レイシー、働く Ⅲ
次の日。いよいよレイシーが始めて働く日が来た。
まずはオーマーと共に目を覚まし、着替えと朝食を済ませる。早い時間だったのでまだ完全に日は昇りきっておらず、朝なのに夕方のような明るさだ。
「それじゃ、私は片付けをしたら奥の倉庫でお前さんを見守っておくよ。お前さんには店番を頼むよ」
「わかりました。やってみます」
レイシーは店先に立った。 朝日によって橙色に照らされる市場には、早くも人々が集い始めている。通りの他の店からも人が出て来て、次々に商品を並べ、店開きを始めていく。
「うまく、できるかな……」
心臓がどきどきする。今までは流し目にしか見ていなかった店番も、いざこうして自分がやってみると緊張してしまうものだった。
市場には既に何人かの客がやってきている。それすらも逃すまいと、周りの店の店員たちは開店するがいなや呼び込みを始めた。
「目覚めがすっきりするお茶はいかが?」
「便利で丈夫な雑貨が安いよ!」
「仕入れたて、新鮮な食材だ!」
賑やかな市場も、店を出す者にとっては戦場だった。号砲の如く周りから響く大声に、レイシーは気圧されそうになる。
「お、お野菜、いかがですか……」
レイシーも恐る恐る声を上げてみるが、周りの声にかき消されてしまう。当然、こちらに降り向く客もいない。
これでは駄目だ。レイシーは覚悟を決めた。
「お野菜、いかがですかー!」
大きく息を吸い込んで、レイシーは精一杯の大声を出す。すると、何人かがこちらに振り向いてくれた。
「お茶もいいよー! リラックスにもってこいだよー!」
「見てよこのホウキ! すっごく丈夫だよ、うちでも4年使ってるんだ!」
「どんな料理もおいしくなること間違いなし! 早い者勝ちだよ!」
「おっと、うちもあるぞ! プレゼントにぴったり、きれいな反物だ!」
市場の商人たちは相手が子供だろうと手加減はなく、口々に商品の長所をアピールし始める。負けてはいられない。
「え、えーと……お野菜は美味しいですよ!サラダにも、マリネにも、シチューを作っても美味しくいただけますよー! サンドイッチにもおすすめですー! それから……」
「お嬢さん、いいかな?」
「ひゃあっ!?」
客寄せに必死になっていたレイシーは急に話しかけられ、飛び上がらんばかりに驚いてしまう。
自分に声をかけた客は口ひげを蓄えた、優しそうな中年の男性だった。手にはバスケットを提げている。慌てながらも、レイシーは対応を試みた。
「美味しそうな野菜だね。トマトを二個おくれ」
「は、は、はい、160インです」
上手く言葉が出てこない。それでも何とか震える手でトマトを掴むと、男性に渡す。
そして差し出されたお代のコインを受け取るが、レイシーはそれを落としてしまった。チャリンという音とともにコインが転がっていく。
「あわわわ、も、申し訳ございません!」
生きもののように逃げ回るコインを追いかけて、レイシーは走り回る羽目になった。客の前でこんな失態を晒してしまい穴があったら入りたいほどだったが、そんな初々しい店員の様子を見て、男は微笑んだ。
「新人さんかい? こんなに小さいのに偉いね。頑張るんだよ!」
「あ、ありがとうございましたー!」
なんとか代金を捕まえた後、手を振りながら去っていく男性に慌てて頭を下げた。
「やったじゃないか! 記念すべき初売りだね!」
一部始終を見ていたオーマーが奥から現れた。顔にはとても嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「は、はぁ……」
安心して思わずへたり込みそうになった。人一人と話しただけであるのに、なんだかどっと疲れた。
「ふふ、もう一日働いたかのような顔だね。もう今日はお前さんは休んで、私が代わってもいいんだよ?」
「……いえ、大丈夫です。わたし、やれます」
レイシーは姿勢をぴん、と正した。まだまだ業務は始まったばかりだ。途中で投げ出したくはない。
それに、さっきは不意打ちを食らったせいであのような対応になってしまった。その教訓を生かして次はもう少しうまく対応したいと、挑戦欲も湧いてきた。
「そうかい! 働き者だね。それじゃあ、引き続き頼むよ」
オーマーは再び奥へ戻って行った。レイシーは再び息を吸い込むと、益々増えてきた客たちに向かって叫んだ。
「お野菜、いかがですかー!」
太陽がすっかり昇りきっても、斜陽が市場を照らし始めても、レイシーは呼び込みを続けた。
「わたしは空に向かって叫んでいるんじゃない、お客さんに向かって呼び込みをしているんだ。お客さんにちゃんと注意して、いきなり声をかけられても驚かないようにしないと」
そう言い聞かせながら行った結果、何人かの客が野菜を買いに来てくれた。彼らに対しても落ち着いて応対をするよう心掛けてみると、最初のような緊張は次第に小さくなっていった。
「たくさん買う人も入れば、少ししか買わない人もいる……市場の人なのかな。また来てもらえるように、顔を覚えておこうっと」
結局、その日はまずまずの売り上げだった。