこのまま王都へ行くべきなのだろうか。屋敷ではじめて話を聞いたときからずっと、大都市への憧憬は変わらない。自分の想像を超える楽しいものや素敵なことが、たくさん待ち受けているに違いない。
しかし、と正面の老婆に目をやる。彼女は顔だけが彫像になったように、無表情を崩さない。
抱きしめてくれたこと。眠れない夜に、子守唄を歌ってくれたこと。拠り所を失った自分に、衣食住を気前よく与えてくれたこと。初めての仕事のとき、褒めてくれたこと。
様々な思い出を思い返せば思い返すほど、自分も何か恩返しをしなくてはという義務感に駆られてしまう。そしてその一番の恩返しが、彼女の孫娘の代わりに、傍に居続ける事なのだとしたら。王都になど行っていられないだろう。
「うー……」
口から呻き声が漏れた。夢か義理か、板挟みになった胸が苦しい。この鬱屈した気持ちを、レイシーは吐き出したくなった。
「……それで、うちに来たんだねー?」
「うん」
食堂の一室で、レイシーとオーネが向かい合っていた。
今日は仕事が休みの日だ。いつもはオーマーの家で掃除を手伝ったり、彼女と共に市場の品々を覗いたりしていたのだが、今は一緒に居られる気がしない。
そこでレイシーはこの友人に、オーマーとの間であったことをすっかり喋っていた。
「なるほど……そりゃ辛いねー。それに、ずっと孫娘でいるっていうのもややこしいことになりそうだねー。サンディ達が戻ってきたときに一悶着ありそうだしね」
「う、うん……したいこともあるけど、しなくちゃならないなって思う事もあって…」
「ま、気楽にやった方がいいと思うよー。そこのスナック、取ってくれる?」
「わかった。はい、どうぞ」
とと様ことオーネの父は二人の為に、薄く切ったじゃがいもを揚げて塩をまぶしたおやつを作ってくれていた。
レイシーはオーネに代わってそれを取ると、彼女の口に近づける。彼女は待ってましたとばかりに大口を開け、ぱりぱりと美味しそうに咀嚼した。
「んー、やめられない。レイシーもどんどん食べて食べてー」
「……ん……ほんとだ、おいしい」
じゃがいもの素材に少し塩を感じる程度の薄味だが、それ故たくさん食べられる。ぱりっと齧れる軽さも相まって、次を取る手が止まらない。不思議な魅力のあるおやつだ。
「きっとね、レイシーは真面目なんだよ。だから深く考えちゃってるんだ。これでも食べながらやる、くらい気楽でいいんじゃないかなー、って思う」
「そうかなあ……」
「そーそー。だけどね、どんなに気楽に構えていても、やりたいことを見失っちゃダメだと思うよー。レイシー自身ののやりたいことって、何ー?」
「それは……」
「ああいやいや、今言わなくていいよー。私が言わせたみたいになっちゃったら、それも意味が無い気がするからねー。ゆっくりじっくり自分の気持ちを探してから、オーマーさんに伝えてあげてー! それとね、何処に行っても、私はレイシーを応援してるよー!」
オーネはにっこりと笑った。
屈託のない快活な笑顔に、レイシーは幾分か勇気をもらった。胸のもやもやは、最早ほとんど感じなかった。
「ありがとう。とてもすっきりした。でも、どう伝えたらいいのかわからない……」
まだ問題は残っている。オーマーが自分を避けてしまう故に、すっかり会話のない状態に慣れてしまっていた。どうこの話を切り出せばいいのか見当がつかないのである。
「ふっふっふ、そういう事かー……だったら、とっておきの方法があるんだー!」
「ほんと!?」
藁にもすがる思いだった。レイシーは身を乗り出して、オーネの言葉を待つ。
「それはね……お料理だよー!」
「なるほど! わたしが、ごはんを作ってあげるんだね?」
「そうそう! 腕を失くしても私は料理人だからねー、レイシーに作り方を教えてあげる!それで、レイシーがオーマーさんに、伝えたい気持ちと真心を込めてご馳走してあげて!」
「うん!」
荒野に道標を見つけたようだった。そして突然訪れた料理教室開講に、わくわくする気持ちが止められない。今までたくさんの料理を食べさせてもらっていたが、自分でしっかりと作ったことはなかったのだ。友だちと一緒にやれば、とても楽しいだろう。
「どんな料理がいいかなー? 何でも言って! きっと教えられるからー!」
「うーん、迷うなあ……」
大好きなひき肉のステーキが良いか。野菜を売っている点を利用して、サラダやマリネにするのもいいかもしれない。日々の家事の疲れを労うため、疲労回復に効くタコを使うのも手か。
そこでふと、レイシーの脳裏に、オーマーの家のキッチンで見つけた小さな鍋が思い浮かんだ。殻に閉じこもるように、埃をかぶっていた小さな鍋。何故かはわからないが、レイシーは無性にそれが使いたくなる衝動に駆られた。
「鍋を使う料理……スープとか、できる?」
「スープ! シンプルで良いチョイスだねー! それじゃあ、今から特訓だー!」
オーネが元気よく立ち上がり、厨房の方へ歩いていく。レイシーは残っていたスナックをまとめて口に頬張ってからそれに続いた。