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レイシーのぼうけん  作者: 偶像兎
第一章 少女と森のやしき
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笑顔を、あなたに Ⅳ

 ぽつぽつと雨が降り始めた。やがて雨は強さを増していき、ざあざあと音を立てながら燃える森に振りそそぐ。

 屋敷を崩した火は呆気なく消えた。空に舞っていた煤も大地を汚していた血も、全てが洗い流されていく。

 雨の冷たさを頬に感じ、レイシーは我に返った。頭が少しずきずきしている。


「……そうだ、サンディ」


 きょろきょろとサンディを探すと、彼女はすぐ近くで眠っていた。


「サンディ。わたし、やったよ。あいつを殺した。サンディをいじめたやつをめちゃくちゃにしてやったよ。ねぇ、サンディ。褒めてくれるよね。笑ってくれるよね。撫でてくれるよね。そうだ、手もつないでよ。サンディの手、あったかくって、柔らかくって、大好きなんだ」


 話しかけられても、彼女は動かない。いつもしてくれたように微笑みを向けてくれることはない。


「サンディ? どうしたの、怖いの? もう大丈夫だよ、怖いやつは殺してやったから。ぎゅっとしてあげるから、ねぇ。わたしが怖がってたとき、いつもしてくれてたでしょう?」


 レイシーはそっと、サンディの身体を腕に抱いた。

 彼女は目覚めない。それどころか息遣いや鼓動も感じられない。


「サンディ……こんなに冷たいなんて、病気になっちゃうよ。きっと雨の中で寝ているからだね。わたしが雨にうたれた時、叱ってくれてたでしょう? 今度はわたしが叱らないとね……」


 思い出を口にするたびにレイシーの心を塗り固めていた、憎悪の化粧が溶けていく。


「……サンディ……目を開けて……」


 都合のいい妄想は消え、現実が迫ってくる。


「サンディ……さんでぃ……死んじゃいやだ……おいていかないでよ……」


 どれだけレイシーが温もりを与えようとしても、彼女の身体は芯まで冷えきっていた。

 レイシーは悟った。彼女にはもう会えないのだと。爺ややオルガも、もう無事ではないのだと。

 これ以上ないほどの悲しみが心を侵食する。まるで全身の血管と内臓に鉛を流し込まれたかのような、重い重い苦しみだった。どうすればこの感情から逃げられるだろう。


「……わたしも死ぬ」


 死ぬなら、どういうやり方がいいだろうか。

 レイシーが自分の身体を見まわしてみると、いつの間にか怪我が治ってしまっていた。ぼろぼろの服から覗く素肌にも、もうほとんど傷がない。理由は不明だが、この前の谷への転落の件といい、自分の身体は怪力だけでなく治癒力も備わっているらしい。

 しかし、今はどうでもいい。死へと向かおうとするならば、そんな能力は障害に過ぎない。

 とりあえず、胸を切り開いてみることにした。

 生命維持に必要な内臓を全部取り出して空っぽにすれば、さすがに生きられないかもしれない。この悲哀に比べれば痛みなど、大した問題ではない。

 屋敷の残骸を少しどけてみると、鏡の破片らしい鋭利な欠片が見つかった。そこそこの大きさで、まるでナイフのようだった。レイシーはそれを強く握りしめると、心臓に切っ先を向けた。


「……これでいいや。待ってて。いま、会いに行くよ」


 躊躇いなく胸に突き刺した。肉が裂け、つぷ、と赤い血が漏れ始める。そのまま一気に引き裂こうとした。

 これでまた、会える。サンディの笑顔に。

 そこでふと、自分の胸を貫く鏡の欠片に、自分の顔が映っているのを見つけた。

 自分の顔は、やつれていて、疲れ果てていて、髪も汚れていて。とても綺麗なものではなかった。

 最初に自分の顔を見たのは、サンディと一緒にお風呂に入った時だった。当時もこんな風に、自分の顔は醜かった。言葉もまだわからない自分を、サンディは優しく洗ってくれた。見違えるようにきれいになった自分に驚いた。

 それからいっぱい、色んなことをした。おしゃれ。人形劇。マリー。ピクニック。市場。美味しいごはん。

 レイシーの手は止まった。もう二度と戻らない思い出が、泡沫のように湧き上がっていく。


「……わたしは」


 思い出した。今いる自分はサンディに作られたものだ。それだけではない、爺やにオルガ、マリー、言葉を交えた市場の人たちや友だち。今まで食べてきた動植物。色々なものと関わり、吸収して、自分は形成されてきた。

 言葉が喋れるようになった。少しだけ文字を読み書きできるようになった。刺繍も少しできるようになった。美味しいものをたくさん食べさせてもらった。友だちが出来た。本を書くという夢を持った。王都のこと、魔法のこと、沢山教えてもらった。

 そして何より、いろんな気持ち、感情を知った。誰かを好きになれるようになった。もしここで死んだら、それらは消えてしまうだろう。例え生まれ変わりがあったとしても、レイシーがレイシーとして積み重ねたものは全て無くなってしまう。

 それは、勿体ない気がした。


「……生きなきゃ」


 レイシーの手から鏡の欠片が転げ落ち、かきんと澄んだ音を立てた。


「ごめんなさい。今までありがとう。出会ってくれて、ありがとう。わたし、生きる。みんながくれたものを、大切にしたいんだ。……皆はどこに行くのかなあ? 生まれ変わっていても、星になっていても、嬉しい気持ち、伝えるから。知ってる? 嬉しい気持ちは伝わるんだよ。わたし、みんなに届けるから」


 だけど、今日だけは。


「……泣いても、いいかなあ」


 雨の中でレイシーは泣いた。

 サンディの骸の横に跪いて泣いた。

 涙で悲しみを洗い流すかのように泣き続けた。

 少女の慟哭は雨音に混じり、森の中に響き渡った。


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