かつて夢見た道が開く Ⅱ
そうして日が沈み、夜が来た。
今日の売り上げは上々だった。自分の積み重ねが結果に繋がっていることを感じ、レイシーの顔はほころぶ。
店先を片付けてから、家の中に戻った。屋敷ではない場所での暮らしもそろそろ慣れてきていた。
「今日も頑張ったね。お前さんを誇りに思うよ」
「ありがとう!」
出迎えてくれるのはオーマーだ。彼女の言葉に偽りはなく、まるで本当の家族のように毎日自分を労わってくれるのだった。
この家での日常の夕食はほとんど決まっており、パンに野菜のシチューが何日も続いた。しかし代わり映えしないメニューでも、仕事終わりの疲れた身には楽しみの一つだった。また、売り上げの良かった日には肉料理が付いたりと食卓が豪華になることがあるのも嬉しかった。
身体を洗う時も、最初は必ずレイシーに譲ってくれた。家事の片手間に、背中など手の届きにくいところを優しく洗ってくれたりもした。眠れない時はいつも、撫でながら子守歌を歌ってくれた。
「今日は私も何か、家のお手伝いしていいかな?」
「そうだね。それじゃあ、今日は夕食の支度を手伝ってくれるかい?」
「わかった。道具はどこだったかなあ……」
すぐにキッチンに向かうと、下の戸棚を開ける。
「……あれ……?」
そこには小さい鍋が一つだけ入っていた。
棚の奥の隅に引きこもるようにして置いてあり、被った埃が彼女が何時も使っているものとは違うと証明している。間違えたのかな、とレイシーは首をかしげた。
「……それは……そんなところに……」
その鍋を見たオーマーははっとしたように手を口に当て、しばらく硬直する。予期しないものを見られてしまった、というような驚いた表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもないさ。さあ、私を手伝ってくれるんだろ? その鍋は戻しておいで。私がいつも使うのは、こっちの鍋だよ」
オーマーは下の戸棚を閉め、上の戸棚から鍋を取り出した。大きな、使い込まれた鍋だった。
「……あれは何だったんだろう」
翌日の御昼どき。店番も一休みする時間だ。サンドイッチを食べるレイシーは、ぼんやりと考えを巡らせる。
あの後オーマーは何もなかったかのように元に戻ってしまった。しかし、それならなぜあんなに異様な驚き方をしたのだろうか。
「……うーん……」
もやっとする心を抱えながらも残りを頬張り、仕事へ戻ろうとした。
「ねえ兄上、あれ…レイシーじゃない……?」
「本当だ……こんなところにいたのか! よかった……」
「……あなたは……!」
見覚えのある人物が二人、こちらへやって来る。
ヤーコブとアリエッタだ。何かに安堵したような笑顔を浮かべながらこちらへ向かってくる。ずいぶん見なかったが故に、彼らを見つけられたのは嬉しいことだった。レイシーは喜びを表すかのように、大きく手を振って二人を迎えた。
「久しぶり!」
「無事だったんだね……本当によかった……」
「ええ。奇跡ですわ……」
「奇跡? 一体何のこと?」
「……そうだ。これは言っておかないと」
二人が沈痛な面持ちになる。
「正直な所、ここで君に会えるとは思ってなかったんだ。あの火事の後すぐに森を見に行ってきた」
「え、それじゃあ……」
「崩れた屋敷も、お墓も見たわ。だけど私、まだ信じられない。サンディと、あの優しい人たちが死んでしまったなんて……」
「こんなことを聞いてすまない。だけど、教えてほしい。サンディ達は本当に死んだのか?」
「……うん。サンディはわたしを守ろうとしてくれた…他の皆も、きっと屋敷を守ろうとしたんだと思う」
午前中に大声で呼び込みをしていたのが嘘のように消え入りそうな声で、ぽつぽつとレイシーは見たことを述べた。市場の喧騒も、この胸の重い気持ちを消すことはできなかった。
「そうか……本当にサンディは死んだのか」
ヤーコブは歯を食いしばり、拳を握りしめた。アリエッタは市場の真ん中で泣くわけにもいかず、涙をこらえていた。
「……本当に悲しいけど、君だけでも生きていてくれてよかった。君はこれからどうするんだい?」
「えっと……今はお仕事をしているけど」
「よかったら、僕たちと一緒に王都に行かないか?僕たちはもうすぐ出発する手はずだったんだ」
「王都……」
思いがけない申し出だった。忘れかけていたものを思い出した、心臓がきゅんとする感覚。
王都。人形劇の英雄たちの舞台。憧れていた場所。いずれサンディと一緒に行くはずだったところ。それは今でも変わらぬ魅力をもって、レイシーを魅了する。
だが、今の自分は野菜売りだ。オーマーを置いて、自分だけそんなことをしてよいのだろうか。
「迷っているようだね。まあ、出発まではもう少し時間がある。僕はこの先の宿屋にいるから、ゆっくり考えてから、返事をしてくれたらいいよ」